たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(続)美ケ原(やはりこの日は厄日だった)

2022年08月08日 | 心に残る思い出の山

続き

最高峰の王ヶ頭(2084m)まではほんの一登り。ホテルやテレビ中継塔が目障りなほど立ち並び百名山と謳われた山頂に立った実感をどこでどう感じ取れば良いのか戸惑うばかりだ。此処を百名山の一つに選んだ深田氏もさぞやお嘆きの事だろう。足を止める事も無く王ヶ鼻に向かった。

 

 

王ヶ頭の無残な景色もここまで足を延ばせばそう苦にならないし主人も漸く山男に帰ってくれて私は清々しい気持ちで眼下の谷の錦の樹海に目を向ける余裕が生まれた。この時食べたミカンの美味しかった事!

ここから一旦三城(サンシロ)方面に向かいドンドン下り続ける。これから辿る予定の「二人の小道」は案内書によれば溶岩台地の中腹を水平にトラバースしており変化に富んでいると有ったので注意しながら下ったのだが分岐点が解らないまま、オカシイと思う程下ってしまい桜ロッジが在る石切り場に出てしまった。ここは4か所ある登山口の一つ石切り場。と言う事は一からやり直しと言う事だ。

もう一度地図を載せて置きましたので御参照下さい

疲れ切った足での登り返しは相当な時間を要するだろうし、それ以上に精神力も必要だ。とにかく頑張っていくしかないと言う決心とは裏腹に膝から崩れてしまいそうな疲労感が私を包む。12時を回っているがお弁当を開くでも無く15分休み何の会話も無いまま落ち葉を踏みしめひたすら登る。

 

主人は不快な表情が有り有りと見て取れる。二人の小道の分岐を見損じた責任は私に有るので仕方ないがこんな時は文句を言ってくれた方が気が楽になる。展望もはかばかしくなく気分は滅入るばかり。普段だったら良い気晴らしになるはずの紅葉、多分、鹿だろうがガサガサッと走る抜けていく音もそれを声に出せず私は自分の世界の中で歩くしかなかった。ガサゴソと言う落ち葉を踏みしめる重い足音。何時まで経っても出口を見せない樹林の中のジグザグ登り。辛い。

桜清水でロッジで休んでいる時に口にした主人の「今日は少しも楽しくない」と言った言葉がまた頭をよぎる。何が悪いのか、どうして歯車が嚙み合わないのか。

1時間近く歩いてもう限界かと思われたとき突然視界が開け前方に王ヶ頭が見えた。左に大文字の岸壁が迫る地点である。暗闇から一気に脱出した気分を意識した。

薄く剥がれた石が道の上に崩れ落ち足元から三城に凪落ちる斜面はまるで雪の様に一面真っ白だった。気が付けば主人も平静を取り戻し息が詰まる様なあのいやーなムードは何処にもない前方に王ヶ頭、眼下にのびやかな三城牧場を俯瞰する一地点で涼風に憩いながら「自然の力は凄い。私には出来ない心の入れ替えを難なくやってのけてしまうのだから」と心で呟いていた。後は一気に王ヶ頭まで登り上げるだけだ。

 

さぁ何処でも勝手にお歩きなさいと言った風だ】そう記した深田氏の感激は、景観を壊す鉄塔などにそのまま伝わる事は無いが怪我の光明と言うべきか、あのまま二人の小道を歩いていたら味わう事の無かった深田氏の世界を体感する事は出来なかっただろう。

 

昼食を忘れていた私達は王ヶ頭すぐ下の道のド真ん中でラーメンをすすりカメラに納めきれない景色と山を埋め尽くす紅葉を楽しんだのだった。

松本の奥座敷と言われる浅間温泉で共同浴場を探して狭い路地に入り、こじんまりした旅館で教えて頂いた枇杷の湯の暖簾を潜った。「高そうな旅館ね」と言って通り過ぎたそれが共同浴場だったのだ。 初代松本城主・石川数正公の時代に此処に湯殿を置いたのが始まりという事から歴史は古い。

温かい風呂に浸かれば美しい残像と心地よい疲労感だけだった。終わりよければ全て良し、めでたしめでたし。