たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

富山の景勝地 雨晴し海岸 11/6

2015年12月21日 | アウトドア

(道の駅万葉の里・高岡)

昨夜の事です

私は既に布団にくるまり小説を読んでおりました

それにしても雄さん、何処へ行ったのだろう

時計をみますと、もう21時を回っています

明日、行く雨晴海岸のパンフレットを貰ってくると言って館内に入って行きましたので

その内、戻るだろうと私は本を閉じ寝てしまいました


遅くになって帰って来た雄さんの話によるとパンフレットを見つけている背中に

「何処をさがしてるんだね!」という声がしたので振り向くと、来た時からずっと居座っている男性二人

「俺たちは以前、トラック運転手をしていたから」と書いてくれたのがこの地図なのだそうです


朝、さっそく地図を頼りに雨晴海岸へ向かいます

途中、道路の中央を線路が敷いてあるのを見て

さすが元トラック運転手、適格なナビに感心しながら先を急ぐ私達でした




この岩は義経と弁慶が平泉への途上で、にわか雨を避ける為に雨宿りしたのが、この岩なのだとか

休んだだけでお堂が建てて貰えるなんて有名人はいいですね


さて彼の有名な雨晴し海岸

万葉以来、風景の良さが讃えられている白砂青松を地で行く景勝地

海の上に3000m級の山が連なる景色は世界的にも此処だけしか無いそうです

ですが・・・生憎、今日は雲が多すぎました


この写真は雨晴し駅の看板の写真をお借りしたものですが条件が良ければこの様に見えるんですね


ヤドカリ


仕方がないので海辺の生き物と戯れる事に致しましょう




と、その時 踏切の警報機の音

ん?電車?と思った時にはダッシュしていました






雨晴しの先の松大枝浜とその先の島尾も景色の良い所だとトラック運転手さんが折角、書いて置いて下さいましたので

それではと車を走らせます






小春日和の穏やかな海辺、陽は未だ高く光の反射が眩しい程

立山連峰は残念でしたが、こんなノンビリした一時を過ごせる事は何よりです


次の島尾は探せませんでしたが、その代わり「氷見番屋街」という標識を目にした私

北海道で見た番屋の景色が此処でも見られるのかしら?と・・・

写真は番屋とは関係有りませんが、周辺の建物が一様に真っ黒な瓦を使用しているのに驚かされました

北陸の厳しい風土に対応した瓦なのでしょうが

普段では気にも留めない瓦にも地域性が感じられる物なのだなと改めて見つめた能登の屋根でした


番屋は一体、何処でしょう

道の駅「番屋街」?????

そうだったんですか・・・「 ごめが鳴くからニシンが来ると・・・」ではなかったんですね

       



結構なお値段です




今、ちょうど昼

魚廣さんを見つけた私達、ここでお寿司のパック詰めを購入しました

このコリコリ感  何て美味しい~の!!

そして安い!! 3品、2000円で御釣りがきました、絶対にお勧めです


満足し国道を通らずに元来た道を雨晴し海岸に向かいますとオッオッオオオ・・・

看板の写真程では有りませんでしたが立山連峰が海の上に






白浜に うちいで見れば

雄々しき峰の 連なりて

あはなそ問えば 黒部の峰々とや申しけり

あれ これが名高き雨晴し浜

黒部の峰の 姿まさる浜

息を止めて 見つめたり

古典風の文章の方が、この景色の感動が伝えやすく思えて・・・

フフ・・ おふざけ・・です


富山を抜け新潟に入りました

能生辺りだったでしょうか、海の向こうに明日登る米山が霞んでいます


今日の道の駅は「よしかわ杜氏の郷」道を挟んで立派な温泉施設も有ります

夜も更けて明日の登山の構想を練っていると犬の散歩から帰った隣に車を停めた主

話の中で「そうだいね」 ・・・・・その言葉に即、反応

そっと車のナンバーに目を向けます

「高崎ナンバー」 やはり群馬の方でした

「ここのラーメンと風呂がいいんで年に数回、来てるんさ」

確かにお風呂は良かった、そうかラーメンが一押しか!

山から帰ったら明日の夕食はラーメンにしよう!


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金沢・華やかな大名たちの生活が偲ばれる兼六園そして茶屋街へ 11/5

2015年12月19日 | アウトドア





山中温泉を後に訪れたのが加賀百万石・前田家の庭園「兼六園」です

私が此処を訪れるのは二度目ですが雄さんが行った事が無いと言うので立ち寄る事に致しました

兼六園は日本三大名園の一つで5代綱紀が蓮池亭を造り蓮池庭と称したのが始まりだそうです

現在の形に完成したのは13代斉泰の時代ですから1837年と言う事になります

藁縄での雪吊りをした松、徽軫灯篭(ことじとうろう)は

兼六園を紹介するパンフレットには必ず載っていますのでご存知かと思います

徽軫とは琴の糸を支える琴柱ですが似てますね






園内は広大です

順路が設定されている訳では有りませんが此処は足の向くまま気の向くままに楽しむ事に致しましょう


この松(根上がり松)は斉泰お手植えの松ですが迫力ありますね

根が剥き出しになっていますが、これは盆栽で良く見かける事が有ります

あらかじめ土を高く盛り根づいたら土を少しずつ取り除き

あたかも土が水で流された様に人為的に仕立てる方法

170年の歳月を経てドッシリと大地を踏みしめた立ち姿は壮観です






たわわに真っ赤な実を付けているのはウメモドキでしょうか

付近には散らばる木々や花をスケッチしている二十歳前後の女性を多く見かけました

美大生ですか?と尋ねますと

「違うんです、絵は描いた事が無いのにサークルで絵を描きに行こうと言う事になりまして・・・」

真っ赤な顔で応える彼女達にとって兼六園は、はて どう映った事でしょう?


滝を眺めながらお抹茶を楽しんだでしょう「夕顔亭→大名茶室(左)の細い路地では

大名と同じ目線で滝や池を眺めて頂けるよう忙しく抹茶をお運びする女性の姿が






時代を感じさせる足元の瘤の様になった根

その木々の向こうに加賀百万石の石垣が覗く小道は何時しか私を遠い過去へと誘ってくれる様でした


兼六園から石川橋を渡れば石川門は目の前です

橋の下は嘗て百掘りで満々と水を湛えたお堀でしたが今は車の往来も激しい道路です






この城は明治14年の火災で焼失し現存する物は石川門と三十間長屋のみですが

さすが百万石に相応しい敷地面積は城跡にも関わらず繁栄振りが目に見える様でした

この白は1583年、前田利家により本格的な建城が行われ

明治2年(1869年)まで加賀藩前田家の居城として置かれました




大手彫りを左に見て金沢の町へと繰り出す事に致しましょう






上の写真は大樋焼本家窯元のお屋敷

二枚目・三枚目の写真は金沢箔を扱う店舗内の「箔座ひかり蔵」黄金の蔵です

秀吉好みですね




浅野川に架かる浅野川大橋を渡り左に重厚な建物のお茶屋さんを過ぎ

少し進んで右に折れると古風な造りの旧東楼にでます

その前に、この浅野川大橋ですが大正時代に架けられたと言いますから100年近い歴史が刻まれており

国の有形文化財に指定されているそうです

3連のアーチに優雅な趣が有りますね




さて此処が東の花街「東茶番街」です

金沢には西、東、主計の三つの茶番街が有り紅塗rの格子戸と石畳が続く昔ながらの色町の景観が残されています

三味の音が何処からか聞こえ芸者さんのお座敷に急ぐ姿が見られる、そんな良き時代に想いを馳せてみても

とてもとても観光客の多さは、その雰囲気さえもかき消してしまう程でした




浅野大橋に戻り右に折れると主計茶番街が有りました

こちらは行き交う人も少なく今夜の客を迎えるまでの夕刻の静けさと共にヒッソリと戸を閉ざしていました

橋の名は「梅の橋」

川風を受けて粋な旦那衆がこの橋を渡り主計の格子戸を潜る

こちらでは、そうした光景が容易に想像できそうです

近くには泉鏡花記念館の看板も有りましたが通りから一歩入れば路地が入り組んでいる為

とうとう探し出す事は出来ずに終わりました

小京都とも言われる金沢の町は戦災を全く受けなかったため藩政時代の面影が町全体に残された訳ですが

こうして入り組んだ路地もその一つなんですね


(思わず韓国のシジャンと見紛う市場アーケードが金沢にも有りました)

西茶番街、武家屋敷が残されてしまいましたが、もうタイムリミットの様です

もともと半日で回ろうと言うところに無理が有ったのです

また訪れる事も有るでしょう


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石川県・山中温泉をぶらり 11/5

2015年12月17日 | アウトドア

山中温泉と言えば山中漆器

これは温泉施設のロビーに飾って有った物ですが

尾形光琳の(紅白梅図屏風」をモチーフに伝統工芸「山中漆器」の技法を用いて

直径12㎝の銘々皿を1600枚並べた作品です

この後、私達は加賀へと向かう訳ですが、その前に道の駅から約1K離れた山中温泉を歩いて見る事にしました


未だ朝も早いため露出が上手くいかず不出来な写真揃いですがご容赦を






山中温泉の一角に無限庵と称する大名書院造の建物が有ります

時間も早く門は閉ざされており見学は出来ませんでしたが

一口に言いますと日本の自転車産業における先駆者の邸宅です


温泉街のど真ん中に鶴仙峡という渓谷が有りましたので歩いてみる事にしました








朝食の前の散歩でしょうか

未だ薄暗い小路で二組の観光客と擦違いました

ゆったりとした川の流れは心地よい響きを奏で冷んやりとした空気は首筋を擽ります

旅の途中の僅かな時間ではなく浴衣を着てそぞろ歩いたらどんなにかと思う渓谷でした




渓谷に架かる橋が「こうろぎ橋」

木組みの名の通り情緒ある橋でした




山中温泉には、もう一つ「綾取り橋」と言われる橋が掛かっています

綾取りを見る為の撮影ポイントが有るのでしょうが写した写真はどう見ても普通の橋にしか見えません

下の写真は道の駅に有りました写真をお借りしたものですが、これなら納得ですね


無限庵の近くにスモーク卵・コーヒー・お茶の三品セットで300円の看板に目が留まりました

漆器専門店です

漆器も然る事ながら朝食が未だだった私達

300円につられて「ごめんください」

さすが漆器専門店、出された器は本物の山中塗りです


店の奥さんと色々話す中で山の話となり富士写ヶ岳に登った事を言いますと

「富士写ヶ岳は山中中学の校歌に謳われ学校行事で登らされる山なんですよ」

鼻に皺を寄せそう話す奥さんが印象的でした


[写真は家へ帰ってから写したものですがこの椀がそれです(お箸も一緒に購入、箸置きは美濃で)]

この椀は山中塗りの著名な作家のお弟子さんの作品だそうです

漆塗りの上に金箔を重ね、その上に透明漆を重ねた丁寧なお仕事で落ち着いた品位が感じられました

成形も確かなもので、どの工程も緩んだ所が感じられず蓋はそっと被せただけで吸い付く程でした

さぞや立派な漆器家になられるだろうと思い購入しました


道の駅に戻りますと寝る場所が有るのかしらと思うほど積めるだけ積み込んだ軽自動車が横に有りました

電子レンジまで有るのにはビックリ

話を聞いて見れば4月に九州を立ち7か月以上、旅を続けているそう

この後、鹿児島へ戻り今度は奥さんと沖縄へ向かうのだとか、上には上がいるものです




栢野の大杉

漆器店の奥さんに「是非見に行かれますよう」と薦められた大杉は

道の駅から富士写ヶ岳方向に少し戻った道沿いに有りました

樹齢2300年  樹高54・8m  幹回り11・5mという立派な杉です

漆器店の奥さんの一言が無かったら見逃す所でした


山中温泉のシンボル菊の湯?でしょうか

もし菊野屋さんだとしたら湯船が深いため体を沈める事は出来ない、すなわち立ったまま入る温泉です

今度、山中温泉に来られたら是非、入って下さいと此処も漆器店の奥さんに薦められた温泉

山中温泉は泉質も良いので、このブログを読んで下さった皆さんに私からもお薦めです


第四高等学校(重文)は石川県に有ったのですね、知りませんでした

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閑話休題  赤城地蔵岳 1679m

2015年12月15日 | 登山

登山するつもりも全く無くぶらっと赤城方面に出かけました


信号待ちをしている時、ふと車窓に見えた蔦

毎度お騒がせ、?大学の桜の木に絡まっていました


忠治温泉の脇を通りがかった時に近くに滝が有る事を思い出しました

此処には結氷した赤城大滝を見に何度か利用した広い市営の駐車場が有ります

さっそく案内板で探しますが名前も無ければそれを示すマークも無し

もしや「滝入口」に案内板が有りはしまいかと温泉の裏手に回り耳を澄ましてみますが

川の流れの音さへ届きません

それでも諦めきれず崖っぷちを進みますと対岸に・・・

でも飽き足らず何処かに滝壺に下りられる場所は無いかと藪を掻き分けますが

結局、この写真が限界でした

さて帰りは小沼から大沼を抜けて帰ろうと言う事になりまして

連続するヘアピンカーブを上へと目指しますが、こんなに遠かったかしらと思うほど


90何カーブ目かを過ぎた時、左に地蔵岳登山口の標識を目にした私 登っちゃおうか!




(この階段、歩幅に合った作りで、とても登りやすく疲れを感じずに標高が稼げます)

このまま根雪になるのでしょう数日前に降った雪が薄っすらと残る登山道です

時間は1時を回っていましたが山頂へは1K足らず、標高差も約230m

飲み水なし、履物はスニーカーという無謀さでしたが危険だったら引き返せばいい




少しばかり息の上がる登りを熟して見上げた先に山頂の電波塔が見える頃

雪が多くなりルートが北斜面なので凍結場所も目立ち始めました

帰りが少々心配ですが足は高みを目指し続けます






振り向くと下方にアイビーグリーンに沈む小沼(この)が

そして、そのまま目を左に転じれば紺青の覚満淵が俯瞰されました

「まるで翡翠とコバルトサファイヤを並べたみたいだね」

上からこの二つを眺めたのが初めてだった私はしばし動く事も出来ないほど見とれました


後ろを着いて来る雄さんは?

居た居た 周りの景色に溶け込んで、私が何時、滑って落ちてもよい様に受け入れの体制です




そして1679m地蔵岳に到着いたしました




小木に絡まり付いた雪が凍りまるで宝石の様な輝きを放つ頂

遮るものは有りません






大沼(おの)を包み込む様に百名山の貫録を持って聳える檜の何と大らかな事でしょう

背後には真っ白な上越国境の山並みも連なります(写真では分かりづらいですね)

楽に登れて展望良しの地蔵岳

夏の避暑登山には鍋割山と決め込んでいましたが、これからは此処が良さそう

そんな事を考えていましたら首筋をヒンヤリと風が流れていきました

帰ると致しましょうか


凍結した登山道は下りが危険  慎重に慎重に


時間を見れば、もうすぐ3時  左程、空腹は覚えませんでしたが取り敢えず何か入れましょうかね


帰り渋川市から眺めた榛名山です

何時も眺めている榛名山とは違い何だか違和感が




家に辿り着いたのは陽も沈み全てが枇杷色の残照に包まれる時間帯となっておりました

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富士写ヶ岳山頂へ

2015年12月13日 | アウトドア

今日は最高の天気

見上げる空には雲一つ有りません

大きく息を吸い込んで出発だ


休んだ後は足が慣れるまで少しばかりキツイ

1・2・3・4・・・辛い時、私は数を200まで数えます

すると次第に足が慣れてくるのです


さぁ最後の登り…ガンバロウ

そこへ後から来た女性が追いつき、そしてみるみる離されました

気にしない気にしない マイペースマイペース




最後の登りと思って見えていた山は実は手前の山

山頂はその後ろでした

でも、もう近いはず


漸く分岐点に辿り着きました

左へ進めば深田久弥氏の顕彰碑が立つ前山、右が山頂です




11時半、到着です、ここまで何と3時間10分

先ほど追い抜いた女性の「お写真、撮りましょうか?」のお言葉に甘えて記念の写真を

其れよりも何よりもこの展望を見て下さい




白山連峰の大日岳の大きな山体がまるで絵の様です

白銀の山肌を輝かせ雄々しいですね

見下ろせば昨日訪れた東尋坊や吉崎御坊が箱庭となり

日本海は空の碧さを映して実に穏やかです

山頂には既に4組ほどの登山者が憩っていました

私達が群馬から来たと言いますと白山以外の山々を一つ一つ説明して下さいました

その中で印象深かったのが二つの峰を持つ「丈競山→たけくらべやま」

麓から眺めた時、互いが背丈を競い合っている様に見える事から付けられた名前なのだそうです

「焼いたサツマイモ食べますか?」「ビールどうです?」

そしてアチコチから差し入れが

お返しはサラミと蜜柑

山頂はとても和やかな雰囲気に包まれました



そこへやってきたアサギマダラ

この和やかな雰囲気が分かるのでしょうか

暫く体を安め最後に登山者の周りを一巡するとまた何処かへ飛び立って行きました




時が経つのは早いもの、アッと言う間に一時間が経過していました

名残惜しい山頂を後に、もう一度大日岳をカメラに収め元来た道を下ります














余りの急坂に見過ごしていた紅い実、キノコ、小花等々

帰りは滑る石に注意さえすれば見えていなかった物に目を向ける余裕も生まれるというもの

暗い林の中、綺麗に写してあげられなくてゴメンねと語りかけながらシャッターを切ります


神経が擦り切れるほどの長い急坂の途中

振り返った先には前山が綺麗な山姿に西日を浴びせ見下ろしていました


そのカーブを曲がればダム・・・何度も騙されながら15時、漸くダム湖です

あの吊り橋を渡れば富士写ヶ岳ともお別れ

ありがとう、十分楽しませて頂きましたよ




今夜はここから15分くらい先の道の駅「山中温泉→温泉付き」が私達の宿となります

ふと帰り道、擦違った水も何も持たずに登って来た80歳くらいの御夫婦の事がやけに気になりました

無事に帰り着いただろうか

暗くなって足元が見えず滑って怪我をしなければ良いが

考えれば考えるほど気になる寝づらい夜でした


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