マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

亡き父を偲ぶ一日・・・『父の日』 そして 『いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか。』

2021-06-20 13:02:40 | 父と母のこと 兄弟のこと
6月20日。日曜日。晴れ。

今日は父の日。

   父の愛した・・・      『パリ』
 
                      我が家の『父の絵画コレクション』コーナーの一部

      私の父は家族を愛し、寡黙で、愛情深い人でした。
        又、 父はパリを愛しました。
   仕事柄、私が小学生になった頃から、外国出張の多い父でした。
        パリでは、一人で長期滞在をする父はアパートを借り、
        休日にはセーヌ川を、パリの街を散歩したようです。
   今になって考えれば・・・
   若い父が一人で、日本人もあまりいない頃、ヨーロッパで、カタールで、中東でと、
                        インド、パキスタン、アメリカ、等々、
   それぞれ習慣の違う世界に飛び込んで、交渉するのはどんなに大変なことだったでしょう。
   愚痴一ついうことのなかった父のご苦労を思うと、涙が出てくる。父は強しである。

   海外出張で英語の必要性や信仰の必要性を感じたであろう父は、
   兄たち三人が中学生になると、自分で英語を教えることはせず、イエズス会が開いた教会の英語日曜学校に通わせ、
   英語を教わりました。長兄は、英語に向いていたのでしょう、父親同様に、ドイツと日本を半々という仕事に就きました。
   次兄と三兄は、英語に興味を示さず、すぐにやめたようです。 中学になるときに、父の転勤で東京に移った私は、
   東京の住まいの近くの教会に連れて行かれましたが、日本人牧師さんの教会には英語の日曜学校はありませんでした。
   幸いに、教会の前に瀟洒な外人向けのホテルがあり、そこにいりびたり、今の私の英語の基礎が出来上がりました。
   長兄と私がキリスト教に近づいたのも、そんな父が配慮してくれた英語教室のお陰様でもありました。


 絵好きな父は、セーヌ川ほとりに集まる画家さんの描く『絵』をいくつか買って、日本に持ち帰りました。
 そして今は、我が家の和室の1コーナーを『父の絵画コレクション』として、父を偲んでいます。

    
『父の日』は、「お父さんに感謝する日」、「お父さんを敬愛する日」です。
その由来や起源は、『母の日』同様に、アメリカから始まったそうです。
アメリカのワシントン州のソノラ・ドッドさんのお父さんは、男手一つで、
ソノラを含む6人の子どもたちを育て上げました。
ソノラは、深い愛情を注いでくれる父をとても敬愛していました。

1909年5月。教会での母の日のお祝いに参加していたソノラさんは、
『母の日』は、その2年前の1907年に5月に一女性により提唱され、すでにアメリカ国内に広く浸透していました。
「なぜお父さんの日はないのだろう?」という疑問に思い当たります。

大好きなお父さんのために、母の日と同じように、『父の日』も作ろうと思い立ったソノラさんは、
教会牧師に『父の日』を作りたいと相談しました。
そして翌年1910年。6月の第3日曜日の6月19日。ソラノさんの父上の命日にちなんで 最初の『父の日』のお祝いが行われました。
その62年後1972年。『父の日』が正式にアメリカの『祝日』として認定されました。

今ではアメリカだけでなく、世界各国で父の日が広まっています。
日本の人々の間に広く知られ、お祝いされるようになったのは1980年(昭和41年)代です。
日本では、父の日は祝日ではありません。


       父の愛した・・・ 『書』
   
   父の書の掛け軸・・・ 『徳川家康の遺訓』 ・・・Myブログに時々の出場です

       父は『書』と『短歌』を愛しました。 
    又、引退後はご近所に配る『野菜作り』を楽しみました。


  私の小学時代は。休みの日には、裏山の六甲山に、私と二人でよく登りました。
      二人だけの山登りでは、沢山の話をしてくれました。
『父の話』は、生き字引のように、私の『道標』となりました。私はそんな父を敬愛しました。
私は、社宅の近くの芦屋の海でシジミ取りをして、『父の晩酌のつまみ』とするのが嬉しかった。


         今日は、父と私の昔の写真を飾りました。
     父の好きだった日本酒で、献杯をすることに致しましょう。
     大好きな父に感謝しながら、父を偲ぶことに致しましょう。
   私にはアメリカのソノラさんのように『偉大な事』はできませんが、
      父を尊敬し、偲ぶ気持ちは、ソノラさんに負けません。
    今ある私は、父とそして母の影響を受け、育てられた私なのです。
      『父の日』は、私には『祝日』です。 感謝!感謝!
        皆様にも、良い父の日となりますように!
       

そして。

今日は6月20日。年間第十二主日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、お救いください、あなたの民を。
 祝福してください、あなたの嗣業の民を。 とこしえに彼らを導き養ってください。』

       詩編 28章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『その日の夕方になって、
      イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。
     そこで、
   弟子たちは  群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。
          ほかの舟も一緒であった。

        激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、
    
          水浸しになるほどであった。
     しかし、イエスは艦の方で枕をして眠っておられた。

       弟子たちはイエスを起こして、
    「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」 と言った。

        イエスは起き上がって、
    
     風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」 と言われた。

       すると、風はやみ、すっかり凪になった。

        イエスは言われた。
      「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
        弟子たちは非常に恐れて、
 「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。』 
        マルコによる福音書 4章35-41節   


別枠お勉強です。
  『聖マルコ』について知りたくなりまして・・・

今日の「荒波の海」について書いたマルコ福音書の著者。ペトロの弟子。バルナバの従兄弟。聖パウロの協力者。
イエスの在世中には、信徒にならなかったが、ペトロに導かれて入信したといわれる。
母マリアは、エルサレムに住み、相当の資産を持ち、その住居を信徒たちの集会に提供していた。
ある学者は、イエスの『最後の晩餐』も、五旬節の『聖霊降臨』のあった場所も、マルコの家という。
『ゲッセマニの園』は、マルコの父の所有であった。といわれる。
マルコは、従兄弟のバルナバがペトロとともにエルサレムからアンテオキに来たときは行動を共にし、
又、パウロの第一回伝道旅行に従いました。
パウロのローマでの獄中生活では、パウロと生活を共にし、パウロに仕えていた。
パウロやペトロの殉教後、ペトロより聞いたことをもとにして書いたのが、『マルコ福音書』である。
      『聖書辞典』より
一つのことを知ろうとすると、その分野の学者たちの色々の研究を知ります。
事実がはっきりするまでの未知の世界に挑む学者たちのご苦労を思い知ることは、貴重なことですね。



    イエスの時代。 水は悪霊の住まい。 嵐は悪霊の仕業。 と考えられていました。
       しかし、 
     イエス様は、悪霊に、「黙れ。静まれ」と言われ、お勝ちになる方なのです。

  弟子たちは、イエス様の弟子になったばかりで、イエス様がどういう方かまだよく分かりませんでした。
    神様がイエス様の中で働いておられることを確信するには、『信仰』が必要なのです。
       弟子たちの信仰は、まだまだ、不十分でした。

     
    初代教会の時代。 『教会』は、度々、『船』にたとえられることがありました。
     教会は、度々、嵐に出会い、迫害を受けることがありました。
       イエスは、教会が迫害に遭うことはないとは、約束なさいませんでした。
 弟子たちは、「助けてください」と頼ったとき、イエスが救ってくださることを、多く経験したことでしょう。
 聖マルコは、信仰に入るのは遅かったのですが、その後は、生涯を信仰にささげました。


私たちも、
信仰浅い者です。信仰がまだまだ足りないのです。
キリストをまだよく知らないのです。
辛い事に出会うと、「神様はどうして何もしてくださらないのですか」と、
つぶやくかもしれません。
キリストは、私たちの人生を二人三脚で、共に歩んでくださっているのです。
イエス様は、いつも、私たちを安全へと、導いてくださるのです。
いっそう深く信じるように祈りましょう。


『今日の集会祈願』

  『天と地の主である神よ、
   大きな変化を遂げる現代社会にあって、教会はいつもあなたの強い言葉に導かれています。
今日心を合わせて祈るわたしたちが、あらゆる悪を退け、ゆるぎない信仰をつちかうことができますように。』



皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
緊急事態宣言が、沖縄を除いて、20日ほどで解除になりました。
更なる4波を招かないように、自粛生活を励みましょう。 お元気で!