マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

祈り・・・『心のほとばしり』 そして 『だから、こう祈りなさい。「主の祈り」』

2021-06-17 12:00:48 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月17日。木曜日。快晴。

日々祈る私たちです。
家族のため、友人のため、世界のため、
亡き人のために、そして 自分のために祈る毎日です。


             『祈り』
  

      わたしたちにとって、祈りとは『心のほとばしり』です。
        天に向ける素朴なまなざしです。
    辛いときにもうれしいときにも天に向けて上げる、感謝と愛の叫びです。



           『アブラハムの祈り』
  

          「主はアブラハムを外に連れ出して言われた。
『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる。』
        アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」

              創世記 15章5&6節


        私たちは祈るときにはどこから話しているのでしょうか。
         思い上がった高慢や自我からでしょうか。
   それとも謙虚で打ち砕かれた心の『深いふちの底』(詩編130・1)からでしょうか。
    へりくだる者は高められるのです。 祈りの基本は『謙虚さ』です。

            

              『サムエルの祈り』
    
      『幼きサムエル』    ジョシュア・レイノルズ 作品
        
       『主よ、どうぞお話ください。僕は聞いております。』
            サムエル記上 3章10節


   『わたしたちはどう祈るべきかを知りません』 ローマの信徒への手紙 8-26  
   謙虚さこそが、祈りの賜物を無償でいただくために必要な心構えなのです。
       人間は神の物乞いなのです。



               『晩鐘』
 
                               ミレー作品

  ミレーは、次のように、祖母の思い出を描いた作品であることを述懐しています。
     『かつて私の祖母が畑仕事をしている時、鐘の音を聞くと、
       いつもどのようにしていたか考えながら描いた作品です。
     彼女は必ず私たちの仕事の手を止めさせて、敬虔な仕草で、帽子を手に、
        「憐れむべき死者たちのために」と唱えさせました。』

            『ミレーと出会う』より


        人間の祈りはどこから出てくるのでしょうか。
        祈りの表現(動作や言葉)がどのようなものであろと、
          祈っているのはその人そのものです。
   祈りがほとばし出る場として、魂や精神、そして心です。 祈るのは心です。
      心が神から離れているならば、祈りのことばはむなしいのです。


             『キリストの祈り』
       

 イエス・キリストの最後の祈りは、神に願う『人類の赦し』のための祈りでした。
  『父よ、彼らをお赦しください。 自分が何をしているのか知らないのです。』
        ルカによる福音書 23章34節


    新約の祈りとは、神の子ら(人間)と、限りなくいつくしみ深い御父、
       その子イエス・キリスト、そして聖霊との、
         いのちに満ちた交わりのことです。
   神の国の恵みとは『人間の全精神が三位一体と全く一つに結ばれること』です。


         『祈りの生活』とは、
 
      至聖なる神の前につねにとどまり、その交わりを深めることです。

         以上。一部。『カトリック教会のカテキズム』より


         私は、今朝、『今日の福音』の『主の祈り』を読んだとき、
           二つの映画のシーンを思い出しました。
 フランス人青年将校たちが、一人ずつ、前に出て行き、処刑により命を奪われるシーン。
    全員が、それぞれに、『主の祈り』を唱えながら、ナチスの銃撃に身をまかせました。
   アメリカ南部の若い家族が、強盗に命を奪われそうになるシーン。
        若い父親は、綱で縛られ、口はガムテープでふさがれています。
      ソファに座った母親は二人の子どもを胸に抱き『主の祈り』を唱えます。
      そんな姿を見た強盗は、銃を発することなく、物を盗んで逃走しました。
 『主の祈り』が自分とともにある人たちを思い出し、
        私も、ゆっくり、『主の祈り』を十回唱えました。 感謝!感謝!

   
そして。

今日は6月17日。年間第十一木曜日。

『今日の入祭唱』

   『父がその子を憐れむように、
      主は主を畏れる人を憐れんでくださる。』

           詩編 103章13節


『今日の福音 主の祈り

         『そのとき、イエスは  弟子たちに言われた。
 
   「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
     異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる
          彼らのまねをしてはならない。


    あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
           だから、こう祈りなさい。


         『天におられるわたしたちの父よ、 
           御名が聖とされますように。 
   
             御国が来ますように。
      御心が天に行われるとおり、 地にも行なわれますように。

        わたしたちの日ごとの糧を今日も与えてください。

          わたしたちの罪をおゆるしください、
            わたしたちも人をゆるします。

      わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。』



          もし人の過ちを赦すなら、
       あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
          しかし、もし人を赦さないなら、
       あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない
。」』
           マタイによる福音書 6章7-15節


   イエスは、私たちに『主の祈り』を教えてくださいました。

  神に向かって、『私たちの父よ』 と祈りなさい。
       神は全ての人の父です。 私たちは皆、一つの家族なのです。
    神は、私たち一人一人の中で、働いておられます。皆を守っているのです。

  神は、私たちに必要なものを下さる方です。
     神の働きを信じることができれば、私たちは安心して生活ができるのです。

   わたしたちの信仰は弱いのですが、神から捨てられることはないのです。
     弱さゆえに罪を犯す私たちを、神はご存じで、許してくださるのです。
     だから、私たちも兄弟の弱さを理解し、許すことができますようにと、
           神に『許す力』を願うのです。

    私たちは、怠惰、自負、脱線、等々、数々の誘惑に負けてしまうのです。
      神が望む生活ができますようにと、常に、ご指導をお願いするのです。

私たちも、
まずは、神様からいただく沢山の恵みに気づきましょう。
感謝と信頼の祈りを致しましょう。
謙虚を願いましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたがたが神の子であることは、神が、「アッバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を、
     私たちの心に送ってくださった事実から分かります。』

       ガラテヤの信徒への手紙 4章6節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日も、世界のコロナ禍の終息を願い、祈りましょう。
『 新型コロナウイルスの感染拡大によって、 今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、 医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。』

     『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』より