6月18日。金曜日。曇り。雨。
又一週間が巡ってきて、
金曜日の今日は 午後2時~4時。
週一の『オンライン・聖書100週間・聖書通読会』です。
『聖書』
大正五年発行・・・『OLD TESTAMENT 𦾔約全書』・・・我が家の一番の『古書』です。
正に、私たち聖書仲間が読み続ける『聖書』は『古典』です。
『古典』は、現代を生きている人に役に立ってこそ意味があるのです。
古典は、そのままでは死物で、それを愛し、温め、新しい時代に生き返らせる。
『溫古知新』
古きを温めて新しきを知る
何千年、何百年、という昔に、一人一人が光を当てるのです。
聖書は、他の本に比べると、味気ない本に見えるかもしれません。
しかし、その中身はイスラエルという一民族の長い年月にわたる出来事の体験が述べられ、
それを通して、『神の言葉』がすべての人に伝えられている、特別な書物です。
じっくりと、ゆっくりと、考えながら内省的に読み進み、
琴線に触れた『言葉』を我がものとして、我が内に受肉させて、行動に移すのです。
『古典』は、書物が大事なのではなく、古典から何を学ぶかが大事なのです。
我が家の『古書』はとても大事ですけどね。
今日の『通読範囲』 は 『マカバイ記Ⅱ』 です。

旧約聖書最終書・・・ 『馬拉基書 まらきしょ』 ・・・続編:マカバイ記Ⅱは含まれず
大正五年発行の我が家の古書の『聖書』から、105年を経て、いま私が読んでいる『聖書』までに、
何回の聖書の改訂があったのでしょうか?
私には、我が家の古書の『聖書』は、言葉自体が難解、読むのですら無理といえます。
この事実は何を意味するのでしょうか?
105年の長さは、同じ日本語でも、言葉に多大な変化があるということです。
それは、言語の変化は、人間の考え方もそれだけ変化していることを意味するのでしょうか?
『聖書』は普遍の『神の言葉』であるので、聖書の内容の変化はありえませんけれども・・・。
とても興味の引かれる課題です。
そおいえば、我が娘の大学卒業論文のテーマは『言語が文化を創るのか? 文化が言語を創るのか?』というようなものでした。
同じようなものに興味を持つのが親子ですね。
紀元前176年~160年、マカバイ事件の初めの十五年間の、ユダ・マカバイの生涯が述べられています。
マカバイ一族の見事な業績や名誉よりも、神の栄光と神殿の尊さを述べることを重要視し、
律法や神殿について強調して述べています。
特に神への親しみ深い『祈り』の深さが感じられ、
『殉教思想』と『死者の復活』と『永遠の命』に関する、
これまでにはない『新しい教え』:『信仰の真理』が述べらています。
いよいよイエスの到来の近いことを感じさせます。
仲間は、『マカバイ記Ⅱ』 をどう読み解くのでしょう!?
今日も、楽しい『オンライン・聖書100週間』です。 感謝!感謝!
そして。
今日は6月18日。年間第十一金曜日。
『今日の入祭唱』
『どうか、御心に留めてください。
いにしえから、御自分の嗣業の部族として贖われた会衆を。
神よ、いにしえよりわたしの王よ。』
詩編 74章2&12節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは 弟子たちに言われた。

「あなたがたは地上に富を積んではならない。
そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、
また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
富は、天に積みなさい。
そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、
また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。
体のともし火は目である。
目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、

『イエスと澄んだ目の子供達』
濁っていれば、全身が暗い。
だから、あなたの中にある光が消えれば、そ
の暗さはどれほどであろう。」』
マタイによる福音書 6章19-23節
旧約時代。
財産・富に恵まれている人は、神から祝福されている人、
という考え方がありました。
これに対して、
イエス様は、『二人の主人に仕えることはできない。』と、
ほしいほしいばかりでは、一番大切なものを忘れてしまう。
と言われたのです。
今日のイエス様は、
『この世の富は、虫が食ったり、さび付いたりするし、
また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。』 と、
安全ではないと話しました。
一方、
『富は、虫が食うことも、さび付くこともなく、盗人が盗み出すこともない、
天に積みなさい。』 とおっしゃるのです。
『本当に価値ある富』は、『天に積む富』、
お金で買うことができないもの、
神の恵み、信仰、愛ある行動、開かれた心、等々、
私たちの目に見えないものです。
今日のイエス様は、
『あなたの心にある灯が消えていると、
目が濁って見えにくくなり、生活が暗くなる。』ともおっしゃいます。
欲望、嫉妬、ねたみ、等で、
心の灯は消え、価値ある物が見えなくなるのです。
生活が真っ暗になるのです。
私たちも、
常に内省、反省しながら、
子どものように心の目を澄ませて、
価値ある富を見極めて、天に積むことに致しましょう。
そうする力を祈り求めましょう。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。』
マタイによる福音書 5章3節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日は『花金』。一週間のお勤めや通学、お疲れ様でした。
ゆっくりと、ゆったりと、穏やかな自粛生活の週末をお過ごしください。お元気で!
又一週間が巡ってきて、
金曜日の今日は 午後2時~4時。
週一の『オンライン・聖書100週間・聖書通読会』です。
『聖書』

大正五年発行・・・『OLD TESTAMENT 𦾔約全書』・・・我が家の一番の『古書』です。
正に、私たち聖書仲間が読み続ける『聖書』は『古典』です。
『古典』は、現代を生きている人に役に立ってこそ意味があるのです。
古典は、そのままでは死物で、それを愛し、温め、新しい時代に生き返らせる。
『溫古知新』
古きを温めて新しきを知る
何千年、何百年、という昔に、一人一人が光を当てるのです。
聖書は、他の本に比べると、味気ない本に見えるかもしれません。
しかし、その中身はイスラエルという一民族の長い年月にわたる出来事の体験が述べられ、
それを通して、『神の言葉』がすべての人に伝えられている、特別な書物です。
じっくりと、ゆっくりと、考えながら内省的に読み進み、
琴線に触れた『言葉』を我がものとして、我が内に受肉させて、行動に移すのです。
『古典』は、書物が大事なのではなく、古典から何を学ぶかが大事なのです。
我が家の『古書』はとても大事ですけどね。
今日の『通読範囲』 は 『マカバイ記Ⅱ』 です。

旧約聖書最終書・・・ 『馬拉基書 まらきしょ』 ・・・続編:マカバイ記Ⅱは含まれず
大正五年発行の我が家の古書の『聖書』から、105年を経て、いま私が読んでいる『聖書』までに、
何回の聖書の改訂があったのでしょうか?
私には、我が家の古書の『聖書』は、言葉自体が難解、読むのですら無理といえます。
この事実は何を意味するのでしょうか?
105年の長さは、同じ日本語でも、言葉に多大な変化があるということです。
それは、言語の変化は、人間の考え方もそれだけ変化していることを意味するのでしょうか?
『聖書』は普遍の『神の言葉』であるので、聖書の内容の変化はありえませんけれども・・・。
とても興味の引かれる課題です。
そおいえば、我が娘の大学卒業論文のテーマは『言語が文化を創るのか? 文化が言語を創るのか?』というようなものでした。
同じようなものに興味を持つのが親子ですね。
紀元前176年~160年、マカバイ事件の初めの十五年間の、ユダ・マカバイの生涯が述べられています。
マカバイ一族の見事な業績や名誉よりも、神の栄光と神殿の尊さを述べることを重要視し、
律法や神殿について強調して述べています。
特に神への親しみ深い『祈り』の深さが感じられ、
『殉教思想』と『死者の復活』と『永遠の命』に関する、
これまでにはない『新しい教え』:『信仰の真理』が述べらています。
いよいよイエスの到来の近いことを感じさせます。
仲間は、『マカバイ記Ⅱ』 をどう読み解くのでしょう!?
今日も、楽しい『オンライン・聖書100週間』です。 感謝!感謝!
そして。
今日は6月18日。年間第十一金曜日。
『今日の入祭唱』
『どうか、御心に留めてください。
いにしえから、御自分の嗣業の部族として贖われた会衆を。
神よ、いにしえよりわたしの王よ。』
詩編 74章2&12節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは 弟子たちに言われた。


そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、
また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。

そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、
また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。

目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、

『イエスと澄んだ目の子供達』
濁っていれば、全身が暗い。
だから、あなたの中にある光が消えれば、そ
の暗さはどれほどであろう。」』
マタイによる福音書 6章19-23節
旧約時代。
財産・富に恵まれている人は、神から祝福されている人、
という考え方がありました。
これに対して、
イエス様は、『二人の主人に仕えることはできない。』と、
ほしいほしいばかりでは、一番大切なものを忘れてしまう。
と言われたのです。
今日のイエス様は、
『この世の富は、虫が食ったり、さび付いたりするし、
また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。』 と、
安全ではないと話しました。
一方、
『富は、虫が食うことも、さび付くこともなく、盗人が盗み出すこともない、
天に積みなさい。』 とおっしゃるのです。
『本当に価値ある富』は、『天に積む富』、
お金で買うことができないもの、
神の恵み、信仰、愛ある行動、開かれた心、等々、
私たちの目に見えないものです。
今日のイエス様は、
『あなたの心にある灯が消えていると、
目が濁って見えにくくなり、生活が暗くなる。』ともおっしゃいます。
欲望、嫉妬、ねたみ、等で、
心の灯は消え、価値ある物が見えなくなるのです。
生活が真っ暗になるのです。
私たちも、
常に内省、反省しながら、
子どものように心の目を澄ませて、
価値ある富を見極めて、天に積むことに致しましょう。
そうする力を祈り求めましょう。
『今日のアレルヤ唱』

『心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。』
マタイによる福音書 5章3節 アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日は『花金』。一週間のお勤めや通学、お疲れ様でした。
ゆっくりと、ゆったりと、穏やかな自粛生活の週末をお過ごしください。お元気で!