マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

アジサイの似合う雨の日・・・『聖書100週間・聖書通読会』 そして 『どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。』

2021-06-04 10:30:30 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月4日。金曜日。雨。

今日は全国的に雨で、
西日本、東日本や北日本では雷を伴って非常に激しい雨が降り、
また、北日本を中心に暴風が吹き荒れるおそれがあり、
全国的に大雨の荒れた天気になるおそれがあり。

我が家にも沢山のアジサイが咲き出しました。

   
   美しい花を眺めながら・・・   『雨の似合うアジサイ』

            土砂災害や河川の増水、氾濫、低地の浸水など・・・
              今日一日、注意、警戒致しましょう。
        コロナ禍の災害は、そのこわさは倍増します。気をつけましょう。

   
   ゆっくりと咲き出した・・・  『可憐なアジサイ』

               今年の梅雨は長引くそうです。
         梅雨中、心身にカビが生えないように、警戒いたしましょう。

   
   身近に楽しめる・・・   『多彩なアジサイ』

          あじさいに倣って、雨にも負けず、自粛にも負けず、
        買い物も雨の止むのを待ちましょう。夕方には止むそうです♡♡


大雨でも、
在宅で参加できる『オンライン・クラス』は有り難いことです。

今日は 午後2時~4時。
週一の『オンライン・聖書100週間・聖書通読会』です。


           『オンライン 聖書100週間・聖書通読会』
  
 
           全聖書を通読する『聖書100週間』です。
         それはとてつもなく長いように思えても・・・

   旧約聖書と新約聖書とは、 切り離すことができない、 『一つ』のものなのです。
        新約聖書で語られる『イエス・キリストの神秘』は、
        旧約聖書の初めから告げられ語られているのです。

使徒パウロは語りました。

   神は、かって(旧約時代)預言者たちによって、
        多くのかたちで、また多くのしかたで先祖語られたが、
この終わりの時代(新約時代)には、御子(イエス・キリスト)によってわたしたち語られました。

           ヘブライ人への手紙 1章1-2節

  神が、御自分の『心・愛』を、違う方法で人々に語るのが、
         旧約聖書と新約聖書の違いなのです。
     旧約では預言者に語らせ、新約ではイエス様が語ったのです。



博士アウグスティヌスも言いました。

 『新約聖書は、旧約聖書の中に隠されており、旧約聖書は、新約聖書の中に現わされている。』

       恐れ多いことですが、私もパウロとアウグスティヌスに同感、私もそう思います。
         旧約聖書を読むと、旧約聖書は新約聖書の預言であると、私は思うのです。
            両者の関係が分かると、読むのがずっと楽になるのです。

        

       今日の『通読範囲』 は 『ユディト記』と『エステル記』です。
          2回も『絶滅の危機』を迎えるエルサレムが、
    その度に、ユディトやエステルの、我が身をかけての働きによって救われるのです。
         その後に救われたエルサレムは栄えるのです。
       神を信頼する『弱い人間』によって、『神の力』が示されるのです。


          民が出会う『試練』や『困難』は、神の罰ではなく、
         それは民の信仰を試し、目覚めさせるための手段なのです。 
           神は、『試練』を通して、民を鍛錬するのです。


   2人の女性は、見目麗しく、謙遜で優しく、お人のために働く、という『理想の女性』です。
       仲間は、『ユディト記』と『エステル記』どう読み解くのでしょう!? 
         今日も、楽しい『オンライン・聖書100週間』です。 感謝!感謝!


そして。

今日は6月4日。年間第九金曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、命の道を教えてください。
 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、 右の御手から永遠の喜びをいただきます。』

         詩編 16章11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。
 
        「どうして律法学者たちは、
           『メシアはダビデの子だ』と言うのか


        ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。
        『主は、わたしの主にお告げになった。
「わたしの右の座に着きなさい。 わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで」と。』

        このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、
           どうしてメシアがダビデの子なのか。」


        大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。』
             マルコによる福音 12章35-37節


イエスの到来によって・・・
旧約時代から語られていた『神の思い』が完成されたのです。
『新しい時代』:『新しい考え方』が到来したのです。
それは、旧約時代から続く『律法』に忠実であるユダヤ人たちには、
簡単に受け入れられることではなかったのです。


  新約時代となり・・・

ユダヤ人たちは、
イスラエルの王国:『ダビデの王国』が、その子孫によって、いつまでも続くだろうと考えていました。
旧約時代のバビロン捕囚の時に、この『王国』が続かなくなり・・・
 後に来られる『メシア』が国の王となり、『ダビデの王国』を新たに造ると、待ち望むようになったのです。

イエス様は、
『新しいダビデの王国』の考え方は、認めませんでした。
到来する『メシア』は、ダビデよりも偉い方で、ダビデ自身が『主』とお呼びになる方なのです。
      『メシアはダビデの子』 ではなく 『メシアは神の子』なのです。

イエスの弟子たちも、
イエスの本当の姿を、理解することができませんでした。
イエスの復活の後初めて、イエスが送って下さった聖霊によって、
         『イエスは、メシア、神の子であった』 と理解することができたのです。


    イエスが、 ユダヤ人たちが待ち望んだ『王』、『メシア』なのです。
        新しい時代の『王国:神の国』の『王』は、
             苦しみを受け、
      
           亡くなった後に復活し、
   御自分の『使命』に忠実であったことから、神から『栄光』を与えられ、
         『主』:『メシア』とされたのです。
        旧約時代にダビデが『主』と呼んだ方です。

私たちも、
イエスがこの世に来られた『神の子』:『メシア』
であると認めるためには、
聖霊に導かれて、信仰が必要となります。
イエスの『言葉』が、
私たちの毎日の生活で、『力』となるといいですね。
祈りましょう。

『今日の祈願』

   『いつくしみ深い父よ、あなたの民の力となってください。
 私たちが、古い人を脱ぎ捨て、新しい命に生きることができますように。』



皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
梅雨時の雨の日に、お気に入りのレインコートを着て傘を差して、出かけたいものですね。
そんな日が早く来ますように! もうしばらくの我慢です。  お元気で!