6月12日。土曜日。曇り。
友人の
『自粛生活の日々』
をお聞きしました。
お人のためになったり、生き物を相手にしたりと、
自分本位でない自粛生活に感動を覚えます。素敵です。
自粛生活の中でも、それぞれに努力の日々が輝いています。
何人かの素敵な日々を書いてみますね。
『囲碁 対局』

週一・・・ 『父親と勝負』 ・・・真剣勝負です。
一人住まいをするお父上は、囲碁所に出かけるのが楽しみでした。
コロナ禍で出かけられなくなって・・・
私の友人が週一で、父親宅へ、
囲碁『お相手』をするために出かけるようになりました。
もともと少しのたしなみはあった友人ですが、ベテランの父親にはかないません。
一日にこなす『三局』ともに負けているのでは悔しくて、『独学猛勉強』を初めた友人です。
”今週は二局も勝利でした!” ”父も私の上達を、対局がますます楽しくなると喜んでくれました!”
と喜びの友人でした。
父上を喜ばせる友人の『すばらしい自粛生活』です。
『ピアノ リサイタル』
毎日・・・ 『猛練習』 ・・・真剣です。
未亡人となられ、ご自身は84歳の友人は、おしゃれなさりお元気な日々を過ごされます。
いまだに先生の『月一のレッスン』を受けながら・・・
若かりし頃はご自身もピアノ教師でした。
日曜日の『教会礼拝の伴奏』を引かれ、
近々にはピアノリサイタルです。
小学生時代から始められたピアノは、友人の『人生の同伴者』のようです。
”ピアノリサイタルは、昨年に続き、今年もコロナのために中止になりました。
仲良し二人だけで連弾会を開くことにしました。”
残念がりながらもお喜びの友人でした。
日曜日礼拝でも、間違えはないようにいっぱい練習しますね。
ピアノとともにある友人の『すばらしい自粛生活』です。
『蜘蛛の巣』

毎日・・・ 『蜘蛛の飼育』 ・・・真剣です。
御夫妻ともに
夫様は『油絵』&奥様は『日本画』と、絵画を趣味とするお二人です。
毎日の、『旗振り山』の早朝登山を頑張る御主人様 と 夕方の散歩を楽しむ奥様です。
”我が家の蜘蛛ちゃんが、破れた蜘蛛の巣の糸を、細い糸で修理を始めたのよ!”
”天眼鏡を持った老夫婦が玄関軒下でうろうろするのを見るご近所さんは、なんと思うのかしら?”
と、何年も、ご自宅玄関の軒下に、蜘蛛を住まわせるご夫婦です。
蜘蛛に名前をつけて呼ぶ優しい御夫妻。
蜘蛛とともに生活をする友人の『すばらしい自粛生活』です。
外出ができない日々でも、お人の(昆虫の)役に立つ生活で、
心豊かな日々になるのだと学びます。
まだまだ、リモートでの『素敵な自粛生活』のお話は続きました。
心温まるお話から、自粛生活の元気をいただきました。
私は、今朝も、相変わらずの早朝ウォーキングで一日の始まりです。
今日は、娘が自分で育て、郵送で送ってくれた、
『野菜苗』の移植作業で『すばらしい自粛生活』です。 感謝!感謝!
そして。
今日は6月12日。
『聖母のみ心 記念日』

『イエスのみ心』の翌日に 『聖母のみ心』を記念します。
1944年。 この記念日は、ピオ12世教皇によって定められました。
神に心を開いて自らをささげた聖母マリアは、すべてのキリスト者の模範です。
マリアの心が聖霊のふさわしい住まいとされたように、
わたしたちの心も聖霊の神殿となることを祈る祝日です。
『毎日の読書』より
『今日の集会祈願』
『いつくしみ深い父よ、
あなたは聖母のみ心を、聖霊のふさわしい住まいとしてくださいました。
聖マリアの取り次ぎを求めるわたしたちも、
聖霊の神殿となることができますように。』
『今日の福音 12歳のイエスの御言葉』
『イエスの両親は 過越祭には 毎年エルサレムへ旅をした。
イエスが十二歳になったときも、
両親は祭りの慣習に従って都に上った。
祭りの期間が終わって帰路についたとき、
少年イエスはエルサレムに残っておられたが、
両親はそれに気づかなかった。
イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、
それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
見つからなかったので、 捜しながらエルサレムに引き返した。
三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、

話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
両親はイエスを見て驚き、母が言った。
「なぜこんなことをしてくれたのです。
御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
すると、イエスは言われた。
「どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それから、
イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、

『養父・ヨセフと少年・イエス』
両親に仕えてお暮らしになった。
母はこれらのことをすべて心に納めていた。
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。』
ルカによる福音書 2章41-51節
12歳といえば、今では中学入学の年でしょうか?
精神的自立を始める、難しい年頃ですよね。
自分なりの個性、考え方、やり方を見つける年頃です。
親の子離れ、子の親離れ、
まだまだ親の保護がいる12歳の年齢であっても、『個性』の芽生える大事な時期です。
12歳になられたイエス様は、
大人としての義務・年三回の『エルサレム上京義務』を、両親とともに、果たされました。
しかし、
その帰り道・・・イエスは一人でエルサレムに残りました。
三日の後にイエスを探し当てた両親に向かって、
謝るのでもなく、『御自分の道』を示されたのです。
『どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』
12歳になった少年イエスは、『自分の道』を歩み始められたのです。
そして、
イエスは、両親とともに、ナザレに戻られました。
そこが、御自分の『将来の準備』を始めるにふさわしい場所と、お考えになったのです。
イエスを探し当てた両親は、
イエスの言われる『父の家』の意味が分かりませんでした。
まだ、『本当のイエス』を見出していないのです。
母マリアは、これらのことをすべて心に納めたのです。
父ヨセフは、理解できないままに、イエスの全てを受け入れたのです。
私たちも、
子育てにおいて、
時代の違い、年代の違い、が大きく、
又、一人一人の個性の違いに驚き、
子どもを理解できないことが多々あります。
それでも、いついかなる時も、
互いに助けあい、許し合い、忍び合いながら、
親子の強い絆を結んでいきたいものですね。
互いに信じ合う力を祈りましょう。
『今日の叙唱』
『神のお告げを信じ、尊場を受け入れたおとめマリアは救い主の母となり、
十字架のもとでイエスの最後のことばを受け、
キリストによって生まれる全ての人の母となりました。
また約束されt聖霊を待つ間、使徒たちとともに祈り、祈る教会の姿を示しました。
旅する教会を母の愛をもって見守り、神の国の完成まで私たちを導かれます。』
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
自粛生活も二年以上にもなれば、これが毎日の日々ですね。
穏やかな週末をお過ごしください。
友人の


お人のためになったり、生き物を相手にしたりと、
自分本位でない自粛生活に感動を覚えます。素敵です。
自粛生活の中でも、それぞれに努力の日々が輝いています。
何人かの素敵な日々を書いてみますね。


週一・・・ 『父親と勝負』 ・・・真剣勝負です。
一人住まいをするお父上は、囲碁所に出かけるのが楽しみでした。
コロナ禍で出かけられなくなって・・・
私の友人が週一で、父親宅へ、
囲碁『お相手』をするために出かけるようになりました。
もともと少しのたしなみはあった友人ですが、ベテランの父親にはかないません。
一日にこなす『三局』ともに負けているのでは悔しくて、『独学猛勉強』を初めた友人です。
”今週は二局も勝利でした!” ”父も私の上達を、対局がますます楽しくなると喜んでくれました!”
と喜びの友人でした。
父上を喜ばせる友人の『すばらしい自粛生活』です。


毎日・・・ 『猛練習』 ・・・真剣です。
未亡人となられ、ご自身は84歳の友人は、おしゃれなさりお元気な日々を過ごされます。
いまだに先生の『月一のレッスン』を受けながら・・・
若かりし頃はご自身もピアノ教師でした。
日曜日の『教会礼拝の伴奏』を引かれ、
近々にはピアノリサイタルです。
小学生時代から始められたピアノは、友人の『人生の同伴者』のようです。
”ピアノリサイタルは、昨年に続き、今年もコロナのために中止になりました。
仲良し二人だけで連弾会を開くことにしました。”
残念がりながらもお喜びの友人でした。
日曜日礼拝でも、間違えはないようにいっぱい練習しますね。
ピアノとともにある友人の『すばらしい自粛生活』です。


毎日・・・ 『蜘蛛の飼育』 ・・・真剣です。
御夫妻ともに
夫様は『油絵』&奥様は『日本画』と、絵画を趣味とするお二人です。
毎日の、『旗振り山』の早朝登山を頑張る御主人様 と 夕方の散歩を楽しむ奥様です。
”我が家の蜘蛛ちゃんが、破れた蜘蛛の巣の糸を、細い糸で修理を始めたのよ!”
”天眼鏡を持った老夫婦が玄関軒下でうろうろするのを見るご近所さんは、なんと思うのかしら?”
と、何年も、ご自宅玄関の軒下に、蜘蛛を住まわせるご夫婦です。
蜘蛛に名前をつけて呼ぶ優しい御夫妻。
蜘蛛とともに生活をする友人の『すばらしい自粛生活』です。
外出ができない日々でも、お人の(昆虫の)役に立つ生活で、
心豊かな日々になるのだと学びます。
まだまだ、リモートでの『素敵な自粛生活』のお話は続きました。
心温まるお話から、自粛生活の元気をいただきました。
私は、今朝も、相変わらずの早朝ウォーキングで一日の始まりです。
今日は、娘が自分で育て、郵送で送ってくれた、
『野菜苗』の移植作業で『すばらしい自粛生活』です。 感謝!感謝!
そして。
今日は6月12日。
『聖母のみ心 記念日』

『イエスのみ心』の翌日に 『聖母のみ心』を記念します。
1944年。 この記念日は、ピオ12世教皇によって定められました。
神に心を開いて自らをささげた聖母マリアは、すべてのキリスト者の模範です。
マリアの心が聖霊のふさわしい住まいとされたように、
わたしたちの心も聖霊の神殿となることを祈る祝日です。
『毎日の読書』より
『今日の集会祈願』
『いつくしみ深い父よ、
あなたは聖母のみ心を、聖霊のふさわしい住まいとしてくださいました。
聖マリアの取り次ぎを求めるわたしたちも、
聖霊の神殿となることができますように。』
『今日の福音 12歳のイエスの御言葉』
『イエスの両親は 過越祭には 毎年エルサレムへ旅をした。
イエスが十二歳になったときも、
両親は祭りの慣習に従って都に上った。
祭りの期間が終わって帰路についたとき、
少年イエスはエルサレムに残っておられたが、
両親はそれに気づかなかった。
イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、
それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
見つからなかったので、 捜しながらエルサレムに引き返した。
三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、

話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
両親はイエスを見て驚き、母が言った。
「なぜこんなことをしてくれたのです。
御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
すると、イエスは言われた。
「どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それから、
イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、

『養父・ヨセフと少年・イエス』
両親に仕えてお暮らしになった。
母はこれらのことをすべて心に納めていた。
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。』
ルカによる福音書 2章41-51節
12歳といえば、今では中学入学の年でしょうか?
精神的自立を始める、難しい年頃ですよね。
自分なりの個性、考え方、やり方を見つける年頃です。
親の子離れ、子の親離れ、
まだまだ親の保護がいる12歳の年齢であっても、『個性』の芽生える大事な時期です。
12歳になられたイエス様は、
大人としての義務・年三回の『エルサレム上京義務』を、両親とともに、果たされました。
しかし、
その帰り道・・・イエスは一人でエルサレムに残りました。
三日の後にイエスを探し当てた両親に向かって、
謝るのでもなく、『御自分の道』を示されたのです。
『どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』
12歳になった少年イエスは、『自分の道』を歩み始められたのです。
そして、
イエスは、両親とともに、ナザレに戻られました。
そこが、御自分の『将来の準備』を始めるにふさわしい場所と、お考えになったのです。
イエスを探し当てた両親は、
イエスの言われる『父の家』の意味が分かりませんでした。
まだ、『本当のイエス』を見出していないのです。
母マリアは、これらのことをすべて心に納めたのです。
父ヨセフは、理解できないままに、イエスの全てを受け入れたのです。
私たちも、
子育てにおいて、
時代の違い、年代の違い、が大きく、
又、一人一人の個性の違いに驚き、
子どもを理解できないことが多々あります。
それでも、いついかなる時も、
互いに助けあい、許し合い、忍び合いながら、
親子の強い絆を結んでいきたいものですね。
互いに信じ合う力を祈りましょう。
『今日の叙唱』
『神のお告げを信じ、尊場を受け入れたおとめマリアは救い主の母となり、
十字架のもとでイエスの最後のことばを受け、
キリストによって生まれる全ての人の母となりました。
また約束されt聖霊を待つ間、使徒たちとともに祈り、祈る教会の姿を示しました。
旅する教会を母の愛をもって見守り、神の国の完成まで私たちを導かれます。』
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
自粛生活も二年以上にもなれば、これが毎日の日々ですね。
穏やかな週末をお過ごしください。