マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

本年度『総合検診』終了・・・『ウナギとギネス』 そして 『聖モニカ 記念日』・・・『花婿だ。迎えに出なさい』・・・『だから、目を覚ましていなさい。』

2021-08-27 11:59:00 | 私のこと
8月27日。金曜日。晴れ。

今日は、
1週間がかりの、今年の『健康検診』の最終日です。

今日は、市の『総合検診』に、
オプション全て、
骨密度、貧血検査、心電図、眼底検査、そして 胃がん検査、
を加えて、半日がかりでした。

無事終えて、
   ホッとして・・・

          『昼食』
  
  
    9日目の断酒の体に、大好きな『ギネス』が染み渡ります♡♡
    ※昨晩から断食の体に、大好物の『ウナギ』が染み渡ります♡♡
                   食べて、飲めることは、有り難いことなのだと、
                     身をもって感じることが出来ました。


  亡き私の父母は、
  サラリーマンと専業主婦でしたが、
  末子の私が小学校卒業するまで、四人の子供達の※『体作り』※に励んでくれました。
  父が庭に2階建ての『養鶏所』を建て、母が卵からひよこをかえし沢山の鶏を育てました。
      私たち子供は、毎日、沢山の新鮮な卵を食べました。
  借りたを、耕すのは父でした。 野菜の種植えから成長の世話は母でした。
      私たち子供は、毎日、沢山の新鮮な野菜を食べました。

   
   両親のお陰で、
   次兄は、小学校時代、兵庫県の『健康優良児』に選ばれました。
   私は、病気らしい病気を経験しない健康体でしたので、
   健康であることに感謝の念が足りない私でした。
   年を重ねて、今になってやっと、父母への感謝の気持ちがいっぱいの私です。


     両親から頂いた体を、財産として、守らなければなりません。
         常に謙虚に身体に向き直り、
     年相応の生活習慣をチェックしながら、健康な暮らし方をしなければなりません。

     
       今年も、無事に『検診』を終えたことを、
       両親に、そして神様に感謝いたします。 
                感謝!感謝!!
          

   

そして。

今日は8月27日。年間第二十一金曜日。

          『聖モニカ 記念日』
      
      
  331年。  アフリカのダガステで、キリスト信者の家庭にまれる。

  若くして、 異教徒のパトリキウス・ローマ官吏に嫁いで、3児の母となる。
          モニカは夫の回心のために祈る日々を続け、
             夫は回心しキリスト者となった。
  40歳のとき、 夫に先立たれた。

   モニカは、長男アウグスチヌスの乱れた生活に心を痛めていた。

 383年。52歳。 イタリアに行くアウグスティヌスに同行したモニカは、
          ミラノでアンブロジオ司教の弟子となり、
          司教の助けを得て、アウグスチヌスの回心を神にった。
 387年。56歳。 息子の洗礼後ほどなくして、オスチアで死去。


       モニカは、『よき母の模範』 として、
    
    『聖モニカと聖アウグスティヌス』  アリ・シェフェール作品
 
          祈りによって信仰をはぐくみ、
         徳に満ちた行いを通して信仰を証しした。

       聖アウグスティヌスは、著書『告白録』をのなかで、
         モニカの生涯を、簡潔に又美しく書いた。

『今日の集会祈願』

      『あわれみ深い父よ、
    あなたは、我が子のために祈る聖女モニカの涙を顧み、  
       アウグスティヌスを回心に導いてくださいました。
    この親子の姿に力づけられて、
    わたしたちも罪を嘆き、ゆるしの恵みを受けることが出来ますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは 弟子たちにこのたとえを語られた。
      
       「天の国は次のようにたとえられる。

 十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
     そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。


     愚かなおとめたちは、
     ともし火は持っていたが、の用意をしていなかった。
     賢いおとめたちは、
             
                『賢い乙女と愚かな乙女』
       フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー作品

        それぞれのともし火と一緒に、
                      壺にを入れて持っていた。

      ところが、花婿の来るのが遅れたので、
      皆眠気がさして眠り込んでしまった。

    
   真夜中に 『花婿だ。迎えに出なさい』 と叫ぶ声がした。
   そこで、
     おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。

     愚かなおとめたちは、
     賢いおとめたちに言った。
 『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
     賢いおとめたちは答えた。
       『分けてあげるほどはありません。
      それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』

     
  愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、
  用意のできている五人は、
  花婿と一緒に婚宴の席に入り、が閉められた。
  その後で、
  ほかのおとめたちも来て、
  『御主人様、御主人様、開けてください』 と言った。

  しかし
  主人は、
  『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』 と答えた。

       だから、目を覚ましていなさい。
    あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」』
        マタイによる福音書 25章1-13節


  イエス様は、御自分の『再臨の日』のために、
   その時になって・・・
      私たちが、”しばらくお待ちください” とか言わないために、
   常日頃から、怠りなく準備しなさいと、あの手この手で、呼び掛けてくださいます。


    今日のイエス様は、
     『主の再臨の時』を、『婚姻の時のともし火』の『たとえ』でお話なさいます。


   イエスの時代。
    結婚式は、花婿が花嫁の家に迎えに行き、
    花嫁と一緒に行列となって花婿の家に戻り、そこで式を挙げるというものでした。
    花婿が花嫁の家に到着したときに、
    乙女たちがともし火を持って花婿を迎えるという慣習がありまた。
    ともし火が消えないように万全を期した『準備』で花婿を迎える必要があり、
    それは、乙女たちの大切な『使命』でした。 


    昨日の『たとえ』は、『ぶどう園の主人』が突然に帰ってきて、
       収穫具合を点検する話。
    今日の『たとえ』は、『花婿』の突然の到来で、
       ともしびの油の不足に気づく、乙女の話。

      それらの※『たとえ話』※は、
      
   主人が不意に帰って来ることは、『救世主の予測し得ない再臨』を意味します。
   油を用意することは、自らを『再臨に備える事』を意味するのです。
     再臨に自らを備えた者は、
          『最後の審判』の際に天国に入り
     再臨に自らを備えなかった者は、
          『最後の審判』の際に天国に入る事が出来ない、
              事が示された『たとえ話』です。
     また、
   私たちすべての者が、平等に迎える、『この世のお別れ』 の時でもあるのでしょう。

    
     イエス様は、
     『乙女たち=人間』は、
       『ともしび=信仰』を持ち、『油=愛徳』を重ねて、
         『宴会=天国』へ入れていただくために、
     突然訪れる『その時』のために、常日頃から準備しておきなさい。
        と、今日も忠告してくださるのです。
        

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『いつも目を覚まして祈りなさい。人の子の前に立つことができるように。』
      ルカによる福音書 21章36節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
健康なときも、病めるときも、感謝の心を忘れず、心は明るくいたいものですね。
コロナ禍、熱中症と、くれぐれもご自愛の日々で、お元気で!