8月20日。金曜日。曇り。のち雨。
久しぶりの、一時の、雨上がり。
久しぶりの早朝ウォーキング。
昨夜の『明朝は曇り』の天気予報を聞いていたので、
遠足の小学生のように嬉しくて、
今朝4時にはすっかり目が覚めてしまいました。
朝5時半。
『日々草』
我が家の日々草
朝から元気な『日々草』
”いってらっしゃ~い!” 元気に見送ってくれる。
早朝ウォーキングの喜びは・・・
『時間の質』の良さを実感できること。
歩いている時間に、充実感と幸福感がみなぎってくるのです。
『美しい花』のように、
歩いているだけで、自己の存在感=自己肯定感があふれてくるのです。
『日々草』
ご近所さんの日々草
カラフルな『日々草』
赤、白、ピンク、、、それぞれが個性的でそれで良い。それがいと良い。
歩きながら、再認識します。
小山まで来れば・・・
『静寂の森』
神秘みなぎる『森林浴』
小山を上ったり下りたりしながら、『瞑想・メディテーション』
自然と一体化しながら、内なる『声』を聞く。
早朝ウォーキングは、
※『精神栄養ドリンク』のようです。
飲むと、身体に『一本のまっすぐな軸』が通っていく。
※ウォ-キングで、自分の体に意識を集中させる。
歩くと、体中に『新鮮な空気』が通っていくのです。
小山のまわりを歩けば、夏の名残りと秋の兆し、
朝の風は、秋を感じさせます。
まだまだ暑さも残っていますが、名残の夏を楽しみましょう。
10時から、又、本格的雨が降りだしました。
そして。
今日は8月20日。年間第二十金曜日。
『聖ベルナルド修道院長教会博士 記念日』
1091年。 フランスのディジョン近郊の貴族の家に生まれる。
信仰あつく教育される。
1112年。21歳。 4人の兄弟と27人の友人とともに、シトー会に入会した。
この修道会は労働と禁欲を厳守し、当時の修道院改革の中心をなしていた。
1114年。23歳。 クレルボーの修道院長に選ばれる。
指導と模範によって修道士たちを完徳に進ませた。
教会の分裂が生じると、平和と一致を回復するために、
ヨーロッパ中を巡り歩いて努力した。
また、神学と霊的生活に関する多くの著作を残した。
1153年。63歳。 亡くなるまで最初の派遣地のクレルボーの修道院長を務め、
神の栄光と人びとの救いのためにささげた生涯を終えた。 死去。
『毎日の読書』より
『今日の集会祈願』
『聖なる父よ、
あなたはベルナルドを選び、あなたの家を思う熱意で満たし、
教会の輝く光としてくださいました。
聖人の模範に支えられて、わたしたちも同じ熱意に燃え、
光の子として歩むことができますように。』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、
ファリサイ派の人々は、
イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、
一緒に集まった。
そのうちの一人、律法の専門家が、
イエスを試そうとして尋ねた。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」』
マタイによる福音書 22章34-40節
まずは※『知識』※です。
※サドカイ派の人々とは。
ユダヤ人の指導的階級の一つで、
現実的、合理的、世俗的な一面、
宗教思想は保守的で、『モーセ律法』のみを認め、
ファリサイ派の人々の重視する『口伝律法』を全面的に否定した。
その結果、復活・天使・霊・応報・摂理などについても否定的で、
この立場からイエスにも反対した。
※ファリサイ派の人々とは。
ユダヤ教の一派で、ユダヤの学者階級の間から起こり、
『律法』の厳格な実践を重んじた。
復活の信仰において、サドカイ派の人々と対立した。
『義』は『律法の厳守な実行』にあると主張して、
イエスは、それは『偽善』であると非難攻撃された。
そして、彼らの側では、イエスを『律法を汚す者』として対立し、
ついにイエスを十字架にまで追いやったのです。
『聖書辞典』より
イエスが、サドカイ派の人々を言い込められたました。
すると、
ファリサイ派の律法学者は、イエスを試そうとして、来て、尋ねたのです。
『最も重要な掟』は何か? と尋ねます。
イエスはお答えになりました。
『あなたの神である主を愛しなさい。そして 隣人を自分のように愛しなさい。』
ファリサイ派の律法学者は、イエスの『立派な答え』に、
自分たちの『イエスの試し』に失敗したのです。
ファリサイ派の人々は、律法を研究し、聖書を教えています。
自分たちの『立派さ』を、誇示し、自慢したのです。
一方、
あまり律法を知らない貧しい人や、田舎の人を、軽蔑しました。
『信仰』は、教える先生が中心ではなく、神が中心であるはずです。
イエスは、ファリサイ派の人々に、
厳しい話をしながら、また 彼らに呼び掛けて、
彼らに『改心』を勧められるのです。
私たちもキリスト者として、
神が、私たちの本当の父、本当の先生となってくださいます。
それは、私たちが立派な人間だからではなく、神が良い方だからです。
同様に、
全ての人が、神から愛され、神の子となっています。
全ての者は、神から導かれる必要があるのです。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。
あなたは私を救ってくださる神、絶えることなくあなたに望みをおいています。』
詩編 25章4&5節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の御当地は雨模様が続きますか?
ご安全を図り、家の中の楽しみを見つけ、お元気でいらしてください。