8月14日。土曜日。雨。
立秋・初候の今。
秋を感じさせる風を求めて散歩したいものですが、
今日も、昨日に続き、全国的大雨です。
十分の注意を致しましょう。
『旬の果物』

友人からの『残暑お見舞い』です。
桃の『旬』は夏から初秋。おいしいですよね。
梨と葡萄は『極早生もの』。なんだか得した感じです。
お盆のお供えにいたしました。
ありがたいことです。感謝!感謝!
残暑を乗り切るのは、『旬の食材』を食べること。
旬の花や食べ物に出会いに行きたいのですが、コロナ禍のため外出がままなりません。
おいしい『旬の果物』を頂いて、元気いっぱいになって、
残り少ない夏を十分に楽しみましょう。
そして。
今日は8月14日。年間第十九土曜日。
『聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者 記念日』

1894年。 ポーランドの織物職人の家に生まれ、信仰深く育てられた。
1910年。16歳。 若くして、コンベンツァル聖フランシスコ修道会に入る。
1918年。24歳。 司祭に叙階。
神の母マリアに対する子としての愛に燃え、

ローマで、6人の同志とともに、
『無原罪のマリアの騎士会』と呼ばれる信心会を創立して、
ポーランドをはじめ他の国々にも、聖母マリアに対する信心を広めることに尽くした。
その後、ポーランドに帰って月刊誌『無原罪の聖母の騎士』を発行。
1930年。36歳。 ゼノ修道士ら5人とともに、宣教師として来日。
1930年。36歳。 ゼノ修道士ら5人とともに、宣教師として来日。
無原罪のマリアの保護のもとに、
長崎で信心会と印刷所を開き、月刊誌『聖母の騎士』を発行するなど、
キリスト教信仰を述べ伝えることに努めた。
1937 年。43歳。ポーランドのニエポカラノフの修道院長に選任され、日本を去る。
その後。
第二次世界大戦の勃発により、ナチス・ドイツのゲシュタポに捕えられ、
アウシュヴィッツ強制収容所に送られて多くの困難を耐え忍んだ。
第二次世界大戦の最中に、アウシュヴィッツ強制収容所内で、
死刑を言い渡された妻子ある士官の身代わりとなることを願い出て、
1941年。47歳。8月14日。『愛の殉教者』として、休むことを知らない生涯を全うした。死去。
日本におけるコンベンツァル聖フランシスコ会は、
日本におけるコンベンツァル聖フランシスコ会は、
東京、瀬戸、春日井、西宮、長崎、湯布院、奄美にある。
『毎日の読書』より
『今日の集会祈願』
『信じる者の力である神よ、
あなたは聖マキシミリアノ・マリア・コルの心を汚れないおとめマリアへの愛で燃え立たせ、
宣教の熱意と隣人愛で満たしてくださいました。
聖人の殉教を記念し、その取り次ぎを願うわたしたちが神の国のために自分を捨てて人々に仕え、
死に至るまで御子イエスに従うことができますように。』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、
人々が子供たちを連れて来た。
弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスは言われた。

「子供たちを来させなさい。
わたしのところに来るのを妨げてはならない。
天の国はこのような者たちのものである。」
そして、
子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。』
マタイによる福音書 19章13-15節
イエス様は、イエスに従う者に、
『考え方の切り替え』と『心の転換』を求めるのです。
今日は、弟子たちに、自分の考えを捨て、
『イエスの考え』を受け入れるように教えます。
イエスは、
子供達や群衆から、メシア・救い主として、大歓迎されるのです。
しかし、
祭司たちや律法学者たちからは、イエスをメシアとして認められず、ますます反対されるのです。
イエス様を理解する者は、
尊敬される立派な人たちではありません。
知識が少ない、役に立たないと思われるような、子供達のような無垢で小さな者なのです。
神は、子供達や苦しむ者のような『小さな者』の目を開き、
信仰を与えるのです。
弟子たちは、『神の価値観』を身に着け、
イエスに遣わされた者として、『イエスの仕事』を続けるのです。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
あなたは神の国のことを幼子のような者にお示しになりました。』
マタイによる福音書 11章25節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
残暑厳しく、コロナ感染も厳しく、大雨も厳しく、大変な日本列島です。
それでも、STAY HOMEの週末に一つでも良いことを見つけてください。 お元気で!