マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

自然の中のウォーキング・・・『山登り』 そして 『聖クララおとめ 記念日』・・・『言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。』

2021-08-11 05:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
8月11日。水曜日。晴れ。

私の朝練ウォーキングは、
山を登るところから始まります。

 
                       山の頂上に咲く花

      いつもながら、自然が織りなす彩色の美しさに感動します。
     人は、自然の天然染料 から恩恵を頂き、草木染めなどを作るのです。
         自然の力にはかなわない人の力です。

 
 

             山の頂上の小径 

        最近の大雨で土砂崩れの危険があるのでしょう、
  山に上る傾斜のほとんどが、黄色いロープに囲まれて、立ち入り禁止になっています。

     開いている一つの道を頂上まで上ると、美しい小径が開けていました。
       嬉しくなって、久しぶりに、小径の端から端まで歩きました。
                         感謝!感謝!


そして。

今日は8月11日。年間第十九水曜日。

          『聖クララおとめ 記念日』
   
                      シモーネ・マルティーニ作 品

1193年。イタリア中部アシジの裕福な貴族の長女としてまれました。
       母オルトラーナは非常に敬虔な女性で、
      後に娘クララが創設した修道院へ入りました。

1211年。18 歳。 聖フランシスコと出会い、彼のキリストに倣う徹底した生き方に感銘を受け、
      自らも全財産を捨てて彼に従い、ポルティウンクラの教会で修道女となった。
1215年。22歳。 同志たちとともに、ベネディクト会から提供されたサン・ダミアノ聖堂に、
      女子修道会:『清貧の女性修道会』を創立した。

     愛といつくしみの業に輝く厳しい生活を送った。
   聖フランシスコの精神のもとに会員を導き、その生涯をささげました。

1253年。60歳。 インノケンティウス4世教皇が『クララ会則』を承認した。
            その2日後の8月11日、死去。

1255年。没後2年後。 アレクサンデル4世教皇は、クララを『アッシジの聖クララ』として列聖しました。
1263年。没後10年後。 ウルバヌス4世教皇は、『清貧の女性修道会』の名を、『聖クララ会』に変更しました。

   現在、日本では上越市、桐生市、八王子市、西宮市、小郡市に聖クララ会があり、
      観想的な生活を送っています。
         『毎日の読書』より


『今日の集会祈願』
  
   『いつくしみ深い神よ
 聖クララは、主・キリストに従い、貧しい者となりました。
聖女の取り次ぎに支えられて、わたしたちも貧しさを愛し、あなたの国の喜びにあずかることができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、イエスは 弟子たちに言われた。
 
     「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、
      行って二人だけのところで忠告しなさい。
    言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。

 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。
すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである

    それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。
教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
 
         はっきり言っておく。
    あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、
    あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。

        また、はっきり言っておくが、
          どんな願い事であれ、
    あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、
      
        わたしの天の父はそれをかなえてくださる。

     二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
       
         わたしもその中にいるのである。」』    
          マタイによる福音書 18章15-20節

 いつの時も、
 信仰者であっても、信仰が浅いゆえに、イエスに従う生活ができません。
 何回も同じ過ちを繰り返すことがあります。それをどういさめ、解決すればいいのでしょう?

 イエス様の☆『助言』☆はこういう風でした。
 まずは、個人として、本人にその間違いを指摘すること。を勧められます。
   本人が、それを納得し、過ちをやめたら、救われるのです。
 次に、本人が過ちを認めないなら、もう一人か二人の兄弟を連れて、いさめるのが良い。
 それでもだめなら、共同体、教会の指導者に任せるのです。
 それでも、本人が過ちを認めず、改めないなら、信仰者にふさわしくないということです。
   

    イエス様は、弟子たちに言われるのです。
信者にふさわしいか? 信者にふさわしくない者か? 決めるのは弟子たちです。
   『あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、
    あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。』
    つなぐことも、解くことも、弟子たちができるのです。


 キリストを信じる者は、『キリストを信じる団体・教会』の一員となるのです。
  その中で大事なことは、『許しあうこと』又『すべての人の救い』です。
       すべてが兄弟であると認めるなら、
    兄弟を裁くことより、兄弟を救うように努力するのです。

     本人は、自分の過ちに気づかないことが多いのです、
     私たちは、私たち自身にも過ちがあることを認めて、
     兄弟に対して忍耐強くならなければならないのです。


  神様は、私たちの中でも、兄弟の中でも、働いておられるのです。
  私たちは、信仰を守ることができるように、互いに助けあうのです。
    そんな時、イエス様は私たちと共にいてくださるのです。

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
『神はキリストによって世を御自分と和解させ、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。』
    コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章19節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様は、夏休みには何に挑戦なさいますか? 私は、一日中口角を上げて、笑顔です。
笑う門には福来たり・・・心身共に元気でいることを期待しているのですが・・・。 お元気で!