8月15日。日曜日。雨。
今日は・・・ 『終戦記念日』
『私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、
緊急の方法でこの事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。
私は政府に対し、
「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。
けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、
未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。
国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、神国(日本)の不滅を固く信じ、
国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、
持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、
国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。
あなた方臣民は、これが私の意志だとよく理解して行動してほしい。』
『1945年(昭和20年)8月15日正午 終戦の詔書』
(現代語訳の一部)より
今日・2021年(令和3年)8月15日正午
『59回 全国戦没者追悼式』
12時の合図で・・・
天皇皇后両陛下、出席者全員、私も、起立。
『一分間の黙祷』
次に、
『天皇陛下御言葉』
『本日は、戦没者を追悼し、平和を祈念する日です。
深い悲しみを新たに致します。
わたしたち皆が、心を一つにして、人々の平和と幸せを希求することを
心より願います。
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、
過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、
我が国の平和と一層の発展を祈ります。』
そして。
今日は8月15日。年間第二十主日。
『聖母の被昇天 祭日』
『聖母被昇天』 ルーベンス作品
五世紀のエルサレムで八月十五日に祝われていた『神の母マリアの記念日』は、
六世紀には、『マリアの死去の日』として、東方教会で祝われるようになった。
七世紀半ばには、西方教会にも受け継がれ、
八世紀になってから、『マリアの被昇天』の名で知られるようになった。
1950年。教皇ピオ12世教皇は、
『マリアが霊肉とともに天に上げられたこと』を『教義』として宣言した。
教会は、キリストと最も深く結ばれていたマリアが、
真っ先にキリストの復活と栄光にあずかっていることを祝っている。
『毎日の読書』より
『今日の集会祈願』
『全能永遠の神よ、
あなたは、御ひとり子の母、汚れないおとめマリアを、体も魂も、ともに天の栄光に上げられました。
信じる民がいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように。』
『今日の福音 聖母マリアのエリザベト訪問』
『そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、
その胎内の子がおどった。
エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、
どういうわけでしょう。
あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、
自分の家に帰った。
ルカによる福音書 1章39-56節
天使から『受胎告知・イエスの誕生』と『エリザベトのヨハネの受胎』を告げられたマリアは、
エリザベトを訪問します。
『二人の子供・イエスとヨハネの誕生の神秘』が啓示されるのです。
マリアには子供が生まれ、その子供が偉大な方になるという『知らせ』は、
神の方からありました。
又、その『しるし』として、『エリザベトの受胎』を言われたのです。
人間から見ればできそうに見えないことでしたが、
『神にできないことは何一つない』ルカによる福音書 1章26-45節
と言われたのです。
マリアは真相を確かめたくて、急いでエリザベトを訪問しました。
そこで、マリアは神がエリザベトになさったことを信じました。
エリザベトも、マリアの話を聞いて、神がマリアになさったことを信じました。
マリアとエリザベトは、
互いに、神のなさったことを伝え合い、
神に感謝し、互いに喜び合い、互いの信仰を深めることができました。
ともに『神の賛歌』を歌ったのです。
私たち・信仰者も、
ともに一緒に集まり、神のなさったことを喜び、感謝するなら、
互いに、信仰を深め合うことができるのです。
主は、いつも私たちを訪問し、ドアをノックしてくださっているのです。
私たちは、いつも、主をお迎えしたいものですね。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『マリアは天に上げられた。天使の群れは喜び輝く。』アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
金曜日・13日のNHK『終戦ドラマ』:『しかたなかったと言うてはいかんのです』
御覧になりましたか? もう二度と『仕方なかった』と言うのはなしに致しましょう。 お元気で!