8月8日。日曜日。晴れ。
オリンピック最終日。
札幌市は、気温25度、湿度80%。
朝7時。『男子マラソン』スタート。
そして、フィニッシュ。
優勝者・金メダリスト・・・『ケニアのキプチョゲ』

ケニアの世界記録保持者エリウド・キプチョゲ(36)
『2時間8分38秒』
五輪マラソンでの『二連覇』達成は3人目。
5人でTop集団を走っていたキプチョゲ・・・
30キロ以降は・・・ 『独走状態となったキプチョゲ』

『勝利後のコメント』
『連覇できたことと、
マラソンを大事にしてしっかり取り組めば目標は達成できると次世代に示せたことがうれしい』
早さと強さとを兼ね持つキプチョゲ
『世界をランニング・ワールドにしたい。走ることは喜びを生みます。』
と、日頃から語っていたそうです。
『やることはすべてやった。後は走るだけ。』は、スタート前の『言葉』でした。
独走するキプチョゲさんは、堂々と、揺るぎなく、疲れもないような、
その精神力が表われたお姿とお顔は、神々しく、立派で、
陰での計り知れない努力を思って、拍手を続ける私でした。涙も出ました。
続けて・・
フィニッシュ・・・ 『六位 日本 大迫傑』


ゴールまであとわずかとなった最後の直線で
大迫選手は観客の声援に手を挙げてこたえました。
左太ももの故障で歩行も困難な様子の大迫は、30歳、
”走ることに決めた!” とばかりに、最後の直線で笑顔を見せました。
フィニッシュ:『2時間10分41秒』
『勝利後のコメント』
『粘り切ろうと 100点満点の頑張りが出来た』
今回のレースで現役引退する大迫傑選手は、
30キロ過ぎまで先頭集団でレースを進めました。
米国を拠点とし、18年のシカゴマラソン、20年の東京マラソンで2度、
日本記録を更新し、日本のマラソン界をけん引してきて、
東京五輪マラソンを『集大成』と位置付け、大一番で力走しました。
『このレースで終わりなんだと決めた今、
自分の持てるすべての力を出し切れる気がする』
と舞台に臨んだ大迫選手でした。
懸念されたレースの天候は、
スタート時に気温25度、湿度80%、フィニッシュ時に気温28度、湿度72%。
それは過酷なレースで、
出場した選手106人のうち、約3割の30人が途中棄権となりました。
すばらしい『マラソン男子』を見せていただきました。
選手の皆様、有り難うございました。 お疲れ様でした。
思い出すのは・・・
私のラン師匠様の甥御さんは
『ロンドンオリンピック』のマラソン選手です。

『五輪マラソン選手(一番前)と師匠たちと私
朝練の恵みの朝』です💖
「今日は練習を軽くやると決めた日は
フル・42,195kmしか走りません」と言われたことを忘れられません。
五輪選手の毎日の練習量は、
50km~100kmは普通ということなのでしょうね!
すべてのオリンピック選手の皆様!
すべてのオリンピック選手の皆様!
すばらしい演技を見せていただき有り難うございました。
過酷な練習の日々の皆様の健康が守られますようにお祈り申し上げます。
過酷な練習の日々の皆様の健康が守られますようにお祈り申し上げます。
そして。
今日は8月8日。年間第十九主日。
『今日の入祭唱』
『主よ、契約を顧みてください。 あなたの貧しい人々の命を永遠に忘れ去らないでください。
神よ、立ち上がりご自分のために争ってください。 あなたに立ち向かう者の叫びを聞いて下さい。』
詩編 74章20&19&22&23節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 ユダヤ人たちは、
イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、
イエスのことでつぶやき始め、こう言った。

「これはヨセフの息子のイエスではないか。
我々はその父も母も知っている。
どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」
イエスは答えて言われた。
「つぶやき合うのはやめなさい。
わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、
だれもわたしのもとへ来ることはできない。
わたしはその人を終わりの日に復活させる。
預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』 と書いてある。
父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。
父を見た者は一人もいない。
神のもとから来た者だけが父を見たのである。
はっきり言っておく。
信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。
あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、

死んでしまった。
しかし、これは、天から降って来たパンであり、

これを食べる者は死なない。
わたしは、天から降って来た生きたパンである。

このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
ヨハネによる福音書 6章41~51節
イエス様は、お腹を減らす沢山の群衆に、お腹いっぱいの『パン』を与えました。
次には、
イエス様は、イエスにつぶやくユダヤ人たちに、
『わたしは天から降って来た生きたパンである。これを食べる者は死なない。』
と宣言しました。
どちらにおいても、
人々は、『イエスの言動』に『神の業』を見るはずでした。
しかし、彼らには信仰がなかったので、見ることができなかったのです。
『信仰』とは、イエス様は『神の業』を行なっている方であると、認めることです。
イエス様は、神から遣わされた方、神を知っており、神を教え、『神の業』を行なうお方なのです。
『信仰』は、自力でできるものではなく、
『イエスをお遣わしになった御父・神が引き寄せてくださらなければ』、できないのです。
だれもイエスのもとへ行くことはできないのです。
私たちは、信仰によって、この世において、イエスと結ばれ、
キリストの愛に満たされるのです。
『今日の拝領祈願』
『いつくしみ豊かな神よ、新たな力に満たされて祈ります。
ご自分を食物として差し出された主イエスに倣い、愛のうちに歩み続けることができますように。』
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日でオリンピックが終わりです。選手の皆様方の無事のご帰国をお祈りいたします。
次はお盆ですが、コロナ禍のため、子供達の帰省はなし。親の孫訪問もなし。
でも、ご先祖様は、コロナ禍に関係なく、天国からおいでになります。
ご先祖様たちを優しくお迎え致しましょう。親しく交流いたしましょう。 お元気で!