8月24日。火曜日。曇り。
『生涯青春』

母の形見の『鮫小紋』
『青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いる。』
昨日は、『青春の詩』 について綴りました。
今日は、『生涯青春』 について綴りましょう。
『人は、『信念と自信と希望』と共に若くある。
人は、『疑惑と恐怖と失望』と共に老ゆる。』
サミュエル・ウルの『青春の詩』より
サミュエル・ウルの『青春の詩』より
『生涯青春』でいるためには・・・
『年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いる。』
『理想』を持つことが『絶対必要条件』だということですね。
では・・・
コロナ禍で『移動』は困難な時に、
家の中で『理想』を見つけていかなくてはなりません。
そこで・・・
私にとっては、人としての『理想の人』=『我が母』を、
※徹底分析※して
『我が母』を思い出して、しっかり真似ることで、『理想』を持つことに致しましょう。
我が母は、
※『美しい人』でした。
いついかなる時でも身だしなみを整え、控えめなおしゃれを忘れない人でした。
※『信仰心の篤い人』でした。
朝一番に『仏壇』にお水とご飯を供え、『お経』を読んでいました。
その後、仏間におわす『仏様』と同居する『神棚』に向かって「二礼二拍手一礼」
手を合わせて、柏手を打つのでした。
※『献身的な人』でした。
夫や子供達だけでなく、親戚やご近所の人たち、遠く世界の子供達にも、
献身的に尽くし、それを喜びとしていました。
※『貫禄のある人』でした。
自身は寡黙で、人の話を聞く、笑顔を忘れない、
その姿には『貫禄』がにじみ出ていました。
※『着物の好きな人』でした。
玄関入ってすぐの右手に、小さな『着物部屋』を増築して、
着物の手入れをしたり、着物屋さんを呼び入れたりして、
着物生活を楽しんでいました。
このコロナ禍で、
このコロナ禍で、
『母の形見』(娘ひとりの私が全部受け継ぎました)の着物を出して、
手入れをして、着てみることに致しましょう。
まずは、 着物から、『理想像』を真似て、
『美しさと貫禄』の『理想像』を我がものすべく、
『理想』に向かって日々精進致しましょう。
『理想』を持って、『生涯青春』に一歩近づくことに致しましょう。
そして。
今日は8月24日。年間第二十一火曜日。
『聖バルトロマイ使徒 祝日』

『聖バルトロマイ』 コンラート・ヴィッツ 作品
バルトロマイは、イエスの12使徒の1人である。
使徒のリストではバルトロマイの名前はなく、
代わりにナタナエルという人物があげられていることから、
伝統的にバルトロマイの本名がナタナエルであるという見方がされている。
イスラエルのカナに生まれ育った。
使徒フィリポによってイエスのもとに導かれた。
使徒フィリポによってイエスのもとに導かれた。
イエスと出会ったとき、
イエスは「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ヨハネ1ー47
とバルトロマイのことを言いました。
この出会いをきっかけに、彼は弟子としてイエスに従ったのです。
イエスの昇天の後。 福音を遠くインドに述べ伝え、
イエスの昇天の後。 福音を遠くインドに述べ伝え、
そこで、体の『皮剥ぎの刑』で殉教したと述べ伝えられています。
983年。彼の遺骸はローマに移され、聖堂に安置されました。
ミケランジェロの『最後の審判』一部

剥がれた自分の皮とナイフを持ったバルトマイ
が描かれています。
(この皮の顔はミケランジェロの自画像になっているそうです)
『毎日の読書』より
『今日の集会祈願』
『救いの源である神よ、
使徒バルトマイの殉教を記念するわたしたちに、
まことを尽くして御子キリストに従う信仰をお与えください。
使徒の祈りと模範に励まされて、
教会が、全ての人の救いの秘跡となることができますように。』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、フィリポは ナタナエルに出会って言った。
「わたしたちは、モーセが律法に記し、
預言者たちも書いている方に出会った。
それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
するとナタナエルが、
「ナザレから何か良いものが出るだろうか」 と言ったので、
フィリポは、 「来て、見なさい」 と言った。
イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、

婚礼に出席されるためガリラヤに向かうイエスと弟子たち
その途中、フィリポとナタナエルがイエス様にであって弟子となりました。
彼のことをこう言われた。
「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」
ナタナエルが、
「どうしてわたしを知っておられるのですか」 と言うと、
イエスは答えて、
「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、
いちじくの木の下にいるのを見た」 と言われた。
ナタナエルは答えた。
「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
イエスは答えて言われた。
「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。
もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」
更に言われた。
「はっきり言っておく。
天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、
あなたがたは見ることになる。」』
ヨハネによる福音書 1章45-51節
今日は、
イエス様はバルトロマイを『改心』に導きます。
バルトロマイ・ナタナエルは、
友人・フィリッポに『預言書に書かれている方・イエスに出会った』といわれたとき、
『ナザレのような田舎町から何か良いものが出るだろうか』と言ったので、
フィリッポは、更に『来て、見なさい』 と言ったのです。
ナタナエルは、見なくてはいけません。
自分で、体験しなければならないのです。
イエスとの『個人的な接触』によって、
イエス様を知るようになり、段々考え方が変わっていくのです。
イエス様は、
ナタナエルに出会ったとき、『あなたはイチジクの木の下にいましたね』
と言われました。
驚くナタナエルに、更に、
『もっと偉大なことを見ることになるでしょう』と言われたのです。
ナタナエルは、
イエス様の『人間的素晴らしさ』を見るだけでなく、
イエス様の『苦しみの姿』

を見ることになったのです。
その後、イエス様の復活をも、弟子たちは、見ることになるのです。
それは、弟子たちにとって、『神であるイエス』との本当の出会いとなり、
『本当の改心』となったのです。
ナタナエルの信仰は、インドの地まで宣教に向かわせる、
殉教においても、御子キリストに従う信仰、
揺るぎのない『固い信仰』となったのです。
わたしたちも、一層、イエス様を知ることができますように、
お祈りいたしましょう。
『今日の奉納祈願』
『全能の神よ、
使徒バルトロマイの祈りに支えられて、
あなたの力強い助けを頂くことができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で自粛の毎日でも、御自分の楽しみを見つけてください。
家の中で出来ることを見つけて、楽しい時間が過ごせますように。 お元気で!