マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

新学期・・・学びの始まり。 そして 『聖アウグスチヌス司教教会博士 記念日』・・・『お前は少しのものに忠実であった。主人と一緒に喜んでくれ。』

2021-08-28 16:14:21 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
8月28日。土曜日。晴れ。

いよいよ夏休みも終わりです。
緊急事態宣言下での新学期です。
孫たちの新学期も、
時差登校、授業時間短縮、 あるいは 休校? 
コロナ感染拡大の中で、
学校側も、保護者側も、いろいろ模索が続くようです。


  私たちも・・・   『聖書100週間・聖書通読会』
  
      『ヴルガータ聖書』 9世紀の『ラテン語訳聖書』 イギリスで保管。 
 
         私たちグループも夏休みが終わります。
    私たち『聖書100週間クラス』は、今学期も『オンラインクラス』のため
         新学期早々から、クラスの再開です。
      待ちに待った、一ヶ月半ぶりの、『聖書通読会』です。


     何が、私たちをここまで『聖書』に引きつけるのでしょうか?

   私の友人(医者)は、
   現役時代の趣味が、ラテン語で書かれた『聖書通読』でした。
   その面白さには、限りのない深さがあったようです。
   そこで、早々の定年休職で、趣味であった『ラテン語訳聖書』を本格的に学ぶために、
   イスラエルの大学に入られました。
   クラスは、世界各国から選ばれて来る、沢山のユダヤ人エリート青年がいっぱいだったそうです。
    寄宿舎は、まるで、『モーセの荒れ野』の体験のように、
     パソコン持ち込み禁止、冬に暖房なしの毛布一枚だけ。
        割り当てられた個室と食堂だけ。
      それでも聖書への探究心は消えなかった友人です。

     『聖書』を学ぶということは、『荒野』の体験、
       人類の『歴史』の体験でもあったのです。

   私は、
   途切れることなく、『聖書100週間・聖書通読』を37年間続けています。
   毎回が、新しく読むような気づきと学びがあり、聖書の魅力は計り知れません。
      37年間の途中では、『聖書』をより深く知りたくて、
   大学や大学院の、『哲学』や『旧約聖書学』の聴講生にもなりました。
       それで聖書への探究心が益々増した私です。

      『聖書』を学ぶということは、『聖書』の編纂、
     人類の数々の『文化』の体験でもあるように思えます。


     聖書は、
     私たちを、
     『アルファとオメガ、最初の者にして最後の者』であるお方・
         イエス・キリストへと案内してくれます。
     又、
     私たちを、
     『アルファとオメガ、最初にして最後』であるお方・
         御父・神のもとへと導いてくださるのです。

      つまり、聖書通読は、『真の知恵』の獲得なのです。


    『ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、
     神の力、神の知恵であるキリストです。』コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章24節
     又、
    『神を畏れることは知恵の初めです。』 詩編111章10節

         『聖書』を学ぶということは、
       神とイエスキリストと聖霊を知ることであり、
      自分の『始まりと終わり』を知ることでもあるのです。


そして。

今日は8月28日。年間第二十一土曜日。

    『聖アウグスチヌス司教教会博士 記念日』
   
   『アウグスティヌスの肖像画 』 フィリップ・ド・シャンパーニュ作品

       古代キリスト教最大の神学者
 カトリック教義の確立に多大な貢献をした西洋古代最大の教父である。

354年。 アフリカのダガステで、
     ローマ官吏の父と敬虔なカトリック信者である母モニカの間にまれる。
     若いときに放蕩生活を送り、マニ教に入った。

383年。29歳。 イタリアに行き、ミラノの司教アンブロジオと出会い、
         回心して、カトリック信仰を受け入れ、  
          アンブロジオ司教から洗礼を授けられた。
        彼の回心には、母モニカの祈りと支えがあったといわれる。

 母の死後。  祖国に帰った後、修道生活を送り、祈りと研究の生活を始めた。

391年。37歳。 司祭に叙階。
396年。42歳。 ヒッポの司教に選ばれる。

以後。34年間。 模範的司牧者として、説教と多くの著作によって教区を教え導き、
         当時の誤謬に対しては勇敢に争い、
         深遠な学識を持ってキリスト教を解説した。

430年。76歳。 死去。

   彼のキリスト教への魂の遍歴を記した『告白録』『神の国』は、
   不朽の名著として知られ、キリスト教内外の思想界に偉大な影響を与えた。    
        『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『全能永遠の神よ、
 聖アウグスチヌスの精神を現代の教会によみがえらせてください。
 英知の泉、愛の源を求める私たちが、
    あなたのうちにいこいを見いだすことができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは 弟子たちにこのたとえを語られた。
    
      天の国はまた次のようにたとえられる。
 ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。


         それぞれの力に応じて、
一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントン
         預けて旅に出かけた。

  早速、 ※五タラントン預かった者は出て行き、
      それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。

 同じように、
     ※二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。

  しかし、 ※一タラントン預かった者は、
       出て行ってを掘り、主人の金を隠しておいた。


  さて、かなり日がたってから、
       僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。

  まず、※五タラントン預かった者が進み出て、
        ほかの五タラントンを差し出して言った。
     『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。
        ほかに五タラントンもうけました。』
  主人は言った。
        『忠実な良い僕だ。よくやった。
    お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。
          主人と一緒に喜んでくれ。』


  次に、※二タラントン預かった者も進み出て言った。
      『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。
         ほかに二タラントンもうけました。』
  主人は言った。
         忠実な良い僕だ。よくやった。
    お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。
           主人と一緒に喜んでくれ。』


  ところで、 ※一タラントン預かった者も進み出て言った。
      『御主人様、 あなたは蒔かない所から刈り取り、
    散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
         恐ろしくなり、出かけて行って、
       あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。
        御覧ください。これがあなたのお金です。』
  主人は答えた。
          『怠け者の悪い僕だ。
         わたしが蒔かない所から刈り取り、
     散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
     それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。
         そうしておけば、帰って来たとき、
         利息付きで返してもらえたのに。

       さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、
         十タラントン持っている者に与えよ。

     だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、
     持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。

       この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。
       そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
           マタイによる福音書 25章14-30節


   今日のイエス様の『たとえ話』は、
   主人の帰りを待っている『勤勉なしもべたち』のたとえです。


   神様は、御自分で『この世』を造られた後・・・
   その管理も発展も、私たち一人一人に『タラントン・力』をくださり、
       私たち人間に任せられました。

      神が人に預けてくださった『力』は、
      神様が『愛』そのものであられるように、
      『愛する力』、『人を幸せにする力』です。

   ※5タラントンと2タラントン預けられた者は、
    お人を5倍も、2倍も愛して、
     御主人様の望まれるように働いたのです。

   ※1タラントンだけ任せられた者は、
    ”自分だけどうしてこんなに少ないの?” と文句が言いたかったでしょうか?
     『愛する力』を土に中に隠し、
      主人に怒られないようにと、自分の安全だけを考えて、
          何もしませんでした。

   
      神様は、預ける『タラントン』は人によって違いますが、
         誰に対しても、公平な方です。
      ただ、
   ※預かったタラントンで、神と協力できる人は、更に恵まれるのです。
            自分も幸せになるのです。
 ※預かったタラントンを、自分のためだけに使う人は、そのタラントンさえ失うのです。
       取り上げられてしまうのです。

  
      私たちも、神から信用されて預かったものは、
       御主人様が帰って来て清算を始めるまで、
      お人の役立つように使いきってまいりましょう。
        

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
   『あなたがたに新しい掟を与える。 互いに愛し合いなさい。
 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』
     ヨハネによる福音書 13章34節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『温故知新』とよく言われますよね。 
同様に、『新しいものを追及していると従来のものの意味がよく分かった』なんてこともありますね。
コロナ禍で自粛生活の間に、過去も現在もいろいろと学びたいですね。 お元気で!