УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

メタフィクションの世界・・・

2010-10-22 23:21:01 | 日記

↑ 中華料理レストランのお子様ランチについているらしい、おまけのウサビッチ。
・・・しかし、これをもらって子供は喜ぶのだろうか??
囚人服の目つきの怪しげなウサギ(爆)

で、今日は映画の勉強会に行ってきました。
本日のネタは、メタフィクションについて。
メタフィクションとは・・・
メタフィクション (metafiction) とはフィクション(小説、虚構)の一種で、フィクションの仕掛けを意図的に描き出すものを指す。
メタフィクションは、それが作り話であることを意図的に読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する。
多くの場合アイロニーを伴い、自己言及的である。
表象主義演劇と対比すれば、表象主義演劇が観客に劇を見ているという事実を意識させるのに対し、メタフィクションは読者にフィクションを読んでいるという事実を意識させる。From:Wiki


という事で。
映画でこの手法の代表作が「マトリックス」とか。
最近、この手を用いる映画が増えて来た、との事で。例えば「インセプション」「シャッター・アイランド」「アバター」などもそうだし。
ウディ・アレンがこの手法が得意(?)で、「アニーホール」「カイロの紫のバラ」「ギター弾きの恋」なんかも、この手が見られました。
が、今回は主に「エヴァンゲリオン」でこのメタフィクションを示す、という事でして~。
しかし、この勉強会ってわりと参加年齢層が高めでしかも男性が多い・・・
なので、わりと古い映画とか名画と言われるような映画とか、古い役者さんなんかは詳しい人が多いけれど、果たしてそういう層に「エヴァ」がどの程度通じるのか・・・?(笑)
ってわけで、エヴァのTV版最終話の一部を見ましたが・・・
あー、懐かしい~っ!!(笑)あー、そうそう、こーいう終わり方だったよね、TV版って。
すっかり頭の中から消去されていましたが(爆)
だって、カヲル君出てこないし(爆)
当時から、この最終話に関しては賛否両論が激論気味で渦巻いていましたが、私はわりと単純に「あー、予算がなかったか、ネタを収集しきれなかったか、ってとこだろうな~」と思っていましたが(笑)今日、話を聞いてみたら、なるほどこれがメタフクションだなぁ~と。
最後の方になると、絵がまるでラフな絵コンテ状態になり、終いにはシナリオを映すよーな場面まで出てくるんですよ、そーいえば、忘れてたけど。
最後の方は内容的に、かなり心理面というか深層的な問題が出てきて、しかも解決しないというか、何言ってるのかさっぱりわからん状態でして、しかしそれ故に、その雰囲気にのめりこんでしまうわけでして。
そして、何だかその手法(?)というか、展開が、まるで新興宗教みたいでね~、あるいは自己啓発セミナー的というか。
まず、徹底的に自己否定をされる。
誰でも、どこか自分が嫌いだし、弱いところがあるし、逃げ出したいという心の部分がある。
そこを自分から表出させ、それを周囲の人(宗教とかセミナーの人)は、強い調子ではないが、徹底的にそれをリピートし責めるというか否定する。
しかし、最後には、「でも、それでもいいんだよ、君は君だし。」と、一気に全面肯定して、皆で仲良し仲良しで判りあえる(よーな演出をする)
それが精神的な(仕組まれた)快感を生み、理解者達と出会えた、判りあえた、という一種の錯覚を生じさせて、その宗教なりセミナーに本心からのめりこませ、疑問不信感を消滅させる、という手法(洗脳も同じような手を使うと聞いたような気がするが)
そのあたりが批判対象にもなったわけですが、あえてそこにシナリオ画面やらを持ってきて、「これはフィクションなんですよ!!」と、改めて強調したかったのがこの最終回ではなかろうか?と。

現在、映画(洋画)の中でメタフィクションが目立ってきたのは、やはりCGなどを使って(絵的な)表現の自由度が増えて来た、というのもあると思うけど、邦画ではあまりない、というのは、そーいう方面はアニメに任せて、あるいはアニメに敵わない、っていうのもあったのかもしれませんな~。


↑ サハリンで本当に見かけた綾波レイの巨大ポスター。
今でもジャパメーションのキャラ、っていったら代表はレイなのかな?
コメント
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