新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカが変わって行き始めた

2017-02-22 08:01:52 | コラム
トランプ大統領がアメリカを変える気だ:

トランプ氏が大統領就任以降、テレビでも新聞でも雑誌等の定期刊行物を見て、トランプ大統領が話題になっていないことがない日が続いている。そこには専門家、アメリカ事情通、大学教授、学者、通信社等のマスメデイアOB、政治家等々が登場して蘊蓄を傾け、裏表の事情等々を語っておられる。だが、誰も断定的なことを言うのを避けておられる印象は否定できない。また、幾ら承っても未だにトランプ大統領の正体は私には見えてこないし、ポピュリズム的なのかどうかも良く解らない。

しかしながら、私にも良く解ってきたことがある。トランプ大統領の政策の下に私が長年慣れ親しんでいたアメリカが確実に変わっていく方向にあるということ。先ず顕著なことは、色々と揉めている大統領令による7ヶ国というのか、イスラム教徒の排斥にも等しいように見える入国禁止令の発動と、不法移民の強制(なのかな)の送還がある。これはアメリカの歴史で自由にか大らかにか、移民を受け入れてきたアメリカが終わるのかと思わせてくれる。だが、それが良い変化なのか否かは私には解らない。

選挙キャンペーンの大きな旗印だった「アメリカファースト」と“Make America great again”とは、どうやら保護主義貿易であり、自国内で生産することしか認めない産業政策であり、“job”(何度でも言うが「雇用」と訳すのは誤りである)の増大であって、「自国さえ良ければ他の国のことなど知らないと言っているに等しい」ように聞こえるし、世界の警察官の職も辞すると表明したと見える。

これらの政策を精一杯善意で解釈すれば「これまでは世界のため皆のために国を挙げて努力してきたが、その間に我が国は全世界に食い物にされて経済的にも軍事的にも芳しからざる状態に陥った。この状態を看過することは出来ないので、この状態を脱して“Make America great again”のためには形振り構ってはいられない」との固い決意の表明だということになる。

その大目的の為には、“fake mass media”如きが何を言おうと右翼といわれるBreitbart News Networkの元会長・Stephen Bannonを使い、Mattisに国防を委ね、ロシアと何があったか知らぬがエクソンモービルのRex Tillersonを国務長官に任じるという布陣で臨んできたのだ。閣内不一致などという風評も、ものともしない姿勢だともいわれている。

私には中国に厳しい姿勢で対処し、一時は中国からの輸入品には45%だったかの関税を賦課するなどと言っておられたし、我が国に対しても30~40年も前の貿易摩擦の頃のような姿勢でトヨタを批判して見せたかと思えば、自国の劣悪な労働力の質独り善がりのスペックの設定のために輸出市場を失ったことを知らずに、自動車の輸入を制限するという意味のことを言い出す「無知」としか思えないようなことを言って恥じないと見える。

私は批判するが、他国の大統領様が打ち出された施政方針である以上、一個人としては黙って見ているしかないと思う。しかし、あの様な“America First”で“Make America great again”の向こうに何が待っているか、世界がアメリカにどう対応するかは、座して見ているしかないのかと思う。まさかトランプ大統領は試行錯誤で突き進み、如何なる結果が出るかを見てから次の手を考えるのでないと思うが、アメリカも世界も変わってしまうように思える。

取り敢えず残念なことは、私が親しんできたアメリカは徐々にではなく、一気に変わって行き始めているとしか見えないことだ。いや、トランプ様は本気で変えて見せようとされているのかも知れない。彼が変えようとする(変える?)アメリカを世界の他の国が素直に受け入れるのだろうか。


私はどのようにして英語を勉強したか

2017-02-21 16:38:18 | コラム
音読・暗記・暗唱だけではなかった:

私の英語教育法論や英語の勉強法は余りアクセス数の増加に寄与していないようなので、ここに読者諸賢の不安を少しで減らそうかとばかりに、私がどのように英語の勉強をしてきたかをもう一度振り返ってみよう。それは決して音読・暗記・暗唱だけではなく、単語帳もカードも作ったこともなければ、英文和訳のようなこともやってこなかった。

既に何度も触れたように旧制中学1年の終わり頃、即ち昭和20年(1945年)にはGHQで秘書をしておられたハワイ大学出身の日系二世の方に「英語で話すこと」を厳しく教え込まれていた。その方を仮にHelenとして置くが、彼女が私に厳しくいわれたのは大要下記の通りである。

Helenに最初に言われたことは

*英語のままで覚え、日本語にしようなどと考えないこと。
*これから言いたいことを日本語で考えて、それを訳そうとしないで、知っているだけの表現を自然に思い出して並べること。
*話の中に“you know”を挟んではいけない。(これは要注意で、これを多用することは決して貴方が「有能」であることを示すことにはならないのだ)
*もしも言葉に詰まったら“Well.”か“Let me see.”と言って間を持たせるように」だけでした。

だけだった。但し、Helenは文法的にでも何でも間違えたことを言うと返事もしてくれなかったし、取り合ってくれなかった。また、こちらが解らないで反応しないでいると、繰り返してくれることもあったが、絶対に日本語では言ってくれなかった。因みに、彼女は日本語も完璧で漢字を崩した書体でも筆で書けるなど、日本人以上のものがあった。

このような形で、彼女が当時我々が住んでいた鵠沼海岸に毎週末に遊びに来る度に英語でしか話してはならないと決められたので、当時から優れた英語教育で知られていた湘南中国での英語の勉強と並行して「会話」まで学べたのだから、悪い影響が出る訳がなかった。しかしながら、私は生来の怠け者で、単語帳を作ったり、教科書に書き込んだりすることが面倒で「覚えてしまえば良いだろう」と開き直って音読・暗記・暗唱を続けたのだった。

この音読・暗記・暗唱には優れた点があり、高校3年の時に英語を教えて頂いた鈴木先生には「そうすることで頭の中に英語が入っており、読む時でも話す時でも文法的に誤った文章やおかしな言葉遣いなどは間違っても口から出なくなるし、頭の中に浮かんでくることがなくなるものだ」と長所を指摘されて、自信を持つに至った。鈴木先生も単語だけを覚えることに否定的だったが、私の持論は「単語は部品に過ぎない。それバラバラに覚えてお自動車は組み立てられない」のであって、「飽くまでも流れの中で覚えるのが肝腎なのだ」なのである。

しかし、現代のようにTOEICだのTOEFLだの英検だのと資格試験(なのかな?)が万能のようになると、音読・暗記・暗唱でそれらの試験を無事に突破出来ないのではないかとの不安感が湧いてきたとしても、別段不思議ではないと思う。そこで自慢話めいて好ましくないが、一言申し上げておけば、私はこの勉強法で押し通しただけで、中学から大学卒業までの間で、無数の英語の試験の成績が90点以下だったことは2回しかなかったのだ。

それで未だ不安だと言われそうな方には、私は大学卒業後の16年間は英語とは全く縁がない紙・板紙流通の国内市場担当の営業マンだったのだったのだが、偶然の積み重ねでその16年目の終わり頃に、UKの大手製紙会社の研究院の日本市場調査のお手伝いをせねばならなくなり、英語で話さねばならなくなった。するとどうだろう。子供の頃にキチンと基礎を学んでいたお陰か、昨日まで英語で話していたかのように、自然に英語が口から出ていたのだった。

「それは、貴方だけの例外的なことだろう」と言いたい方には、では家庭教師として音読・暗記・暗唱に単語帳なし、書き込みなし、解らない言葉に出会ったらその都度辞書を引く等々の方法で2年ほど教えた中学1年生の男子は私の手を離れた高校卒業までの間に、英語の成績はずっと「オール5」だったことは何と言って否定されるのだろう。

また、某商社でこの方法で個人指導する機会を与えられた若手は2年も経たないうちに、その課で一番の英語の使い手に成長した。これなどは「24歳を過ぎてからでも十分の間に合う」という格好の例である。もう一つ言わせて貰えば、彼は中学から高校・大学と我が国の英語教育の下で育ってきたのだが、社会人になってからでも矯正は可能だったという例でもある。

なお、私は39歳からアメリカの会社に移ったのだが、上記の勉強法で覚えた英語をアメリカ人は社交辞令を巧みに操るとは言え、彼らから直されたり、教えられる機会は数多くあったが、一度も批判されたことはなかったのだった。


2月20日 その2 続・小学校3年から英語教育を

2017-02-20 17:22:01 | コラム
国語を教えることが先決だろう:

この点はこれまでに何度言ってきたか記憶にないほど強調してきた。自分の国の言葉が十分に身についていない時期に、子供にとって面白いかどうかも分からないような外国語を教えて、何の役に立つかという極めて簡単なことだ。教えたがる方は「子供の頭は柔軟だから複数の言語でも覚えられる」などと解ったような理屈を言っておられるようだが、本当にそうであるかどうは誠に疑問だと思っているし、現実的ではあるまい。

私がこれまでに繰り返して採り上げてきた、外国語を学ぶ時の名言というか至言というか基本的な心得がある。その一つは、我が日本の会社時代の実質的に2期上だった国立H大学出身の秀才が喝破された「日本語が怪しいような奴が幾ら英語を勉強しても、自在に操れるようになる訳がない」である。「小学校3年からではダメだ」と同じことを言っておられるのだ。

次は私を採用して下さった会社の親会社に同期入社された東京大学出身のH氏が課長当時に、海外出張を前にして言われた「英語で意思疎通が図れるか否かは、これ即ち英語を基本的に理解しているか否かの問題であり、ペラペラであるかないかではない」のも、流石だと感じ入った。当にその通りで、基本が解っていなければ、自分の意志を思うように表現できる訳がないのだ。問題は「基本をチャンと教えられ、キチンと覚えているかいないか」なのである。言わないでも良いことを言えば「TOEICで何点取れたか」ということではない。

これだけの原理・原則がありながら、何処かに英語と自らの英語力に劣等感をお持ちか、自信を持てない方々が、次世代に同じ悩みを持たせないようにと、早いうちから勉強を開始すれば上達するとでも思い込んでおられるのだろう。何度でも言うが、私の周囲には中学入学の時点というか13歳辺りから学び始めて十分に間に合うどころか、アメリカ人もビックリという達人が何人もいた。小学校から等という必要はない。

再び結論をいえば「子供の頃には先ず自国語をチャンと固めて、日本語での思考回路が整った後から、思考体系が異なる外国語を教えるべきである」なのだ。私はアメリカで見事な英語を話していた学齢前の子供たちに何度も出会っていた。その子たちが帰国して成人してから出会って「君にはその昔アメリカで“こういう時にはそう言えば良いのか”と教えて貰ったことがあったよ」と言って驚かせたことがあった。彼は帰国して暫くは英語を覚えていたが、今では何にも覚えていないと嘆いたのだ。こういう例が幾らでもあるのだ。

矢張り国語の教育を充実させよう。元USTR代表だったカーラ・ヒルズ大使は「アメリカの労働者には初等教育の充実と識字率の向上が必要だ」と指摘されたのではなかったか。それと私の主張と似ていないか。「基礎なくして(国語が身についていなくて)何の外国教育か」である。


最近のニュースから拾うと

2017-02-20 07:54:41 | コラム
何と言ってもDPRKだ:

DPRK:
これはこの国の人たちが英語を話す時に自国をこう言っている。即ち、“Democratic People’s Republic of Korea”で、朝鮮民主主義人民共和国のことだ。北朝鮮は俗称だ。そのDPRKは現時点では推測の域を出ていないが、金日成の孫で現在の委員長の金正恩の腹違いの兄である金正男をマレーシアで暗殺した件が、我が国でも連日連夜過剰なほど報道されている。

金正恩は既に叔父の張成澤をすらも粛清してしまったことでもあり、仮令腹違いでであっても国外をうろついている兄を粛清することはあり得る国だととは思っていた。だが、矢張りそれが現実になってみると「何という国だろう」と言うか「指導者だろう」と痛感させられた。その国名には「民主主義」と麗々しく入っている辺りも、また何と言えないところだ。しかも、英語表記では「民主主義の人たちが所有する共和国」と読めるところなどはもっと恐ろしい。それとも、何処かで民主主義に憧れてでもいるのだろうか。まさかそんなことはあるまい。

DPRKの後ろ盾であるようなないような中国でさえ、公式な国名は中華人民共和国で、英語表記は“the People’s Republic of China”となっている。即ち、DPRKよりは多少は民主的に近いのだが、民主主義を国名に入れていない。中国を英文の中でPRCと略したのを何処かで見たような気もするが、DPRKほどには普及していないと思う。

豊洲問題:
遂に石原元東京都知事と浜渦元副知事の参考人招致に止まらず、百条委員会の設置まで言われるようになってきた。我らが同期の英雄石原慎太郎君を擁護したい気持ちは十分あるが、遙か遠くから何とかなるようにと願うだけだ。私とても東京都政にとっては豊洲をどう処理するかは重大かつ焦眉の急の案件であるとは思う。即ち、築地から移転するかしないか、するなら何時かを決めるのが先決だと思えるのだ。

だが、事ここに至って移転を誰が何時どのように決めたかを詮議することがそれほど重要で、問題解決にとって必要不可欠なことなのかは良く解らないのだ。仮に元知事と元副知事が揃って「我々の決断が誤りでした。都に多大な損失を生じさせたことをお詫びします。可能な限り私財を抛っても弁償します」と言ったとしても、それが移転するか否かの問題解決には結びつくとは思えないのだが。小池都知事の本心が奈辺にあるのか、一寸気になるのだ。

清水冨美加:
こんな字を書くかどうかも自信がなく、新聞のテレビ欄で確かめた。それほど連日連夜各局がしのぎを削って採り上げている話題のようだ。遺憾ながら、NHKの朝の連続ドラマ(と言うのかな?)はもし記憶に誤りがなければ50年以上も見ていないので(大河ドラマも同じ)その連ドラとやらに出ていた清水何とかさんと言われても、知らない人のことで大騒ぎしているなという程度の印象。要するに、私はテレビ局が対象として重んじている客層にも年齢層にも入っていないことが良く解る騒ぎのようだ。

ミーハーでなくて済みませんでした。故松方弘樹と故藤村俊二の訃報にしても同じ。お悔やみを言え悲しみを共有せよと言われても困るだけだ。矢張りテレビ局はこういうことに常日頃から関心を持っている人たちの為にあるので、トランプ候補がクリントン候補を破るだろうというような件には関心がないのだと、改めて認識させて貰えた。

羽生結弦:
19日夜に何気なく8チャンネルに合わせたら、丁度宇野昌磨が2回転んでも暫定1位になったところだった。次がかの羽生結弦でインフルエンザ上がりで芳しくない状態であるかに聞いていたが、果たせるかなオリンピックで見せたような妖気漂う滑りではなく、何となく4回転を飛んでいたかのような印象だった。それでも宇野を遙かに超える点が出た。

その後に出てきたのがアメリカ人とは言うが、明らかに中国系のネイサン・チェン(Nathan Chen→陳巍)。これがまた素晴らしく全く何の失敗もせずに4回転ジャンプを5回も飛んで見せたので、結果を聞かずにチャンネルを変えた。羽生君もインフルエンザにかかるようでは健康管理に問題があったのだろうと指摘せざるを得ず、それからの回復途上ではあっても、何も中国系のアメリカ人などに負けることはないじゃないかと、偏見に満ちた感想で誠に遺憾だと思っていた。

近年フィギュアスケートは益々ジャンプが重んじられるようになってきたと同時に、体が軽い低年齢化が進んでいるので、羽生君と雖も油断はならない時期になってきたようだと思わせてくれた敗戦(?)だった。マスコミは子供が勝つことを好むが、次のオリンピックの種目になった「ボルダリング」などはどう考えても体重が軽い間の少年という子供が有利だろうと思わざるを得ない。

アメリカの大手企業はスイートルームをどのように使っていたか

2017-02-19 10:20:46 | コラム
我々はこのように活用していた:

既に採り上げたように、石原元東京都知事が在任中に海外出張で一流ホテルの高額なスイートルームに泊まっていたことは、かねがね批判されていたが、週刊文春が最近になってその経費の濫用(?)を採り上げていた。いや、「それを経費の濫用である」と非難するかの記事を載せたと言う方が正確かも知れない。勿論、同期の英雄である石原君を擁護したい気持ちはあるが、そこを離れてここではW社在職中に経験したアメリカの企業がどのようにスイートルームを使うかをご参考までに紹介してみよう。

我が事業部では隔年に全米の何処かの大都市で開催される食品とその関連の業界の“Convention”(“a large meeting of the members of a professional, a political party, etc.”と呼ばれる関連業界の大規模な展示会で、全米と全世界から関係者が参加するもので、Expoとも呼ばれていた)には事業部のほぼ全員が出展者として参加していたし、私も日本市場の担当者として詰めていた。開催された都市はシカゴが最も多く、他にはアナハイム、アトランタ、アトランテイック・シテイー等だった。

その際にアメリカのトリプルAの格付け(当時)のメーカーとしては、その格に相応しい各都市の一流のホテルに全員で宿泊していた。そこでは必ずスイートルームを取ってそこには幹事役のマネージャーが入り、副社長兼事業部長は言うなれば普通の部屋に泊まっていた。ではスイートルームをどのように使うかだが、その点にアメリカ式の経費の使い方の妙があると思う。

それはスイートルームの大きな方の部屋には、言わば世界中の名酒(銘酒でも良いか?)やコーヒーやCola等の飲料の他に適当なおつまみを用意して、日中に来訪されたお客様との商談にも簡単な接待にも使えるように準備されていた。また、夜は部員たちが思い思いに集まって何もホテルのバーに行くまでもなくその場で談笑も出来るし、会議にも反省会にも使えるし、更には重要な打ち合わせの朝食会の会場としても活用されていた。ここまででも経費節減に役立っているとお解り頂けるだろうか。

幹事役のマネージャーは奥まったベッドルームで寝ていても、先ず騒音に悩まされることはないとも聞いていた。展示会に出展するアメリカの大手製紙会社は皆それぞれがその都市の一流ホテルに宿泊して、スイートルームにお客様をお招きして接待も商談も可能なようにしていた。我が社はシカゴでは、かのリッツ・カールトン(The Ritz-Carlton)を定宿にしていた。それは贅沢でも虚栄の為でもなく、お客様との良好な関係を促進する目的もあったのだ。

石原元東京都知事にせよ、舛添前都知事にせよ、「トップだからその年の一流ホテルに泊まるのだ」などということを言わずに、「その土地でも都市でも重要な方との会合のためにご招待する時のためにスイートルームを取ったのだ」と言えばあれほど非難され批判されることはなかったのではないかとすら思うのだ。即ち、アメリカの企業社会におけるスイートルームの活用法を少しでも学んでおけば良かったのではないかということだ。換言すれば、彼らアメリカの企業は予算の立て方というか、経費の有効的な使い方を心得ているのだと思う。

私は私の職務とは関係がないことなので、The Ritz-Carltonのスイートルームの部屋代が如何ほどかなどは知る由もない。だが、シカゴではあのメゾネット方式で階下にはグランドピアノまで置いてあったのを見れば、一度くらいはこういう部屋に泊まってみたいと誰しもが思うだろうと感じた豪華さだった。今となっては単に回顧談だが、一般論として外国の企業のホテルの活用法にはこういうこともあると紹介した次第。