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第二次世界大戦におけるソ連外交

2010-05-10 | ラジオ
間もなく祝われる対ナチスドイツ戦勝65周年を前に、ロシア外務省次官はロシアの声からのインタビューに答え、第二次世界大戦での歴史的な勝利は全線で、また後方で献身的に闘った、英雄的な努力によって勝ち取られたものとの見方を示した。
外務次官は又これは全人類の存在にとっての脅威であった、共通の敵を打倒するために闘った多くの民族による勝利、ソ連の外交官もまた共通の偉大な目的達成に独自の貢献をしたと述べた。

反ファシズム連合はナチスドイツ軍がソ連に対し、背信的な攻撃を開始した直後に形成された。
これは世界の軍事外交史において、全く新たなユニークな結合だった。
1941年11月7日、モスクワの赤の広場では歴史的な軍事パレードが行われ。参加者達はここから真っ直ぐ全線へと向かった。
このときアメリカはレンドリース法、つまり武器貸与法をソ連にも適用した。
以来、第二次世界大戦が終結するまで、ソ連には連合国への支援として武器が供給された。

これはソ連にとっては、非常に大きな意味があった。
外務次官はこのようなソ連外交による勝利というものは、少なくなかったと指摘し次のように述べている。
「1942年1月1日も歴史的な日だ。
この日アメリカのワシントンで、連合国共同宣言への署名が行われた。
アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のマクシム・リトヴィノフ外相兼註アメリカ・ソ連大使、そして中華民国の代表が参加した。
この宣言には間もなくさらに22ヶ国が署名し、最終的には26ヶ国がヒトラー率いる、ナチスドイツとその衛星国に対抗し、各国が持てる全ての資源を(?)国に対する戦争の遂行に充て、ドイツ、日本、イタリアと各国が単独で休戦や興亜をしないと決めた。

この連合国は1946年の国連創設に対しても、非常に重要な役割を果たした。
それまでもロシアの外交官は祖国を守ってきた。戦場でもだ。
開戦後間もなくソ連外務省の170人の職員が全線に赴き、国民自由軍の一員となった。
それは様々な当為の外交官だった。
ロシア外務省の入口ホールには、今も全線で命を落とした71人の外交官の名前が刻まれたプレートが飾られている。
現在のロシア外交官達は、戦勝65周年の祝賀行事の準備に積極的に取組んでいる。また最近外国にあるロシア大使館では、各国に住む参戦軍人370人に赤星勲章、勇敢勲章、軍務(?)勲章など軍事功績を称える様々な勲章が与えられた。
また戦勝65周年を記念し6万6000人の外国人が記念メダルを手にする。
そして世界各国に2万以上あるソ連兵士の戦没者墓地を守っていくのもロシア外交が果たすべき使命だ。

妥当ナチスドイツのために闘った、CISは5月9日にモスクワの赤の広場で行われる軍事パレードにも参加する」

また外務次官は今年のパレードは印象深いものとなり、サプライズに満ちたものにになるとの見方を示している。
「例えばトルクメニスタン軍の兵士達のパレードを先導するのが、馬に乗った騎士なのだが、トルクメニスタンの外交官によればこの馬は、1945年6月にジューコフ元帥がパレードの際乗った馬の子孫だということだ。

時は過ぎて行く。しかしナチスドイツに対するロシアとその連合国の勝利の意味は、道徳的にも政治的にも、また法的にも決して傷付けられてはならない。
この理想を守り抜くこと、それがロシア外交が常に断固として貫いていく立場だ」

(?)は聴き取れず

ヒトラーの秘密図書館

ティモシー・ライバック
文藝春秋


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5月6日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル