読書。
『小山薫堂が90歳のおばあちゃんに学んだ大切なこと』 小山薫堂・編
を読んだ。
京都の清滝という里山でお茶屋をしていた、
秋山さんという今は90歳のおばあちゃんは、
訪ねてくる人たちからいろいろな話を聞くとともに、
秋山さんだからこそ言えるようなお話を彼らにしてきたそうです。
そんな里山の茶屋をいつしか訪ねるようになった小山薫堂さんが、
そのおばあちゃんへのなにげない問いと返答を中心に、
ところどころ、おばあちゃんが描いた水彩画をあしらいながら
編んだ本が本書です。
僕は田舎に住んでいるので、読んでいて
なんだか共感するな、そのあたりはわかるな、という部分はあったんですが、
都会に住む人にしてみたら、想像の世界のもののように感じるのかな。
小さな、でも重みはちゃんとある、教訓のような言葉がでてきます。
哲学、価値観、そういったものを、ひらがなで、もっと簡易に書き下せる言葉があれば
そのおばあちゃんの言葉たちに似合いそうな感じがします。
そういう種類の、話の中で語られる興味深い考え方や経験が綴られています。
なかでも、「愚痴」というものを認める考えなのには、「へえ」と思いましたねぇ。
考えてみれば、愚痴くらい吐いてもいいし、聞いてやってもいいのかな、
そう思えましたが、日ごろの僕は愚痴ってけっこう毛嫌いしているところがあって、
まだまだだったなぁと思ったりも。
愚痴られると、はけ口としての自分、ゴミ箱的な自分に感じられたり、
その逆に愚痴ると、相手をいいように利用してしまっているように感じられたりしたんですが、
それは、またちょっと考え直すというか、捉えなおすというか、
大きな目で見てみる必要があるなぁと思った次第。
おばあちゃんの言っていることは、本当になにげなくて、
読む人によっては、言葉が響いてこないかもしれない。
でも、そこをそらさずに真正面から受けていくと、
いろいろな言葉に通底する、大切な何かを感じることになる。
おばあちゃんの基本的な姿勢が、都会人よりも、いや僕ら現代人一般もそうだと思いますが、
そういう僕らよりも最初はずれて感じられるんですね。
でも、読んでいるうちに、ずれているのは大勢を占めているはずの自分たちのほうじゃないか
という気がしてきて、確信に変わったりします。
人間本来のというとおおげさで、
きっと日本人本来のといったほうが近づけると思うのです。
そういう本来の、日本の環境や風土と溶け合うような生を知っている
おばあちゃんなんだろうなぁと思います。
かといって、人間社会にうといわけではないです。
人間関係のあれこれも知っているからこそ、
辿りついている考え方だと見受けられるような言葉もあります。
ただ、まるで狡知なところもないし、
近道を知っているわけでもない、
偉いことをいってもいない、
そうだからこそ、そこに、読んでいて本質と、
この世界(日本の風土と環境)と溶け合うような思想を感じるのではないでしょうか。
読み進めるにつれて、笑顔になっていく本でした。
にほんブログ村
『小山薫堂が90歳のおばあちゃんに学んだ大切なこと』 小山薫堂・編
を読んだ。
京都の清滝という里山でお茶屋をしていた、
秋山さんという今は90歳のおばあちゃんは、
訪ねてくる人たちからいろいろな話を聞くとともに、
秋山さんだからこそ言えるようなお話を彼らにしてきたそうです。
そんな里山の茶屋をいつしか訪ねるようになった小山薫堂さんが、
そのおばあちゃんへのなにげない問いと返答を中心に、
ところどころ、おばあちゃんが描いた水彩画をあしらいながら
編んだ本が本書です。
僕は田舎に住んでいるので、読んでいて
なんだか共感するな、そのあたりはわかるな、という部分はあったんですが、
都会に住む人にしてみたら、想像の世界のもののように感じるのかな。
小さな、でも重みはちゃんとある、教訓のような言葉がでてきます。
哲学、価値観、そういったものを、ひらがなで、もっと簡易に書き下せる言葉があれば
そのおばあちゃんの言葉たちに似合いそうな感じがします。
そういう種類の、話の中で語られる興味深い考え方や経験が綴られています。
なかでも、「愚痴」というものを認める考えなのには、「へえ」と思いましたねぇ。
考えてみれば、愚痴くらい吐いてもいいし、聞いてやってもいいのかな、
そう思えましたが、日ごろの僕は愚痴ってけっこう毛嫌いしているところがあって、
まだまだだったなぁと思ったりも。
愚痴られると、はけ口としての自分、ゴミ箱的な自分に感じられたり、
その逆に愚痴ると、相手をいいように利用してしまっているように感じられたりしたんですが、
それは、またちょっと考え直すというか、捉えなおすというか、
大きな目で見てみる必要があるなぁと思った次第。
おばあちゃんの言っていることは、本当になにげなくて、
読む人によっては、言葉が響いてこないかもしれない。
でも、そこをそらさずに真正面から受けていくと、
いろいろな言葉に通底する、大切な何かを感じることになる。
おばあちゃんの基本的な姿勢が、都会人よりも、いや僕ら現代人一般もそうだと思いますが、
そういう僕らよりも最初はずれて感じられるんですね。
でも、読んでいるうちに、ずれているのは大勢を占めているはずの自分たちのほうじゃないか
という気がしてきて、確信に変わったりします。
人間本来のというとおおげさで、
きっと日本人本来のといったほうが近づけると思うのです。
そういう本来の、日本の環境や風土と溶け合うような生を知っている
おばあちゃんなんだろうなぁと思います。
かといって、人間社会にうといわけではないです。
人間関係のあれこれも知っているからこそ、
辿りついている考え方だと見受けられるような言葉もあります。
ただ、まるで狡知なところもないし、
近道を知っているわけでもない、
偉いことをいってもいない、
そうだからこそ、そこに、読んでいて本質と、
この世界(日本の風土と環境)と溶け合うような思想を感じるのではないでしょうか。
読み進めるにつれて、笑顔になっていく本でした。
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