TakaPの数学日記

数学を教えていて感じたことや日常の感想などを記録しました。

勉強のやり方

2007年11月13日 17時04分54秒 | 日記
 明日からテスト。明後日が数学の試験である。「先生、勉強教えて下さい。」だって。「自分で勉強してからでないと教えない。」というと困った顔をする。
 勉強の仕方が分からないらしい。分からないことがあると勉強が進まずストップしてしまうようだ。
 例題を何度も写して、計算の手順を飲み込む。まさに「飲み込む」ことがなかなか出来ないようだ。いつも誰かに頼った勉強をしているようだ。今日は勉強の手順を教えてしばらく放っておいた。さて、どうするのかな・・・。

 今の子どもは、「飲み込む」勉強が出来ないようだ。個性とか重視されすぎて、自分勝手な考えが幅をきかせ、基本から手順通り習うことが出来ていない。
 私は「分からなくていいから、手順を覚えて、出来るまでやってごらん」と言っている。例に出すのはわり算。
 例えば831を3でわる場合、頭の8を見て2を立てる。3×2=6で8から6を引くと2。3をおろして、23の中に3がいくつあるかを調べる。7が立つ。というふうに、商を立て、引き、次の桁をおろす。この繰り返し。これは「手順」であるが、この手順でわり算ができる理由を説明できる人は少ない。数学を教えている教師ですら分からないこともある。
 では、理屈が分からないからと言うことでわり算ができないかというとそうではない。立てる、かける、ひく、おろす、の繰り返しでわり算はできるのだ。だから、分からなくて良いから覚えろという。

 別の例で2×a=2aというのはなぜ。なぜかけ算の記号は省略されるのか、説明できるだろうか?なぜ2を前に持ってくるのか?
 以前数学の研究授業のあとの研究会で、数学の教師が分かっていなかったことを知って、私はびっくりしたことがある。その先生は「きまりだから」だと思っていたそうである。
 実は生徒が「分からない」といっているのはこういう事が多い。こうした問題に答えているときりがないのだ。

 数学の持つ文字や計算手順、方程式の解き方などは何百年もかけて完成したものである。「分かる」ということは、その中に潜む数学的な考え方や概念思想までに触れることではないだろうか。
 一般に「分かる」というのは「解ける」「出来る」ということにしぼって考えるとき、この数学的な概念を多少与えていかないと解けたり出来たりはしないのだが、それ以前に「飲み込んで」もらいたいことが多いと思っている。
コメント
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