次の週、3月16日水曜日。卒業アルバムを持って中学校に。
講師の先生と話しをするのを楽しみにしていた。
今思うといつも通り、朝早く学校に行けばよかったと思っている。
授業が4時間目から始まるのと、講師の先生は休まないので、
授業の準備をする必要がなかった。
朝の打ち合わせが終った頃、中学校に着いた。
そこで、思いがけなく、以前お世話になった写真屋さんと再会。
だいぶ白髪が目立ってきたが、元気そうだった。
「これ、写真屋さんが作ったアルバムですよ」と言って、
持って来たアルバムを見せた。懐かしがっていた。
アルバムは2年の担当の数学の先生にも見せた。
アルバムの編集はこの先生と同じ部活で知り合いの先生が
やっていた。「あ、写ってますね〜」と盛り上がっていた。
4校時目の準備ということで、講師の先生と打ち合わせを
しようと思ったが、先生は職員室には来ない。
いよいよ3校時目の終わる10分くらい前に、
「先生、どこにいるんでしょうかね」とつぶやくと
ある先生がトイレを確認。職員男子トイレの個室が
閉まったままだったので、何度もノックをしたが、
返事がないことが分かった。
みんなでトイレに行って確かめ、若い先生が隣の個室から
よじ登って確かめたところ、先生がトイレにしゃがみ込んで
動かなかった。
すぐに先生方で個室を開け、タンカで運び出し、救急車を
呼ぶ一方、呼びかけたり、脈拍を確かめたり、AEDを使ったり、
心臓マッサージをした。
・・・やがて、救急車が到着。AEDを再び職員が試し、
その後病院へ向かった。
急なことなので、私は講師の先生の1年の授業を引き受けることになった。
副校長先生と相談。「先生は病気でお休み」と生徒に伝えることで一致。
1年担当の先生と進度について相談。区のテストの過去問題の答え合わせ
ということだった。
授業に入った。
答え合わせをしても時間が余ったので、急きょ文字式の復習を
簡単にやって授業を終えた。
給食は栄養士さんのご好意で食べることが出来た。
栄養士さんは私の元の勤務校の卒業生だった。
給食後、5時間目も同じように授業をした。
帰りがけ、3年担当の嘱託らしい先生から、
「先生は運び込まれた病院で死亡が確認されたそうです」
と言われた。
学校ですでに亡くなっていたのかも知れない。
後日連絡をメールでもらった。
学校では3月18日、卒業式が終わっていた。
私は22日に先生の通夜に出向いた。
通夜は合唱団の方の合唱と献花だった。
先生は独身のようで、お母様が喪主を務めていた。
中学校の先生方全員が来ていた。
先生ともっと仲良くなりたかった。
先生が元気に自信を持つて指導出来る助けをしたかった。
私の思いが通じた一言が
「同じ区に長くいらっしゃるのなら、ご存知ないですか?」
だったのではないかと思っている。
この中学校の仕事が終ってもお付き合いしたかったのに・・・、と思っていた。
授業で取り上げる内容は素晴らしいものがある先生だった。伝える技術
がもっとあれば、と私は思っていたのだ。
この講師の先生の話は一旦ここで終わるが、後日談がある。
おわり