みうらじゅん・いとうせいこう 「見仏記」読了
以前に読んだ、「見仏記 ゴールデンガイド篇」の一番最初の本を見つけた。
さすがけっこう有名なお寺が掲載されている。
著者たちは仏像を信仰の対象として見るのではなく、単なる仏(ブツ)として見ているというところがこの本の味噌である。
それゆえに読む人がそれぞれの感覚でこの本を読むことができるのであろうか。
仏像にエロティシズムや恋愛感情を投影しているのが面白い。
しかし、単なるブツではなく、やっぱりそれを造った当時の人々の思いのようなものに近づこうとしているところにある意味やさしさが現され、続編がたくさん生まれるほどの人気本になったのだろうと思う。
みうらじゅんという人は小学生のころから自分で仏像のスクラップブックを作って自分でコメントを書いていたということだ。「死んだら自分の記憶は何もなくなる。そしてそれを他人には全部伝えることができない。自分を残したいという業と執着が余計に記憶に残そうとする・・・」何かわかるような気がする。
僕はまったく逆で、まったく記憶力がないのでなんとか記録を残すことで記憶の代わりにしようとしている。このブログもそんなもののひとつかもしれないと考えている。
僕はブツというよりも仏教の思想をもっと知りたいとは思っているのだが、仏様の体系をもう一度この本を見直しながら勉強をしてみるのもいいのではないかと考えている。
朝、釣りに出るために早く起きてテレビを見ていると、「見仏記」のテレビ版というのをやっていることがある。関西テレビ京都チャンネルというCSで放送されていたようだが、これは気持ちが悪かった。BGMもなく、なにやらAVを見ているような・・・。ここまでくるとちょっとまずいのではないかと思ったりしてそれでも出発時刻を過ぎても見入ってしまっている僕はやっぱりかなりのオタクなのかもしれない。
以前に読んだ、「見仏記 ゴールデンガイド篇」の一番最初の本を見つけた。
さすがけっこう有名なお寺が掲載されている。
著者たちは仏像を信仰の対象として見るのではなく、単なる仏(ブツ)として見ているというところがこの本の味噌である。
それゆえに読む人がそれぞれの感覚でこの本を読むことができるのであろうか。
仏像にエロティシズムや恋愛感情を投影しているのが面白い。
しかし、単なるブツではなく、やっぱりそれを造った当時の人々の思いのようなものに近づこうとしているところにある意味やさしさが現され、続編がたくさん生まれるほどの人気本になったのだろうと思う。
みうらじゅんという人は小学生のころから自分で仏像のスクラップブックを作って自分でコメントを書いていたということだ。「死んだら自分の記憶は何もなくなる。そしてそれを他人には全部伝えることができない。自分を残したいという業と執着が余計に記憶に残そうとする・・・」何かわかるような気がする。
僕はまったく逆で、まったく記憶力がないのでなんとか記録を残すことで記憶の代わりにしようとしている。このブログもそんなもののひとつかもしれないと考えている。
僕はブツというよりも仏教の思想をもっと知りたいとは思っているのだが、仏様の体系をもう一度この本を見直しながら勉強をしてみるのもいいのではないかと考えている。
朝、釣りに出るために早く起きてテレビを見ていると、「見仏記」のテレビ版というのをやっていることがある。関西テレビ京都チャンネルというCSで放送されていたようだが、これは気持ちが悪かった。BGMもなく、なにやらAVを見ているような・・・。ここまでくるとちょっとまずいのではないかと思ったりしてそれでも出発時刻を過ぎても見入ってしまっている僕はやっぱりかなりのオタクなのかもしれない。