日本放送協会/編集 NHK出版/編集 佐々木閑/著 「NHKテレビテキスト 100分de名著 般若心経 「見えない力」を味方にする」読了
先月、Eテレで放送していたのを見ていてなかなか面白かったのでそのテキストを買ってみた。
まずは小乗仏教と大乗仏教の比較の解説。
中学校では言葉だけ勉強し、どちらも釈迦の教えだと思っていたが、小乗仏教は確かに釈迦の教えだがそれを否定することから生まれたのが大乗仏教であったというのは驚きの内容だ。
釈迦の仏教は自分で修行して自己を救済し、同じ環境を求める人には救済の手を差し伸べるのに対し、そんな強い意志を持たない人にも救済の手を差し伸べようというのが大乗仏教だそうだ。これではまったく逆の思想ではないか。
「俺の背中を見て覚えろ。」という職人の世界と、OJTでバカな社員にもなんとか仕事を教えましょうというほどの違いだ。
存在に関する見解も、釈迦の仏教では確かに五蘊という存在するものはある。しかし、それが刻一刻と関係性が変化しており実態はないという諸行無常という世界を作っている。しかし、小乗仏教はその存在自体も否定しすべては「空」であるという考えだからまったくもってこれも逆である。
しかし、この考え方は現代の物理学とよく似ているのに驚かされる。不確定性原理というのは原子核の周りを回っている電子の位置は予測できるのもではなく、観測した瞬間に位置が決定されていて、どの時間にどの場所に存在するかというのは確率論でしか考えれらず、もっと突き詰めて考えると、物質のすべての始まりである宇宙の最初のビッグバンはまったく持って「無」の世界から突然現れたとされている。
物質の姿は刻一刻と変化するという不確定性原理、「無」から生まれた宇宙の始まり・・・、世界が人間が考えたとおりに見せかけているのか、ビッグバンから生まれた人間は直感的にそういう原理を知っていたのか、どちらにしても不思議なことには変わりはない。
そして般若心経の物語は、瞑想をしてる釈迦の横で観音菩薩が舎利子という釈迦の弟子に説いているという設定で、釈迦の根本理論である物質の存在を否定し、釈迦が修行により乗り越えようとした物質があるから発生する煩悩や苦悩は、世の中見方によってはすべてが「空」なのだからそんな心配をすることはないのだよと説いている。
なかなかこの菩薩様も大胆不敵だ。
たしかに、強い心を持たない僕のような人間でも救われるという考えはホッとさせられる。それが般若心経をはじめ大乗仏教が日本に広く行き渡った理由なのかもしれない。
しかし、一方では、「自分より世間が悪いのだ。」という理由で起こっているようなわけがわからない犯罪は長い間日本の中ではぐくまれ続けたこんな他力本願てきな思想が許しているのかもしれないと思えるところもある。
どちらにしても、自立した心を前提に生きる気持ちがないと何でも悪い方向に向いてしまうのだろう。
般若心経というと、レインボーマンが変身するときの「アノクタラサンミャクサンボダイ・・・」というセリフしか知らなかったが、勉強して見るとものすごく深いものがあるようだ。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五
蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不
異色色即是空空即是色受想行識亦復如
是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄
不増不減是故空中無色無受想行識無眼
耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至
無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死
亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無
所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無
罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢
想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜
多是大神咒是大明咒是無上咒是無等等
咒能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜
多咒即説咒曰
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦
菩提薩婆訶 般若心経
先月、Eテレで放送していたのを見ていてなかなか面白かったのでそのテキストを買ってみた。
まずは小乗仏教と大乗仏教の比較の解説。
中学校では言葉だけ勉強し、どちらも釈迦の教えだと思っていたが、小乗仏教は確かに釈迦の教えだがそれを否定することから生まれたのが大乗仏教であったというのは驚きの内容だ。
釈迦の仏教は自分で修行して自己を救済し、同じ環境を求める人には救済の手を差し伸べるのに対し、そんな強い意志を持たない人にも救済の手を差し伸べようというのが大乗仏教だそうだ。これではまったく逆の思想ではないか。
「俺の背中を見て覚えろ。」という職人の世界と、OJTでバカな社員にもなんとか仕事を教えましょうというほどの違いだ。
存在に関する見解も、釈迦の仏教では確かに五蘊という存在するものはある。しかし、それが刻一刻と関係性が変化しており実態はないという諸行無常という世界を作っている。しかし、小乗仏教はその存在自体も否定しすべては「空」であるという考えだからまったくもってこれも逆である。
しかし、この考え方は現代の物理学とよく似ているのに驚かされる。不確定性原理というのは原子核の周りを回っている電子の位置は予測できるのもではなく、観測した瞬間に位置が決定されていて、どの時間にどの場所に存在するかというのは確率論でしか考えれらず、もっと突き詰めて考えると、物質のすべての始まりである宇宙の最初のビッグバンはまったく持って「無」の世界から突然現れたとされている。
物質の姿は刻一刻と変化するという不確定性原理、「無」から生まれた宇宙の始まり・・・、世界が人間が考えたとおりに見せかけているのか、ビッグバンから生まれた人間は直感的にそういう原理を知っていたのか、どちらにしても不思議なことには変わりはない。
そして般若心経の物語は、瞑想をしてる釈迦の横で観音菩薩が舎利子という釈迦の弟子に説いているという設定で、釈迦の根本理論である物質の存在を否定し、釈迦が修行により乗り越えようとした物質があるから発生する煩悩や苦悩は、世の中見方によってはすべてが「空」なのだからそんな心配をすることはないのだよと説いている。
なかなかこの菩薩様も大胆不敵だ。
たしかに、強い心を持たない僕のような人間でも救われるという考えはホッとさせられる。それが般若心経をはじめ大乗仏教が日本に広く行き渡った理由なのかもしれない。
しかし、一方では、「自分より世間が悪いのだ。」という理由で起こっているようなわけがわからない犯罪は長い間日本の中ではぐくまれ続けたこんな他力本願てきな思想が許しているのかもしれないと思えるところもある。
どちらにしても、自立した心を前提に生きる気持ちがないと何でも悪い方向に向いてしまうのだろう。
般若心経というと、レインボーマンが変身するときの「アノクタラサンミャクサンボダイ・・・」というセリフしか知らなかったが、勉強して見るとものすごく深いものがあるようだ。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五
蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不
異色色即是空空即是色受想行識亦復如
是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄
不増不減是故空中無色無受想行識無眼
耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至
無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死
亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無
所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無
罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢
想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜
多是大神咒是大明咒是無上咒是無等等
咒能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜
多咒即説咒曰
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦
菩提薩婆訶 般若心経