大法輪閣編集部/編 「図解・仏像の見分け方」読了
日本の仏教にはまあ、ものすごい数の仏像のデザインがある。如来様、菩薩様、その家来の明王様、それを守っている天の方々・・・
大乗仏教ではそれを拝むだけで罪が消えて成仏することになっている。一人ずつ別々のご利益があるものだから日本人は拝むのに忙しい。
それでもって拝み癖がついてしまうのか、なんでも人の責任にしようとする国民性になってしまったようだ。
「お上」に頼りきりというのもこんなところから始まっているのだろうか。それともそれを巧みに利用し続けたのがこの国の宦官だったのだろうか。
僕の知る限り、キリスト教もイスラム教も偶像崇拝を禁じているはずで、両方とも戒律を守っていたら幸せにしてあげるという論理で自律を求めている。
他方、日本の仏教はとりあえず手を合わせていたらいいのだよ。というから、「川で遊んではいけません。」や「生レバーを出したらダメですよ。」などということになってしまうのだろう。
何か悪いことが起こると、「悪いのは世間の方だ。」ということになってくる・・・。
偶像崇拝は自分のことを自分で決める能力を退化させるのは間違いから、キリストもムハマンドもそれを禁じたのだろう。
古代エジプトも古代ギリシャも偶像崇拝の文明であってそれが原因かどうか、どちらも悲しい末路をたどったが、やっぱり日本もそんな道をたどるのだろうか。
特にこの国は、仏教の最後のセーフティーネットになっている、「悪いことをしたら地獄に落ちる。」という考えを誰も子供たちに教えなくなったのでよけいにたちが悪い。
人間というのは限りなくエスカレートする動物だから、ブレーキになる“怖いもの”がないとダメなのだ。
同じ大乗仏教の国の中国も韓国も、「何でも悪いのは日本だ。」という論調を続けるのも同じ宗教観が根底にあるのだろう。
それでもぼくはこの本を片手に、「ふむふむ、この仏像のご利益は・・・」などと仏様を拝んでいるのだと思う。
日本の仏教にはまあ、ものすごい数の仏像のデザインがある。如来様、菩薩様、その家来の明王様、それを守っている天の方々・・・
大乗仏教ではそれを拝むだけで罪が消えて成仏することになっている。一人ずつ別々のご利益があるものだから日本人は拝むのに忙しい。
それでもって拝み癖がついてしまうのか、なんでも人の責任にしようとする国民性になってしまったようだ。
「お上」に頼りきりというのもこんなところから始まっているのだろうか。それともそれを巧みに利用し続けたのがこの国の宦官だったのだろうか。
僕の知る限り、キリスト教もイスラム教も偶像崇拝を禁じているはずで、両方とも戒律を守っていたら幸せにしてあげるという論理で自律を求めている。
他方、日本の仏教はとりあえず手を合わせていたらいいのだよ。というから、「川で遊んではいけません。」や「生レバーを出したらダメですよ。」などということになってしまうのだろう。
何か悪いことが起こると、「悪いのは世間の方だ。」ということになってくる・・・。
偶像崇拝は自分のことを自分で決める能力を退化させるのは間違いから、キリストもムハマンドもそれを禁じたのだろう。
古代エジプトも古代ギリシャも偶像崇拝の文明であってそれが原因かどうか、どちらも悲しい末路をたどったが、やっぱり日本もそんな道をたどるのだろうか。
特にこの国は、仏教の最後のセーフティーネットになっている、「悪いことをしたら地獄に落ちる。」という考えを誰も子供たちに教えなくなったのでよけいにたちが悪い。
人間というのは限りなくエスカレートする動物だから、ブレーキになる“怖いもの”がないとダメなのだ。
同じ大乗仏教の国の中国も韓国も、「何でも悪いのは日本だ。」という論調を続けるのも同じ宗教観が根底にあるのだろう。
それでもぼくはこの本を片手に、「ふむふむ、この仏像のご利益は・・・」などと仏様を拝んでいるのだと思う。