夢枕獏 「本日釣り日和―釣行大全 日本篇」読了
夢枕獏というと、有名かどうかは知らないが、釣りをする人なら多分、「う~ん」と唸ってしまうこんな箴言がある。「幸福(しあわせ)な家庭に幸福な釣りはない。幸福な釣りに幸福な家庭はない。」これは著者の友人のカメラマンの結婚式に出席していた来賓の言葉だったそうだ。多分、初めてこの箴言が活字になった最初の本であったようだ。
エッセイのほとんどはアユ釣りに関するものだ。僕はアユ釣りはまったくしたことがない。昔、紀ノ川でルアーを投げていてスレで1匹釣り上げたことがあるだけだが、誰に聞いてもこの釣りは面白いらしい。0.0・号という細い糸を使い急流の中で泳がせるオトリに襲いかかってくるアユの突然のアタリはものすごいらしい。夏の間は船に乗り続けないとすぐに船底にフジツボが湧いてくるのでアユを釣りに行くほどの余裕がない。多分、船を持っていなかったらひょっとしたら僕もアユ釣りにのめり込んでいたのかもしれない。食べてもすこぶる美味しい魚だ。
たとえ経験のない釣りに関する文章でもそこは魚釣り、いたるところに共感でいる部分がある。上記の箴言もしかり、「びしばし」と魚がかかるような場面にも出くわしたい。しかし、“びしばし”掛かるというのはどんな状況なのだろうか・・・。
「仕事が終わったらそのままの恰好で釣りに出かけられるような、という発想が服を決める基準となっている・・。」「最良の仕事の日よりも最悪の釣りの日の方が、まだマシである。」すべてしっくりくる。
仕事より、釣り。まあ、多忙を極める作家の言葉だから重みがあって、仕事ができないサラリーマンがそれを言えば、ただのバカである。
夢枕獏というと、有名かどうかは知らないが、釣りをする人なら多分、「う~ん」と唸ってしまうこんな箴言がある。「幸福(しあわせ)な家庭に幸福な釣りはない。幸福な釣りに幸福な家庭はない。」これは著者の友人のカメラマンの結婚式に出席していた来賓の言葉だったそうだ。多分、初めてこの箴言が活字になった最初の本であったようだ。
エッセイのほとんどはアユ釣りに関するものだ。僕はアユ釣りはまったくしたことがない。昔、紀ノ川でルアーを投げていてスレで1匹釣り上げたことがあるだけだが、誰に聞いてもこの釣りは面白いらしい。0.0・号という細い糸を使い急流の中で泳がせるオトリに襲いかかってくるアユの突然のアタリはものすごいらしい。夏の間は船に乗り続けないとすぐに船底にフジツボが湧いてくるのでアユを釣りに行くほどの余裕がない。多分、船を持っていなかったらひょっとしたら僕もアユ釣りにのめり込んでいたのかもしれない。食べてもすこぶる美味しい魚だ。
たとえ経験のない釣りに関する文章でもそこは魚釣り、いたるところに共感でいる部分がある。上記の箴言もしかり、「びしばし」と魚がかかるような場面にも出くわしたい。しかし、“びしばし”掛かるというのはどんな状況なのだろうか・・・。
「仕事が終わったらそのままの恰好で釣りに出かけられるような、という発想が服を決める基準となっている・・。」「最良の仕事の日よりも最悪の釣りの日の方が、まだマシである。」すべてしっくりくる。
仕事より、釣り。まあ、多忙を極める作家の言葉だから重みがあって、仕事ができないサラリーマンがそれを言えば、ただのバカである。