イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「日本の気配」読了

2020年02月18日 | 2020読書
武田砂鉄 「日本の気配」読了

タイトルには「気配」という言葉が入っている。「空気を読む」という言葉はよく使われ、人は多かれ少なかれ「空気」を読みながら「空気」に気遣いながら生きているものだが、今の政治を動かしている面々はすでに空気を怖がらなくなってしまった。反対意見を「何にでも反対する人」と片付けてしまえば世の中の空気を統率できると自信に満ち満ちている。
「気配」とは「空気」として周知される前段階である。気配を察知して空気を読むというのなら、現政権の人たちは気配が届くわずかな範囲の空気を上手に日本の「空気」だとすり替えて多くの国民の声をそこから排除する。著者が、そんな「気配」という言葉をキーワードにして現政権を批判するというのがこの本の主題である。

この本は約2年前に、それまでに著者が雑誌で連載したものをまとめたということなのでトランプ大統領が当選した直後のあれこれや森友、加計問題、国立競技場、普天間基地、長引く原発問題・・そんなことがテーマとして挙がっている。
「国民の支持を得ることができました!」と連呼するソーリの揚げ足を取りながらその手法を批判しているのであるが、なるほど、読めば読むほど無茶苦茶な言動で、そういえば最近でも桜を見る会ではえらくやりたい放題で、「募っていたが募集していたわけではない。」という答弁には、この人は日本人なのか?とひっくり帰ってしまったので僕も批判的な気持ちで読み進めていたわけだけれども、この本でさえ著者が作りだした気配でしかない。別の考えを持った人は別の気配を持っている。そして、どうも、自分の意見に沿うようにソーリの言動を断片的に切り取って掲載しているようにも思えてしまうのだ。だから少々胡散臭く感じるのも否めない。

もともと、すべての、“国民の支持を得ること”なんてまったくもって不可能であるというのはよほどのバカでないかぎり十分承知しているはずで、著者も本を書くくらいだからよくわかっているだろう。そして、“すべての国民の支持を得なければ”何もできないと考える為政者だと完全に国が麻痺してしまうのもだれでもわかることだ。
かといってソーリみたいにやりたい放題やってお金をばらまいていたらそんなことが未来永劫続くはずはないんじゃないの?と心配になってしまう。物質的に豊かになったこの国では人が願うこともバラバラになった。だから、ソーリも国民の理解を得られたとか、1億総活躍だとか、全国民が支持をしているような風を装わなくても、“これが最善と考えている”といって堂々とやればいいと思うだがどうだろう。もちろん、そこには私利利欲と友達の利益を含んでいないという大前提があるけれども。

それよりもっと僕が恐ろしいと思ったのは、反対意見ばかり述べている人たちの、「鯛は頭から腐るという言葉をご存知ですか?」と問いかける言葉だ。ソーリは切れてしまったらしく、「意味のない質問だよ」と言って見方からも批判を浴びて謝罪する羽目になってしまったが、何も文句を言うことができない相手にはどんな罵詈雑言を浴びせても何の咎めも受けない、しかもそれに対して反論されれば逆手にとってもっと叩きのめすことができるんだということを国会議員が身を持って証明してしまったことだ。じっと耐えてこそソーリだという意見を言っていたひともいたけれども、それは違うのではないだろうか。ツジモト氏の言葉はあまりにも下品な言葉だった。そしてわざと挑発しているとしか思えない。(というか、挑発してたよな。)
これを見た人たちは、自分たちもこうやってもいいのだと自信を持ってしまうに違いない。僕たちみたいなサービス業に従事している人間にとっては大迷惑だ。今でも大概言いたい放題の輩に振り回されているのにそれに拍車がかかってしまうではないか。
そんなことばかり言っているから支持率が上がらないというのがわからないのだろうか。

「肉じゃががうな重に変わるわけないやん。」これはスカーレット109話で直子が言ったセリフだ。僕はカースト制度というものを支持しているわけではないけれどもそれなりの階級の人たちが政治をするべきだと思っている。ただし、これは、その階級の人間がその階級にふさわしい人間であること。ということが大前提である。noblesse obligeというやつだ。ソーリは代々上流階級のお人のようだがこう品格は備わっていないようだ。しかし、これが長い人間の歴史の中で実現されたことがない(ように思う)。一時的にはふさわしい統治者が現れることがあるけれども、長く続くことはない。それの繰り返しが歴史というものである。かといって下級の人間が政治をやるとあんな下品な言葉を発する。何事に対しても反対ばかりというか、反対するために反対しているようにしか見えない時がある、これじゃあキカイダーを倒すためだけに生きているハカイダーみたいじゃないか。敵対する相手がいなくなれば何をしていいか苦悩するしかない。確かにかつての、民主党がかつてはまったくそうであった。下級の人間でもそれなりの品格とnoblesse obligeという心持ちさえ持ってくれていればもちろんありがたいのだが。

国権の最高機関のなかで、やっている方も下品で反対している方も下品だとしたら、もう、この国には未来はないのではないかという不安が確信に変わってゆく。政治は国民を映す鏡であるというけれども、まさにその通りだ。ほとんどの人はこんな人たちに対して無関心か指を指して他人事のように笑っているのだと思う。僕もそのひとりであるのだが・・。

しかし、人は、「誰かのせいで自分は満たされていない」と考えているときが実はいちばん不幸せだそうだ。そう考えると、国政のまずさのことを考えていてはいつまでたっても不幸せから抜け出せない。指を指して笑っているしかないではないか。


最後まで後味の悪い1冊であった。そして、ソーリはこうやって反論すればよかったのだ。「魚の鯛はずっと放置しておくと、頭からよりも内臓のほうが先に腐り始めるのじゃないかしら?」

コメント
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