大栗博司 「大栗先生の超弦理論入門」入門
いつも書いているこのブログの感想文は、その本を大体半分くらい読んだ時点から書き始めていることが多い。しかしこの本は半分近くにやってきても内容がさっぱりわからない。一般向けに書かれているのだけれどもさっぱりわからない。それもそうだろう、主要なテーマが「超弦理論」なのだ。ワープロソフトの変換機能でも一発で変換ができない言葉なのだ。
どうしてそんなわけのわからない本を読んでみようと思ったのかだけれども、前に読んだ「科学にすがるな!」の著者である佐藤文隆の著作よりもこの人の著作の方がわかりやすいというようなコメントが書評サイトに書かれていたからだ。
超弦理論とはどういうものか、ひと言でいうと、原子よりも小さい物質の根源であるクォークの世界を表す理論で、『クォークは、“粒子”ではなく“紐”のようなものが振動することで物質としての質量を生み出す。クォークは現在、17種類存在が知られているが、それはその“紐”の振動の仕方の違いで生み出されているのである。ふつうの紐は物質を構成し、輪ゴムみたいに閉じた紐は重力などの力を生み出す。』ということだそうだ。もともと、“弦理論”というものがあって、これはノーベル賞を取った南部陽一郎らが提唱したものだそうだが、それの矛盾点などを解決したものが、“超弦理論”らしい。なぜ、“超”が付いているのか、それはこの理論が“超空間”の中で成り立つからだそうだ・・。わからない・・。超空間って最近のウルトラマンが製作費がかかりすぎるという理由でミニチュアの都市の中での戦いができないからというので格闘場面になると突然現れる何もないがらんどうの場所じゃないのかなどというアホみたいなことしか浮かばない。
その前に、なぜ物質の根源が“紐”なのか・・。それはこう説明されている。『もともとクォークは質量のない点のようなもの(質量がないので“点”でさえないのだが)だと考えられていたが、クォーク同士は物質を構成したり力(重力や電磁気力)を及ぼし合うために光子のやりとりをするが、その時に質量がないとクーロン力が距離の2乗に反比例するという法則からクォークの質量が無限大になってしまう。無限大の質量ということはありえないのでそれを解消するのがクォークが紐でできていると考えである。』
すでに????となっているところが????????となってくる。そしてそんな紐が存在できる超空間は「9次元」の空間である・・。
????9次元の超空間ってヤプール人でも棲んでいるところなのか????・・・。
そして、僕たちが住んでいるこの世界は、『9次元のうち、6次元がコンパクトに折りたたまれている状態である。』というのだ・・。いったい誰が折りたたんだのだ???
おまけに、この9次元の空間での掛け算はゼロを掛けなくてもゼロになるという・・。
わからない・・。
科学=特撮番組という連想しかない僕には、こういう量子論というのは、きっと太陽が赤色巨星となって地球を飲み込もうとしたとき、人類が新たな移住先を見つけるためにやらなきゃならない宇宙放浪のために必要な知識、要は時間と空間を超えて宇宙の旅を続けるためにはどうしても必要な知識であると思っていたのだが、たかだか2週間、まあ、事態だ事態だとはいえ、豪華客船の超快適な空間の中でも人は我慢できなくなるという現実を見てしまうとそんな超長距離空間の移動なんで人間には無理なのだとわかってしまった。ひとは閉じ込められたところがやたらと暇なところだと我慢ができないらしい。これではもう、人間は地球の重力圏からは逃れられない。地球と運命を共にするしかない。それじゃあ超弦理論なんて解明しなくてもいいのだ。という結論になるのだ。
しかし、せっかく船に乗ったのに中ではダンス大会とマージャンをしているというのは海に対する冒涜ではないのだろうかとついでに思ってしまう。そりゃぁ暇で暇で嫌になってしまうはずだ。
どちらにしてもまだ20億年以上あるらしいからそんなことはどうでもいいし、そもそもこういう理論というのはあくまでも数学の計算をしていて出てくる解であってそれが現実のものであるとは実験をやってもわかるものではないのであるというのが佐藤文隆の言葉であった。
ただ、GPSしかり、コンピューターしかり、その理論の一端を利用して成り立っているという現実を見るとあながち超ミクロの世界には9次元の世界があって、そこを通り抜けることができれば時間も空間も超えていくことが本当にできるのかもしれないと思ってしまう。
この本では、ブラックホールの中身というのは、時間も空間も何もかも渾然一体と溶け合っていてるという、超弦理論の世界が繰り広げられていると考えられていると書かれていた。
まだ20億年以上ある。その時にはロイヤルプリンセスはベテルギウスの残骸を見に行くツアーを組んでいるだろうか・・。
そんな気の遠くなるような未来を憂いても何の意味もないというのはわかっているのだが、読んでいる間だけ僕の体はカラビ-ヤウ空間をフワフワ漂うことができるのだ。
※ヤプール人:「ウルトラシリーズ」に登場する架空の異次元人
いつも書いているこのブログの感想文は、その本を大体半分くらい読んだ時点から書き始めていることが多い。しかしこの本は半分近くにやってきても内容がさっぱりわからない。一般向けに書かれているのだけれどもさっぱりわからない。それもそうだろう、主要なテーマが「超弦理論」なのだ。ワープロソフトの変換機能でも一発で変換ができない言葉なのだ。
どうしてそんなわけのわからない本を読んでみようと思ったのかだけれども、前に読んだ「科学にすがるな!」の著者である佐藤文隆の著作よりもこの人の著作の方がわかりやすいというようなコメントが書評サイトに書かれていたからだ。
超弦理論とはどういうものか、ひと言でいうと、原子よりも小さい物質の根源であるクォークの世界を表す理論で、『クォークは、“粒子”ではなく“紐”のようなものが振動することで物質としての質量を生み出す。クォークは現在、17種類存在が知られているが、それはその“紐”の振動の仕方の違いで生み出されているのである。ふつうの紐は物質を構成し、輪ゴムみたいに閉じた紐は重力などの力を生み出す。』ということだそうだ。もともと、“弦理論”というものがあって、これはノーベル賞を取った南部陽一郎らが提唱したものだそうだが、それの矛盾点などを解決したものが、“超弦理論”らしい。なぜ、“超”が付いているのか、それはこの理論が“超空間”の中で成り立つからだそうだ・・。わからない・・。超空間って最近のウルトラマンが製作費がかかりすぎるという理由でミニチュアの都市の中での戦いができないからというので格闘場面になると突然現れる何もないがらんどうの場所じゃないのかなどというアホみたいなことしか浮かばない。
その前に、なぜ物質の根源が“紐”なのか・・。それはこう説明されている。『もともとクォークは質量のない点のようなもの(質量がないので“点”でさえないのだが)だと考えられていたが、クォーク同士は物質を構成したり力(重力や電磁気力)を及ぼし合うために光子のやりとりをするが、その時に質量がないとクーロン力が距離の2乗に反比例するという法則からクォークの質量が無限大になってしまう。無限大の質量ということはありえないのでそれを解消するのがクォークが紐でできていると考えである。』
すでに????となっているところが????????となってくる。そしてそんな紐が存在できる超空間は「9次元」の空間である・・。
????9次元の超空間ってヤプール人でも棲んでいるところなのか????・・・。
そして、僕たちが住んでいるこの世界は、『9次元のうち、6次元がコンパクトに折りたたまれている状態である。』というのだ・・。いったい誰が折りたたんだのだ???
おまけに、この9次元の空間での掛け算はゼロを掛けなくてもゼロになるという・・。
わからない・・。
科学=特撮番組という連想しかない僕には、こういう量子論というのは、きっと太陽が赤色巨星となって地球を飲み込もうとしたとき、人類が新たな移住先を見つけるためにやらなきゃならない宇宙放浪のために必要な知識、要は時間と空間を超えて宇宙の旅を続けるためにはどうしても必要な知識であると思っていたのだが、たかだか2週間、まあ、事態だ事態だとはいえ、豪華客船の超快適な空間の中でも人は我慢できなくなるという現実を見てしまうとそんな超長距離空間の移動なんで人間には無理なのだとわかってしまった。ひとは閉じ込められたところがやたらと暇なところだと我慢ができないらしい。これではもう、人間は地球の重力圏からは逃れられない。地球と運命を共にするしかない。それじゃあ超弦理論なんて解明しなくてもいいのだ。という結論になるのだ。
しかし、せっかく船に乗ったのに中ではダンス大会とマージャンをしているというのは海に対する冒涜ではないのだろうかとついでに思ってしまう。そりゃぁ暇で暇で嫌になってしまうはずだ。
どちらにしてもまだ20億年以上あるらしいからそんなことはどうでもいいし、そもそもこういう理論というのはあくまでも数学の計算をしていて出てくる解であってそれが現実のものであるとは実験をやってもわかるものではないのであるというのが佐藤文隆の言葉であった。
ただ、GPSしかり、コンピューターしかり、その理論の一端を利用して成り立っているという現実を見るとあながち超ミクロの世界には9次元の世界があって、そこを通り抜けることができれば時間も空間も超えていくことが本当にできるのかもしれないと思ってしまう。
この本では、ブラックホールの中身というのは、時間も空間も何もかも渾然一体と溶け合っていてるという、超弦理論の世界が繰り広げられていると考えられていると書かれていた。
まだ20億年以上ある。その時にはロイヤルプリンセスはベテルギウスの残骸を見に行くツアーを組んでいるだろうか・・。
そんな気の遠くなるような未来を憂いても何の意味もないというのはわかっているのだが、読んでいる間だけ僕の体はカラビ-ヤウ空間をフワフワ漂うことができるのだ。
※ヤプール人:「ウルトラシリーズ」に登場する架空の異次元人