現代語でない研究書 2002年04月15日 | 大学院修士2年(通学) 今日は初授業でした。 といってもまだ授業(演習だけれど)の形態の発表くらいで 本格的なことはやっていないんですけど… ビックリしたのが源氏の授業。 短大時代に源氏を少しかじって、当時にしては 変体仮名で読んで、しかもレジュメにしてまとめたのだから かなり頑張ったと思っていたのですが、 今回はもっとすごいことに・・・ 俗に言う現代語訳などについて疑ってかかるのが研究。 「それっておかしくない?」 となぜおかしいのかを論証していくのが院生。 今までのように現代人が書いた注釈や読み方でなく、 その昔藤原定家などが書いた源氏の研究書など、 古文で書かれている注釈書を読まなければいけない・・・ 学部と院の違いを感じた瞬間でした。 けれど確かに現代語にある注釈等は現代人のある研究者の考えで 本来平安時代に書かれた現時を研究するならば、初期に研究されたことまでさかのぼっていくのが常識なんですよね。 そう思うと大変だけれど、遣り甲斐はすごくありそうです。 はぁ、どうか当時の注釈書が読めますように・・・ そしてそこから「おや?これはおかしいぞ?」 という問題点を読み取らなくてはいけないので 今の私にはかなり難関ですが、 やるしかないなと思う今日この頃です。