それは「便利な道具」 2002年04月16日 | 大学院修士1年(通学) 履修登録も済み、キャンパスにもなじんできた今日この頃。 演習発表などを控えて私は資料を探しをしていました。 資料を探すということは、卒論や学部時代の演習などで覚えたことが 院での演習準備に役立っています。 最近はほとんどの大学図書館がパソコンで蔵書を検索するようになりました。 私の頃はパソコンを使うやり方と、そうでない書物から探すやり方の二つがまた存在していた頃で CD-ROMが出ていない頃は何冊もある分厚い『国歌大観』をめくって和歌を探していたこともありました。 現在ではCD-ROM化され、キーワードをいれるだけで、そのキーワードを含む和歌が検索され、とても便利になりました。 図書館の資料も似ていて、先日国内で発表された国文学関係の論文の目次等が載っている『国文学年鑑』である論文を探していました。 希望する論文がどういった雑誌にのっているかまではわかったものの、 雑誌検索をしても大学図書館の蔵書にひっかかりませんでした。 「あぁ、うちの大学にはないのか。どこかで探してみるかぁ」 そう思い、何気なく「こういった雑誌を探したんだけれどなかったんですよ」 という相談をすると 「あるじゃないか」 と言われ、検索に私の探していた雑誌がhitしたことを教えてもらいました。 私は「雑誌」で検索していたのですが、その論文は雑誌ではなく、他の書物の部類でhitしました。 私は 「しまった…」 そう思い、便利になった世の中に頼りすぎていたことを情けなく思いました。 パソコンに頼りすぎていたんです。 いつもパソコンは「便利な道具」だと思っていました。 しかし検索やネットだけで研究が進むかといったらそれは無理です。 やっぱり所詮道具なんです。 どんなに便利になっていっても、やっぱり道具には変わりないのです。 それを雑誌で検索してなかったので諦めてしまった自分。 その論文が本当にほしいならば、もっと工夫をするべきだったと思いました。 パソコンに向って検索エンジンに頼っているだけではダメなんだと… これからもパソコンは使っていくけれど、やっぱりこれは道具。 調べることには貪欲になり、とことん調べて見つけ出してみせる。 それくらいの気持ちがなければだめだなと… 「本は探しているとその人の手に吸い付いてくる」 求めていた本を探して探して探してやっと見つけた人の言った言葉です。 ちょっとやそっと探しただけで「うちの大学にはないのか」などと決めてしまって自分が情けないです。 99%確実で残りの1%が確実でないならば その1%に目を向けるのが研究をしていく人の姿勢なのでは?と思った今日この頃でした。