外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(31)~アクダマル島と踊るイラン人~

2024-11-21 19:05:54 | トルコ

 

 

またまた間が空いてしまい、その間に日本(首都圏)は冬に突入してしまった。唐突にぐいって気温が下がるの、ほんとカンベンしてほしい…油断して薄着で夜のベンチ飲みに出かけたら、前夜より5度以上下がっていて、しかも冷たい風が吹きまくっていたので、それにじっと耐えながらワイン(ホットじゃないやつ)を飲んでいたら、ひとりガマン大会みたいになった。もうベンチ飲みではダウンコート・カイロ・ホットワインの季節が来てしまったのね…(また秋が戻ってくるらしいが)。

 

さて、今回は遅々として進まない一昨年の旅行記の続き。トルコ南東部ワンの滞在3日目の話だ。この日はワンのメジャーな観光スポット(ワン自体がメジャーか否かという問題はあるが)、ワン湖のアクダマル島を訪れた。アクダマル島は、10世紀に遡るアルメニア教会の遺跡があることで知られている。私は海外旅行先であまりちゃんと観光しない人間なのだが、今回の旅のトルコでの主要なテーマのひとつはアルメニアだったので、ここは外せないだろう。前回ワンに滞在した時は行かなかったしね(あの時は「ワン猫の家」の外をうろうろしただけで終わった)。

 

この日は8時に起きて洗濯し、朝食をとった。早起きして朝ごはんを食べるなんて、我ながらエライ(私にとって8時は深夜に近い早朝)。しかし、食後にSNSを更新したりしていたら、出かけるのが11時を過ぎた。まあ、いつものことさ…

 

まず市内中心部のドルムシュ(乗り合いミニバス)乗り場に行って、オトガル(バスターミナル)行きのドルムシュに乗った。アクダマル島行きのフェリーの桟橋に向かうバスは、オトガルから出ているのだ。

 

ドルムシュ乗り場に行く途中に見かけたトルコ名物「路上で死んだように眠りこけるボサボサ犬」

お姫様がキスしたら王子様に戻るのかもしれない。今度キスしてみようかな(お姫様か)

 

 

ドルムシュに乗ったら、運転手も乗客たちもクルド語で話していた。クルド語はさっぱりわからないが、クルド語かどうかはなんとなくわかる。ワンはクルド人の街だしね。

 

 

クルド語の会話を聞くともなく聞きながら、ぼんやりと窓の外を眺めていたら、見知らぬ風景が広がり出したので、不安になって運転手に尋ねたら(トルコ語で)、やはりオトガルを過ぎてしまっていた。終点まで行って、戻ってくる時にオトガルに近い所で降ろしてもらうことになる。

 

ドルムシュは幹線道路をしばらく行ってから、郊外の住宅街に入り込んで、まばらな民家の間を回った。

 

土色のブロック(日干し煉瓦?)の壁の向こうにトタン屋根の家

 

 

コンクリート打ちっぱなしの黒ずんだ壁の住宅の足元に、掘っ立て小屋風の小さな建物群

 

ワンに次に地震が来たら、こういう住宅や壁は簡単に崩れてしまいそうでちょっと心配。ワンの街は発展して西部並みに綺麗になったと思ったが、中心部を少し外れたら、質素な家が立ち並び、トルコ語の会話は聞こえてこなくなるのかもしれないと思った。

 

オトガルで降ろしてもらい、アクダマル島方面に行くドルムシュに乗り換えた。

 

 

最初は私だけだったが、やがて乗客が集まってきて、無事に出発した。私以外は全員トルコ人の観光客だ。アクダマル島行きのフェリーが発着する桟橋には、30分かそこらで着いた。

 

あれ?「AHTAMAR」って書いてある。AKDAMARじゃないの?

 

ウィキペディアによると、アクダマル島は、アフタマル島とも呼ばれるらしい。こちらの方がアルメニア語の発音に近いようだ。この島の名前は、アルメニアの古い悲恋の伝説に由来し、島に住んでいた若い女性の名前(タマラまたはタマル)から来ているとされるが、彼女がお姫様だったとか、修道院長の娘だとか、湖で溺れ死んだ恋仲の羊飼いの若者はトルコ人だったとか、クルド人だったとか、色々なバージョンが伝えられているようだが詳細不明。この伝説が本当に島の名前の由来となったかどうかも不明だ。まあ伝説ってそういうものよね…

 

桟橋の前のレストランがフェリーの待合スペース

 

 

レストランのレジでフェリーの往復チケットを購入する。当時は50リラ

 

 

停泊していたフェリーに乗りこんだら、他の客は圧倒的にイラン人観光客が多かった。トルコ人もそれなりにいた。イラン8:トルコ2くらいの割合か。第3国の外国人は、見たところ私だけのようだった。イラン人は団体客で、すでにかなり盛り上がっており、踊り出す一歩手前くらいのテンション。トルコ人の方は、それを見て引いている感じで、大人しくしていた。イラン人の勝ち。

 

 

 

周囲を眺めていたら、私の前方に座っているイラン人男性が袋からエフェスの缶ビールを取り出した。しかもアルコール度の高いエキストラだ。おお…

トルコに来たら、ここぞとばかりに酒を飲むイラン人。

 

しまった、私もペットボトルに詰め替えたワインくらいは持ってくるべきだったと思ったが、もう後の祭り。ビールを飲む男性を、羨ましそうに眺めるしかなかった。ちっ、私としたことが、ぬかったぜ…

 

カモメ監視員「備えあれば憂いなしだギャ~」

その通り、油断大敵~

 

フェリーはなかなか出航せず、そうこうしているうちに新たなイラン人団体客がどっと押し寄せてきた。どうなるかと思ったら、アナウンスが流れ、トルコ人の客はもう1隻のフェリーに移ることになった。私もそちらについていった。イラン人観光客から離れたトルコ人たちは、急にイキイキとしだして、楽しそうに自撮りしたりしていた。内弁慶?

 

 

ようやくフェリーが出航した。陽光に輝く青い湖水、レース編みのような白い波、岸辺のごつごつした茶色い岩山…久しぶりのフェリーなので、なんだか気分が高揚する。

 

後姿が絵になる女の子

 

 

40分くらいでアクダマル島に着いた。

 

カモメさんたちがお出迎え

 

いざ上陸

 

島の入り口にチケットオフィスがあり、ここで博物館扱いのアルメニア教会遺跡の観光料金を支払う。45リラ。島に上陸する人は全員支払うことになるので、実質的には島上陸料だ。フェリー代金と一緒に徴収すれば良さそうなものだが、なぜか別々に払うことになっている。

 

 

 

アクダマル島は小さな島で、アルメニア教会以外の見所はないので、観光には時間がかからない。一応カフェという名の売店があり、テーブル席がいくつかあるが、レストランなどはない。商売っ気がなくて、清々しいくらいだ。

 

ではいよいよ、アルメニア教会(聖十字架教会)を観光。ガイドブックを持ってないし、ちゃんと調べてないから、よく知らないのだが。

 

教会正面

古いアルメニア教会って、こんがり焼けたクッキーっぽい色合いで、中心から円筒形の部分が伸びて、とんがり屋根がかぶさっているイメージ

 

中に入れる

 

 

内部のモザイクは、全体的に状態が悪くて不鮮明だが、比較的はっきりと人物像が分かる部分もあった。

 

 

 

 

聖書を読んで勉強したら、こういう教会のモザイク画や、外壁のレリーフなどに描かれた場面が分かって、面白いんだろうなと思いつつ、つい後回しにして、そのままになっている。

 

床に井戸のような穴が開いている箇所があって、中にお札やコインが投げ込まれていた。

 

 

内部のモザイクに比べ、外側の壁に刻まれたレリーフはくっきりしていた。聖書の登場人物や動物、植物がそこいらじゅうにちりばめられていて、とってもかわいらしい。アルメニア文字も刻まれているが、私には読めない。

 

 

 

 

 

 

これがアダムとイブの像で、有名らしい。

 

素敵よねえ、うっとりこ…こういうクッキーがあれば買いたい。

 

教会を観光した後は、島の斜面や波打ち際などにいたカモメを眺めて過ごした。

 

 

 

青い空、青い海、険しい顔のカモメ、とげとげした植物、アルメニア教会の廃墟、浮かれたイラン人観光客。あ~心が落ち着く…ここにワインがあれば完璧だったんだが(未練がましい)。

 

泳いでいる人もいた。

 

青いトンボもいた。取り込み中

 

帰りのフェリーは、イラン人の団体客でいっぱいで、彼らのツアーのエンターテイメントのイベントなのか、手慣れた動きの男性たちがスピーカーとマイクを持ち込んで音楽を流し、それに合わせて歌い出した。他のイラン人客が手拍子を取り、合唱し始める。やがてダンスタイムが始まり、色んな人が入れ代わり立ち代わり踊り出して、フェリーは完全にイランの宴会場と化した。

 

 

トルコ人観光客の大半は、勢いに呑まれて静かにしていたが、中には、イラン人と一緒になって歌っている人もいた。歌はペルシャ語のものばかりだったが、1曲だけトルコの歌もやり、そのサビはトルコ人も一緒になって合唱していた。有名な曲かもしれない。

 

フェリーの往復料金50リラは、少し高いと思っていたのだが、イラン人のショー込みだと思えば激安だ。イタリア人やアラブ人もお祭り騒きが好きだが、こういうイラン人の調子の乗り方は、ちょっと別格という気がした。

 

フェリーを下りたら、イラン人たちは団体バスに乗って去っていった。ステキなショーをありがとう…

 

私はしばらく待ってドルムシュに乗り、オトガルで市場行きのドルムシュに乗り換えた。市内中心部の市場周辺に着いた時は、もう18時近かった。

 

夕食用のサンドイッチを買うために、適当に歩いていたら、「ケバビスタン」という名前のケバブ屋の前を通りかかった。約10年前にワンを訪れた時に見かけた店だ。

将来ケバブ屋を開くことがあれば、この名前を使いたい(ないない)

 

その界隈は昔ながらの市場で、なんとなく見覚えがあった。以前泊まったホテルの辺りだ。今回泊っているホテルからも近い。

 

コロナ禍の遺産のあごマスク

 

かつて泊ったホテル、ここかも。(階段で銃を持った男を見かけたとこ)

 

 

キョフテ(肉団子)屋さんが並んでいる一角があったので、そのうちの一軒でキョフテサンドをテイクアウトする。

 

その後、ワンに着いてから2日連続で通っていた酒屋にまた行って、缶ビールを買ったら、初めて店主に話しかけられた。どこ出身か、イラン人か(えっ?)、ワンに住んでるのか、仕事は何か、結婚しているか、そういう類の一連の質問だ。アラブ人はこういった質問を初対面であいさつ代わりにするが、トルコ人(またはトルコのクルド人)は3日かかるのね…

 

私が「ワンにはイラン人観光客がいっぱいいるね」と言ったら、店主はうなずきつつ、顔をしかめていたので、イラン人観光客が嫌いなのか聞いてみたところ、「彼らはあんまり清潔じゃないからね」という返事だった。フェリーの中のトルコ人たちの反応から考えても、トルコの人々とイラン人の相性はあまりよくなさそうだ。トルコ人は、アラブ人のこともよく思っていない人が多く、シリア内戦で難民が押し寄せてくる以前から、「アラブ人は清潔じゃない」などと言う人がいた。イラン人に対する批判と同じだ。

 

他のお客が来たので、別れの挨拶をして店を出て、ホテルに帰ってビールを飲み、キョフテサンドを食べた。

 

揚げたキョフテはやわらかくて、スパイス控えめ。新鮮な玉ねぎやトマト、レタスと一緒に挟んであって、とても美味しかった。昼抜きだったから、余計美味しく感じられたのかもしれない。

 

翌日はワン空港から国内線でイスタンブールに移動する予定だった。イスタンブールの後は、イタリアに移動だ。旅も後半に入り、終わりが見えてきた。

 

 

(おまけの室内園芸写真)

キャンドゥで5月に買ったミニトマト栽培キット、ひょろ長く伸びるばかりで、ようやく花は咲いたものの、実がなる気配はなく、このまま立ち枯れかと思っていたら、苦節半年にして、なんと実がついたのだ。すごくないですか??



 

最初発見した時は直径5ミリほどだったのだが、今は1センチ弱ある。そして今日、なんともうひとつ小さい実がついていることに気が付いたのだ。

かわいい~

 

しかし、トーマさん(仮名)は、先っちょの方に実がついて重くなったせいか、腰が曲がった老婆のようになってしまった。

私の未来の姿か。

 

 

トーマさん、がんばって生き延びて…なんなら実が赤くならなくっても構わないから、私と一緒に冬を越そう~

 

 

(続く)

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日付不明まとめ書き日記2024年10月

2024-10-22 15:36:43 | 日記

秋の短い期間、風に乗って家の中にまで入り込んでくる金木犀のあまい匂いが好きだが、そろそろ終わりかな。あの匂いを嗅ぐと、反射的にトイレの芳香剤「ピコレット」を思い出すが(世代がバレる)

 

 

 

さて、今回はまた、まとめ書き日記。このペースで、果たして一昨年の旅行記は今年中に終われるのか(去年も同じことを言ってたような気も)

 

 

10月某日

鼻くそについて、深く考察する。

 

「鼻くそ」という言葉は、ちょっとお下品で乱暴な気がする。上品な紳士やマダム、いいところのおぼっちゃんやお嬢様は口に出来ないのではなかろうか。普通の人でも、デートやお見合いの席などでは、使いにくいだろう。お見合いの時にそういう話題になることはないかもしれないが。

 

「鼻」はいいとして、問題なのは「くそ」の部分だ。「くそ」というのは、「くそったれ!」などの罵り言葉に使われたりするし、やっぱりちょっとお下品ですわよね? 特に漢字で「糞」と書くと、余計にイヤ~な感じになりますわよね…

 

考えてみたら、「耳くそ」は「耳垢(耳あか)」、「目くそ」は「目ヤニ」と言い換えることができるのに、「鼻くそ」にはなぜかそれ以外の言い方がない。

 

なければ、作ればいいじゃないか。

 

にゃむ、にゃむ、にゃむ(考えている音)

 

しばらく考えた結果、「鼻衣(はなごろも)」、「鼻玉(はなだま)」、「鼻フレーク」の3種の代替語を思いついた。

 

「鼻衣」は、鼻の穴を覆うあれを古風で雅な言い方で表現。あの様態は天ぷらの衣にけっこう似てますしね(天ぷら好きの方すみません)。「鼻くそをほじる」は、「鼻衣を剥ぐ(はぐ)、もしくは剥す(はがす)」と言い換える。

 

「鼻玉」は、鼻の穴からあれを掻きだして丸めた時の形状を表したもの。「鼻くそをほじる」は「鼻玉を転がす」と言い換える。

 

「鼻フレーク」は、いっそ英語にしてみたら軽やかさが出ていいのではないか、という発想のネーミング。どっちかというと、鼻くそよりは耳くその方がフレークな気もするが。「耳フレーク」、どうですかね。「鼻くそをほじる」は「鼻フレークをすくう」と言い換える。

 

X(ぺけ)のお友達にどれがいいか聞いてみたところ、「鼻衣」が優雅な響きで、一番いいとのことだった。私も同感だ。というわけで、今後は「鼻衣」で行こうと思う。皆さんも使ってみてはいかがだろうか。書く場合は、「花衣」にするとさらに優美になる。これなら、お見合いの席でも大丈夫な気がする。お見合いって、やったことないけど。っていうか、お見合いってまだ存在するんかな…

 

これはコーンフレーク(だから何)

 

 

10月某日

久しぶりに本そうじをして、生まれ変わったような爽やかな気分になる。

 

私は普段のそうじを「プチそうじ」「中そうじ」「本そうじ」の3つのカテゴリーに分けている。

 

「プチそうじ」は風呂場やトイレ、台所のコンロ・流し周りや床、部屋の畳などをピンポイントでそうじするだけで、すぐ終わる。畳はフローリング用ドライシートでさっと拭くだけだ(掃除機を持っていない)。

 

「中そうじ」は、物をどけない程度に、全領域を表面的に掃除することで、半時間~1時間かかる。

 

「本そうじ」は、物を動かして拭きそうじや整理整頓などをすること。普段のそうじとしては最上級のランクで、約2時間かかる。これはけっこう疲れるので、月1回程度、元気がある時にしかできない。

 

本そうじは達成感があるので、やると毎回生まれ変わったような気分になる。つまり、私はほぼ毎月生まれ変わっていることになる。毎月新生児になるおばちゃん。

 

これ以外にも、食器棚(=靴箱)や小物置きスペース(=押し入れ上段)に敷いたシート(=キッチンタオル)を新たにするとか、台所の棚の中を整頓するとかの作業があるが、それは年1,2回しかやらないので「大そうじ」という特別のカテゴリーに入る。

 

ちなみに、私はそうじを始める時、まず「あ~、全然やる気がしない!」と大きな声で宣言してからやることにしている。そうすると、やる気がないにもかかわらず、そうじをしている自分がすごく頑張り屋さんに思えるから、おススメだ。「こんなにやる気がないのに、そうじしててエライね!」と自分を褒めたたえながらやるのがコツ。やり終えた時には、もちろんご褒美に酎ハイを飲んで、自分をねぎらう必要がある。

 

問題は、いつも自分へのご褒美に酎ハイを飲んでいるので、日常化しすぎてご褒美感が薄れていることだな。

 

 

たまには、甘い物のご褒美もいいかも~

(友達にもらった猫どら焼きとはちみつチャイ)

 

 

10月某日

買い置きの酎ハイが3%の、ほぼソフトドリンク(主観です)のやつと、9%のストロングしかないけど、その中間くらいの度数の酎ハイが飲みたい!という時に、我慢したり買い出しに行ったりしないでいい方法を発見する。

 

3%のと9%のを両方開けて、交互に一口ずつ飲めば、体の中で6%になるじゃないか。配合を変えたら(3%2口と9%一口など)、アルコール度に変化を付けることも可能だ。これはすごい発見なのではなかろうか。

 

と思ったが、よく考えたら、3%と9%を一口ずつ飲んだら、6%を2口飲むのと同等のアルコール量となり、つまり12%を1口飲むのと同じ?

 

子供の頃から、算数は苦手だったので、よくわからない(ごくごく)

 

 

10月某日

久しぶりに会った友人が、私を見て驚いたように「○○ちゃん、その髪の毛、何もしてなくてもそうなるの?前はもっとまっすぐだったよね?」と言う。そういうことを言われるのは、これが初めてではない。「○○、髪の毛爆発してるぞ」と、もっと率直に言われたこともある。

 

私は元々くせ毛だが、以前は毛先がはねる程度で、ほぼ真っ直ぐだったのだ。しかし、パーマをかけたわけでもないのに、いつの頃からか、ラーメン大好き小池さんくらいにクリクリヘアになってしまっている

 

私はロングですがね。ラーメンあんまり食べないし。酒のつまみにならんから。

 

 

 

起き抜けは特に、実験に失敗したマッドサイエンティストのようなヘアスタイルになっていて、自分でも鏡を見て笑ってしまうくらいだ。そのまま窓から顔を出して米を撒いたら、すずめちゃんたちが怯えて、もう来てくれなくなるかもしれないので、一応ブラッシングしてから窓を開けるようにしている。ブラッシングしても、寝起きのヤマンバ(ギャルじゃない方)程度にしかならないが。

 

 

私の髪がストレートからアフロになったのは、更年期が始まった時期とだいたい同じだと思うのだが、更年期の症状に、くせ毛が激しくなるっていうのはあるんですかね? そんな話は聞いたことがないし、ネットを調べてもそういう情報は出てこないのだが。

 

研究して、学会に報告すべきかしら…(何学会?)

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

その後のミニトマト型観葉植物

(壁紙がひび割れてるのが気になる…)

 

 

ダイソーで買った「植物活力剤」は、あまり効果がなかったので使うのを止めたが、一応まだ生きていらっしゃる。

 

 

花もまだ咲いている。

 

 

でも全体的に元気がないし、実をつける気配は一ミリもない。

 

うちの部屋は、よくアルジャジーラの不穏なニュースが流れているので、植物の精神衛生(?)に悪いのかもしれないと思い、時々やさしく話しかけるようにはしてるのだが。「ミニトマトさん元気?今コーヒー飲んでるんだけど、いい匂いでしょ~嗅ぐ?」とか言って、コーヒーの匂いを嗅がせてあげたりして。

 

なお、ミニトマト型観葉植物自体の匂いは、青臭い匂いだ。青春っぽい匂い。

 

彼(彼女?)は青春っぽい匂いを漂わせたまま、このボロアパートでしだいに朽ちてゆくのね(しみじみ)

 

 

まあ、最後まで看取ろう…

 

 

 

(終わり)

 

 

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(30)~ワン猫幻想の行方~

2024-10-09 20:30:30 | トルコ

 

今回は一昨年の旅行記の続き。トルコ南東部のワンに到着した翌日からだ。

 

 

ワン(Van)はイラン国境に近いトルコの都市

(ネットで見つけた貧血っぽい色の地図)

 

 

今回ワンには3泊する予定だった。

 

ワンを訪れるのはこの時が2回目。私は2010年にトルコ語学習のためブルサに2か月滞在した際、ワンにバスで旅したことがある。その時のルートはたしか、ブルサ→コンヤ→アダナ→ディヤルバクル(+マルディン、ハサンケイフ)→ワン→ドーバヤズット→ワン→イスタンブール→ブルサだった(例によってうろ覚えだが)。

 

当時、バスがワンの市内に入る前に見かけた、今にも崩れそうな日干し煉瓦の家々が並ぶ貧しい地域が強く印象に残っている。ああいう家屋は翌年10月の地震(トルコ東部地震)で倒壊してしまったのではなかろうか。市内中心部も、西部のブルサや途中で寄ったコンヤなどに比べてインフラが整っておらず、雑多で薄暗い感じだった。あの頃のトルコは西部と東部の経済格差が大きく、西部の都市はヨーロッパ風、東部、特に南東部のクルディスタン地域はアラブ寄りに見えた(つまり私好みなわけだが)。商店に入って店主と会話を交わすと、その場にいた他のお客たちも一緒になって、「クルド人の街は政府に差別されていて、お金がかけられていない。失業率が高くて、生活が大変だ」などと訴えかけられたりした。通りすがりの外国人旅行者にも自分たちの受けている不当な扱いを積極的に訴えてくるあたりがパレスチナ人に似ていると、後に西岸地区を訪れた時に思ったものだ。去年訪れたイランもわりとそうだった。

 

そういえば、当時ワンで泊ったホテルの階段で、長い銃を持った男とすれ違って心底ビビった記憶がある(ビビりっこなんで)。慌ててフロントに降りて、「さっき階段で銃を持った人を見たんだけど!!ここヤバいホテル??」と率直に聞いたところ、フロントにいた人たちは顔を見合わせ、曖昧な微笑を浮かべて、「ああ、イラン国境に近いからね。大丈夫だよ、危険はないよ~」と言っただけで、軽くいなされて終わった。実際、特に危険はなかった。そのホテルは国境を越えて密輸する商人などの定宿になっているのかもしれないと思ったが、本当のところはわからない。

 

それから十年余り経って、ワンの街はどうなっているのか。それを確かめるのが今回の訪問の主な目的だった。それと、日本でも有名な「ワン猫」を見ることだ。2010年に訪れた時は、ワン猫の保護・研究施設である「ワン猫の家」は閉まっていて、外側からしか見られなかったので(参考)、今回は余裕をもって滞在し、ちゃんと中に入って見学することにした。

 

なお、ワンはクルド人の住民が主体だが、第一次世界大戦の頃まではアルメニア人も住んでいたという。ワンはアルメニア人の反乱やその後の集団避難、虐殺など歴史的な事件の舞台になったので(参考1)(参考2 歴史の項目の末尾)、記念碑などがあれば訪れたいとは思ったのだが(ハルプットのリベンジで)、バスの便がなさそうなのであっさり諦め、普通に観光するだけにした。

 

私はあまり一日に何か所も回れないので(体力も気力もない)、2日目は「ワン猫の家」を訪れ、3日目にアクダマル島を観光するだけにした。4日目はイスタンブールに移動だ。

 

前置きがやたら長くなったが(いつものことよね)、そういうわけで、この日はワン猫を見に行って、その帰りにワン湖に寄ったのだった。

 

では、まずこの日の朝食から。トルコのホテルなので、朝食は当然ビュッフェだ(ビュッフェじゃないとこってあるんかな)。ワンは朝食が有名らしいが、そのせいか、安ホテルなのにこれまでのところとは違って、内容が充実していた。

 

ワン名物のハーブ入りチーズなど、チーズの種類が多い。

 

 

蜂蜜やゴマペースト、ペクメズなど

 

 

私にしては、たくさん取った。ちなみに私はゆで卵が大好きだ。

たくさん食べたら体に悪いかもしれないから、1個しか食べないけど~

 

 

女性のヒジャーブのかぶり方や、顔立ち、話し声から察するに、他のお客は、ほぼイラン人観光客だと思われた。

 

 

朝食後、手持ちのトルコリラが少なくなっていたので両替しに行ったが、日本円を替えてくれる両替所が見つからず、結局ATMで引き出して、戻って来て残りの2泊分の宿代を払った。その際、ツインの部屋に移動してほしいと言われたので、荷物をまとめてお引越し。今度の部屋はツインだ。前日はトリプルの部屋しか空いてなくて、そこになったが、翌日以降別の部屋に代わってもらうかもしれないと言われていたのだ。シングルはそもそも存在しないと思われた。

 

 

ベッドが広いと、色々物が置けて便利

 

 

休憩してから11時頃に出かけて、ドルムシュ(乗り合いミニバス)乗り場に行き、「Kampüs」行きのドルムシュに乗る。市バスもあるらしい。「ワン猫の家」(Van Kedisi Evi)は、市内中心部から約13㎞離れた「Yüzüncü Yıl Üniversitesi」(ユズンジュユル大学=「100周年大学」)のキャンパス(kampüs)内にあるのだ。

 

 

使い古したモップみたいな犬さんがホテルのそばの鶏肉屋でエサをもらっていた。

 

ワン猫ではないワンの猫さん、なぜイカ耳

 

 

ワンは「ワン猫の街」ではあるが、路上で見かけるのは、犬の方が多い。そもそもワン猫は保護対象なので、その辺を歩いていたりしないし。

 

 

市内中心部で目立っているワン魚串刺しモニュメントのあるロータリー

 

 

通りかかった公園にいた香水売りのおじいさん(1つ買った)

 

 

Kampüs行きのドルムシュ乗り場

 

 

Kampüsは終点で、約30分ほどだった。最後まで乗っていたのは私だけで、フレンドリーな若い運転手さんにどこに行くのか聞かれ、ワン猫を見に行くと答えたら、「ワンは歴史の古い街で、見どころが多いよ!ワン城やアクダマル島にも是非行ってね!」とおススメされた。なんでも、ワンはウラルトゥ王国ゆかりの地で、楔形文字(ウラルトゥ文字)の碑文なども残っているということだった。ウラルトゥって、大学で習ったような気がするけど、遠い昔のことだからよく思い出せない。

 

 

ユズンジュユル大学のキャンパス内の終点でドルムシュを降り、運転手さんに教えられた方向に歩き出す。この大学は町一個分くらいあるのでは、と思うほど広大で、その中に大きなスーパーも、立派なモスクも、博物館などもあった。

 

構内のモスク

 

 

「KEDİEVİ」(猫の家)というシンプルな標識を発見

 

 

すずめさん「今日は暑いチュン」

 

 

暑かったが、あたりの風景は、どことなく秋の気配を漂わせていた。

 

 

道に迷って、人に聞いたりしながら、やっとたどり着いた。

 

 

手作り感満載の三白眼のワン猫様の看板がお出迎え

 

 

 

入場料は当時で3.5リラ。市内中心部からのドルムシュ代(5リラ)より安かった。今はもっと上がっているだろうが。

 

 

中に入ったら、中央にフェンスで囲まれた広めの空間があって、そこに十数匹ワン猫がいた。ワン猫は毛の色が真っ白で、左右の目の色が違うオッドアイであることで有名だが、両目が同じ色の子もいる。泳ぐ猫としても有名で、ここにもプールが設置してあったが、この時は泳いでいる猫はいなかった。フェンスの周囲には通路がめぐらされ、ぐるりと回って見学できるようになっていた。その外側には、いくつか小部屋があって、子育て中の母猫と子猫用の部屋や分娩室などに分かれていた。建物の外の庭の一部も、猫が出入りできるようになっていたはずだが、この時は見学できなかった。後でネットで検索したら、有料でエサをあげることができると書いてあったが、私が行った時は、そういうサービスの案内はなかった。

 

 

フェンスで囲まれたメインスペース

 

 

ワン猫、ほんとに泳ぐんだろうか…

 

 

やっと入れたワン猫の家だが、フェンスで囲まれた動物園の檻のような空間に、いくつかキャットタワーとクッションが置いてあるだけで、猫が身を隠せるこじんまりとした箱的なものや、くつろげるソファーなどの家具がないのが気になった。夜は別の部屋に移動させるんだろうか。あと、ワン猫は普通の猫以上に愛情を必要とするらしいが、ここには誰か愛情をもって彼らの世話をしている人がいるんだろうか。一緒に遊んであげたり、ブラシをかけたり、話しかけたり、体調を細かく気にかけてくれる人が。

 

寝ている猫も多かった

 

 

ワン猫たち、かわいいんだが毛並みが荒れて、なんだか不憫な感じ

 

 

明らかに眼のあたりに何か病気を持っていそうな子もいた。野良の子猫によく見かけるタイプ

 

 

この子はひっきりなしに鳴いていた。

 

 

隔離部屋の猫たちは、私を見るとみゃあみゃあ鳴きながら駆け寄ってきて、ドアをカリカリ引っ搔いた。

 

 

 

 

世話係の男性は、水用の容器を運ぶ時、重ねて地べたに置いて、足で蹴って移動させていた。床にはドライフードがこぼれていたりして、不潔というわけではないが、少し乱雑な印象だった。トルコ人の母娘が見学していたので、「ここ、掃除が行き届いてないと思いません?元気じゃなさそうな猫もいるし~」と話しかけてみたら、彼女たちもうなずきながら、「そうね、ちょっと臭いわね」と言っていた。

 

猫がこんなにいたら、多少雑になるのはしょうがないだろうとは思いつつも、見ているうちに、どんどん疑心暗鬼になり、この子たちを解放してあげたい!という欲求が高まってきたが、そう言う訳にもいかないので、早めに外に出た。私の考え過ぎで、ちゃんと愛情をもって世話をされているのならいいのだが…

 

ワン猫の家を出てから、適当に歩き回ってバス乗り場を探し、市内中心部行きのバスに乗った。

 

 

運転手さんに聞いたら、ワン湖の岸辺に寄るというので、そこで降ろしてもらうことにする。運賃を払おうとしたら、いらないよと言われた。トルコでは、時々そういうことがある。バスやドルムシュにタダで乗せてくれたり、なぜか運賃を負けてくれたり。外国人観光客に優しい。

 

 

 

 

湖畔の小さな公園のところで下車した。「7月15日殉教者公園」という名前の公園だ。

2016年7月15日の軍事クーデター未遂事件に由来する名前だ。同じ名前の公園や広場などがトルコ全国に出来ていると思われる。

 

ここにはカフェが一軒あって、多少の遊具もあったが、後はいくつかベンチや東屋が並んでいるくらいだった。前回ワンに来た時は、同じワン湖畔でも、もっと大きなレストハウスや食堂のある賑やかなところにいって、屋台で焼かれていたワン魚(İnci kefaliインジケファリとも呼ばれるコイ科の魚)のサンドイッチを買って食べたのだが、ここには屋台はなかった。ワン魚、炭火焼で美味しかったから、もう一度食べたかったな~

 

 

綿菓子売りの子供が巡回する。

 

 

屋根付きのベンチに座って湖を眺めた。ビールを持って来ればよかったと思ったが、家族連れが多いので、酒を飲める雰囲気ではなかった気もする。

 

 

トルコで3番目に高い山、標高4,058メートルのスュパン山(Süphan Dağı)

 

 

湖の岸辺は、岩がごろごろしていて、水も濁っていた。そのせいか、泳いでいる人はいなかったが、ピクニックをしている家族連れは何組かいた。

 

 

カモメさん達も食事中

 

 

ハトさんは巡回中

 

 

犬さんは死んだふり中

 

 

しばらくぼんやり湖を眺めてから、またバスに乗って中心部に戻り、スーパーBIM(庶民の味方)と酒屋に寄って、買い物してからホテルに帰り、ビールを飲んで果物(サクランボと杏)を食べてから昼寝した。

 

 

夕方にまた出かけて、街を少し歩き回る。

 

 

ジャズカフェがある

 

 

 

バーガーキングも

 

 

大きなショッピングモールもあった

 

 

メイソウも入っている

 

 

モールの中に酒が買えるスーパー・ミグロスが入っていたので(BIMやA-101などに酒はない)、酒コーナーを見学。必要な分はもう買ってあるので、見るだけ。

 

 

私がよく買う最低価格帯のワイン

 

 

日本でもお馴染みのチリワインはやや高級

 

 

この日に歩き回った印象では、ワンの市内中心部に限って言えば、西部の諸都市とそれほど変わらず、それなりにインフラに投資されているように思われた。大通りに綺麗な店が並び、大きなショッピングモールもあり、カフェやチェーン店もあって、賑わっている。イラン人観光客が増えたおかげもあるのかもしれない。お店の人達も、外国人観光客が珍しくないので、特に話しかけてきたりしない。10数年前とは違う。郊外や田舎の方には行っていないので、どうなっているのかわからないが。

 

安食堂が集まっている小路を見つけたので、夕食はそのうちの一軒でとることにした。大型モールが出来ても、昔ながらの食堂街や商店街も残っているのだ。

 

小さい食堂だが、店の外にテーブル席がいくつかあって、若者で賑わっていた。

 

 

外のテーブルでは猫さんが食事中

 

 

クルファスリイェ(Kuru Fasulye 白いんげんのトマト風味煮)と、チキンピラフ(Tavuklu Pilav)を頼んだ。チーキョフテはサービス

ファンタでご飯を食べると、落ちぶれた気分になれるのでおススメ✨(トルコの安食堂には酒がないので、後でホテルで飲む)

 

クルファスリイェは特に好きじゃないのだが(豆の煮込み料理は腹がふくれやすくて酒が美味しくなくなるから)、トルコのソウルフード的な料理なので、なんとなく食べなきゃいけないような気がして、時々注文してしまい、毎回「あ、失敗した…」と思う。それなのに、何年かしたら、ついまた頼んでしまう。そういう呪いがかかっているのか。

 

宿に帰ってシャワーを浴び、酒を飲みながら日記をつけていたら、停電があった。前日もあったので、この当時ワンは停電が多かったのかもしれない(今どうなのかはわからない)。停電はすぐ終わったが、Wi-Fiは切れたままだった。フロントに言いに行くのも面倒だし、翌日はアクダマル島に出かける予定だったので、早めに寝ることにした。

 

 

今、この記事の内容を見直していて思ったけど、私はどうしてこんなにいつも酒の事ばかり考えているのか。もしや、アル中なのかしら(違うんかい)…

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

うちの立ち枯れ寸前のミニトマト型観葉植物さんがなんと、ここに至っていくつかつぼみをつけきた。ずっと前に1つだけ花が咲いたが、凍り付いたように変化せず、実を付ける気配が一切ない状態での新たなつぼみの登場だ。

なんという健気さ…

 

花を咲かせるのを手助けするべく、ダイソーで植物活力剤なるものを買ってきてドーピング

効果なさそうだけど…

 

 

(続く)

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日付不明まとめ書き日記2024年9月

2024-09-25 20:16:05 | 日記

 

 

日本(首都圏)は突然ホットワインの季節に突入したが、皆さんはいかがお過ごしだろうか。つい数日前まで熱中症による死のリスクに怯え、夜のベンチ飲みにも冷やした缶酎ハイや白ワインと共に水のペットボトルを持参していたというのに、一体なんなの、この激動の気温は・・・

 

さて、今回はまとめ書き日記。一昨年の旅行記をやっと再開し、涼しくなったからガンガン書き進めようと思っていたのに、気が付いたら脱線して、違うことを書きたくなってしまうのはなぜなのか。いたずらな魔法使いの仕業なのか。

 

まあ、急がば回れってことで。(なんか意味が違う?)

 

 

9月某日

*まだ熱中症警戒アラートが出ていて、秋が来る気配が感じられなかった頃の話(=1週間ちょっと前)

 

手のアトピーが急激に悪化し、治る気配がないため、かかりつけの皮膚科に行く。

 

私の両手(手のひらと指)には長年、常にアトピーがあり、時期によって良くなったり悪化したりするのだが、この数日前から、ここ数年見られなかったレベルでひどくなった。手のひらと指(手のひら側)の全体が赤く腫れていくつも水泡ができ、それが破れて中から汁が染み出しているので、何も触りたくない。水に触れると痒くなるので、トイレをなるべく我慢し、料理も手袋着用で最低限しかやらない。そういう状況だった。常用している塗り薬をひたすら塗っていたのだが、収まるどころか悪化していく。さすがにこれは医者にかかった方がいいと気づいた(遅い)。

 

その日の皮膚科は、他の曜日とは違う先生の担当日だった。

 

先「今日はどうされましたか?」

み「手がこんな風にひどくなったんです~(手を見せて色々説明)」

先「これはひどいですね…どうしてこうなったんですか?」

み「それは私が聞きたいです」

 

意表を突いた質問だったな…

 

思い当たることがないと説明したら

先「う~ん、夏の疲れが出たのかもしれないですねえ」

み「疲れるようなことは何一つしていないんですが」

先「アハハ(ウケてる)」

み「私の生活で疲れるということはありえないです(断言)」

 

コントしているみたいな会話になった。

 

結局、私は手のひらに汗をかきやすい体質だから、暑さのせいで悪化したのだろうという結論になり、ステロイドの強い塗り薬を出してもらって、それを塗ったら3日ほどで収まった。それと同時に涼しくなったので、そのおかげもあるだろう。

 

やれやれ、よかった。これで膀胱炎にならずに済む…

 

 

9月某日

涼しくなったので、コーヒーをホットで飲むことにする。

 

私は起き抜け(昼頃)にコーヒーを飲むのが習慣なのだが、暑い時はホットで飲む気にならず、エスプレッソを淹れてから冷まし、熱中症予防も兼ねて、氷と牛乳をたっぷり入れて飲んでいたのだ。まあエスプレッソと言っても、専用の粉を買うお金はないので、ブレンドの粉をエスプレッソメーカーに詰めて淹れる「なんちゃってエスプレッソ」なんだが。

 

ホットで飲むにあたって、エスプレッソにしようか、それともフィルターで淹れるブレンドコーヒーにしようか迷ったが(粉は同じだが)、ホット初日はエスプレッソにすることにした。

 

私はブレンドコーヒーを飲む時はマグカップで、エスプレッソを飲む時は小さいグラスで飲むことにしていたのだが、この日は久しぶりだから勘が鈍ったのか、うっかりエスプレッソをマグカップに入れてしまった。

 

大きなカップの底に少しだけ入った飲み残し風エスプレッソ。それは、ほろ苦い秋の味がした。

 

マグカップに入れたエスプレッソが、あんなにみすぼらしく見えるとは。

 

やはりエスプレッソ用のデミタスカップがほしい。でも、百均ではデミタスカップを見たことないんだよな。少なくともうちの近所のダイソーとキャンドゥでは見たことがないし、百均以外で食器類を買うのは、私のプライド(?)が許さない。

 

ダイソーにデミタスカップ売ってほしい。

なんならエスプレッソの粉も売ってくれないかな…

 

 

9月某日

スーパーにしだいに米が戻ってきた。しかし、まだまだ品薄な上、入荷した新米は値段がかなり上がっている。

 

日本ではしばらくの間、全国各地のスーパーから米が消えていた。皆さん困られたと思うが、当然私も困った。自分用ではなく、すずめ用の米で。

 

私にとって米は必需品ではなく、1か月にせいぜい1、2回炊く程度なので、「米がなければパンとパスタとクスクスを食べればいいじゃないの」とマリーアントワネットに言われても、「その通りですわね」と優雅に微笑んで同意できるのだが、問題はすずめだ。

 

私は毎日すずめに米をあげているのだ(参考)。すずめちゃんたちは米が好きだ。以前クスクスやもち麦などを試しにあげてみたことがあるが、食べ残された。パンやビスケット類は米よりも喜ばれるが、米よりも割高だし、雨が降ったり食べ残されたりした時に傷みやすい。小鳥のエサは粒が小さすぎて撒きにくい。やはり米、特に玄米がベストなのだ。

 

米が欠乏していた時期は、割高な発芽玄米を買っていた。白米や普通の玄米があらゆる店の棚から消えても、値段の高い発芽玄米は売れ残っていたのだ。そういえば、コロナでトイレットペーパーがスーパーから姿を消した時も、高級品は売れ残っていた。安い物が真っ先に消えるのだ。

 

新米が出回り、ようやく米が買えるようになってきても、普通の玄米は未だになかなか手に入らないので(私が買い物に出かけるのが閉店間際なせいかも)、引き続き発芽玄米を買おうと思ったら、以前と同じ商品がさらに値上げされている。

 

そんな中、比較的割安な玄米を見つけたので、喜び勇んで買ってみたのだが、家に帰ってから袋をよく見たら、「糖質32%オフ」と書いてあるではないか(普通買う時に気づくよね)。すずめちゃんたちに糖質オフの米をあげたら、すぐにお腹減っちゃうかも。野良すずめにダイエットは必要ないのに~

 

結局、いつもより余分に撒いて、カットされた糖質を補ってもらうことにした。割安だった意味が全然なかったな…

 

 

これ

 

私が食べるにはいいかと思ったが、とがずに炊けるわりには1時間吸水させる必要があるとのことなので、面倒でなかなか炊けない。結局自分用にはスーパー・ハナマサで安かったタイ産ジャスミン米を買い、リゾット方式で調理することにした。

 

すずめちゃんたちもジャスミン米は好きみたいなので、次からは玄米じゃなくてこれでいいかな~

 

 

 

9月某日

ダイソーで買った読書スタンドを使って読書をする。

 

これ

 

 

私は読書をする際、語学学習を兼ねて外国語(アラビア語・イタリア語・トルコ語)の本を読むようにしている。日本語の本はめったに読まない。最近まではネットで見つけた小説のPDFをダウンロードして、パソコンで読んでいた。パソコンで読書すると、文字を大きくしたり、分からない単語をすぐ調べたりできるので便利だ。しかし、先日読み始めた小説は、トルコで買った紙の本なので、文字の大きさは調整できない。

 

私はおばちゃんなので老眼で、近くのものが見えにくい。パソコンを使う時は、至近距離ではないところに置くようにしている。眼鏡はかけない。読みにくければ、字の大きさを調整する。一方、手元でスマホを長時間見る時は、眼鏡をかける。

 

紙の本を読む場合、その中間くらいの距離になるわけだが、眼鏡をかけるべきか否か。単語を調べる際にパソコンを使うか、スマホを使うかによっても、眼鏡の要不要が変わってくる。

 

色々試行錯誤した結果、読書スタンドに本を立てて、裸眼で読める距離に置き、単語調べは、紙の辞書とスマホの両方でやることにした。辞書とスマホは目から離して置き、やはり裸眼で読むことにする。

 

本を立てるとこんな感じ

本の前面を下から抑えている2本の突起が、読む時にけっこうジャマ~

 

 

裏はこうなっている

 

 

年を取ってから読書をするということが、こんなにめんどくさいことだとは知らなかった。みんなどうしてるんだろう?

 

ちなみに、今読んでいる小説は在英のトルコ人作家エリフ・シャファクの名作「Baba ve Piç」(オリジナルは英語・原題「The Bastard of Istanbul」)

 

この小説をトルコ語で読むのは2度目なのに、なぜこんなに知らない単語があるのか。調べまくっているため、なかなか読み進められない。以前はストーリーを味わうことを優先させて、細かい単語は調べなかったのだが、今回は語彙を増やすため、覚えていない単語は一通り引くことにしているのだ。それにしても、使われている語彙の豊富さが半端じゃないぞ…

 

なお、この小説はアルメニア人虐殺を扱っており、このためエリフ・シャファクは「トルコ国民を大量虐殺者(soykırımcı )として描いて侮辱した」という理由で、愛国的なトルコ人弁護士に告訴されている。無罪放免になったが。

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

キャンドゥの栽培キットのミニトマトさんの現在

生後約4か月。立ち枯れまでもう一歩か…

 

 

(終わり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(29)~エラズーからワンに移動~

2024-09-20 17:41:49 | トルコ

 

 

今回は、トルコ旅行でエラズーに2泊した後、ワンにバスで移動した時の話。

 

 

ネットで拾ったアンカラ・ワン間の鉄道路線・空港の地図

私はアンカラ(Ankara)からシワス(Sivas)、エラズー(Elazığ)、そしてワン(Van)の手前のタトワン(Tatvan)までは鉄道路線に沿って西から東に移動したことになる。バスだけど。

 

 

この日も朝8時に起きて、荷物をまとめてから朝食に行った。寝たのは3時だったのに早起きして、我ながらエライ。(早く寝ればいいものを)

 

 

この日は朝食にトマトとキュウリがあった。ビタミン補給

 

 

朝食後、SNSの更新などしてから、11時ギリギリにチェックアウトした。バスの出発時刻の13時まで時間があるので、スーツケースをホテルに預けて、少しエラズー市内を散策することにした。

 

 

通りがかりのモスクを覗いてから、

 

 

屋根付き市場( Kapalı Çarşı)を観光

 

 

エラズーの屋根付き市場は茶色い木造の建物で、街の規模の割にはまあまあ広い。1928年創設だが、近年修復が行われたそうで、まだ真新しく見えた。中途半端な時間帯なので買い物客は少なかったが、観光客も地元の人も来るとのことだ。

 

 

キュネフェ(アラビア語では「クナーファ」)などのお菓子の原料の、小麦粉と水で作られた極細麺「カダユフ」の専門店がいくつか並んでいた。

一見シロップなしのかき氷。ふう~っと息を吹きかけたい衝動をこらえた。大人ですから…

 

 

孫の手があった。これを買っておくと、〇十肩になった時便利ですよ、奥さん

 

 

いい感じに鄙びた郷土菓子を売る店 

 

 

羊の頭部や足、内臓専門店はちょっとコワい

 

 

スパイス屋さん

中東のスパイス屋さんはどこも魅力的で、キラキラ輝いて見えるのはなぜなのか。

 

 

巣箱入り蜂蜜も魅力的だが、重いからなかなか買えない。

 

 

ハルプット産のディベック・コーヒーのミックスがあったので、それだけ買って出る。

 

 

エラズーの屋根付き市場のPR動画

 

 

市場の脇には、サモワールや鍋などが並ぶ金物屋街があった。

 

 

ヤカンや鍋類の修理もしてくれるらしい。取っ手を取り替えたりも可能。

 

 

金物屋街を抜けて、別の商店街に入ったら、サイドカー付きのバイクに乗っている、仲の良さそうなおじいさんたちがいた。

かっこいい2人組ね、うっとり…

 

 

せっけん屋さん

 

 

トルコのもんぺ(にしか見えない)発見

 

 

クルドの男性の民族衣装、マネキンがびみょ~

 

 

このマネキンで売れるのか

 

 

6月末だったが、昼間はもうけっこう暑くて、歩き回っているうちに疲労困憊したので(すぐ疲れる)、ゆっくり座れてWi-Fiが使えそうなカフェを探したのだが、そんなものはなかった。まあ、エラズーですしね…

 

 

私が歩いていた商店街には、そもそもチャイハネ(チャイエヴィ、喫茶店)自体があまりなかった。座って休憩できればどこでもいいやという気分になり、やっと見つけたおじさん・おじいさん御用達の喫茶店に入ることにした。

 

 

店内はけっこう広くて静か

 

 

こんな木の椅子があったりする

 

 

店の外のテーブルで談笑しているおじいさんたちを眺めながら飲むチャイは格別だねえ~

 

 

私はなぜこんなに仲良く談笑しているおじさん・おじいさんを眺めるのが好きなのか。もしや前世はおじさんだったんじゃないのか。あるいは、おじさんかおじいさんに可愛がられていた猫か。

 

 

チャイ一杯でゆっくりさせてもらってから、ホテルに戻って荷物を引き取り、ドルムシュでオトガル(バスターミナル)に行った。12時過ぎには着いたので、バス乗り場の近くのベンチで待っていたら、猫がやって来た。

 

 

「この人はエサをくれそうだにゃ~」

私が猫おばさんだということが、どうしてわかったのかしら?(カバンにエサの匂いが染みついてるからや)

 

 

私のカリカリを食べ終えたら、別のベンチの脇で待機

 

 

上を見上げたらすずめさんも待機中だった。誰かがこぼした食べ物狙いか

 

 

13時近くにバスがやって来た。

 

 

ワン行きのバスもベンツ製で快適だった。定時に出発して、ほぼ予定通りに着いた。他の乗客はトルコ人やクルド人ばかりだったが、乗車中みんな寝たり静かにスマホでゲームをしたりしていて、休憩時間の後もちゃんと時間通りにバスに戻って、マナーが良かった。

 

 

エラズーの街から出て少ししたら停車し、ジャンダルマ(憲兵)が乗り込んできて、乗客の身分証を確認して回った。アンカラ以降、これまでの検問では、外国人の私はスルーされていたが、今回はパスポートをチェックされた。トルコ南東部に向かう便は、チェックが厳しめなのかもしれない。

 

 

検問は手早く行われる

 

 

ふと窓の外を見たら、小高い丘の上に軍事基地があって、監視台がそびえていた。トルコには基地が多いのだ。

 

 

トルコ軍は国内南東部のシリア・イラク・イラン国境に近い山岳地帯などでも、国境を越えたイラクやシリアの北部でも、PKK(クルディスタン労働者党)などに対する「対テロ作戦」を常にやっていて、テレビでも「テロリストを〇人無効化した(殺害した)」とか、「テロリストの攻撃により兵士〇人が殉職した」というようなニュースをしょっちゅう見かける。そういう意味で、トルコは完全に平時にある国とは言えないと思う。それ以外の地域はごく平穏で、普通の日常生活が営まれているので、一見分かりにくいが。

 

 

なお、トルコ軍とPKK及びPKKに繋がる武装組織との戦いにおける2015年以降2024年7月21日までの死者数は、ウィキペディア(英語版)によると、NPOの「国際危機グループ」(ICG)調べでトルコ側が1488人、PKK側が4695人(民間人の犠牲は含まず)。トルコ国防省は自国軍側の死者数をあえて発表せず(発表すると政治的にマズいことになるからかな)、PKK側の死者は捕虜や投降者を含めて約4万人としているが、これはいかにも盛った数字であり、国際的に信頼度の高いICGの発表の方が実際の数値に近いのは明らかだ。

 

閑話休題…

 

13時から20時半まで、約7時間半のバスの旅だったが、その間に飲み物が3回サービスされた。お菓子はなし。昔はお菓子も必ず出たと思うんだが。バス会社によっては、今もお菓子サービスがあるかもしれない。まあ、なくてもいいけど。

 

 

チャイ(紅茶)は珍しくリプトンじゃなかった

 

 

途中で食事休憩が30分あったので、ドライブインでケバブサンドを買って食べた。

 

 

売店の入り口で待機していた黒猫さん

 

 

ケバブのブース

 

 

食べかけで失礼…新鮮なレタスや玉ねぎ入りで美味しかった

 

 

ケバブ担当のおじさんがサンドイッチを渡してくれる時、「ドイツ語は話せるか?」とドイツ語で聞いてきた。(話せません)トルコでこれを聞かれたのは10年ぶりくらいだったので、びっくりした。ドイツ出稼ぎ組の名残か。

 

 

休憩後、時間通りに再出発。車窓からは羊や牛の群れ、小麦の麦わらを四角に固めたものが点々と広がる野原、かろうじて緑に覆われている岩山などが見えた。私は睡眠不足だったので、だいたい寝て過ごし、目が覚めたら外の風景をぼんやり眺めていた。なにしろ、今回トルコではSIMカードを買い損ねて、スマホ(ネット)が使えないから暇だったのだ。トルコのバスにWi-Fiとかないしな。

 

 

 

 

 

 

ワンに着いた時にはすっかり夜だった。

 

 

オトガルでバス会社が運行するセルビス(オトガル・市内の間を走るミニバス)に乗り換え、親切そうな運転手さんに安ホテルがあるところで降ろしてほしいと頼んだら、市内中心部のメインストリートである共和国通りで降ろしてくれ、そこで同時に降りた若者に、私をいい安ホテルに案内するように言ってくれた。でもその若者は、「この辺にはたくさんホテルがあるよ」と言いつつ、めんどくさそうにしていたので(そりゃそうだよな)、自力で探すことにして、スーツケースを引きずって歩き出した。

 

 

歩き出してから、わりとすぐ、大通りから脇道に入った突き当りに、ホテルの看板が見えたので、そこに行ってみた。「Nisa Otel」というところだ。

 

 

比較的大きなホテルで、高そうだと思ったが、フロントで値段を聞いたら1泊130リラと安かった。(現在のレートで600円しないが、インフレで今は何倍にも値上がりしているはず)トイレとシャワー、Wi-Fi、テレビ、冷蔵庫、朝食付き。エアコンがなかったが、ワンは夏でもエアコンなしで過ごせる気温だというので、ここに決めた。一件目のホテルで決まってラッキーだった。

 

 

他に空きがないということで、初日は3人部屋だった

 

 

安宿なのにシャワー室がある~

 

 

フロントからエレベーターに乗った時、フレンドリーなイラン人女性に話しかけられた。よく聞き取れなかったが(たぶんアゼリー語)、彼女の兄弟の奥さんが日本人だと言っていた気がする…フロントにはイラン国旗があるし、エレベーター脇にはペルシア語で注意書きがある。イラン人の客が多いのだろう。

 

 

当時は推測することしか出来なかったペルシア語の張り紙。2年間じみじみ勉強したから今は大体わかる。

「チェックアウトは昼の11時まで、そうでない場合は部屋代をいただくことになります」

 

 

部屋で少し休憩してから、夕食とビールを買いに出かけたら、街中もペルシア語表記だらけで、イラン人観光客らしき人々がが大勢歩いていた。ワンはイラン国境に最も近いトルコの観光地なので、イランマネーで潤っていそうだ。長いコロナのロックダウンや規制から解放されて、喜び勇んでトルコに繰り出すイラン人は多いと思われた。イラン人はビザいらないしね。

 

 

まず酒屋を探し、酒屋やパブが何軒か並んでいる通りにある、内装がキラキラした感じの店で缶ビールを買う。ワンは保守的な街なので、黒い袋に入れてくれた。店内にはイラン人男性が数人いて、楽しそうに酒を買っていた。イランではアルコール類が禁止だから、トルコに来たらここぞとばかりに酒を飲むのだろう。そう思うと、彼らに親近感と連帯感を抱かずにはいられない。

 

 

夕食用には、炭火焼の店でチキンのサンドイッチを買った。レバーがメインの店だが、他にも色々あった。

 

 

安くても炭火焼

 

 

 

ここにもペルシア語表記

 

 

ホテルに戻ってビールを飲み、サンドイッチを食べた。昼も夜もサンドイッチで、ビタミンが足りないな…

 

 

値段と量とアルコール度について熟考し、厳選したビール2缶

 

 

グーグルで「Bremen 1827」について調べたら、AIさんが以下の情報をくれた:

~Bremen 1827は、トルコのAnadolu Efes(*通称エフェス)が製造するビールです。アルマン(*ドイツの)純粋法律に準拠して作られており、アルコール度数は4.5%と7.0%の2種類があります。2023年にはMonde Selectionの優秀品質銀賞を受賞しています。~

 

最近グーグル検索すると、AIが色々教えてくれるけど、試験運用中だけあって、ちょっと微妙なとこあるよね…ドイツの「純粋法律」ってなんやねんと思ったら、ドイツで16世紀に制定され、未だに有効な「ビール純粋令」のことらしい。

 

 

食後、ビールを飲みながらドライブインで買った日刊紙「Yeni Yaşam」(=新しい生活)を読んだ。トルコ語でクルド側からの視点に基づく記事が読める貴重な新聞で、読むところが多い。クルド人多数居住地域である南東部(いわゆる「トルコのクルディスタン」または「北クルディスタン」)以外ではなかなか見かけないので、ワンでは出来るだけ毎日読みたい。

 

 

ワンには3泊する予定。翌日はワン猫を見に行くことに決めていた。がんばって「ワン猫の家」に辿り着かなくては…

 

 

(続く)

 

 

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