外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(31)~アクダマル島と踊るイラン人~

2024-11-21 19:05:54 | トルコ

 

 

またまた間が空いてしまい、その間に日本(首都圏)は冬に突入してしまった。唐突にぐいって気温が下がるの、ほんとカンベンしてほしい…油断して薄着で夜のベンチ飲みに出かけたら、前夜より5度以上下がっていて、しかも冷たい風が吹きまくっていたので、それにじっと耐えながらワイン(ホットじゃないやつ)を飲んでいたら、ひとりガマン大会みたいになった。もうベンチ飲みではダウンコート・カイロ・ホットワインの季節が来てしまったのね…(また秋が戻ってくるらしいが)。

 

さて、今回は遅々として進まない一昨年の旅行記の続き。トルコ南東部ワンの滞在3日目の話だ。この日はワンのメジャーな観光スポット(ワン自体がメジャーか否かという問題はあるが)、ワン湖のアクダマル島を訪れた。アクダマル島は、10世紀に遡るアルメニア教会の遺跡があることで知られている。私は海外旅行先であまりちゃんと観光しない人間なのだが、今回の旅のトルコでの主要なテーマのひとつはアルメニアだったので、ここは外せないだろう。前回ワンに滞在した時は行かなかったしね(あの時は「ワン猫の家」の外をうろうろしただけで終わった)。

 

この日は8時に起きて洗濯し、朝食をとった。早起きして朝ごはんを食べるなんて、我ながらエライ(私にとって8時は深夜に近い早朝)。しかし、食後にSNSを更新したりしていたら、出かけるのが11時を過ぎた。まあ、いつものことさ…

 

まず市内中心部のドルムシュ(乗り合いミニバス)乗り場に行って、オトガル(バスターミナル)行きのドルムシュに乗った。アクダマル島行きのフェリーの桟橋に向かうバスは、オトガルから出ているのだ。

 

ドルムシュ乗り場に行く途中に見かけたトルコ名物「路上で死んだように眠りこけるボサボサ犬」

お姫様がキスしたら王子様に戻るのかもしれない。今度キスしてみようかな(お姫様か)

 

 

ドルムシュに乗ったら、運転手も乗客たちもクルド語で話していた。クルド語はさっぱりわからないが、クルド語かどうかはなんとなくわかる。ワンはクルド人の街だしね。

 

 

クルド語の会話を聞くともなく聞きながら、ぼんやりと窓の外を眺めていたら、見知らぬ風景が広がり出したので、不安になって運転手に尋ねたら(トルコ語で)、やはりオトガルを過ぎてしまっていた。終点まで行って、戻ってくる時にオトガルに近い所で降ろしてもらうことになる。

 

ドルムシュは幹線道路をしばらく行ってから、郊外の住宅街に入り込んで、まばらな民家の間を回った。

 

土色のブロック(日干し煉瓦?)の壁の向こうにトタン屋根の家

 

 

コンクリート打ちっぱなしの黒ずんだ壁の住宅の足元に、掘っ立て小屋風の小さな建物群

 

ワンに次に地震が来たら、こういう住宅や壁は簡単に崩れてしまいそうでちょっと心配。ワンの街は発展して西部並みに綺麗になったと思ったが、中心部を少し外れたら、質素な家が立ち並び、トルコ語の会話は聞こえてこなくなるのかもしれないと思った。

 

オトガルで降ろしてもらい、アクダマル島方面に行くドルムシュに乗り換えた。

 

 

最初は私だけだったが、やがて乗客が集まってきて、無事に出発した。私以外は全員トルコ人の観光客だ。アクダマル島行きのフェリーが発着する桟橋には、30分かそこらで着いた。

 

あれ?「AHTAMAR」って書いてある。AKDAMARじゃないの?

 

ウィキペディアによると、アクダマル島は、アフタマル島とも呼ばれるらしい。こちらの方がアルメニア語の発音に近いようだ。この島の名前は、アルメニアの古い悲恋の伝説に由来し、島に住んでいた若い女性の名前(タマラまたはタマル)から来ているとされるが、彼女がお姫様だったとか、修道院長の娘だとか、湖で溺れ死んだ恋仲の羊飼いの若者はトルコ人だったとか、クルド人だったとか、色々なバージョンが伝えられているようだが詳細不明。この伝説が本当に島の名前の由来となったかどうかも不明だ。まあ伝説ってそういうものよね…

 

桟橋の前のレストランがフェリーの待合スペース

 

 

レストランのレジでフェリーの往復チケットを購入する。当時は50リラ

 

 

停泊していたフェリーに乗りこんだら、他の客は圧倒的にイラン人観光客が多かった。トルコ人もそれなりにいた。イラン8:トルコ2くらいの割合か。第3国の外国人は、見たところ私だけのようだった。イラン人は団体客で、すでにかなり盛り上がっており、踊り出す一歩手前くらいのテンション。トルコ人の方は、それを見て引いている感じで、大人しくしていた。イラン人の勝ち。

 

 

 

周囲を眺めていたら、私の前方に座っているイラン人男性が袋からエフェスの缶ビールを取り出した。しかもアルコール度の高いエキストラだ。おお…

トルコに来たら、ここぞとばかりに酒を飲むイラン人。

 

しまった、私もペットボトルに詰め替えたワインくらいは持ってくるべきだったと思ったが、もう後の祭り。ビールを飲む男性を、羨ましそうに眺めるしかなかった。ちっ、私としたことが、ぬかったぜ…

 

カモメ監視員「備えあれば憂いなしだギャ~」

その通り、油断大敵~

 

フェリーはなかなか出航せず、そうこうしているうちに新たなイラン人団体客がどっと押し寄せてきた。どうなるかと思ったら、アナウンスが流れ、トルコ人の客はもう1隻のフェリーに移ることになった。私もそちらについていった。イラン人観光客から離れたトルコ人たちは、急にイキイキとしだして、楽しそうに自撮りしたりしていた。内弁慶?

 

 

ようやくフェリーが出航した。陽光に輝く青い湖水、レース編みのような白い波、岸辺のごつごつした茶色い岩山…久しぶりのフェリーなので、なんだか気分が高揚する。

 

後姿が絵になる女の子

 

 

40分くらいでアクダマル島に着いた。

 

カモメさんたちがお出迎え

 

いざ上陸

 

島の入り口にチケットオフィスがあり、ここで博物館扱いのアルメニア教会遺跡の観光料金を支払う。45リラ。島に上陸する人は全員支払うことになるので、実質的には島上陸料だ。フェリー代金と一緒に徴収すれば良さそうなものだが、なぜか別々に払うことになっている。

 

 

 

アクダマル島は小さな島で、アルメニア教会以外の見所はないので、観光には時間がかからない。一応カフェという名の売店があり、テーブル席がいくつかあるが、レストランなどはない。商売っ気がなくて、清々しいくらいだ。

 

ではいよいよ、アルメニア教会(聖十字架教会)を観光。ガイドブックを持ってないし、ちゃんと調べてないから、よく知らないのだが。

 

教会正面

古いアルメニア教会って、こんがり焼けたクッキーっぽい色合いで、中心から円筒形の部分が伸びて、とんがり屋根がかぶさっているイメージ

 

中に入れる

 

 

内部のモザイクは、全体的に状態が悪くて不鮮明だが、比較的はっきりと人物像が分かる部分もあった。

 

 

 

 

聖書を読んで勉強したら、こういう教会のモザイク画や、外壁のレリーフなどに描かれた場面が分かって、面白いんだろうなと思いつつ、つい後回しにして、そのままになっている。

 

床に井戸のような穴が開いている箇所があって、中にお札やコインが投げ込まれていた。

 

 

内部のモザイクに比べ、外側の壁に刻まれたレリーフはくっきりしていた。聖書の登場人物や動物、植物がそこいらじゅうにちりばめられていて、とってもかわいらしい。アルメニア文字も刻まれているが、私には読めない。

 

 

 

 

 

 

これがアダムとイブの像で、有名らしい。

 

素敵よねえ、うっとりこ…こういうクッキーがあれば買いたい。

 

教会を観光した後は、島の斜面や波打ち際などにいたカモメを眺めて過ごした。

 

 

 

青い空、青い海、険しい顔のカモメ、とげとげした植物、アルメニア教会の廃墟、浮かれたイラン人観光客。あ~心が落ち着く…ここにワインがあれば完璧だったんだが(未練がましい)。

 

泳いでいる人もいた。

 

青いトンボもいた。取り込み中

 

帰りのフェリーは、イラン人の団体客でいっぱいで、彼らのツアーのエンターテイメントのイベントなのか、手慣れた動きの男性たちがスピーカーとマイクを持ち込んで音楽を流し、それに合わせて歌い出した。他のイラン人客が手拍子を取り、合唱し始める。やがてダンスタイムが始まり、色んな人が入れ代わり立ち代わり踊り出して、フェリーは完全にイランの宴会場と化した。

 

 

トルコ人観光客の大半は、勢いに呑まれて静かにしていたが、中には、イラン人と一緒になって歌っている人もいた。歌はペルシャ語のものばかりだったが、1曲だけトルコの歌もやり、そのサビはトルコ人も一緒になって合唱していた。有名な曲かもしれない。

 

フェリーの往復料金50リラは、少し高いと思っていたのだが、イラン人のショー込みだと思えば激安だ。イタリア人やアラブ人もお祭り騒きが好きだが、こういうイラン人の調子の乗り方は、ちょっと別格という気がした。

 

フェリーを下りたら、イラン人たちは団体バスに乗って去っていった。ステキなショーをありがとう…

 

私はしばらく待ってドルムシュに乗り、オトガルで市場行きのドルムシュに乗り換えた。市内中心部の市場周辺に着いた時は、もう18時近かった。

 

夕食用のサンドイッチを買うために、適当に歩いていたら、「ケバビスタン」という名前のケバブ屋の前を通りかかった。約10年前にワンを訪れた時に見かけた店だ。

将来ケバブ屋を開くことがあれば、この名前を使いたい(ないない)

 

その界隈は昔ながらの市場で、なんとなく見覚えがあった。以前泊まったホテルの辺りだ。今回泊っているホテルからも近い。

 

コロナ禍の遺産のあごマスク

 

かつて泊ったホテル、ここかも。(階段で銃を持った男を見かけたとこ)

 

 

キョフテ(肉団子)屋さんが並んでいる一角があったので、そのうちの一軒でキョフテサンドをテイクアウトする。

 

その後、ワンに着いてから2日連続で通っていた酒屋にまた行って、缶ビールを買ったら、初めて店主に話しかけられた。どこ出身か、イラン人か(えっ?)、ワンに住んでるのか、仕事は何か、結婚しているか、そういう類の一連の質問だ。アラブ人はこういった質問を初対面であいさつ代わりにするが、トルコ人(またはトルコのクルド人)は3日かかるのね…

 

私が「ワンにはイラン人観光客がいっぱいいるね」と言ったら、店主はうなずきつつ、顔をしかめていたので、イラン人観光客が嫌いなのか聞いてみたところ、「彼らはあんまり清潔じゃないからね」という返事だった。フェリーの中のトルコ人たちの反応から考えても、トルコの人々とイラン人の相性はあまりよくなさそうだ。トルコ人は、アラブ人のこともよく思っていない人が多く、シリア内戦で難民が押し寄せてくる以前から、「アラブ人は清潔じゃない」などと言う人がいた。イラン人に対する批判と同じだ。

 

他のお客が来たので、別れの挨拶をして店を出て、ホテルに帰ってビールを飲み、キョフテサンドを食べた。

 

揚げたキョフテはやわらかくて、スパイス控えめ。新鮮な玉ねぎやトマト、レタスと一緒に挟んであって、とても美味しかった。昼抜きだったから、余計美味しく感じられたのかもしれない。

 

翌日はワン空港から国内線でイスタンブールに移動する予定だった。イスタンブールの後は、イタリアに移動だ。旅も後半に入り、終わりが見えてきた。

 

 

(おまけの室内園芸写真)

キャンドゥで5月に買ったミニトマト栽培キット、ひょろ長く伸びるばかりで、ようやく花は咲いたものの、実がなる気配はなく、このまま立ち枯れかと思っていたら、苦節半年にして、なんと実がついたのだ。すごくないですか??



 

最初発見した時は直径5ミリほどだったのだが、今は1センチ弱ある。そして今日、なんともうひとつ小さい実がついていることに気が付いたのだ。

かわいい~

 

しかし、トーマさん(仮名)は、先っちょの方に実がついて重くなったせいか、腰が曲がった老婆のようになってしまった。

私の未来の姿か。

 

 

トーマさん、がんばって生き延びて…なんなら実が赤くならなくっても構わないから、私と一緒に冬を越そう~

 

 

(続く)

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