外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

日付不明まとめ書き日記2024年9月

2024-09-25 20:16:05 | 日記

 

 

日本(首都圏)は突然ホットワインの季節に突入したが、皆さんはいかがお過ごしだろうか。つい数日前まで熱中症による死のリスクに怯え、夜のベンチ飲みにも冷やした缶酎ハイや白ワインと共に水のペットボトルを持参していたというのに、一体なんなの、この激動の気温は・・・

 

さて、今回はまとめ書き日記。一昨年の旅行記をやっと再開し、涼しくなったからガンガン書き進めようと思っていたのに、気が付いたら脱線して、違うことを書きたくなってしまうのはなぜなのか。いたずらな魔法使いの仕業なのか。

 

まあ、急がば回れってことで。(なんか意味が違う?)

 

 

9月某日

*まだ熱中症警戒アラートが出ていて、秋が来る気配が感じられなかった頃の話(=1週間ちょっと前)

 

手のアトピーが急激に悪化し、治る気配がないため、かかりつけの皮膚科に行く。

 

私の両手(手のひらと指)には長年、常にアトピーがあり、時期によって良くなったり悪化したりするのだが、この数日前から、ここ数年見られなかったレベルでひどくなった。手のひらと指(手のひら側)の全体が赤く腫れていくつも水泡ができ、それが破れて中から汁が染み出しているので、何も触りたくない。水に触れると痒くなるので、トイレをなるべく我慢し、料理も手袋着用で最低限しかやらない。そういう状況だった。常用している塗り薬をひたすら塗っていたのだが、収まるどころか悪化していく。さすがにこれは医者にかかった方がいいと気づいた(遅い)。

 

その日の皮膚科は、他の曜日とは違う先生の担当日だった。

 

先「今日はどうされましたか?」

み「手がこんな風にひどくなったんです~(手を見せて色々説明)」

先「これはひどいですね…どうしてこうなったんですか?」

み「それは私が聞きたいです」

 

意表を突いた質問だったな…

 

思い当たることがないと説明したら

先「う~ん、夏の疲れが出たのかもしれないですねえ」

み「疲れるようなことは何一つしていないんですが」

先「アハハ(ウケてる)」

み「私の生活で疲れるということはありえないです(断言)」

 

コントしているみたいな会話になった。

 

結局、私は手のひらに汗をかきやすい体質だから、暑さのせいで悪化したのだろうという結論になり、ステロイドの強い塗り薬を出してもらって、それを塗ったら3日ほどで収まった。それと同時に涼しくなったので、そのおかげもあるだろう。

 

やれやれ、よかった。これで膀胱炎にならずに済む…

 

 

9月某日

涼しくなったので、コーヒーをホットで飲むことにする。

 

私は起き抜け(昼頃)にコーヒーを飲むのが習慣なのだが、暑い時はホットで飲む気にならず、エスプレッソを淹れてから冷まし、熱中症予防も兼ねて、氷と牛乳をたっぷり入れて飲んでいたのだ。まあエスプレッソと言っても、専用の粉を買うお金はないので、ブレンドの粉をエスプレッソメーカーに詰めて淹れる「なんちゃってエスプレッソ」なんだが。

 

ホットで飲むにあたって、エスプレッソにしようか、それともフィルターで淹れるブレンドコーヒーにしようか迷ったが(粉は同じだが)、ホット初日はエスプレッソにすることにした。

 

私はブレンドコーヒーを飲む時はマグカップで、エスプレッソを飲む時は小さいグラスで飲むことにしていたのだが、この日は久しぶりだから勘が鈍ったのか、うっかりエスプレッソをマグカップに入れてしまった。

 

大きなカップの底に少しだけ入った飲み残し風エスプレッソ。それは、ほろ苦い秋の味がした。

 

マグカップに入れたエスプレッソが、あんなにみすぼらしく見えるとは。

 

やはりエスプレッソ用のデミタスカップがほしい。でも、百均ではデミタスカップを見たことないんだよな。少なくともうちの近所のダイソーとキャンドゥでは見たことがないし、百均以外で食器類を買うのは、私のプライド(?)が許さない。

 

ダイソーにデミタスカップ売ってほしい。

なんならエスプレッソの粉も売ってくれないかな…

 

 

9月某日

スーパーにしだいに米が戻ってきた。しかし、まだまだ品薄な上、入荷した新米は値段がかなり上がっている。

 

日本ではしばらくの間、全国各地のスーパーから米が消えていた。皆さん困られたと思うが、当然私も困った。自分用ではなく、すずめ用の米で。

 

私にとって米は必需品ではなく、1か月にせいぜい1、2回炊く程度なので、「米がなければパンとパスタとクスクスを食べればいいじゃないの」とマリーアントワネットに言われても、「その通りですわね」と優雅に微笑んで同意できるのだが、問題はすずめだ。

 

私は毎日すずめに米をあげているのだ(参考)。すずめちゃんたちは米が好きだ。以前クスクスやもち麦などを試しにあげてみたことがあるが、食べ残された。パンやビスケット類は米よりも喜ばれるが、米よりも割高だし、雨が降ったり食べ残されたりした時に傷みやすい。小鳥のエサは粒が小さすぎて撒きにくい。やはり米、特に玄米がベストなのだ。

 

米が欠乏していた時期は、割高な発芽玄米を買っていた。白米や普通の玄米があらゆる店の棚から消えても、値段の高い発芽玄米は売れ残っていたのだ。そういえば、コロナでトイレットペーパーがスーパーから姿を消した時も、高級品は売れ残っていた。安い物が真っ先に消えるのだ。

 

新米が出回り、ようやく米が買えるようになってきても、普通の玄米は未だになかなか手に入らないので(私が買い物に出かけるのが閉店間際なせいかも)、引き続き発芽玄米を買おうと思ったら、以前と同じ商品がさらに値上げされている。

 

そんな中、比較的割安な玄米を見つけたので、喜び勇んで買ってみたのだが、家に帰ってから袋をよく見たら、「糖質32%オフ」と書いてあるではないか(普通買う時に気づくよね)。すずめちゃんたちに糖質オフの米をあげたら、すぐにお腹減っちゃうかも。野良すずめにダイエットは必要ないのに~

 

結局、いつもより余分に撒いて、カットされた糖質を補ってもらうことにした。割安だった意味が全然なかったな…

 

 

これ

 

私が食べるにはいいかと思ったが、とがずに炊けるわりには1時間吸水させる必要があるとのことなので、面倒でなかなか炊けない。結局自分用にはスーパー・ハナマサで安かったタイ産ジャスミン米を買い、リゾット方式で調理することにした。

 

すずめちゃんたちもジャスミン米は好きみたいなので、次からは玄米じゃなくてこれでいいかな~

 

 

 

9月某日

ダイソーで買った読書スタンドを使って読書をする。

 

これ

 

 

私は読書をする際、語学学習を兼ねて外国語(アラビア語・イタリア語・トルコ語)の本を読むようにしている。日本語の本はめったに読まない。最近まではネットで見つけた小説のPDFをダウンロードして、パソコンで読んでいた。パソコンで読書すると、文字を大きくしたり、分からない単語をすぐ調べたりできるので便利だ。しかし、先日読み始めた小説は、トルコで買った紙の本なので、文字の大きさは調整できない。

 

私はおばちゃんなので老眼で、近くのものが見えにくい。パソコンを使う時は、至近距離ではないところに置くようにしている。眼鏡はかけない。読みにくければ、字の大きさを調整する。一方、手元でスマホを長時間見る時は、眼鏡をかける。

 

紙の本を読む場合、その中間くらいの距離になるわけだが、眼鏡をかけるべきか否か。単語を調べる際にパソコンを使うか、スマホを使うかによっても、眼鏡の要不要が変わってくる。

 

色々試行錯誤した結果、読書スタンドに本を立てて、裸眼で読める距離に置き、単語調べは、紙の辞書とスマホの両方でやることにした。辞書とスマホは目から離して置き、やはり裸眼で読むことにする。

 

本を立てるとこんな感じ

本の前面を下から抑えている2本の突起が、読む時にけっこうジャマ~

 

 

裏はこうなっている

 

 

年を取ってから読書をするということが、こんなにめんどくさいことだとは知らなかった。みんなどうしてるんだろう?

 

ちなみに、今読んでいる小説は在英のトルコ人作家エリフ・シャファクの名作「Baba ve Piç」(オリジナルは英語・原題「The Bastard of Istanbul」)

 

この小説をトルコ語で読むのは2度目なのに、なぜこんなに知らない単語があるのか。調べまくっているため、なかなか読み進められない。以前はストーリーを味わうことを優先させて、細かい単語は調べなかったのだが、今回は語彙を増やすため、覚えていない単語は一通り引くことにしているのだ。それにしても、使われている語彙の豊富さが半端じゃないぞ…

 

なお、この小説はアルメニア人虐殺を扱っており、このためエリフ・シャファクは「トルコ国民を大量虐殺者(soykırımcı )として描いて侮辱した」という理由で、愛国的なトルコ人弁護士に告訴されている。無罪放免になったが。

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

キャンドゥの栽培キットのミニトマトさんの現在

生後約4か月。立ち枯れまでもう一歩か…

 

 

(終わり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(29)~エラズーからワンに移動~

2024-09-20 17:41:49 | トルコ

 

 

今回は、トルコ旅行でエラズーに2泊した後、ワンにバスで移動した時の話。

 

 

ネットで拾ったアンカラ・ワン間の鉄道路線・空港の地図

私はアンカラ(Ankara)からシワス(Sivas)、エラズー(Elazığ)、そしてワン(Van)の手前のタトワン(Tatvan)までは鉄道路線に沿って西から東に移動したことになる。バスだけど。

 

 

この日も朝8時に起きて、荷物をまとめてから朝食に行った。寝たのは3時だったのに早起きして、我ながらエライ。(早く寝ればいいものを)

 

 

この日は朝食にトマトとキュウリがあった。ビタミン補給

 

 

朝食後、SNSの更新などしてから、11時ギリギリにチェックアウトした。バスの出発時刻の13時まで時間があるので、スーツケースをホテルに預けて、少しエラズー市内を散策することにした。

 

 

通りがかりのモスクを覗いてから、

 

 

屋根付き市場( Kapalı Çarşı)を観光

 

 

エラズーの屋根付き市場は茶色い木造の建物で、街の規模の割にはまあまあ広い。1928年創設だが、近年修復が行われたそうで、まだ真新しく見えた。中途半端な時間帯なので買い物客は少なかったが、観光客も地元の人も来るとのことだ。

 

 

キュネフェ(アラビア語では「クナーファ」)などのお菓子の原料の、小麦粉と水で作られた極細麺「カダユフ」の専門店がいくつか並んでいた。

一見シロップなしのかき氷。ふう~っと息を吹きかけたい衝動をこらえた。大人ですから…

 

 

孫の手があった。これを買っておくと、〇十肩になった時便利ですよ、奥さん

 

 

いい感じに鄙びた郷土菓子を売る店 

 

 

羊の頭部や足、内臓専門店はちょっとコワい

 

 

スパイス屋さん

中東のスパイス屋さんはどこも魅力的で、キラキラ輝いて見えるのはなぜなのか。

 

 

巣箱入り蜂蜜も魅力的だが、重いからなかなか買えない。

 

 

ハルプット産のディベック・コーヒーのミックスがあったので、それだけ買って出る。

 

 

エラズーの屋根付き市場のPR動画

 

 

市場の脇には、サモワールや鍋などが並ぶ金物屋街があった。

 

 

ヤカンや鍋類の修理もしてくれるらしい。取っ手を取り替えたりも可能。

 

 

金物屋街を抜けて、別の商店街に入ったら、サイドカー付きのバイクに乗っている、仲の良さそうなおじいさんたちがいた。

かっこいい2人組ね、うっとり…

 

 

せっけん屋さん

 

 

トルコのもんぺ(にしか見えない)発見

 

 

クルドの男性の民族衣装、マネキンがびみょ~

 

 

このマネキンで売れるのか

 

 

6月末だったが、昼間はもうけっこう暑くて、歩き回っているうちに疲労困憊したので(すぐ疲れる)、ゆっくり座れてWi-Fiが使えそうなカフェを探したのだが、そんなものはなかった。まあ、エラズーですしね…

 

 

私が歩いていた商店街には、そもそもチャイハネ(チャイエヴィ、喫茶店)自体があまりなかった。座って休憩できればどこでもいいやという気分になり、やっと見つけたおじさん・おじいさん御用達の喫茶店に入ることにした。

 

 

店内はけっこう広くて静か

 

 

こんな木の椅子があったりする

 

 

店の外のテーブルで談笑しているおじいさんたちを眺めながら飲むチャイは格別だねえ~

 

 

私はなぜこんなに仲良く談笑しているおじさん・おじいさんを眺めるのが好きなのか。もしや前世はおじさんだったんじゃないのか。あるいは、おじさんかおじいさんに可愛がられていた猫か。

 

 

チャイ一杯でゆっくりさせてもらってから、ホテルに戻って荷物を引き取り、ドルムシュでオトガル(バスターミナル)に行った。12時過ぎには着いたので、バス乗り場の近くのベンチで待っていたら、猫がやって来た。

 

 

「この人はエサをくれそうだにゃ~」

私が猫おばさんだということが、どうしてわかったのかしら?(カバンにエサの匂いが染みついてるからや)

 

 

私のカリカリを食べ終えたら、別のベンチの脇で待機

 

 

上を見上げたらすずめさんも待機中だった。誰かがこぼした食べ物狙いか

 

 

13時近くにバスがやって来た。

 

 

ワン行きのバスもベンツ製で快適だった。定時に出発して、ほぼ予定通りに着いた。他の乗客はトルコ人やクルド人ばかりだったが、乗車中みんな寝たり静かにスマホでゲームをしたりしていて、休憩時間の後もちゃんと時間通りにバスに戻って、マナーが良かった。

 

 

エラズーの街から出て少ししたら停車し、ジャンダルマ(憲兵)が乗り込んできて、乗客の身分証を確認して回った。アンカラ以降、これまでの検問では、外国人の私はスルーされていたが、今回はパスポートをチェックされた。トルコ南東部に向かう便は、チェックが厳しめなのかもしれない。

 

 

検問は手早く行われる

 

 

ふと窓の外を見たら、小高い丘の上に軍事基地があって、監視台がそびえていた。トルコには基地が多いのだ。

 

 

トルコ軍は国内南東部のシリア・イラク・イラン国境に近い山岳地帯などでも、国境を越えたイラクやシリアの北部でも、PKK(クルディスタン労働者党)などに対する「対テロ作戦」を常にやっていて、テレビでも「テロリストを〇人無効化した(殺害した)」とか、「テロリストの攻撃により兵士〇人が殉職した」というようなニュースをしょっちゅう見かける。そういう意味で、トルコは完全に平時にある国とは言えないと思う。それ以外の地域はごく平穏で、普通の日常生活が営まれているので、一見分かりにくいが。

 

 

なお、トルコ軍とPKK及びPKKに繋がる武装組織との戦いにおける2015年以降2024年7月21日までの死者数は、ウィキペディア(英語版)によると、NPOの「国際危機グループ」(ICG)調べでトルコ側が1488人、PKK側が4695人(民間人の犠牲は含まず)。トルコ国防省は自国軍側の死者数をあえて発表せず(発表すると政治的にマズいことになるからかな)、PKK側の死者は捕虜や投降者を含めて約4万人としているが、これはいかにも盛った数字であり、国際的に信頼度の高いICGの発表の方が実際の数値に近いのは明らかだ。

 

閑話休題…

 

13時から20時半まで、約7時間半のバスの旅だったが、その間に飲み物が3回サービスされた。お菓子はなし。昔はお菓子も必ず出たと思うんだが。バス会社によっては、今もお菓子サービスがあるかもしれない。まあ、なくてもいいけど。

 

 

チャイ(紅茶)は珍しくリプトンじゃなかった

 

 

途中で食事休憩が30分あったので、ドライブインでケバブサンドを買って食べた。

 

 

売店の入り口で待機していた黒猫さん

 

 

ケバブのブース

 

 

食べかけで失礼…新鮮なレタスや玉ねぎ入りで美味しかった

 

 

ケバブ担当のおじさんがサンドイッチを渡してくれる時、「ドイツ語は話せるか?」とドイツ語で聞いてきた。(話せません)トルコでこれを聞かれたのは10年ぶりくらいだったので、びっくりした。ドイツ出稼ぎ組の名残か。

 

 

休憩後、時間通りに再出発。車窓からは羊や牛の群れ、小麦の麦わらを四角に固めたものが点々と広がる野原、かろうじて緑に覆われている岩山などが見えた。私は睡眠不足だったので、だいたい寝て過ごし、目が覚めたら外の風景をぼんやり眺めていた。なにしろ、今回トルコではSIMカードを買い損ねて、スマホ(ネット)が使えないから暇だったのだ。トルコのバスにWi-Fiとかないしな。

 

 

 

 

 

 

ワンに着いた時にはすっかり夜だった。

 

 

オトガルでバス会社が運行するセルビス(オトガル・市内の間を走るミニバス)に乗り換え、親切そうな運転手さんに安ホテルがあるところで降ろしてほしいと頼んだら、市内中心部のメインストリートである共和国通りで降ろしてくれ、そこで同時に降りた若者に、私をいい安ホテルに案内するように言ってくれた。でもその若者は、「この辺にはたくさんホテルがあるよ」と言いつつ、めんどくさそうにしていたので(そりゃそうだよな)、自力で探すことにして、スーツケースを引きずって歩き出した。

 

 

歩き出してから、わりとすぐ、大通りから脇道に入った突き当りに、ホテルの看板が見えたので、そこに行ってみた。「Nisa Otel」というところだ。

 

 

比較的大きなホテルで、高そうだと思ったが、フロントで値段を聞いたら1泊130リラと安かった。(現在のレートで600円しないが、インフレで今は何倍にも値上がりしているはず)トイレとシャワー、Wi-Fi、テレビ、冷蔵庫、朝食付き。エアコンがなかったが、ワンは夏でもエアコンなしで過ごせる気温だというので、ここに決めた。一件目のホテルで決まってラッキーだった。

 

 

他に空きがないということで、初日は3人部屋だった

 

 

安宿なのにシャワー室がある~

 

 

フロントからエレベーターに乗った時、フレンドリーなイラン人女性に話しかけられた。よく聞き取れなかったが(たぶんアゼリー語)、彼女の兄弟の奥さんが日本人だと言っていた気がする…フロントにはイラン国旗があるし、エレベーター脇にはペルシア語で注意書きがある。イラン人の客が多いのだろう。

 

 

当時は推測することしか出来なかったペルシア語の張り紙。2年間じみじみ勉強したから今は大体わかる。

「チェックアウトは昼の11時まで、そうでない場合は部屋代をいただくことになります」

 

 

部屋で少し休憩してから、夕食とビールを買いに出かけたら、街中もペルシア語表記だらけで、イラン人観光客らしき人々がが大勢歩いていた。ワンはイラン国境に最も近いトルコの観光地なので、イランマネーで潤っていそうだ。長いコロナのロックダウンや規制から解放されて、喜び勇んでトルコに繰り出すイラン人は多いと思われた。イラン人はビザいらないしね。

 

 

まず酒屋を探し、酒屋やパブが何軒か並んでいる通りにある、内装がキラキラした感じの店で缶ビールを買う。ワンは保守的な街なので、黒い袋に入れてくれた。店内にはイラン人男性が数人いて、楽しそうに酒を買っていた。イランではアルコール類が禁止だから、トルコに来たらここぞとばかりに酒を飲むのだろう。そう思うと、彼らに親近感と連帯感を抱かずにはいられない。

 

 

夕食用には、炭火焼の店でチキンのサンドイッチを買った。レバーがメインの店だが、他にも色々あった。

 

 

安くても炭火焼

 

 

 

ここにもペルシア語表記

 

 

ホテルに戻ってビールを飲み、サンドイッチを食べた。昼も夜もサンドイッチで、ビタミンが足りないな…

 

 

値段と量とアルコール度について熟考し、厳選したビール2缶

 

 

グーグルで「Bremen 1827」について調べたら、AIさんが以下の情報をくれた:

~Bremen 1827は、トルコのAnadolu Efes(*通称エフェス)が製造するビールです。アルマン(*ドイツの)純粋法律に準拠して作られており、アルコール度数は4.5%と7.0%の2種類があります。2023年にはMonde Selectionの優秀品質銀賞を受賞しています。~

 

最近グーグル検索すると、AIが色々教えてくれるけど、試験運用中だけあって、ちょっと微妙なとこあるよね…ドイツの「純粋法律」ってなんやねんと思ったら、ドイツで16世紀に制定され、未だに有効な「ビール純粋令」のことらしい。

 

 

食後、ビールを飲みながらドライブインで買った日刊紙「Yeni Yaşam」(=新しい生活)を読んだ。トルコ語でクルド側からの視点に基づく記事が読める貴重な新聞で、読むところが多い。クルド人多数居住地域である南東部(いわゆる「トルコのクルディスタン」または「北クルディスタン」)以外ではなかなか見かけないので、ワンでは出来るだけ毎日読みたい。

 

 

ワンには3泊する予定。翌日はワン猫を見に行くことに決めていた。がんばって「ワン猫の家」に辿り着かなくては…

 

 

(続く)

 

 

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(28)~ハルプット観光とアルメニア人虐殺~

2024-09-14 21:26:26 | トルコ

 

 

今回は、ようやく2年前の海外旅行記の続き。お待たせしちゃったかしら? …え、待ってないですか?そ、そうですか、しょぼん…

 

2年前の海外旅行記というのは、2022年の6月半ばから約1か月でイタリア・ヨルダン・トルコの3か国を移動した時の話なんだが、ただでさえ1日の活動時間が短くて更新ペースがのろいのに、途中でパレスチナ滞在記を追記したり、日本とは思えないような気温の夏を生き延びるのに全エネルギーを使ったりしていたので、ずいぶん間が空いてしまった。

 

どこまで書いたか私本人が忘れていたくらいだから、読者の皆さんも忘れている(もしくは知らない)と思うので、簡単に振り返ってみると…

 

東京からローマに飛んで少し観光し(あれを観光と呼べるなら)、そこからヨルダンに飛んで首都アンマンを拠点に出歩き、さらにトルコに飛んで首都アンカラからシワス→エラズーへと東にバスで移動したところで前回は終わっていたのだった。(前回の話はこちら

 

という訳で、本題に入る。(大雑把な説明やな~)

 

エラズーでの滞在2日目は、日帰りで近郊の歴史的な町ハルプットを訪れた(エラズー県内)。

 

前回の記事の終わりに、「ハルプットはワンと同様、今回のトルコ旅行の主要な目的地だった。シワス以上に観光スポットのないエラズーに2泊もすることにしたのは、ここを拠点にしてハルプットを訪れるために他ならない」と書いたが、それについてちょっと解説しておきたい。ハルプットは国際的に知名度の高いトルコの観光地ではなく、聞いたことがない人がほとんどだと思うので。

 

私はかつてイタリアで、アルメニア系イタリア人の作家・翻訳家アントニア・アルスランの小説「La masseria delle allodole」を買って読み、帰国後もイタリア語読解・翻訳の個人レッスンの題材としてこの本を取り上げた際に再読した。邦訳の題名は「ひばり館」となっている。この本を原作にしたタヴィアーニ兄弟監督の映画の方は、原題を文字通り訳した「ひばり農園」というタイトルだ。

 

この小説は1915年から1917年にかけてトルコの政権(オスマン帝国末期に政権を握っていた「統一と進歩委員会」)が実行したアルメニア人虐殺を扱ったもので、当時トルコで暮らしていた著者の親類の一家に起こった悲劇を物語る、実話に基づく小説だ。

 

左側の本がそれ

 

この親類一家が暮らしていたアナトリア半島のアルメニア人住民の多かった「小さな町」(Piccola Citta')の町外れにある別荘「ひばり館(農園)」が、彼らの最初の悲劇の舞台となるのだが、この「小さな町」がハルプットだということを旅の行程を計画している時に知り、訪れてみたいと思った。

 

しかし、トルコでの滞在日数は限られているし、広くて移動に時間がかかるから(しかも私はとろい)、あまりあちこちには行けない。アンカラ→ワン→イスタンブールという大筋のルートは決めていたが、アンカラからアダナ経由でシリア国境に近いハタイ県を訪れて歴史的都市アンタキヤを観光し、シリア難民が多く住むキリスに足を延ばしてからワンに移動しようか、あるいはエラズー経由でハルプットを訪れてからワンに行こうかと、かなり迷ったが、結局ハルプットの方を選んだのだ。

 

その後、2023年2月6日の大地震でハタイは甚大な被害を受け、壊滅的な状態になった。アンタキヤの歴史的な教会などもダメージを受けたという。今振り返れば、あの時ハタイに行くべきだったのかも、と思わないでもないが、当時はハルプットに行く方が自分にとって重要だったのでしょうがない。(あまり後悔しないで生きるタイプ)

 

なお、上の写真の右側の本は「ひばり館」の続編の「スミルナへの道」(la Strada di Smirne)で、こちらは「スミルナ(イズミルの旧名)の大火」と呼ばれるギリシャ人虐殺事件を扱ったものだ(参考)。こちらの方はまだ邦訳が出ていないようだが、この小説も「ひばり館」と同様、勉強になる上に文学作品としても素晴らしいので、是非邦訳を出していただきたいものだ。

 

 

<アルメニア人虐殺関連情報>

*「150万人が犠牲になったアルメニア人大虐殺から100年 問題は現在も続いている」(2015年4月25日付けの記事)

https://www.huffingtonpost.jp/2015/04/24/armenian-genocide-controversy_n_7140572.html

 

*虐殺が起こった当時ハルプットに滞在し、アルメニア人虐殺を目撃した米国人宣教師ヘンリー・リッグス氏の回顧録(英語だから私は読む根性がないが)

Days of Tragedy in Armenia: Personal Experiences in Harpoot, 1915-1917 (Armenian Genocide Documentation Series, 1) 

https://www.amazon.com/Days-Tragedy-Armenia-Experiences-Documentation/dp/1884630014/ref=sr_1_2?dib=eyJ2IjoiMSJ9.Ca0A_p5SkBj-gaJmdobxVM-KEsghFYPC8JxtpfRKFkvBvG6B72qYmTDwK-6NUyHqJCJx_pyGOcqM07Hc6UzXcw.tXDtz9wW1XzW_lOavJK2Vo7rraKPj55GnnAkepqKgRo&dib_tag=se&qid=1726132683&refinements=p_27%3AHenry+H.+Riggs&s=books&sr=1-2

 

*イタリア・ボローニャの映画祭で上映された記録映画が一部見られる動画。虐殺を逃れたアルメニア人の女性や子供たちが船にぎゅうぎゅう詰めに乗り込んでイスタンブールから外国に退避した時の様子が映っている。

https://www.youtube.com/watch?v=Lw_aGl-Qhbc

 

 

現在ガザでイスラエルが犯しているパレスチナ人虐殺を見ていると、アルメニア人虐殺のことが頭をよぎる。支配下の他民族の民間人殺戮、強制移動、飢餓、略奪…技術が進歩して、スマホで撮られた現地からの映像がSNSを通じてリアルタイムで世界中に届くようになっても、人類は昔と変わらず、同じ過ちを繰り返している。諸大国が虐殺を止めなかったのも同じ。技術が進歩している分、虐殺のスピードも速くなっている。そこには救いというものがないように思える。

 

 

さて、前置きがやたらに重く長くなったが、ここからが本編ということで、ハルプットに出かけた時のことを書く。(がんばれ私)

 

 

この日は朝8時に起きて(めっちゃ早起き)、洗濯してから朝食ルームに行った。

 

 

 

 

ここの朝食ビュッフェはチーズとオリーブ、茹で卵、パン、ジャムとバター程度のごくシンプルな内容だった。飲み物はチャイのみ。昔はホテルの朝食でもチャイ以外にネスカフェがあるのが普通だった気がするが、最近はチャイだけのようだ。シワスのホテルもそうだった。朝は食欲がないので、少しだけ取る。パンが美味しかった。

 

朝食後、部屋に戻ってSNSに写真をアップしたりしていたら、出かけるのが11時を過ぎた。まあ、いつものことよね…

 

エラズーからハルプットまではけっこう近く、ドルムシュ(乗り合いミニバス)で20分ほどだった。出かけるのが遅くなったけど、問題なかったな。

 

 

車窓から見かけたポップな豪邸(?)

 

着いた~

 

 

街の中心近くでドルムシュを降りたが、どこに行けばいいかよくわからなかった。ウィキペディア(英語版のHarpootの項目)によると、虐殺後、生き残ったわずかなアルメニア人は世界各地に離散し(一部の人々は旧ソ連アルメニア共和国に移民してNor Kharberdの町を建設)、アルメニア人地区の建物は1960~70年代に取り壊されたという。何もなくても、かつてアルメニア人が住んでいた場所、特に小説に出てくる教会や「ひばり館」の跡地に行ってみたいと思ったが、手掛かりがなくて、たどり着けそうにない。

 

しょうがないので、とりあえずハルプット城(Harput Kalesi)に行ってみることにした。ハルプット城は紀元前8世紀、ウラルトゥ王国時代に建造された要塞で、この街の観光の目玉。街の中心部から少し坂を下ったところにあった。

 

岩の上に聳えたつハルプット城

 

ふもとにいた茶トラ猫さん

 

私が近づいたらすかさずエサをねだった

 

いい人(私)に出会えてラッキーだったね~

 

 

入場は無料だった

 

中に入ってみると、トルコ人の国内旅行者がけっこういた。団体客まで来ている。歴史的な要塞で、地下通路があったり、民俗博物館的な展示があったりして、無料な割に充実していたから、人気なのだろう。外国人は私だけだった。

 

地下通路

 

けっこう地下深くまで降りる階段だった。降りたところは、特に何もない空間だったが。運動不足らしいトルコ人のおばちゃんが息を切らせて、ふうふう言いながら登って来るのを微笑ましく眺めながら降りたが、上る時は私もそのおばちゃんと同じ状態だった。

 

民俗博物館コーナー

 

 

うちのアパートのトイレも和式でこんな感じ。一応水洗だけど

 

 

ハルプット城を出て、坂の下の方を眺めたら、古めかしい廃墟や、モスク風の屋根の建物も見えたが、とりあえず街の中心部に戻って、そちらを散策することにした。うかつに坂を下りたら、上るのが大変だからな…

 

ハルプットのカササギさん「人間は飛べないから大変そうだね」 そうなのよね…

 

 

中心部に戻って散策していたら、由緒ありげな霊廟があったので、入ってみた。「ARAP-BABA」の遺体が置かれた霊廟で、1276年に建てられたらしい(ルーム・セルジュク朝時代?)。

 

 

 

「ARAP-BABA」(アラブ人のお父さん??)が何者だったのかは詳細不明だが、色々伝説があるらしい。日照り続きで皆が困っていた時、住民のセルヴィという名の女性が夢に見たとおりに彼の遺体から頭部を切り落として谷底に投げたら雨が降ったとか、雨が止まないからその頭部を元に戻したら止んだとか、そういうやつ。(参考・トルコ語の説明) 

 

私が外に出たら、順番を待っている人が数人いた。観察していたら、入れ代わり立ち代わり参詣客が訪れていた。ご利益があるのだろうか。

 

土産物屋もあった。手作り感満載の人形がかわいい。

 

 

街中には、住宅らしきものは見当たらなかった。道端で暇そうにしていたおじいさんに、住宅地はどこかと聞いたら、ここは観光地だから家はあまりないと言われた。

 

もしアルメニア教会の廃墟があれば、そこだけでも行きたいな~思っても、当然標識も何もないから探しようがないし、観光案内所で聞くのも憚られる。

 

トルコ政府は、未だにアルメニア人虐殺の事実を認めていない。それどころか、虐殺追悼記念日である4月24日に、国営放送TRTが「アルメニア人によるトルコ人殺戮」をテーマにした特別番組を流したりしているくらいだ。「アルメニア人虐殺」(Ermeni Soykırımı)を認めるような発言をしたら、国家侮辱罪で起訴されるような国だ(トルコのノーベル賞作家オルハン・パムク氏のケース)。

 

まあ、単なる旅行者の私がかつてアルメニア教会があった場所を尋ねるくらいなら、特に問題ないかもしれないのだが、アルメニア人虐殺に関わることをトルコ人と話すのは、なるべく避けたい。私は単なる旅行者にしてはやや挙動不審だから、意図を怪しまれるかもしれないしね…(小心者~)

 

なお、ウィキペディアのトルコ語版「Harput」の「Harput Ermenileri」(ハルプットのアルメニア人達)という項目には、以下のよう書かれている:

Osmanlı Ermeni halkları 19. ve 20. yüzyılları arasında Harput ve çevresinde yaşamlarını sürdürmüştür. Kentin mimarisine birçok katkıda bulunmuşlardır. Kurtuluş savaşı ve akabinde cumhuriyetin ilanından sonra bu çevrede önemli ölçüde göç olmuştur.

「オスマン帝国のアルメニア人は、19世紀から20世紀にかけてハルプットとその周辺で暮らし、街の建造物に多くの影響を与えた。祖国解放戦争(トルコ独立戦争)とそれに続く共和国建国宣言の後、この地域では大規模な移住があった」

 

 

観光案内所は素通りして、その辺を歩いている人達に、古い住宅や教会はないかと聞いてみたが、誰も知らなかった。

 

街の外れに、木々の間に住宅が見え隠れする緑豊かな地域もあったが、アルメニア人地区とは関係なさそうかな…

 

 

「Antik Han」という風情のあるカフェがあったので入ってみる。

 

閑古鳥が鳴いていた

 

ハルプットの特産品「Dibek Kahvesi」(カルダモンとクリーム入りの臼で挽いたコーヒー)を頼むと、ロクムが付いてきた。

 

 

お店のお姉さんにも、この街に教会があるかどうか聞いてみたが、知らないと言われた。

 

仕方ないので、適当に辺りを歩き回ってみる。観光地なせいか、ハルプットには猫が多かった。私がカバンを開けたら、みゃあみゃあ言いながら寄って来る。エサをあげる人たちがいて、慣れているのだろう。トルコあるある。

 

警戒心の強い白黒猫さん

 

 

モデルのようだった長毛ミケさん

 

「カメラウザいんだにゃ~」

すいませんねえ…

 

鶏もいた。放牧(?)

 

 

暑い中歩き回って疲れたので、どうしようかと思いつつ、ダメもとで通りかかったおじいさんに質問してみたら、ハルプット城の近くに古い教会があると教えてくれたので、がんばって行ってみることにして、城の方に戻る。

 

城を通り過ぎたほんの少し先の、石段を下りたところにその教会はあった。

 

「アッシリアの古い聖母マリア教会」

アルメニア教会じゃなかった…予想はしていたが。

 

教会前の広場は、工事の資材置き場みたいになっている。

 

入口

閉鎖されていて、中には入れなかった。

 

教会の前の道をさらに降りて行ったら、城から見えていた廃墟があった。

何かの遺跡かな…

 

さらに先に行くと、モスクっぽい屋根だと思った建物に辿り着いた。モスクではなくて、様々な病気を治す力があるという「癒しの水」が湧くスポットだった。誰もいなかったので、見学だけする。

 

 

 

「胃、腸、肝臓、リューマチ関連疾患、鬱病に効くと知られている」鬱にも…?

 

更衣スペースがある~

 

ここに浸かるらしい。

 

ハルプットって、歴史的な要塞あり、なんかご利益ありそうな聖人の霊廟あり、古い教会あり、癒しの湧き水を浴びられるスポットありで、しかも全て無料なんて、これでロケーションが良ければ観光地として最強じゃないだろうか。でも場所が辺鄙だから、知る人ぞ知る穴場の観光地という立ち位置か。

 

疲れたし、お腹も減ったので、遅めのランチを食べてからエラズーに帰ることにした。街の中心部からハルプット城に向かう途中で、大勢の地元客ですごく賑わっている店を見かけたので、そこに決める。「Ensar Mangal Vadisi」という食堂だ。

 
 

屋外にテーブルがたくさん並んでいる。

 

空いている席に座って、メニューを見せてもらったら、メイン料理が1品50リラからだった。予算オーバーでちょっと動揺したが、美味しそうだったので覚悟を決めて、60リラの「yoğurtlu kebap」(ケバブのヨーグルト添え)とアイランを頼んだ。前菜の「Acılı Ezme」(トマトベースの辛めの野菜ペースト)、サラダ、パン、チャイはセットになっていた。水は別料金。当時は60リラが高く感じられたが、トルコはインフレがすごいので、今は4倍以上しそう。

 

 

 

ケバブは、羊肉の薄切りを焼いたもの下にヨーグルトソースと細切れのパンが敷いてあり、スパイシーでクリーミーで非常に美味しかった。さすが、流行っているだけある。アイランは普通。大衆的な店なので、ビールはなかった。

 

 

テーブルの間を猫が巡回していたが、スパイスの利いたケバブをあげるわけにも、カリカリを取り出してあげるわけにもいかず、心苦しかった。

 

「どうして何もくれないの?」

すんません、すんません…

 

「ちらっ」

 

「このかばん、何かいい匂いするんだけど!」

鋭いね~

 

締めのチャイ

 

 

店を出たら、まだドルムシュに乗って、エラズーに戻った。

 

 

疲れたからホテルでしばらく昼寝して、夕方に翌日のワン行きのバスのチケットを買いにオトガルに出かけ(なぜかドルムシュの運転手が料金を受け取らなかった)、戻ってきてホテルの近くでビールと夕食用のチーキョフテのロールサンドを買って帰った。

 

一緒に巻いてくれる葉っぱがもりもり

美味しかった。

 

店の前で待機していた猫さん達

カリカリをあげた。

 


翌日はワンに移動。シャワーを浴びて、チーキョフテサンドを食べつつビールと残りのワインを飲み干し、早めに寝ることにした。

 

結局、最後までアルメニア人が暮らしていた頃の痕跡が見つからないまま、単に観光して終わったハルプットへの旅だった。いつかまたリベンジしたいものだ。まずアルメニア人のガイドが雇える身分に出世しなきゃいけないだろうか。いつやねん…

 

 

(おまけのビール写真)

今年も無事に出会えたキリン秋味様

 

 

しつこい残暑の中で飲む秋味は、複雑な味がするねえ…

 

 

(続く)

 

コメント (4)
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