外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

日付不明まとめ書き日記2024年10月

2024-10-22 15:36:43 | 日記

秋の短い期間、風に乗って家の中にまで入り込んでくる金木犀のあまい匂いが好きだが、そろそろ終わりかな。あの匂いを嗅ぐと、反射的にトイレの芳香剤「ピコレット」を思い出すが(世代がバレる)

 

 

 

さて、今回はまた、まとめ書き日記。このペースで、果たして一昨年の旅行記は今年中に終われるのか(去年も同じことを言ってたような気も)

 

 

10月某日

鼻くそについて、深く考察する。

 

「鼻くそ」という言葉は、ちょっとお下品で乱暴な気がする。上品な紳士やマダム、いいところのおぼっちゃんやお嬢様は口に出来ないのではなかろうか。普通の人でも、デートやお見合いの席などでは、使いにくいだろう。お見合いの時にそういう話題になることはないかもしれないが。

 

「鼻」はいいとして、問題なのは「くそ」の部分だ。「くそ」というのは、「くそったれ!」などの罵り言葉に使われたりするし、やっぱりちょっとお下品ですわよね? 特に漢字で「糞」と書くと、余計にイヤ~な感じになりますわよね…

 

考えてみたら、「耳くそ」は「耳垢(耳あか)」、「目くそ」は「目ヤニ」と言い換えることができるのに、「鼻くそ」にはなぜかそれ以外の言い方がない。

 

なければ、作ればいいじゃないか。

 

にゃむ、にゃむ、にゃむ(考えている音)

 

しばらく考えた結果、「鼻衣(はなごろも)」、「鼻玉(はなだま)」、「鼻フレーク」の3種の代替語を思いついた。

 

「鼻衣」は、鼻の穴を覆うあれを古風で雅な言い方で表現。あの様態は天ぷらの衣にけっこう似てますしね(天ぷら好きの方すみません)。「鼻くそをほじる」は、「鼻衣を剥ぐ(はぐ)、もしくは剥す(はがす)」と言い換える。

 

「鼻玉」は、鼻の穴からあれを掻きだして丸めた時の形状を表したもの。「鼻くそをほじる」は「鼻玉を転がす」と言い換える。

 

「鼻フレーク」は、いっそ英語にしてみたら軽やかさが出ていいのではないか、という発想のネーミング。どっちかというと、鼻くそよりは耳くその方がフレークな気もするが。「耳フレーク」、どうですかね。「鼻くそをほじる」は「鼻フレークをすくう」と言い換える。

 

X(ぺけ)のお友達にどれがいいか聞いてみたところ、「鼻衣」が優雅な響きで、一番いいとのことだった。私も同感だ。というわけで、今後は「鼻衣」で行こうと思う。皆さんも使ってみてはいかがだろうか。書く場合は、「花衣」にするとさらに優美になる。これなら、お見合いの席でも大丈夫な気がする。お見合いって、やったことないけど。っていうか、お見合いってまだ存在するんかな…

 

これはコーンフレーク(だから何)

 

 

10月某日

久しぶりに本そうじをして、生まれ変わったような爽やかな気分になる。

 

私は普段のそうじを「プチそうじ」「中そうじ」「本そうじ」の3つのカテゴリーに分けている。

 

「プチそうじ」は風呂場やトイレ、台所のコンロ・流し周りや床、部屋の畳などをピンポイントでそうじするだけで、すぐ終わる。畳はフローリング用ドライシートでさっと拭くだけだ(掃除機を持っていない)。

 

「中そうじ」は、物をどけない程度に、全領域を表面的に掃除することで、半時間~1時間かかる。

 

「本そうじ」は、物を動かして拭きそうじや整理整頓などをすること。普段のそうじとしては最上級のランクで、約2時間かかる。これはけっこう疲れるので、月1回程度、元気がある時にしかできない。

 

本そうじは達成感があるので、やると毎回生まれ変わったような気分になる。つまり、私はほぼ毎月生まれ変わっていることになる。毎月新生児になるおばちゃん。

 

これ以外にも、食器棚(=靴箱)や小物置きスペース(=押し入れ上段)に敷いたシート(=キッチンタオル)を新たにするとか、台所の棚の中を整頓するとかの作業があるが、それは年1,2回しかやらないので「大そうじ」という特別のカテゴリーに入る。

 

ちなみに、私はそうじを始める時、まず「あ~、全然やる気がしない!」と大きな声で宣言してからやることにしている。そうすると、やる気がないにもかかわらず、そうじをしている自分がすごく頑張り屋さんに思えるから、おススメだ。「こんなにやる気がないのに、そうじしててエライね!」と自分を褒めたたえながらやるのがコツ。やり終えた時には、もちろんご褒美に酎ハイを飲んで、自分をねぎらう必要がある。

 

問題は、いつも自分へのご褒美に酎ハイを飲んでいるので、日常化しすぎてご褒美感が薄れていることだな。

 

 

たまには、甘い物のご褒美もいいかも~

(友達にもらった猫どら焼きとはちみつチャイ)

 

 

10月某日

買い置きの酎ハイが3%の、ほぼソフトドリンク(主観です)のやつと、9%のストロングしかないけど、その中間くらいの度数の酎ハイが飲みたい!という時に、我慢したり買い出しに行ったりしないでいい方法を発見する。

 

3%のと9%のを両方開けて、交互に一口ずつ飲めば、体の中で6%になるじゃないか。配合を変えたら(3%2口と9%一口など)、アルコール度に変化を付けることも可能だ。これはすごい発見なのではなかろうか。

 

と思ったが、よく考えたら、3%と9%を一口ずつ飲んだら、6%を2口飲むのと同等のアルコール量となり、つまり12%を1口飲むのと同じ?

 

子供の頃から、算数は苦手だったので、よくわからない(ごくごく)

 

 

10月某日

久しぶりに会った友人が、私を見て驚いたように「○○ちゃん、その髪の毛、何もしてなくてもそうなるの?前はもっとまっすぐだったよね?」と言う。そういうことを言われるのは、これが初めてではない。「○○、髪の毛爆発してるぞ」と、もっと率直に言われたこともある。

 

私は元々くせ毛だが、以前は毛先がはねる程度で、ほぼ真っ直ぐだったのだ。しかし、パーマをかけたわけでもないのに、いつの頃からか、ラーメン大好き小池さんくらいにクリクリヘアになってしまっている

 

私はロングですがね。ラーメンあんまり食べないし。酒のつまみにならんから。

 

 

 

起き抜けは特に、実験に失敗したマッドサイエンティストのようなヘアスタイルになっていて、自分でも鏡を見て笑ってしまうくらいだ。そのまま窓から顔を出して米を撒いたら、すずめちゃんたちが怯えて、もう来てくれなくなるかもしれないので、一応ブラッシングしてから窓を開けるようにしている。ブラッシングしても、寝起きのヤマンバ(ギャルじゃない方)程度にしかならないが。

 

 

私の髪がストレートからアフロになったのは、更年期が始まった時期とだいたい同じだと思うのだが、更年期の症状に、くせ毛が激しくなるっていうのはあるんですかね? そんな話は聞いたことがないし、ネットを調べてもそういう情報は出てこないのだが。

 

研究して、学会に報告すべきかしら…(何学会?)

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

その後のミニトマト型観葉植物

(壁紙がひび割れてるのが気になる…)

 

 

ダイソーで買った「植物活力剤」は、あまり効果がなかったので使うのを止めたが、一応まだ生きていらっしゃる。

 

 

花もまだ咲いている。

 

 

でも全体的に元気がないし、実をつける気配は一ミリもない。

 

うちの部屋は、よくアルジャジーラの不穏なニュースが流れているので、植物の精神衛生(?)に悪いのかもしれないと思い、時々やさしく話しかけるようにはしてるのだが。「ミニトマトさん元気?今コーヒー飲んでるんだけど、いい匂いでしょ~嗅ぐ?」とか言って、コーヒーの匂いを嗅がせてあげたりして。

 

なお、ミニトマト型観葉植物自体の匂いは、青臭い匂いだ。青春っぽい匂い。

 

彼(彼女?)は青春っぽい匂いを漂わせたまま、このボロアパートでしだいに朽ちてゆくのね(しみじみ)

 

 

まあ、最後まで看取ろう…

 

 

 

(終わり)

 

 

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(30)~ワン猫幻想の行方~

2024-10-09 20:30:30 | トルコ

 

今回は一昨年の旅行記の続き。トルコ南東部のワンに到着した翌日からだ。

 

 

ワン(Van)はイラン国境に近いトルコの都市

(ネットで見つけた貧血っぽい色の地図)

 

 

今回ワンには3泊する予定だった。

 

ワンを訪れるのはこの時が2回目。私は2010年にトルコ語学習のためブルサに2か月滞在した際、ワンにバスで旅したことがある。その時のルートはたしか、ブルサ→コンヤ→アダナ→ディヤルバクル(+マルディン、ハサンケイフ)→ワン→ドーバヤズット→ワン→イスタンブール→ブルサだった(例によってうろ覚えだが)。

 

当時、バスがワンの市内に入る前に見かけた、今にも崩れそうな日干し煉瓦の家々が並ぶ貧しい地域が強く印象に残っている。ああいう家屋は翌年10月の地震(トルコ東部地震)で倒壊してしまったのではなかろうか。市内中心部も、西部のブルサや途中で寄ったコンヤなどに比べてインフラが整っておらず、雑多で薄暗い感じだった。あの頃のトルコは西部と東部の経済格差が大きく、西部の都市はヨーロッパ風、東部、特に南東部のクルディスタン地域はアラブ寄りに見えた(つまり私好みなわけだが)。商店に入って店主と会話を交わすと、その場にいた他のお客たちも一緒になって、「クルド人の街は政府に差別されていて、お金がかけられていない。失業率が高くて、生活が大変だ」などと訴えかけられたりした。通りすがりの外国人旅行者にも自分たちの受けている不当な扱いを積極的に訴えてくるあたりがパレスチナ人に似ていると、後に西岸地区を訪れた時に思ったものだ。去年訪れたイランもわりとそうだった。

 

そういえば、当時ワンで泊ったホテルの階段で、長い銃を持った男とすれ違って心底ビビった記憶がある(ビビりっこなんで)。慌ててフロントに降りて、「さっき階段で銃を持った人を見たんだけど!!ここヤバいホテル??」と率直に聞いたところ、フロントにいた人たちは顔を見合わせ、曖昧な微笑を浮かべて、「ああ、イラン国境に近いからね。大丈夫だよ、危険はないよ~」と言っただけで、軽くいなされて終わった。実際、特に危険はなかった。そのホテルは国境を越えて密輸する商人などの定宿になっているのかもしれないと思ったが、本当のところはわからない。

 

それから十年余り経って、ワンの街はどうなっているのか。それを確かめるのが今回の訪問の主な目的だった。それと、日本でも有名な「ワン猫」を見ることだ。2010年に訪れた時は、ワン猫の保護・研究施設である「ワン猫の家」は閉まっていて、外側からしか見られなかったので(参考)、今回は余裕をもって滞在し、ちゃんと中に入って見学することにした。

 

なお、ワンはクルド人の住民が主体だが、第一次世界大戦の頃まではアルメニア人も住んでいたという。ワンはアルメニア人の反乱やその後の集団避難、虐殺など歴史的な事件の舞台になったので(参考1)(参考2 歴史の項目の末尾)、記念碑などがあれば訪れたいとは思ったのだが(ハルプットのリベンジで)、バスの便がなさそうなのであっさり諦め、普通に観光するだけにした。

 

私はあまり一日に何か所も回れないので(体力も気力もない)、2日目は「ワン猫の家」を訪れ、3日目にアクダマル島を観光するだけにした。4日目はイスタンブールに移動だ。

 

前置きがやたら長くなったが(いつものことよね)、そういうわけで、この日はワン猫を見に行って、その帰りにワン湖に寄ったのだった。

 

では、まずこの日の朝食から。トルコのホテルなので、朝食は当然ビュッフェだ(ビュッフェじゃないとこってあるんかな)。ワンは朝食が有名らしいが、そのせいか、安ホテルなのにこれまでのところとは違って、内容が充実していた。

 

ワン名物のハーブ入りチーズなど、チーズの種類が多い。

 

 

蜂蜜やゴマペースト、ペクメズなど

 

 

私にしては、たくさん取った。ちなみに私はゆで卵が大好きだ。

たくさん食べたら体に悪いかもしれないから、1個しか食べないけど~

 

 

女性のヒジャーブのかぶり方や、顔立ち、話し声から察するに、他のお客は、ほぼイラン人観光客だと思われた。

 

 

朝食後、手持ちのトルコリラが少なくなっていたので両替しに行ったが、日本円を替えてくれる両替所が見つからず、結局ATMで引き出して、戻って来て残りの2泊分の宿代を払った。その際、ツインの部屋に移動してほしいと言われたので、荷物をまとめてお引越し。今度の部屋はツインだ。前日はトリプルの部屋しか空いてなくて、そこになったが、翌日以降別の部屋に代わってもらうかもしれないと言われていたのだ。シングルはそもそも存在しないと思われた。

 

 

ベッドが広いと、色々物が置けて便利

 

 

休憩してから11時頃に出かけて、ドルムシュ(乗り合いミニバス)乗り場に行き、「Kampüs」行きのドルムシュに乗る。市バスもあるらしい。「ワン猫の家」(Van Kedisi Evi)は、市内中心部から約13㎞離れた「Yüzüncü Yıl Üniversitesi」(ユズンジュユル大学=「100周年大学」)のキャンパス(kampüs)内にあるのだ。

 

 

使い古したモップみたいな犬さんがホテルのそばの鶏肉屋でエサをもらっていた。

 

ワン猫ではないワンの猫さん、なぜイカ耳

 

 

ワンは「ワン猫の街」ではあるが、路上で見かけるのは、犬の方が多い。そもそもワン猫は保護対象なので、その辺を歩いていたりしないし。

 

 

市内中心部で目立っているワン魚串刺しモニュメントのあるロータリー

 

 

通りかかった公園にいた香水売りのおじいさん(1つ買った)

 

 

Kampüs行きのドルムシュ乗り場

 

 

Kampüsは終点で、約30分ほどだった。最後まで乗っていたのは私だけで、フレンドリーな若い運転手さんにどこに行くのか聞かれ、ワン猫を見に行くと答えたら、「ワンは歴史の古い街で、見どころが多いよ!ワン城やアクダマル島にも是非行ってね!」とおススメされた。なんでも、ワンはウラルトゥ王国ゆかりの地で、楔形文字(ウラルトゥ文字)の碑文なども残っているということだった。ウラルトゥって、大学で習ったような気がするけど、遠い昔のことだからよく思い出せない。

 

 

ユズンジュユル大学のキャンパス内の終点でドルムシュを降り、運転手さんに教えられた方向に歩き出す。この大学は町一個分くらいあるのでは、と思うほど広大で、その中に大きなスーパーも、立派なモスクも、博物館などもあった。

 

構内のモスク

 

 

「KEDİEVİ」(猫の家)というシンプルな標識を発見

 

 

すずめさん「今日は暑いチュン」

 

 

暑かったが、あたりの風景は、どことなく秋の気配を漂わせていた。

 

 

道に迷って、人に聞いたりしながら、やっとたどり着いた。

 

 

手作り感満載の三白眼のワン猫様の看板がお出迎え

 

 

 

入場料は当時で3.5リラ。市内中心部からのドルムシュ代(5リラ)より安かった。今はもっと上がっているだろうが。

 

 

中に入ったら、中央にフェンスで囲まれた広めの空間があって、そこに十数匹ワン猫がいた。ワン猫は毛の色が真っ白で、左右の目の色が違うオッドアイであることで有名だが、両目が同じ色の子もいる。泳ぐ猫としても有名で、ここにもプールが設置してあったが、この時は泳いでいる猫はいなかった。フェンスの周囲には通路がめぐらされ、ぐるりと回って見学できるようになっていた。その外側には、いくつか小部屋があって、子育て中の母猫と子猫用の部屋や分娩室などに分かれていた。建物の外の庭の一部も、猫が出入りできるようになっていたはずだが、この時は見学できなかった。後でネットで検索したら、有料でエサをあげることができると書いてあったが、私が行った時は、そういうサービスの案内はなかった。

 

 

フェンスで囲まれたメインスペース

 

 

ワン猫、ほんとに泳ぐんだろうか…

 

 

やっと入れたワン猫の家だが、フェンスで囲まれた動物園の檻のような空間に、いくつかキャットタワーとクッションが置いてあるだけで、猫が身を隠せるこじんまりとした箱的なものや、くつろげるソファーなどの家具がないのが気になった。夜は別の部屋に移動させるんだろうか。あと、ワン猫は普通の猫以上に愛情を必要とするらしいが、ここには誰か愛情をもって彼らの世話をしている人がいるんだろうか。一緒に遊んであげたり、ブラシをかけたり、話しかけたり、体調を細かく気にかけてくれる人が。

 

寝ている猫も多かった

 

 

ワン猫たち、かわいいんだが毛並みが荒れて、なんだか不憫な感じ

 

 

明らかに眼のあたりに何か病気を持っていそうな子もいた。野良の子猫によく見かけるタイプ

 

 

この子はひっきりなしに鳴いていた。

 

 

隔離部屋の猫たちは、私を見るとみゃあみゃあ鳴きながら駆け寄ってきて、ドアをカリカリ引っ搔いた。

 

 

 

 

世話係の男性は、水用の容器を運ぶ時、重ねて地べたに置いて、足で蹴って移動させていた。床にはドライフードがこぼれていたりして、不潔というわけではないが、少し乱雑な印象だった。トルコ人の母娘が見学していたので、「ここ、掃除が行き届いてないと思いません?元気じゃなさそうな猫もいるし~」と話しかけてみたら、彼女たちもうなずきながら、「そうね、ちょっと臭いわね」と言っていた。

 

猫がこんなにいたら、多少雑になるのはしょうがないだろうとは思いつつも、見ているうちに、どんどん疑心暗鬼になり、この子たちを解放してあげたい!という欲求が高まってきたが、そう言う訳にもいかないので、早めに外に出た。私の考え過ぎで、ちゃんと愛情をもって世話をされているのならいいのだが…

 

ワン猫の家を出てから、適当に歩き回ってバス乗り場を探し、市内中心部行きのバスに乗った。

 

 

運転手さんに聞いたら、ワン湖の岸辺に寄るというので、そこで降ろしてもらうことにする。運賃を払おうとしたら、いらないよと言われた。トルコでは、時々そういうことがある。バスやドルムシュにタダで乗せてくれたり、なぜか運賃を負けてくれたり。外国人観光客に優しい。

 

 

 

 

湖畔の小さな公園のところで下車した。「7月15日殉教者公園」という名前の公園だ。

2016年7月15日の軍事クーデター未遂事件に由来する名前だ。同じ名前の公園や広場などがトルコ全国に出来ていると思われる。

 

ここにはカフェが一軒あって、多少の遊具もあったが、後はいくつかベンチや東屋が並んでいるくらいだった。前回ワンに来た時は、同じワン湖畔でも、もっと大きなレストハウスや食堂のある賑やかなところにいって、屋台で焼かれていたワン魚(İnci kefaliインジケファリとも呼ばれるコイ科の魚)のサンドイッチを買って食べたのだが、ここには屋台はなかった。ワン魚、炭火焼で美味しかったから、もう一度食べたかったな~

 

 

綿菓子売りの子供が巡回する。

 

 

屋根付きのベンチに座って湖を眺めた。ビールを持って来ればよかったと思ったが、家族連れが多いので、酒を飲める雰囲気ではなかった気もする。

 

 

トルコで3番目に高い山、標高4,058メートルのスュパン山(Süphan Dağı)

 

 

湖の岸辺は、岩がごろごろしていて、水も濁っていた。そのせいか、泳いでいる人はいなかったが、ピクニックをしている家族連れは何組かいた。

 

 

カモメさん達も食事中

 

 

ハトさんは巡回中

 

 

犬さんは死んだふり中

 

 

しばらくぼんやり湖を眺めてから、またバスに乗って中心部に戻り、スーパーBIM(庶民の味方)と酒屋に寄って、買い物してからホテルに帰り、ビールを飲んで果物(サクランボと杏)を食べてから昼寝した。

 

 

夕方にまた出かけて、街を少し歩き回る。

 

 

ジャズカフェがある

 

 

 

バーガーキングも

 

 

大きなショッピングモールもあった

 

 

メイソウも入っている

 

 

モールの中に酒が買えるスーパー・ミグロスが入っていたので(BIMやA-101などに酒はない)、酒コーナーを見学。必要な分はもう買ってあるので、見るだけ。

 

 

私がよく買う最低価格帯のワイン

 

 

日本でもお馴染みのチリワインはやや高級

 

 

この日に歩き回った印象では、ワンの市内中心部に限って言えば、西部の諸都市とそれほど変わらず、それなりにインフラに投資されているように思われた。大通りに綺麗な店が並び、大きなショッピングモールもあり、カフェやチェーン店もあって、賑わっている。イラン人観光客が増えたおかげもあるのかもしれない。お店の人達も、外国人観光客が珍しくないので、特に話しかけてきたりしない。10数年前とは違う。郊外や田舎の方には行っていないので、どうなっているのかわからないが。

 

安食堂が集まっている小路を見つけたので、夕食はそのうちの一軒でとることにした。大型モールが出来ても、昔ながらの食堂街や商店街も残っているのだ。

 

小さい食堂だが、店の外にテーブル席がいくつかあって、若者で賑わっていた。

 

 

外のテーブルでは猫さんが食事中

 

 

クルファスリイェ(Kuru Fasulye 白いんげんのトマト風味煮)と、チキンピラフ(Tavuklu Pilav)を頼んだ。チーキョフテはサービス

ファンタでご飯を食べると、落ちぶれた気分になれるのでおススメ✨(トルコの安食堂には酒がないので、後でホテルで飲む)

 

クルファスリイェは特に好きじゃないのだが(豆の煮込み料理は腹がふくれやすくて酒が美味しくなくなるから)、トルコのソウルフード的な料理なので、なんとなく食べなきゃいけないような気がして、時々注文してしまい、毎回「あ、失敗した…」と思う。それなのに、何年かしたら、ついまた頼んでしまう。そういう呪いがかかっているのか。

 

宿に帰ってシャワーを浴び、酒を飲みながら日記をつけていたら、停電があった。前日もあったので、この当時ワンは停電が多かったのかもしれない(今どうなのかはわからない)。停電はすぐ終わったが、Wi-Fiは切れたままだった。フロントに言いに行くのも面倒だし、翌日はアクダマル島に出かける予定だったので、早めに寝ることにした。

 

 

今、この記事の内容を見直していて思ったけど、私はどうしてこんなにいつも酒の事ばかり考えているのか。もしや、アル中なのかしら(違うんかい)…

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

うちの立ち枯れ寸前のミニトマト型観葉植物さんがなんと、ここに至っていくつかつぼみをつけきた。ずっと前に1つだけ花が咲いたが、凍り付いたように変化せず、実を付ける気配が一切ない状態での新たなつぼみの登場だ。

なんという健気さ…

 

花を咲かせるのを手助けするべく、ダイソーで植物活力剤なるものを買ってきてドーピング

効果なさそうだけど…

 

 

(続く)

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