外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

エジプト・カイロ滞在記・2010年3月末~2010年9月末(4)~日本公園とムハンマド・アリー・モスク編~

2021-01-26 18:53:51 | エジプト

 

 

お正月頃に過去のブログをなんとなく読み返していて、エジプト・カイロ滞在記が途中で終わっていることに気が付いた。

 

かつてこの滞在記の1回目の時、「しばらく前、過去に撮った写真を整理していて、エジプト滞在中に撮った写真をまとめてブログにアップしていないことに気が付いた」「そういうわけで、2010年3月末から半年の間滞在したカイロで撮った写真に説明を添えて、何回かに分けて載せようと思う。といっても、枚数は非常に少ないので、すぐ終わる予定(インシャーアッラー・・・)」などと書いていたが、それから1年半以上経ってしまっている。私にはありがちなことだが。

 

というわけで、今回はその続き。カイロ滞在の最終月の2010年9月に撮影した写真を載せる。それ以外にもエジプトで撮った写真はいくらかあるし、マドリードやパリ等に旅した時の写真も放置したままになっているので、そちらも順次載せていこうと思う。(インシャーアッラー・・・)

 

2010年9月にカイロで撮った写真はわずかで、大半がボケボケだった。

 

これは、アパートの自室に出現したヤモリさん。エジプトにもヤモリはいるのだ。

 

 

日本のヤモリと特に変わったところはないようだった。この後、窓から外に出てもらった。私はヤモリがけっこう好きだが、部屋の中にいられるとうっかり踏んでしまったりしそうで、落ち着かない。

 

 

こちらは友人たちと訪れたヘルワーン地区の「10月6日公園」(いわゆる「日本公園」) الحديقة اليابانية

 

 

地下鉄のヘルワーン駅から徒歩で行ける公園で、広くて緑も池も東屋などもあって居心地がいいので、地元の子供や若者たちが遊びに来るようだった。

 

地元の新聞(英語)によると、この公園は1917年(ウィキペディア・アラビア語版では1919年)にエジプト人技師ズールファッカール・パシャがアジア風の様式で設計し、当時のエジプトの支配者スルタン・フセイン・カーミルに献上したそうだ(イタリア人技師が設計して中国人が建てたという話もあるが詳細不明)。つまり、元々は日本とは全く無関係。その後、1992年に日本大使館の協力の下で、日本の会社によってこの公園の内部に「東京庭園」と呼ばれる部分が付け加えられ、2010年には改修工事も行われたという。浜離宮庭園・旧芝離宮庭園をモチーフとした池泉回遊式日本庭園だ。この池については、「なんかそういう池、あったな・・・」という程度にぼんやりとしか記憶にない。他の部分のインパクトが強すぎたせいだ。

 

写真をちゃんと撮っていなかったので、インターネットから拝借した写真を並べる。

 

 

 

 

動画

 

 

御覧のように、ツッコミどころが満載の愉快な公園なのだ。ここを「日本公園」と呼ぶのはいかがなものか。「アジア風公園」と呼ぶべきではなかろうか。

 

 

こちらは、シタデル(城塞)の中にあるムハンマド・アリー・モスク。滞在の終わり頃に1人で行った。

 

 

外観は撮ってなかったので、ウィキペディアから借用

 

 

ムハンマド・アリー・モスクは、オスマン建築のモスクで、薄暗い内部に座って天井から吊り下げられたシャンデリアを眺めていると、イスタンブールにいる気分になれる。やや行きにくい場所にあり、特に帰りはなかなかバスが見つからず、くじけそうになった。

 

19世紀前半にムハンマド・アリーの命令で建設されたそうだ。ムハンマド・アリーは、当時オスマン帝国の属州だったエジプトの総督(任期1805~1848)で、事実上の支配者だった人物だ。帝国にシリアの支配権を要求してエジプト・トルコ戦争を起こしたりしたこと等で有名だ。世界史で習った覚えがある。

 

この人

 

 

庭にあった趣のあるライオンさん

 

 

モスクの紹介記事

https://tripnote.jp/egypt/mosque-of-muhammad-ali

 

 

2010年3月末から9月末の半年間、エジプトに滞在した時のカイロの写真はこれで終わり。9月の終わりにはパレスチナに移動し、東エルサレムに3か月住んでからヨルダン入りし、アンマンに1か月滞在してからトルコ入りして、イスタンブールで3か月ほど過ごし、そこから帰国したのだった。エジプトの前はイタリア→シリア→トルコという経路だった。あの頃の私は、すでに若くもなかったが、けっこう元気だったのだな。(遠い目)

 

 

カイロから遠征して、アレクサンドリアとバハレイヤ・オアシスに行った時の分や、2011年5月にエジプトを旅行した時の写真もあるので、今後そちらを載せたいと思う。がんばって更新しなきゃ・・・

 

(終わり)

 

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エジプト・カイロ滞在記・2010年3月末~2010年9月末(3)~陰気な壁絵や微妙なトラックなど+カンパリ・アップル

2019-06-29 19:10:50 | エジプト

 

今回はエジプト・カイロ滞在記の3回目、2010年8月分の写真を載せる。枚数がやたらに少ないのは、月の後半に2週間イエメン旅行に出かけたせいかもしれない。イエメン旅行に興味がある方は、イエメンのカテゴリーを参照して下さいませ。あそこは当分観光に行ける状態じゃないですがね・・・

 

陰気な壁絵・その1

 

これは確か、在カイロ・イエメン大使館に入国ビザをもらいに行った時の道中で見かけた中学校か高校の壁に描かれた絵(そばに駐車された車のワイパーが映り込んでいてすいません)。生徒たちの作品だろうが、どういう状況設定なのか気にかかった。自爆テロに使われた自動車爆弾と犠牲者と目撃者、3人のテロリストに対して抗議する男性と、彼を落ち着かせようとする奥さん…?でも、テロリストにしては3人とも制服っぽい服装だから、実は治安部隊で、中央の男性は「俺は無関係だから撃つな!犯人はあっちだ!」って言ってる?車の方も、ガラスが1枚も割れてないから、実は背後の建物が燃えてるだけ??

 

陰気な壁絵・その2

 

こっちは比較的普通のテーマ。スポーツ振興と喫煙の害についての啓蒙だろう。しかし、煙草の害で命を落としたとみられる人々の頭蓋骨の山、コワいんですけど。どうも全体的に不吉な風がびゅうびゅう吹いている。こういう絵を眺めながら毎日登校するのは、いかがなものか。

 

これは近所の市場の周辺で見かけたトラック

 

ロゴの「Keweseki」が「Kawasaki」の訛ったものなのかどうか気になって撮ったのだが、このサイトによると、どうらやアンゴラ共和国製で、川崎重工(Kawasaki)の製品のまがい物らしい。アンゴラとは、意表を突かれたな~

 

こちらは道端で熟睡していた猫さん。金曜日のお昼頃の人通りのほとんどない街(金曜は休日で、お昼にはモスクで集団礼拝がある)を1人で散歩している時に見かけて、心和んだ。

 

猫足模様が付いてラブリーになっちゃった車

 

カイロは砂まみれの街なので、車を駐車しておくとすぐこのように茶色になってしまう。そこに猫がスタンプを押してくれたりするのだ。

 

 

(おまけ)

写真が少なくてさびしいので(私が)、昨日の夕食の食前酒(aperitivo)のカンパリ・アップルの写真もどうぞ。畳でカンパリ。コースターはトルコ風で、全体的に国籍不明。

 

正確にはカンパリ・アップルソーダか。カンパリに透明な林檎ジュースと炭酸水を加えたカクテルだ。カンパリと言うと、カンパリ・ソーダやカンパリ・オレンジが一般的だが、アップルもイケる。カンパリやこれに類似した赤くて甘くてほろ苦いリキュール(子供の時に飲まされた風邪薬に似ている)は、イタリアで食前酒としてよく飲まれる。私のフィレンツェの大家さんも、毎日アペロル(カンパリとほぼ同じ味)のソーダ割の小瓶を夕食前に飲んでいたものだ。瓶から直飲みで。

こういうやつ

「aperol soda」の画像検索結果

 

綺麗な色の飲み物ではあるが、瓶からぐいっと直接飲むというのは、あまりお上品とは言えない。優雅に食前酒を嗜むのは、なかなか難しいものだな・・・

 

(終わり)

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エジプト・カイロ滞在記・2010年3月末~2010年9月末(2)~猫やナイル川など

2019-06-29 03:40:12 | エジプト

 

ずいぶん間が開いてしまったが、今回はエジプト・カイロ滞在記の続き。2010年7月に撮った写真を載せる。何も考えず、ほぼ撮影日順で。

 

これはカイロ中心部のタラアト・ハルブ広場

 

タラアト・ハルブ広場は、タハリール広場とタラアト・ハルブ通りで繋がっている。カイロの街をパリ風に変身させたいと願ったムハンマド・アリー朝の第5代君主イスマーイール・パシャが19世紀後半にイタリア人やフランス人の技師を連れてきて作らせたという重厚で優美なフレンチ・コロニアル様式の建物に囲まれている(ウィキ情報)。そんな中を、こういうナイトキャップとネグリジェ姿(違う)のおじちゃんたちが闊歩していたりして、とってもステキだ。

 

 

これは、「雪の日のうさこちゃん」のぬいぐるみ。両手に酒状態

 

このぬいぐるみは、父からのプレゼント。UFOキャッチャーで取ったと言っていたように思う。私はうさこちゃん(今は「ミッフィー」と呼ばれているが、「うさこちゃん」の方が断然可愛い)の絵本を読んで育ち、特にこの帽子とマフラー姿の「雪の日のうさこちゃん」が好きだったので、いい年してわざわざ外国に連れて行ったのだった。向かって左側はエジプトビール「SAKARA・GOLD」。サッカーラ(サッカラ)のピラミッドの絵がついていて、ハイネケン傘下のアル・アフラーム・ベバレッジ・カンパニーが製造している。美味しい。右側の小瓶は、アニス風味の蒸留酒「アラク」。水を入れると白く濁るやつで、トルコの「ラク」やギリシャの「ウゾー」と同じ。アルコール度は約40度。ライオンのラベルが可愛らしいが、エジプト製で質は良くなかった。毎日これを飲んでいたせいで、脳細胞がけっこう死んじゃったかも・・・でもエジプトはワインが高いから(質も良い)、アラクで我慢するしかなかったの・・・

 

うさこちゃんの顔がまだデカかった頃の絵本。石井桃子訳さいこう。

ゆきのひのうさこちゃん

 

ゴミ箱からカメラ目線でこっちを睨む猫さん。ゴミ箱は定番の猫スポット

 

アパートの大理石の廊下で伸びていた行き倒れ風の猫さん。外は暑いからね・・・

 

水分補給は大事

 

これはナイル川

 

一時期、ナイル川の岸辺の近くにあるカイロ大学に属するアラビア語学校に通っていたので、毎日川べりを往復していた。木が生えていたり、あずまや風の休憩スポット(うらぶれていたが)があったりして、暑い時でも歩きやすかった。道路を横断するのは命がけでしたけどね、カイロですから・・・

 

向かって左がカイロタワー、入場料をケチって登らなかったような記憶がある。右はホテルかな?

 

水の流れを眺めていると、なんだか気持ちがスカッとするのはなぜだろう・・・

 

カイロタワーからの眺めは、こんなんらしいです。(2016年4月8日付の動画)

Cairo Tower (view) - Egypt

 

 

最後はジャカランダの木。この花、大好きだ。木にゴミ袋が引っかかってるけど。ゴミの街カイロですから。

 

こっちはアンマンで見かけたジャカランダ。花の色が違うのは、光の加減だろうか・・・

 

ジャカランダは、日本では宮崎県日南市に群生しているらしい。見たいな~

 

(参考)

日本唯一のジャカランダの群生林、宮崎県日南市で「ジャカランダまつり」開催

http://www.tabirai.net/sightseeing/column/0005828.aspx

 
 

(終わり)

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エジプト・カイロ滞在記・2010年3月末~2010年9月末(1)

2019-05-31 16:41:27 | エジプト

 

しばらく前、過去に撮った写真を整理していて、エジプト滞在中に撮った写真をまとめてブログにアップしていないことに気が付いた。何らかの記事は書いたかもしれないが(もう記憶の彼方)、そもそも「エジプト」というカテゴリーを作っていなかった。

 

そういうわけで、2010年3月末から半年の間滞在したカイロで撮った写真に説明を添えて、何回かに分けて載せようと思う。といっても、枚数は非常に少ないので、すぐ終わる予定(インシャーアッラー・・・)。なにしろ、生まれて初めてカメラを買ったのが2010年6月上旬、エジプトからイタリアに2週間旅した時だったもんで、それ以前の分はないのだ。私は2003年春以降、イタリア約5年→シリア約1年半→トルコ2か月と、長期滞在・移動を繰り返し、トルコからエジプトに入ったので、エジプト以前の時期に関しては一切写真がないわけだ。トルコやイタリアは、その後に何度か訪れて、写真を撮ることが出来たからまあいいとしよう。しかし、シリアは私が出た後に旅行できない状態になり、紛争のため変わり果ててしまったので、あの時写真を撮っておかなかったのは非常に残念だ。私ったら、おばかさん。

 

カメラを買ったと言っても、安物のデジカメだった上、メカ音痴のため使い方がよくわからなかったので、その後もしばらくは、ろくに撮っていなかった。しかも大半がピンボケだという・・・それでもいいという方は、お付き合いくださいませ。

 

前置き(言い訳)が長くなったが、そういうわけで、お蔵入りしていたエジプトの写真を引っ張り出してきた。今回は2010年6月に撮影した分。時系列順に載せる。

 

カイロで住んだアパートの部屋

 

部屋の内装は白でまとめられており、一見優雅だが、けっこう古くてぼろかった。そして、致命的なことに、最上階なのにエアコンが付いていなかった。3月末に到着した時、カイロは既に初夏で、6月以降本格的な夏に入って猛暑が続くと、眠れない日もあった。マットレス自体が触るとホカホカな状態で、その上で眠るなんて不可能だったのだ。しかも、日本とは比べものにはならないにしても、砂漠気候のはずのカイロには、なぜかそれなりに湿気もあった。但し、耐え難いほどの猛暑はせいぜい2週間ほどしか続かず、後は眠れないほどではなかった。日本の夏の方が長くて蒸し暑くて厳しいと思う。

 

このアパートは外国人向けの家具付きの部屋貸し物件で、3部屋と共有スペースの居間・台所・トイレ等からなり、エジプト人男性と婚約しているフランス人の若い女性が借り切って、自分は住まずに別の3人に又貸ししていた。彼女の婚約者(後に結婚したそうだ)が不動産屋を営んでいたので、彼を経由して借りたのだ。

 

私はカイロに到着した当時、安ホテルに滞在しながら家探しをした。まず中心地のタハリール広場のすぐそばにあるカイロ・アメリカン大学の事務室に行き、外国人向けの物件を紹介していないか質問してみた。学生向けのアパート情報があるはずだと思ったからだ。残念ながら、アパート紹介はやっていないと言われたのだが、事務員のおばさまの1人が、知り合いの男性の住所と電話番号をくれて、「この人に連絡してみて。物件を持ってるかもしれないから」と親切に言ってくれた。その住所は大学のすぐ近所だということだったので、人に道を聞きながら、そこを目指して歩いた。

 

たどり着いてみたら、その男性は留守だったが、建物の前で椅子に座って暇そうにしていた肝っ玉母さん風の女性に、アパートを探しているのだと説明したら、誰かに電話してくれた。しばらくしたら、ガラベイヤ(伝統的な長衣)を着た小柄で日に焼けたヌビア人っぽい男性(40~50代くらい)が現れて、私について来るように言うと、服の裾を風にはためかせながら、背筋を伸ばして颯爽と歩きだし(一瞬惚れそうになった)、先に書いたフランス人女性の婚約者の不動産屋に連れて行ってくれたのだ。3か所ほど回って見せてもらった結果、彼のおススメのこのアパートを借りることにしたのだ。すぐに住むところが決まってラッキーだったが、シリアでもヨルダンでも家探しはこんな感じで、地元の人々が世話を焼いてくれるので、ぜいたくを言わなければ比較的簡単に見つかった。

 

ガラベイヤはこんな服(ネットから拝借した写真) これは男性しか着ないものだが、パジャマ用に買って帰ればよかった。っていうか、これパジャマやん。

الجلابية البلدي.. زي الصعايدة الرسمي

 

住み始めた時の同居人は、フランス人とアメリカ人の若い女の子たちだったが、彼女たちは私よりも早くアパートを出て帰国し、その後にフランス人とアルジェリア系フランス人の男の子の2人組が入ってきた。考古学を学んでいるというアメリカ人の女の子とはそれなりに仲良くなったが、残りの3人とは生活習慣や行動パターンが合わなかったので、あまり交流することはなかった。

 

フランス人の女の子がよく残飯を放置していたせいか、やたらゴキブリが多かったし、電気のコンセントが突然火を噴いて使えなくなったり(使えるコンセントが次第に減っていった)、若者たちがしょっちゅうパーティーをして騒いだりして、あまりいい思い出がないアパートだが、カスル・アイニーというタハリール広場から近い通りにあり、地下鉄のサアド・ザグルール駅にも近く、周辺に市場や24時間スーパー、インターネット屋さんもあって、便利ではあった。家主であるフランス人の彼女も不動産屋のエジプト人の彼氏も、親切でまっとうな人たちだった。

 

窓からの風景 大雑把に建てられた今にも崩れ落ちそうな住宅が無造作に立ち並ぶ、非常に私好みの風景だった。

 

地下鉄のサアド・ザグルール駅

 

サアド・ザグルール駅はエアコンが効いていた記憶がある(駅による)。列車自体は、エアコン付きのものと扇風機のみのものがあった。日本が贈呈した列車は扇風機のみの旧式だった。エアコンをつけてあげてほしかった、私のためにも・・・。一般車両と女性専用車に分かれており、私はいつも女性専用車に乗っていた。女性専用車は、見た目が暑苦しくないし、色とりどりのヒジャーブで頭髪を覆った女性に満ちていて、まるでお花畑みたいなんですもの。女性専用車に乗るたびに、「ああ私、女に生まれてよかった~」と思ったものだ。数は少ないものの、エジプトにはキリスト教のコプト教徒もいるし、私のような外国人も存在するわけなので、ヒジャーブをしていない女性もそれなりにいたが、少数派だった。かつてはイスラム教徒でもヒジャーブをかぶっていない女性がけっこういたが、年々減ってきていると、当時誰かに聞いた。あれから10年近く経つが、今はもっと減っているのかもしれない。

 

こちらは鉄道の中央駅、ラムセス駅

 

電車に乗ることはめったになかったが、一時期この駅の付近から乗り合いバスに乗って語学学校に通学していた関係で、よく通った場所だ。この駅では、テロ防止用の金属探知ゲートを通らなければならないのだが、ビーっと鳴っても警備員に止められることは一切なく、完全にノーチェックだった。今年の2月の終わりに、この駅で大きな火災があり、日本のテレビでもニュースで取り上げられたので、ご存知の方も多いかもしれない。

 

カイロ中心部の建物 イギリス植民地時代の建物が残っていて、風情がある。

 
 
 
 
 
 
これは、ピザハットならぬ「フィーノハット」という名のパン屋さん。
 
 
 
 
エジプトのパンは、「アエーシ」と呼ばれるピタパンが主流だが(ちなみに、今まで食べた中東のパンではアエーシの全粒粉のやつが一番好き)、他にも様々な種類があった。「フィーノ」は小ぶりのバゲット風のパンだ。
 
 
 
エジプト猫。アパートのそばのクロちゃん
 
 
 
 
カイロの路上はゴミだらけで、ゴミを漁っている野良猫さんたちが沢山いた。頭が小さい子が多い気がしたが、エジプト猫の特徴だろうか。可愛いのだが、イスタンブルの猫に比べると、ずっと汚れていてやせっぽちで、撫でさせてくれる子が少なかった。境遇の差が歴然としていて、不憫だ…
 
 
というわけで、カイロ滞在記の第1回目はこれにて終了。こんなに長々と書くつもりはなかったのだが、写真を見ているうちに色々思い出してしまって…(なぜか言い訳)
 
 
 
 
<参考>
 
ラムセス駅での恐ろしい火災に関する記事
 
 
エジプトのパンについての記事
 
 
<おまけ>
 
古代エジプトのネコの女神バステトさん(ウィキより) この服、歩きにくそう。
 
 
 
(終わり)
 
 

 

 

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