外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

イエメン旅行(3)ジャンビーヤという名の三日月刀

2011-09-15 01:43:46 | イエメン


イエメン男たちが腰に差している三日月刀は、ジャンビーヤという名前である。
ガイドブック(1996年版のロンリープラネット)によると、ジャンビーヤはイエメンだけでなく、アラビア半島の他の地域でもみられる伝統的な男性用装身具であり、本人の職業や出身部族での地位などによって、形の曲がり具合や、腰に差す位置が微妙に異なるらしい。つまり社会的機能を備えているのだ。

腰に刀を差してる人がいっぱいいる!江戸時代みたい!「切捨て御免」だったらどうしよう!と、最初私はびくびくしていたが、友達の話では、鞘の中の刀には実は刃が付いておらず(または付いていても研がれていない)、トマトさえ切れない、ということなので安心した。豆腐くらいなら無理やり切れるだろうけどね。要するにこれは、純粋な飾りなのである。後にジャンビーヤ屋さんで、実際に確かめる機会を得たが、やっぱり刃がなかった。値段は忘れたが、帯とセットで購入しても、数千円だったと記憶している。お土産に手ごろな値段である。そりゃそうよね、すごく高かったら、イエメン人に買えるわけないもんね。

しかし腰にこんなものをぶら下げていたら、重いんじゃないだろうか。それに、短刀とはいえ、用を足すときに邪魔にならないのか?
気になったので、帯刀者にさりげなく質問してみたが、「別に重くないし、トイレでもぜんぜん邪魔じゃない」との返事であった。まあ毎日のことで慣れているから、気にならないのだろう。

先端がくいっと曲がった、どこかコミカルな形状といい、体の正面にぶら下げるところといい、ジャンビーヤは「男根の象徴」以外の何者でもないと思うのだが、さすがにそれについてイエメン人に質問するのもはばかられ、そのままになってしまったのが、少し心残りである。
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イエメン旅行(2)時代劇の男たち、黒子の女たち

2011-09-07 00:33:08 | イエメン
サナアの国立博物館(だったと思う)の係員たち。無理に頼み込んで写真を撮らせてもらったが、一人はうつむいてしまった。


イエメンは時代劇の国である。
それが証拠に、男たちが腰に刀を差している。

サナア空港に降り立ち、空港の出口を出ようとしたとき、そこに集まった出迎えの人々の姿を見て、私はウッとひるんで、その場でしばらくかたまってしまった。ちょっとちょっと、この人たち腰に刀を差してるよ!ここはどこ?今は何時代?

その刀は短めで、先っぽがひょいと一方に折れ曲がった、アンティークな三日月刀だった。幅広の革のベルトに挟んで、体の正面にぶら下げられている。薄汚れた白いワンピースのような長衣の上に、濃い色のブレザーを羽織り、肩に刺繍入りのスカーフを掛けている男が多い。長衣ではなく、ワイシャツにズボン姿の男もいるし、格子柄の薄い布を腰に巻きつけた、「巻きスカート男」も大勢いる。スコットランド人みたいでなかなかラブリーだ。シリアやエジプトなどの他のアラブ諸国では、刀を腰に差した男などみたことがなかったので、最初は心底驚いたが、見慣れてくると、これが当たり前のように思えてくるから不思議である。2週間後にエジプトに戻ったとき、エジプト男性がTシャツとジーパンなどという、ありきたりの服装をしているのを見てつまらなくなり、イエメンに逆戻りしたくなったくらいだ。

出迎えの人だかりの中には、もちろん女性たちの姿もあった。彼女たちはゆったりした、体のラインを隠す黒い上着で全身を覆い、同じく黒い布で頭部や顔を覆っていて、外に露出しているのは、目の部分だけである。イエメン女性はほぼ例外なくこの格好で外を歩いていて、誰が誰か区別がつかない。人形浄瑠璃の黒子がいっぱい道を歩いてる、というかんじである。こう書くと、不気味そうに聞こえるかもしれないが、実際にはそんなことは全然ない。伝統社会のルールに従って、こういう保守的な格好をしているものの、中身はあけっぴろげで活発な女性たちで、外国人にも積極的に話しかけてくるし、うちにご飯を食べにいらっしゃいと気軽に誘ってくれるのだ。

男たちも女たちも、みんな小柄で痩せている。ビンボウで発育が悪いのだろうか。女たちは顔が見えないからよくわからないが、男たちは肌がかなり浅黒く、髪の毛がくりくりとカールしていて、エチオピア人やエリトリア人などの、東アフリカの人々に近い印象を受ける。考えてみたら地理的に言って、イエメンはあの地域にすごく近いのだった。海を隔ててはいるけれど。イエメン人に比べたら、シリア人などはずっと肌が白く、背も高い。アラブ人と一言で言っても、多様なのである。

悪いけど、イエメンでは、ハリウッド映画の主役級を演じられそうな人は一人も見かけなかった。人生の「勝ち組」になれそうな要素が、彼等の遺伝子にはひとつも組み込まれていないかのよう。強引な遺伝子操作でもしないかぎり、イエメン人はこの世界の「その他大勢」「負け組み」であり続けるのだろうか、と思ったが、そこまで言ったら失礼かしら・・・?でも実は、私はこういう外見が好みなので、眼の保養(?)が出来てご満悦だった。イエメンには、小さい人たちがいっぱいいて、ちょこまかと動き回っていて、非常に愛くるしい!

そして、イエメンでは子供の姿がやたらに目立つ。石を投げたら必ず子供に当たる気がするくらいだ。人口の約50%は15歳以下の子供だという統計を、新聞で読んだことがある。発展途上国なので出生率が高く、子供の数が多いのだろうが、それにしても人口の半分というのは相当である。そんなわけで、イエメンの路上はどこも、遊んでいる子供たちで満ちあふれているのだった。



子供も多いが、猫も多い。猫達の多くは、イエメン人と同じく、やせっぽちである。ゴミ漁りに精を出したり、日向ぼっこをしたり、片隅で猫会議を開いたりして、いつも忙しそう。子供だらけで猫だらけ。これ以上なにを望むものがあろうか?(あえて言えば酒かな・・・)

このように、時代劇の男たちと黒子の女達と子供と猫の国は、私のハートの、かなり狭いストライクゾーンを直撃したのであった。イエメンを訪れた人の多くは、帰った後、イエメン病にかかるという。私も例外ではなく、カイロに戻った後も、しばらくは軽い恋わずらい状態が続いた。忘れっぽい性質なので、2週間くらいでけろりと治っちゃったけどね。

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イエメン旅行(1) 旅の下準備編

2011-08-21 16:38:53 | イエメン
サナア近郊の観光名所、ダール・ル・ハジャル(石の家)



思い返せば去年の8月後半、つまりちょうど今の時期、私はイエメン共和国の首都サナアに、2週間の観光旅行に行ったのだった。元来忘れっぽい性質なので、あれから一年のあいだに、旅の思い出は記憶の地層の奥深くに沈んでしまったのだが、完全に忘れてしまう前にちょいと頑張って、無理やり掘り起こしてみようと思う。

そもそもなんでイエメンに行くことにしたんだっけ・・・?

当時私はエジプトのカイロに住んでいた。
カイロの夏は暑い。しかもなぜか湿気がある。もちろん日本には遠く及ばないが、カイロも意外に蒸し暑くて、室内にいてもじんわり汗をかくのである。やることもなくアパートの自室に引きこもって退屈し、暑さにうんざりしていた私は、イエメンに避暑に行くことを思いついた。天気予報でみると、サナアの最高気温はせいぜい20度くらい。涼しそうじゃないですか!サナアには日本人の友人が留学して、アラビア語を勉強しているので、久しぶりに彼女に会うのも楽しみだった。

イエメンではアルコール類の製造・販売がご法度である。
そのせいで、今まで私はイエメンを敬遠していた。酒の飲めないところなんて、行きたくないもん!
しかし、おりしもラマダーンである。
カイロでは普段酒に困ることはないが、ラマダーンの間だけは酒屋が閉まるのだ(酒屋のおっちゃんたちによると、そういう法律があるらしい)。それに備えて、いちおう私はビールやアラク(アニス風味の蒸留酒)を買いだめしておいたのだが、とても1ヶ月もちそうにない。エジプトで禁酒もイエメンで禁酒も同じこと、2週間病院に入院したと思って我慢して、我慢できないこともなかろうよ。
というわけで、私は今回この問題には目をつぶって、思い切って出かけることにしたのだ。


イエメン旅行に必要なものはなんでしょう?

日本人がイエメン共和国に入国するには、ビザが必要である。
以前はサナア空港到着時に簡単に取れたらしいが、治安が悪化したせいか、それができなくなっており、出発前にカイロのイエメン大使館で取っておく必要があった。ビザ申請には日本大使館からのレターが必要なので、まず日本大使館に行く。
イエメンに観光旅行に行きたいので、ビザ申請に必要なレターをくださいな、と窓口で頼むと、「えっ、・・・イエメンですか?あの、外務省から注意勧告が出ているのはご存知ですよね?」と係りの男の人は微妙に顔を曇らせ、外務省危険情報ファイルのイエメン共和国のページを開き、私に差し出す。

もちろん私はご存知だった。
イエメンは日本と違って、治安の良さを自慢にしている国ではなく、どちらかというとその逆である。「十分に注意してください」という一番ゆるい注意勧告ですんでいるのは、首都サナアと南部の都市アデン周辺、それにソコトラ島だけで、残りの地域は「渡航の是非を検討してください」、「渡航の延期をお勧めします」など、より厳しい勧告が出されている。北部でシーア派の一派・ザイーディのホウシ軍と、政府の間で激しい戦闘が行われていたのは記憶に新しいし、それ以外にも、身代金目当ての外国人の誘拐、南部での独立運動、アルカイダの支部の活動(詳細は不明だが)など、不安材料が盛りだくさんなのである。

とはいえ、前述の友人によると、サナアにいる限り大丈夫らしいので、私はあまり心配していなかった。結局私は日本大使館で、「イエメン共和国に関して、外務省から注意勧告がいっぱい出ているのを承知のうえで、物好きにもわざわざ旅行します」という(ような趣旨の)文書にサインさせられたうえ、「サナア以外のところに足を踏み入れません」と一筆書いた。翌日ようやくレターを受け取って、その足でイエメン大使館に向かう。イエメン大使館では、意外に(失礼)効率よく事務が行われているようで、その翌日にはつつがなくビザを受け取ることができた。

その3日後、私はエジプト・エアでアラビア半島の南の果ての国、イエメンへ飛んだのだ。


今現在のイエメンに関する危険情報はというと・・・
イエメンでは今年の1月に反体制運動が始まり、日本領事館はサナアから撤退してしまったそうだ。カイロのイエメン大使館でも、今ではビザの発給を受け付けていない。
日本外務省の海外安全ホームページのイエメンの地図を見ると、全土がまっかっかに塗られており、渡航延期・退避勧告が出されている。どうやら去年行っておいて正解だったようだ。
ちなみにシリアの地図も今ではまっかっかで、全土に渡航延期・退避勧告が出されている。私が住んでいたころは平和そのものだったのに・・・。
中東で危険な国というと、アフガニスタンとイラクがまず思い浮かぶが、意外にイラクは全域が真っ赤ではなく、退避勧告や渡航延期勧告が出ていない地域が複数存在する。アフガニスタンのほうは完全にまっかっかだけどね。




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