ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

寝る前に

2014-03-14 06:56:26 | 日記
午後10時、お姑さん(おばあちゃん)の部屋の灯かりが消えた。

おばあちゃんの寝る時間だ。

「よっこらしょ」と言いながら布団に入る気配がして、いつものお決まりの言葉が聞こえてくる。

「●●ちゃん、△△ちゃん、××ちゃん・・・(延々と続くが以下省略)今日も一日ありがとうございました。おやすみなさい」

おばあちゃんが呼びかける人の名前は、今はもうこの世にはいない方々で、おばあちゃんの親や兄弟、そして親しかった知人の名前だ。

もちろん亡くなった夫(おじいちゃん)も入っている。

おばあちゃんは、この寝る前の「儀式」をいつから始めたのだろう。

私が廊下でたまたま聞いたのは、もうずいぶん前だったような気がする。

可愛らしい声でつぶやくおばあちゃんに、まるで童女のようだわと微笑ましく思っていた。

おばあちゃんは幼い頃、お寺で育ったそうで、そのせいかとても信心深く、毎日朝夕の読経は欠かさない。

浄土真宗の長いお経を経本も見ず唱えて、最後に御詠歌まで歌う。

認知症を患っていて、物忘れが激しくなってきたおばあちゃんだが、小さな頃から毎日お勤めをして身体に沁みこんだお経はずっと忘れないのだろう。

そして、朝もまた寝る前と同様に、お経の最後に必ず亡くなった人たちの名前を一人ずつ呼んで「今日も一日よろしくお願いします」と手を合わせる。

私も数年前から先祖の供養を始めるようになった時、おばあちゃんが最後に名前を呼ぶことは、あまりよくないのではないだろうかと思ったことがあった。

せっかく供養をしているのに、最後に名前を呼ぶと呼ばれた人たちにしか供養が届かないのではないかと思ったのだ。

今考えるとずいぶんお節介だったが、おばあちゃんにそのことを言った事がある。

すると、おばあちゃんは「あら、そうかい。じゃあ、名前は呼ばないことにするよ」と驚いたような困った顔をして言っていたが、翌日から何事もなかったように名前を呼んでいた。

それ以来、おばあちゃんのやり方に口を挟むことはやめることにした。

おばあちゃんが長い間やってきたことを変えようなんて、考えた私が馬鹿だった。

それより名前を呼ばれていないご先祖の供養は、私が自分ですればいいのだと思った。

そして、いつからか私もおばあちゃんと同じように布団に入ると感謝の言葉を心の中でつぶやいている。

おばあちゃんと違うのは、だれの名前を呼ぶことはせず、ただただ生かされている事を感謝するだけだ。

思えば、これだけ交通事故や事件などが多い中、毎日無事で生かされているのは奇跡だと思う。

特に昨夜は、本当にありがたいことだとしみじみ考えていた。

絶妙な自然界のバランスが、人間を含め生き物達を生かして頂いていると思うと、宇宙や地球に対してもありがたさで一杯になった。

寝る前に感謝すると、穏やかな気持ちで眠りに入っていけると思っているのは、けっして気のせいだけではないと思う。

事実、私はいつも布団に入ると10分もしないうちに気を失う。




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