昨年12月の末から始めたお姑さんのご先祖である会津藩の藩士の方々へ向けての供養は、ちょうど一か月が経った先月末に一区切りをつけた。→ 「あいず」
区切りをつけたのは、ある日の朝、供養をしていて胸に響いてきた言葉がきっかけだった。
「かたじけない」
「えっ?!かたじけないってどういうこと?」
一瞬「かたじけない」という聞きなれない言葉に戸惑った。
テレビの時代劇でしか耳にすることのない言葉だったが、たしかお侍さんが情けをかけてもらった相手に向って言う時のセリフではなかったっけ。
帰宅した夫に聞いてみた。
「ねぇ、かたじけないってどういう意味だと思う?」
すると夫は「それはありがとうっていう意味だろう」と言った。
そうか、ありがとうなのか。
ということは、お姑さんのご先祖の方々は喜んで下さっているのかもしれないと思った。
お姑さんのご先祖は今でも名前が残っているような藩の幹部だったそうで、根からの武士なのだろうと思う。
そういう意味では「かたじけない」とおっしゃったのもわかるような気がした。
不思議なことに、それまでは供養の時に会津藩の方々のことが非常に強く思い浮かんで仕方がなかったのだが、「かたじけない」という言葉を聞いた日から、まるで薄紙を一枚ずつ剥いでいく様に意識の中から会津藩の方々が薄らいでいった。
初めて供養をした日は、大勢の人がまるで波のようにやってくる感覚があったが、それも日を追うごとに落ち着いていった。
最近はわざわざ個別に呼びかけることはもうせず、「その他の方々」への中で供養しているが、思い出せば会津藩の方々へ意識を向けて供養している。
そして、これは偶然なのかもしれないが、お姑さんからずいぶんお礼を言われるようになった。
もちろんお姑さんは私が会津の先祖を供養していることは知らない。
今朝もお姑さんのデイサービスがあったので、いつもしているように玄関でお見送りをした。
今までは「じゃあ、行ってきます」と言いながら、お姑さんはすぐに出ていくのだが、今日は一度玄関ドアを開けて外へ出かかったのに、再び戻って来て私の顔をじっと見つめながら「ありがとう。本当にありがとう。嬉しいよ。嬉しくて仕方がないの。ありがとう」と丁寧にお礼を言ってから出て行った。
なにかお姑さんではない人にお礼を言われたような気がした。
肉体は滅びても、魂は生き続けると信じている。
だから死後も生きていた頃の信念(執着とも言えるが)のまま、彼らは現世で戦ったように死後200年近く経っても戦い続けていたのだろうか。
とにかく自己満足と言われようとも、そのような囚われた世界から脱け出せたのならば私もうれしい。
それにしても、昨年くらいからあの世とこの世の距離がとても近くなったと感じる。
もしかしたら今はまだわかっていない「死後の世界」が、近い将来、科学的に解明される日が来るのかもしれない。
区切りをつけたのは、ある日の朝、供養をしていて胸に響いてきた言葉がきっかけだった。
「かたじけない」
「えっ?!かたじけないってどういうこと?」
一瞬「かたじけない」という聞きなれない言葉に戸惑った。
テレビの時代劇でしか耳にすることのない言葉だったが、たしかお侍さんが情けをかけてもらった相手に向って言う時のセリフではなかったっけ。
帰宅した夫に聞いてみた。
「ねぇ、かたじけないってどういう意味だと思う?」
すると夫は「それはありがとうっていう意味だろう」と言った。
そうか、ありがとうなのか。
ということは、お姑さんのご先祖の方々は喜んで下さっているのかもしれないと思った。
お姑さんのご先祖は今でも名前が残っているような藩の幹部だったそうで、根からの武士なのだろうと思う。
そういう意味では「かたじけない」とおっしゃったのもわかるような気がした。
不思議なことに、それまでは供養の時に会津藩の方々のことが非常に強く思い浮かんで仕方がなかったのだが、「かたじけない」という言葉を聞いた日から、まるで薄紙を一枚ずつ剥いでいく様に意識の中から会津藩の方々が薄らいでいった。
初めて供養をした日は、大勢の人がまるで波のようにやってくる感覚があったが、それも日を追うごとに落ち着いていった。
最近はわざわざ個別に呼びかけることはもうせず、「その他の方々」への中で供養しているが、思い出せば会津藩の方々へ意識を向けて供養している。
そして、これは偶然なのかもしれないが、お姑さんからずいぶんお礼を言われるようになった。
もちろんお姑さんは私が会津の先祖を供養していることは知らない。
今朝もお姑さんのデイサービスがあったので、いつもしているように玄関でお見送りをした。
今までは「じゃあ、行ってきます」と言いながら、お姑さんはすぐに出ていくのだが、今日は一度玄関ドアを開けて外へ出かかったのに、再び戻って来て私の顔をじっと見つめながら「ありがとう。本当にありがとう。嬉しいよ。嬉しくて仕方がないの。ありがとう」と丁寧にお礼を言ってから出て行った。
なにかお姑さんではない人にお礼を言われたような気がした。
肉体は滅びても、魂は生き続けると信じている。
だから死後も生きていた頃の信念(執着とも言えるが)のまま、彼らは現世で戦ったように死後200年近く経っても戦い続けていたのだろうか。
とにかく自己満足と言われようとも、そのような囚われた世界から脱け出せたのならば私もうれしい。
それにしても、昨年くらいからあの世とこの世の距離がとても近くなったと感じる。
もしかしたら今はまだわかっていない「死後の世界」が、近い将来、科学的に解明される日が来るのかもしれない。