そういえば五月人形、もう何年も出していなかったなぁ・・・
ふと押し入れの中に何年も仕舞いっぱなしにしていた五月人形を思い出して、端午の節句にはちょっと早いが久しぶりに出してみることにした。
これは今から29年前、長男の初節句に私の父が買ってくれたものだが、当時の私は、端午の節句には兜(かぶと)の飾りがほしいと思っていた。
だから、突然父から「買ったから届けに行くぞ」と電話があり、持ってきた人形を見てがっかりした。
一応「ありがとう」とお礼は言ったものの、せめて事前にどういうものがいいかと聞いてくれるとか、一緒に買いに行こうとか言ってくれたらよかったのにと、ちょっとうらめしい気持ちになった。
でも思い立ったが吉日で、すぐに行動する父らしい。
きっと初孫の初節句だと思い出して、その場ですぐに買いに行ったのだろう。
しかし、もらったものの息子が小さい頃まで何回か飾ったが、それからは出すのが億劫だと自分に言い訳をして飾らなくなってしまった。
五月人形は、箱からガラスケースごと出すだけ。本当はぜんぜん大変じゃなかったのに、出さなかったのは、やはり自分の好きな飾りでは無かったからかもしれない。
父にもお人形にも悪いことをしたなぁと思う。
何年も仕舞いっぱなしにしていた五月人形は、ガラスの部分が汚れて曇りガラスのようになっていた。
幸い中の人形はきれいだったが、人形の周囲には埃が落ちていて、いかに仕舞いこんでいた年数が長かったかを物語っている。
そこでガラスを拭いて埃を取り、ガラスケースの扉を開けて中に風を通した。
時間が過ぎて、そろそろ扉を閉めようと思って人形を見たら、あらら、なんとお人形が笑っていた!?
いや、実際はそんなわけはないのだけど、私にはまるでお人形が嬉しそうに笑っているかのように見えた。
暗い押し入れの中で何年も放って置かれたが、今やっと日の当たる場所に出してもらえて喜んでいるのだろうか。
お人形の持ち主である長男は、もうすっかり大きくなって家を出てしまったが、ここまで元気で無事に長男が育ったお礼と共に、これからは毎年出すからねと心の中で五月人形に伝えた。
こうしてみると、五月人形もなかなかいいじゃないの~なんて思うのは、私も年をとったからなのかもしれない。
今、あの時に買ってくれた父と同じ年齢になってしまった・・・