知り合いが、大きな病気に罹ったという話は、昨年あたりからちらほらと耳に入ってきていたが、今年に入ってもそれは続いている。
特に多いのが間質性肺炎。
間質性肺炎は昨年知人が罹り、その方は現在も療養中だが、また他の知人が同じ病になった聞いた。
間質性肺炎という病気になると、息がしづらくなって日常生活で酸素ボンベが必要になるそうだ。
知人も酸素ボンベが手放せないが、それでも息切れで辛そうだ。
もう外出することもできず、家事は全てヘルパーさんにお願いしている。
話しをすると息が苦しいので、ほとんど会話もしない。
一日中、部屋で横になっている。
こうやって徐々に悪くなっていくのを待つだけなんて、あんまりでは無いかと思うのだが、今の医学では治療法は無いそうだ。
まだ60代。
やりたいこともあるだろうし、かわいい盛りの孫とも会っておしゃべりしたいだろう。
そして何より、これから自分がどうなって行くのかという不安でいっぱいになると思う。
でも彼女の本当の心の内はわからないが、意外と淡々と病気を受け止めているように見える。
知人は、ご主人を亡くしてから急に元気が無くなった。
仲の良いご夫婦だったから、本当にショックだったと思う。
ご主人が亡くなって何年か経ってからも、冗談っぽく「もういつ死んでもいいの」と言うことがあったが、それは本心なのかもしれないと感じていた。
今、知人の周りには手助けをしようとする人たちがたくさんいる。
でも一番大切なのは、自分が生きたいと思うかどうかなのではないかと思う。
ここまで書いてきて、私は、生きることを良しとし、死ぬことを悪と考えていることに気づいた。
もし自分が同じ立場であれば、もっと生きたいと思うに違いないから、知人にもそう思ってもらいたいと思うのだ。
でも淡々として、病を受け止めているかのように見える知人は、知人なりの考えに到達しているのかもしれない。
何が正解なのかわからなくなった。
一人一人で答えは違うのかもしれないし、そもそも正解なんてないのかもしれない。
文章を書きながら、あらためて自分の傲慢さに気づかされたような、そんな気がしている。