くもりががち。
御天気下り坂・・・のよう。
昨日(1日)。
午前・午後と映画。
まず、午前中は、『オッペンハイマー』を鑑賞。
原爆の父といわれたロバート・オッペンハイマーの栄光と挫折の物語。
世界で最初の原爆の実験場となった日本での上映。
・・・繊細でエキセントリックな天才は、パンドラのハコを開けてしまった。
世界は変わる、加速する。
物語は、モノクロームとカラーの映像に区分けされている。
ナチスドイツが降伏した時点で、コレ迄巨額の費用を掛けて開発してきた原爆が、無駄?になってしまう。
本来は、ナチスドイツに投下される原爆が、ドイツの降伏により、ターゲットが、日本になった。
オッペンハイマーが、ドイツ系ユダヤ人であったからこそ、同胞を救うために、原爆開発に携わってきたものの、その矛先は、日本に向けられたのは、なんというか・・・。
良いか悪いかは、わからないけれど、国家を追われて、数千年。未だに、その恨み?が生きる糧?となっているユダヤ人と・・・原爆の実験台にされた日本人。原爆投下から80年近く経とうとしている現在では、どれくらいのひとが、世界初の被爆国ってことを意識しているか・・・そのあたり、やはり日本人って、バカなのかもしれない。
原爆を落とした国から、搾取され続け、とうとう極貧国になり下がったあたり・・・とか、そんなことを思ってしまったりもする。
・・・。
抑止力(或いは、平和利用?)以外では、(たぶん、殆ど)意味をなさない原爆。
神の火を盗み、世界を破滅への扉を開けた。
原爆は、新たに、更に強力な水爆、中性子爆弾開発へのプロローグに過ぎなかったこと、そして連合国を勝利に導いたオッペンハイマーにとって、共産主義者の疑惑と敵対する勢力が、更に彼を悩ますことになる。
物語には、20世紀最大の頭脳の天才物理学者のビッグネームの名前が、スクリーンに映し出される。
アインシュタイン、ボーアを筆頭に、その後の料理物理学の世界を牽引することになるハイゼンベルク、シュレーディンガーetc 綺羅星の如くその名を連ねる物理の教科書に太ゴシックで、書かれている(数式、法則自体は、てんで理解できなかったが・・・)のを思い出した。
物理学者でありながら、言語、文学、詩、美術、音楽など多才な感性に恵まれ過ぎた?オッペンハイマー。
しかしそんな彼の開発した原爆は、合衆国では、政治の道具として、ヒロシマ・ナガサキで、数十万の日本人の命を奪い、その後、現在に至るまで、搾取し、放射能、レプリコンワクチン、農薬添加物で、日本を人体実験場にし続けてきた。
こんな国のひとつやふたつ・・・滅ぼしたって、どうってことない・・・のかもしれないが・・・。
ただ・・・あの繊細で、エキセントリックな天才が、原爆投下後の日本を、直接見たら・・・どう思っただろうか?
自分の手によって、滅ぼされた街にも・・・たぶん、彼と同じ宇宙の物質で構成された人々が生きていた。
とりわけ、アインシュタインとの邂逅シーンが、印象的だ。
アインシュタインは、親日家としても知られている。
世界初の被爆国に生まれたのも、きっと何か意味があることなんだろう。