あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
静かな静かな・・・ひとりきりのお正月。
普通の日と変わらない元旦。
あと何回、こんなお正月を過ごすのだろう?
日中、暖かな冬の日差しの中で、うとうと眠る。
去年と同じ・・・。
静かすぎて、穏やかで・・・。
この日々を飽きるまで・・・。
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
静かな静かな・・・ひとりきりのお正月。
普通の日と変わらない元旦。
あと何回、こんなお正月を過ごすのだろう?
日中、暖かな冬の日差しの中で、うとうと眠る。
去年と同じ・・・。
静かすぎて、穏やかで・・・。
この日々を飽きるまで・・・。
静かな大つごもりの夜。
暖かい歳の暮れ。
雷都に来て、1年と2か月。
心が休まる事もなく、憂い事ばかりだったのも事実。
すっと深呼吸。
さよなら今年さん。
ありがとう今年さん。
来年さんは、あと少しで、やってくる。
様々な今年さんへの思いを、来年さんに、バトンタッチ。
今年もお世話になりました。
来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
穏やかな冬至の土曜日。
一陽来復。
陰極まりて陽に転づる日。
真冬の始まりの日・・・。
昨年は、旧居住地よりも30Km北ある雷都に転居してきて、初めての冬で、対流型の灯油ストーブを購入したのだけれど、対流型ストーブは、灯油タンク一体で、灯油を給油するとき、ストーブを階下に下すか、灯油缶(ポリタンク)を二階迄、持ち上げるか・・・いづれもかなりな重労働?だったので、結局のところ、対流型ストーブは使わず仕舞いで、エアコンとカセットガスボンベのソロストーブで、ひと冬凌いだ。
エアコンも温かくなるのだけれども、流石に灯油ストーブにはかなわない。
・・・仕方がないので、給油タンクの取り外しのできる反射式のストーブを購入した。
折からの原油の値上がりで、灯油も高額になったという・・・タイミングの悪い時期であったけれど、流石に、灯油ストーブは暖かい。
旧居住地に居た頃、私は、ハロゲンの電気ストーブを使っていて、それで充分だったのだけれど、母は、起きている間は、終日、灯油ストーブを使っていた。
普通の反射式のストーブだったけれど、18リットルの灯油は、1週間から10日くらいで、使い切って、1週間に一度くらい、近所のガソリンスタンド迄、灯油を買いに行っていた。母が亡くなって、灯油を買いに行くことはなくなったけれど、今度は、自分のために灯油を買うことになりそうだ。
昭和から平成の初め頃迄は、灯油ストーブと炬燵が、冬の暖房だった。
11月の中旬頃から、灯油ストーブを使うために、灯油を給油するのだけれど、あの頃は、灯油タンクを取り外す形式のストーブでなくて、反射ストーブも一体型で、灯油缶を部屋迄持ってきて、給油していたように思う。
灯油タンクとストーブ本体が、セパレート型になったのはいつの頃からだろうか・・・???
そんなことを思いながら、やっと暖かくなった雷都の家。
灯油の匂いをかぐと、子供の頃を思い出し、クリスマス、冬休み、お正月・・・と、それに伴う灯油ストーブの暖かさを思い出す・・・。
灯油ストーブは、冬の記憶を呼び戻す・・・。
風もなく、穏やかな初冬の日曜日。
朝方、猫の夢をみた。
夜間パトロールから帰還した三毛猫は、身体にたくさんの小花をつけていた。ラヴェンダーのような青紫色の花で、よい香りがした。猫は、疲れたのか、布団の中に潜り混んで眠ってる。よくよくみると足が、泥だらけ。寝具洗わないと・・・。そんな夢。
師走の始まり。
今年も残すところあと1か月を切った。
この時期は、夕暮れ時の地平線に富士山のシルエットの出現が目視で確認できる。
↓ 夕暮れの車窓から、ほんの小さな富士山。
もう四半世紀前になるけれど、姪達が生まれたが師走で、産院にお見舞いに行った帰りに、夕景富士を始めてみた。
北関東からも見えるんだ・・・!
2000年問題の時期で、グレゴリオ暦の関係?で、コンピュータが、一斉に誤作動する・・・ってハナシだったんだけれど・・・なんということもなく?終焉したような記憶で。
そのころは、某F通という企業の請負の仕事をしていた時期でもあって、その年の師走に、地元から富士山をみたのが印象に残っている。
清少納言は、『夕暮れ』が一番美しいのは、『秋』と書いていたけれど、私は、冬の夕暮れの方が、鮮烈な感じがしている。もっとも、現在のグレゴリオ暦と違って、太陰暦だっただろうから、彼女のいう秋は、8月か9月頃?の名月の頃の事だろうし(違うかも?)、最近では、12月になっても紅葉していて、季節の進みが遅いから、さらに感覚的にズレるんかな・・・とか。
とか・・・考えていると、赤ちゃんだった姪が、もう25歳か・・・私自身も歳をとるハズだな・・・。
富士山は、一度だけ、母と登ったことがある・・・もちろん、徒歩ではなくて、バスで所謂5合目迄。
遠くからみるのとは違って、樹林帯を抜けると、岩がゴロゴロしていて、遠目からみるその姿とは、かなり違うことを知った。
山の稜線は、平地からみると美しいけれど。
そう・・・美しいものは、平地からでも充分堪能できるし、可視できるものでも、観察位置や時間、様々な条件下で、眺めるとまるで違ったもののように見えるのは、なにも山だけではないと知るし、人間などは、見かけだけでは、全然わからないものの最たるものなんだろうなぁ・・・と相変わらず、バカなことを考えている。
終日穏やかな冬晴。風もなく・・・。
霜月(11月)は、冬支度。
冬に備える季節でもあるけれど、今年は(も)秋が、短くて、あっという間に、初冬の佇まい。
(↑平地でも紅葉始まる・11月19日撮影。ぽっかり浮かぶ有明の月)
過去に11月末日から12月1日にかけて、台風の影響で、夏日になった年があって、暖かい(というか暑い)一日で、暖かいのがこんなにうれしい事なのか・・・と思ったこともあった。それくらい、過去の11月末は、寒かったのだけれど、去年、今年は、11月になっても夏日は出現するし、近年は、季節が後ろ倒しになっていて、紅葉も、都心などでは12月半ばくらいまで見られる。
紅葉は秋ではなく、冬になりつつあるのかも?
極寒の2月に母と沖縄に行ったときも、現地のひとは、半袖で過ごしているようで、2月という季節を忘れて、帰宅すると真冬の寒さで、やはり北関東は寒い・・・と実感。
それでも、11月はまだ冬の入り口で、日中は、ポカポカな日溜り。
完全に冬じゃない最後の暖かさ・・・みたいな感じが好きだったし、初冬を思わせる灰色の空を眺めながら、ココアを飲む季節が好きだった。
そんな日溜りの中で、11月って・・・いい事がなかったな・・・という記憶を掘り起こしたりした。
小中学生のときは、文化祭があって、楽しかった。私は運動会は大嫌いだったけれど、文化祭は好きだった。
大人になって、11月に父が亡くなって、そのときの葬儀は、ものすごく大変で、葬式なんて二度とゴメンだ・・・と思った。
お通夜、葬儀、(11月ではないけれど)四十九日、初彼岸、初盆、そしてまた11月に、一周忌、三回忌、七回忌・・・と続く法事にウンザリした。私は、父とは、ある意味、縁が浅かったので、父の死に対しては、あまり思いいれが深くはないけれど。
母のときは、全く違っていたな・・・と思う。
考えても仕方のない過去のことばかり、考えてしまった。
夕食を食べて、身体が、ホカホカ温まり、うとうとと居眠りをしていたら、中学校のときから飼っていた犬の夢をみた。
暫くぶりに夢にみた。
私は旧居宅に居て、現住居の雷都に帰るから、最後に、犬に、ゴハン(なんだか、餌と書くのにしのびない)をあげる・・・という夢だった。
犬は、10年くらい生きた・・・。
目覚めて・・・そう。もう居ない・・・と思うと、とても悲しくなった。
・・・もう、母も猫も・・・そして犬もいない。
私は、本当にひとりぼっちになったのだな・・・とひとりしんみり目が覚めた・・・。
穏やかな初冬。
ナナメ前のお宅の壁面改修?の足場組み工事始まる。暫く騒音が続くのかも・・・でも、お隣の新築工事現場のように、拙宅との敷地の接点は、殆どないので、ゴミを放置されたりはしなさそうだし、基礎工事のような振動はなさそう・・・(だとよいのだけれど)。
何より、道路が面していないので、通行止めもないのが有難い(・・・ような気がする)。
一昨日・・・。
6日ぶりに外出するさいに、トレーナーを後ろ前に来て出かけてしまった。
なんか前首のあたりが詰まっているような違和感があるにはあったけれど・・・。
スーパーの駐車場に車を止めて、隣接の郵便局迄、徒歩。そのとき沿道のショップに移る自身の姿に、前身ごろが長くて、後身ごろが短い・・・おかしいな・・・ということは、後前逆に着用してしまった・・・と気が付いた。
人通りもほとんどないし、私が前後逆に着ていても、誰も困る人もいないし、もし、気が付いたひとがいても、この近辺に知り合いもいないし、まあいいか・・・と思い、郵便局で、郵便物を出して、年賀切手購入、通帳繰り越しなど行って、郵便局を出て、スーパー駐車場に戻った。
車に乗り込んで、後前が逆だから、両手を袖から外して、向きを変え、正常な状態に戻した。
服の後前や、裏表逆とか・・・服に関することは、ラッキーなことの訪れ・・・なんて事を読んだことがあって、以前のこの拙なブログにて、『ラッキーなジンクス』とか書いてしまっていたのだけれども、これは、誤りだったことを知る。
もともと『ジンクス』は、凶兆・・・つまり悪いことの起こる予兆に使う言語だから、宜しからざる・・・という意味らしい。
だから、『ラッキーなジンクス』という日本自体誤り・・・ということになる。
服装の裏表、後前逆・・・なんてことは、あわてていたりすると起こることで、それ自体が、ラッキーだとは、とうてい思えない。つまり、だらしがなくて起こることだしな・・・。
誰かに、指摘されると恥をかくことになる。
注意するほうとしても・・・『服が逆ですよ?』と注意するのもなんだか気が引けるので、そのあとに、『後前とか、ラッキーなことが起こる前兆ですね』とか言っておけば、注意された方も、落ち込まずに済むという気配りからくることだったのかもしれない。
てんとうむしが止まるとラッキーなことが起こる・・・なんて信じていたけれど、ラッキーなんか来なかったし。
穏やかな小春日和が続く・・・。
牛蒡(ごぼう)を買ったけれど、2本入りだったので、1本を牛蒡茶にするために、ピーラーで卸す。
干椎茸も幾分、湿気てきた感じなので、卸した牛蒡とともに、2階ベランダのエアコン室外機の上で、乾燥。
暖かい日差しの中、美味しくなってくれるといいな・・・なんて思いながら。
隣家の新築工事の音がしないので、平和な日々でもあった。
洗濯モノ干し、取り込みなんかは、気を遣わずにできるのは、有難い。
・・・如何せん、雑木林の中の一軒家に長いこと住まわっていたので、隣家がこんなに近いと音が気になる。
前のお宅の深夜の給湯器の音。深夜と言えば、午前2時か3時頃の朝刊配達?のオートバイ(今時、新聞を取っているお宅なんかあるのかな?と思うけれど、ご老人世帯が多いからね。母も毎日、新聞を読んでいた)の音。
夜勤(←勝手な想像なのだけれど)の住人さんであろうの深夜の車のエンジン音。これから出勤なのか、戻ってきたのか?
古い住宅地なので、早朝や夕方の門扉や雨戸の開け閉め音・・・軋む、軋む・・・(内心、新しいのに替えろや!と悪態をつくこともあるけれど)。
近隣の固定電話の受信音。
足が上がらないご老人のすり足であるく音。聴力の関係か、拙宅迄、聞こえているテレビの音、外で会話する声(聴力が衰えると話す声も自然と大きくなるし)。
そんなに吠えていると死んでしまうのではないか・・・と思うほど、鳴いている犬の声。
夜間早朝の救急車(道路を挟んで、近いところに救急病院がある)。
・・・近所にアパートが建ってから、煩くはなったけれど、旧居宅は静かだったな・・・と今更ながらにそう思う。
閉口したのは、更地にするための工事、新築、リフォーム工事の騒音と振動。空き家税導入で、古い住居が壊され売られ・・・人の移転やら、何やら・・・で。
ふと・・・都市開発?税とかよくわからない税金も課せられているんだから、都市ガス通してくれや!と思った。
プロパンガスの管理料って・・・信じられないくらい高い。夏など本体のガス料金1000円未満なのに、管理料金が、1600円プラス消費税・・・って、ナニコレ???消費税なんておかしいじゃない?冬場は、毎日、浴槽をいっぱいにして、風呂に入ろう・・・などと思ったら、ガス代なんて、2万円は超える。地下を通る水道管が、凍結することもある日に至っては、水温も低いから、給湯器のガスも半端なく。
そんなこんなの雷都のくらし・・・。
今は、異常なくらい暖かい日が続いているけれど、冬になれば、北関東で、山も近い・・・底冷えもするし、ラニーニャ現象で、極寒???の予報も出ているし・・・。
文句ばかり、ブツブツ念仏のように唱えている小春日和続く初冬の一日。
最高気温20度超えて、薄着でもちょうどいい日中。
暦の上では、冬が立って、立冬も過ぎたというのに、この暖かさに、心も緩むような・・・。
6日ぶりの外出。
食糧調達、郵便局などへ・・・。
秋なのに、春っぽいね。
風もなく、おだやかで、陽差しも柔らかい・・・。
こういう小春日和には、昔を思い出す。
まだかろうじて、少しだけ幸せだった頃を。
いつまでもこの暖かさと心の凪の日がいつまでも続くとよいのに・・・と願っても、次から次から、いろいろとイヤな事ばかりやってくる。
手を変え、品を変え、次から次から・・・次から次から・・・終わりのない迷惑ギフト。
父が亡くなって、少し自由になった母と私と三毛猫。
これまでの拘束を一気に取り戻すかのように、母は元気になった。
私は、勤め人という拘束があって、それ程、自由じゃなかったけれども。
それでも、母と私と三毛猫は、穏やかな日々が、少しだけあった。
その短い期間だけは、間違いなく、幸せだったのだと思っている。
その穏やかな小春日和の日々も、あっけなく崩れていったけれど・・・。
11月の小春日和。
穏やかな光の中に、母と私と三毛猫が居た。
そんな日は、確かに在った。
三毛猫と母は、三月に逝った。
本当の春に。
春のような秋に騙されていた日々は、すぐに冬の中に消えた。
私は・・・。
今日のような穏やかな優しい光の中にずっと居たい気がする
三月はイヤかも・・・。
穏やかで、気持ちのよい・・・秋なのに春のような・・・春のような秋に騙されて・・・。
最高気温夏日に迫る24度。季節が、1か月程後退。
穏やかな晴れの一日。
予定では、8月末に完了するはず?だった新築中の隣家ではあるが、週に2、3度工事のひとが来て作業するくらいで、時が過ぎ、11月も半ばに突入。
ゆるく傾いた初冬の日差し中を浴びながら(ちょっと暑いくらい)、ベランダに出て、隣家の陽当たりなど観察してみる。
随分と思い切った設計だな・・・と思う(よそ様の御家なので余計なお世話だが・・・)。
敷地南側には(たぶん建築基準法が改正される前に建てられた家屋だと思うのだけれど)、三階建家屋。
つまり、日中の南側には、陽は、当たらない。
二階建てなので、採光は、東側一択ということだけれど、二階は、太陽が真南に達する正午前には、陽は翳る。そして一階は、午前10時半頃には、もう採光は断念せざるを得ない(つまり、拙宅が東側なので、邪魔している感じかも)。
太陽光を反射させてそのまま室内照明とする光ダクトなど設置しているのかもしれない?
自然に有るものを遮断するのは割と簡単だけれど、もともと無いものを持ってくるのは、大変。
南側全面を捨て(もともとあるはずのもの)、東側の僅かな隙間から、採光するといった思い切った設計ではあるな・・・と思ったり(でも、住んでみてどうなんだろう。家族構成にもよるけれど)。
旧居宅の二階部屋に寝起きしていたときは、北側と東側の二面採光だったけれど、夏場は、東側からの朝日が、午前10時くらいまで、差していた。北側の窓は、明かり取りだったけれど、あまり陽の差さない部屋だった。しかも唯一採光できる東側の窓は、遮光カーテンを閉めっぱなしにしていたので、殆ど陽の差さない部屋だったけれど、勤め人だった頃は、寝るだけの部屋だったから、ちょうどよかった。廊下を出た南側のフローリングの部屋は、日当たりがよかったけれど、樹木の関係で、午後になると陽が翳った。
タイトルの『朝日のあたる家(The House of the Rising Sun)』は、ニュー・オリンズの娼館の歌らしいけれど、新築の『朝日しかあたらぬ家???』は、たぶん?ほぼ完成・・・というか、完成まじかなのかも・・・???
どんよりくもりがちな初冬の日曜日。
時折、小雨も?深夜になって、時雨れる。
パラパラと音を立てて降る初冬の雨。
本日、十日夜(とおかんや)。9月(十五夜)、10月(十三夜)と続いた秋のお月見の最終日。冬の始まり、冬支度。
鉛色の空は、初冬の色。
こんな初冬の曇りの日は、なんだかほっとするような・・・冬ごもりは、周囲と隔絶されるような?そんな感じが好きなのかも。
食べても、食べても・・・なんだか、食べ足りない気がする。
おなかは、いっぱいなのに、なんか・・・物足りない。
こういうときは、体調が悪くなる前触れだ。
首筋が痛い。
どんよりのくもり空だったから、昼前迄、眠ってしまった。
おなかがすいて、眠い。
冬眠前の熊にでもなったような・・・?