鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

今年・・・。

2014-12-31 22:55:22 | Weblog

穏やかな歳末。

この1年・・・。
何もしないまま、過ぎてしまった。

空白の1年間。
何をしていいのか、わからず仕舞いの1年で、1年たったからといって、目的や目標が決まったわけでもなく、去年と同じ状況のまま、ここに存在する・・・ただ、それだけである。

人生が、流れていく時間と同じように、ひとつの流れであるならば、私は、澱んだ水で、流れることが出来ない。
自力で、流れることができないから、留まるしかない。
身を任せるだけの水流が、今の私には、ない。

ただ、日々の不安に脅え、絶望し、一向に、明けることのない夜を過ごしている。

この闇夜・・・ほんとうに、明けることがないのだろうか・・・。

だったら、新年など無意味だし、朝も昼も夜も・・・。
単なる時間の流れに過ぎぬようだ。

・・・今年、そしてもうすぐ来年。
来年は、今年になってしまうのに。

それなのに、何故、このように穏やかなのか不思議である。

巷では・・・。
全てが、いつも何かに向かって、ものすごいエネルギーで、満ち溢れているというのに。

エボラ、鳥インフルエンザ、デング熱・・・生命を脅かすニュースが流れ、ヒトは、過剰に反応する。
生命の危機だから。

それなのに、私は、風邪さえも、通り過ぎていくようで、人との接触が、ほとんどないから、今年は、風邪さえも、私を無視してくれたようだ・・・(これは、有難い事である)

そんな2014年。
今年・・・そして、来年。
来年は、もう今年になってしまう。


相も変わらず、拙なるブログにご訪問いただきましてありがとうございました。
お読みいただいた全ての方に、幸多き、年になりますよう・・・。


三毛猫堂拝





冬霧~山水蒙と啓蒙思想

2014-12-30 11:32:43 | Weblog

お昼近くなったというのに、まだ霧が晴れない。
年末なのに、大掃除などには、不向きな気候だ。
私の居住地では、昼前まで霧が晴れない・・・なんてことは、あまりないので、珍しい気がする。

霧・・・と言えば、思い出すのが、易経の『山水蒙』。
艮(山)と坎(水)・・・というどちらかと言えば、軽いとは言い難い・・・ちょっと澱んだ感じのする卦で、蒙は、啓蒙思想、無知蒙昧・・・とか、それくらいしか思いつかないけれど、そんな感じだ。

啓蒙思想・・・といえば、モンテスキューなんてことが、世界史のテキストに出てきたような気がするけれど、遙か昔のことなので、記憶違いかもしれない。

・・・で、モンテスキューって誰だっ・・・?てことで、ググってみると・・・
シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー:17世紀のフランスの哲学者。
『法の精神』などの著述。

・・・そうであった。そうであった・・・。記憶の霧の中に隠されていたキー・ワードが蘇ってきたぞ。
因みに、男爵さまだそうだ。

保守派だったそうである。

啓蒙思想といえば・・・大体、ジョン・ロックだとか、ジャン・ジャック・ルソーだとか、そのへんが有名処だろうけれど、どんな思想か説明せよ・・・と言われても、出題範囲の広い世界史である。
もちろん、スルーなのであった。
もう大変なのよね。世界史とか、地理B(←今はこんな教科あるんでしょうかね?)だとか。
覚えることが一杯あってさ。

『蒙』と言う字は、複雑だ。
何か、含みのある哲学的カンジがする。
そんな含みのある字の入っている『山水蒙』。
五里霧中。霧の中。霧の晴れるのを待つ間に、なにか勉強せい・・・ってことでしょうかね?
或いは、『臥薪嘗胆』なのか・・・。
それとも、霧の中で、彷徨い続けるのか・・・。

晴れない霧を眺めなら、そんなことを考える、平穏な年末。




真冬のてんとうむし②

2014-12-29 15:39:58 | Weblog

深夜から、午前中にかけて冬のミゾレまじりの冬の雨。

真冬に可愛らしいてんとう虫をみつけて、そう言えば、子供の頃、小さなてんとう虫の形のブローチがお気に入りだったことを思い出した。
このブローチは、とても小さなもので、直径が10mmに満みたないけれど、羽を少し拡げたフォルムの胴体に、綺麗なラインストーンがひとつ入っていた。

私のお気に入りは、何処かへ身につけて歩くというよりは、眺めつくして、そのうち、失くしてしまうパターンが多かったような気がする。
小さなものだから、結局、何処へ行ったのかわからず仕舞いで、あとで思い出して、そう言えば、アレは、何処へいったのだろう・・・ということになる。

・・・知らずシラズのうちに、なくなっていくもの達。

同じようなデザインのブローチってないものだろうか・・・と思って、ネット・ショップなどを見たけれど、どれも似て非なるものばかりで、あの可愛らしさには、出会えずにいる。
もしかすると・・・。それほど、可愛いものではなかったけれど、可愛い・・・と思い込んでいるだけかもしれない。
正確なフォルムも、今では、思い出せずにいるから、例えば同じものを見つけても、たぶん、同じものと認識しないことだろう。

私は、ムシ・・・所謂、昆虫は、嫌いである。
このことは、何度も、この拙なブログ内に書いているし、ムシに関する良い思い出は、あまりない。

身近なところでは、ゴキブリとは、出来れば出会いたくないけれど、ゴキブリには、ゴキブリの事情があるのだろう。

それでも・・・。今年は、初夏に、蛍狩りに連れて行ってもらって、生まれて初めて、燐光を放つ蛍をみたし、蛍が、左手の薬指に止まってくれて、大感激だったことや、一昨日、冬のてんとう虫の可愛さに、なにやら、今年も、ムシとは、少なからず、御縁があったような気がする。

蛍に関しては、てんとう虫より小さい。
実物を見るまでは、ゴキブリくらいあるものだとばかり思っていて、あんなに小さい虫だったとは、思わなかった。

ムシは、嫌いだけれど、蛍やてんとう虫などは、本当に可愛らしい。
もっとも、蛍もてんとう虫も、幼虫は、ちょっと・・・いや、かなり気持ちが悪い形状をしていることも最近知った。

世の中、知らなことばかりで、わが身の無知に、恥じ入るばかりである。






真冬のてんとうむし~役に立たないシンクロニシティ②

2014-12-28 11:01:07 | Weblog



昨日に引き続いて、風もなく穏やかな年末の日曜日。


昨日、車の半年点検のために、ディーラーを訪れる予定を組んでいて、車の中は、余計なものばかりで、少し片付けるか・・・と思い、助手席側のドアを開けようとすると、ふと、綺麗な赤い物体を発見。

本日の画像。
真冬のななほしてんとうむし。

・・・おお!これは、綺麗な色をしたてんとうむしだこと。

そう言えば、2、3日前のこと。
化粧品メーカーのロクシタンのHPで、来年の運勢を占う・プロヴァンス風ガレット・デ・ロワというコーナーで、占ってみたところ、パイの中から出てきたのが、『てんとうむし』。
てんとうむしとは、コレ如何に・・・?
私は、虫は、あまり好きではないけれど、てんとうむしならカワイイかも・・・。
くらいに思っておりました。

最近、めったに見ないてんとうむしですが、この真冬の最中、実物を見るとは・・・。
つい、カメラのシャッターを切ってしまいました。

それにつけても、占いをして、数日・・・コレは、シンクロニシティでしょうかね~~~。
西洋の言い伝えでは、てんとうむしは、幸運を呼ぶ虫だとか・・・。

ああ・・・!幸運。
なんてよい響きなの?
ここ暫く・・・いやいや・・・ずっとずっと、御縁がなかった『幸運』。

幸せな・・・運勢・・・。
穏やかな冬の日差しの中。

てんとうむしを踏みつけないように、生垣の葉っぱの上に移動させました。

写真でみるより、綺麗な明るい赤い色をした個体で、小さなルビーが落ちているようなそんな感じだったのです(写真で拡大するとやはり、虫なので、グロいだけかも・・・)。

いつまで、掲載されているかわかりませんが、プロヴァンス風占い・ガレット・デ・ロアのアドレスです。

http://www.loccitane.co.jp/jp/20141225_happy/




薔薇の花束⑥

2014-12-27 22:55:49 | Weblog



深夜の強風もおさまって、穏やかな年末の土曜日。
気温は、日中でも8℃どまり。日差しは暖かいものの、空気がひんやりと冷たい一日。
午後から、車の半年点検のためディーラーへ。


昨日は、誕生日だったので、相方が、食事と薔薇の花束をプレゼントしてくれた。
隣市(・・・といっても、私の自宅は、市内の東側で、県境も近いから、隣市といっても隣町くらいの感覚)のフレンチレストランで、ディナー。

相方とは、暫く会っていなくて、ゆっくり食事をするのも久しぶりだった。
クリスマスの翌日・・・ということで、今日は、他にお客さんは、いないだろうとおもっていたけれど、私達の他に、熟年のカップルが2組あった。

フレンチ・・・と言っても、所謂パリ風というのではなくて、プロヴァンス風というか・・・地中海風のイタリア料理に近いメニューで、魚介類のプレートが秀逸だった。
パンも私が好きな胚芽パンで、焼き立ての香ばしさは、最高。

価格の割に、皿数が少ないような気がしたけれど、中盤で、お腹が一杯になってしまった。
もう一段価格の安いコースで充分だと思う。

このレストランは、国道沿いにあるのだけれど、私の居住地から向かうと反対車線にあって、国道から直接入ることができないので、一度、交差点まで出て、ユータンをしなければならない・・・ということは、走行車線によっては、フリのイチゲンさんでこのお店を訪れることは、あまりないと思う。
立地条件が不利にも関わらず、創業から40年くらいは、経ってるお店で、一度、行ってみたかったけれど、機会がなかった。

昼間訪れると併設のガーデンを見られたのだけれど。

こんなにゆっくり、食事をしたのは、ひさしぶりです・・・という相方は、顔が少し痩せて、細くなっていた。

本日の画像。
誕生日のプレゼント。紅薔薇の花束。

食事のあとの帰り道で、西の空に沈んでいく細く綺麗な三日月が見えた。
帰宅した後、蛍光灯の光での撮影は、毎度のことながら、思うように取れないなぁ・・・と思いながら、数枚シャッターを切ってみた。

先月末にいただいたオレンジ色の薔薇は、1ヶ月経った今も、まだ花を咲かせている。




Christmas cake

2014-12-25 11:28:29 | Weblog


今日、クリスマスは、イエス様のお誕生日。
イエス様に限らず、お誕生日には、ケーキを食べてお祝いをしましょう。

・・・ということで、いづれの御時にか・・・日本人が、クリスマスにケーキを食べるようになったのは、たぶん、戦後の高度経済成長期・・・あたり・・・からでしょうか・・・???

花の首都・東京から、ローカル線で1時間と少しの我が居住地に、菓子店は、さまざまあれど、デコレーションケーキを、生クリームで仕上げる・・・というお店は、1軒しかなかった昭和の後半頃のお話。

その西洋洋菓子店は、駅の近くにありました。

その西洋洋菓子店が、開店と同時に、生クリームの美味しさを知った市民は、クリスマスになると我先に・・・とケーキを予約するのです。
小さな洋菓子店だったから、生産が追い付かないので、予約が出来なかったご家庭では、従来のバタークリームのデコレーションケーキを食べるのでした。
このバタークリームというものは、名前の由来どおり、バターでつくるとそれは、それは、美味しいものでしたが、この時代、かなりいい加減で、マーガリンだとか、植物性油脂だとか・・・今では、健康に問題があるという指摘にも関わらず、幼児用のビスケットなど、未だに普通に使用されている不飽和脂肪酸のショートニングなどを増量材?として使った、所謂、まがい物のバタークリームデコレーションケーキでした。
このまがい物のバタークリームは、食べすぎると胸ヤケがして、気持ちが悪くなるので、私は、子供のくせに、ケーキがあまり好きではない、ヘンクツな子供の扱いを受けておりました・・・というよりも、好き嫌いが激しくて、食べられるモノが、限られていたのです。

市内に一軒だけの生クリームを使う西洋洋菓子店でしたが、初めて食べた生クリームケーキの味は、最高に美味しいものでした。
それでも、最近になり、英国のクローデットクリームなるクリームを食したとき、あの西洋洋菓子店のナマクリームは・・・たぶん、植物性油脂で作られていて、本物の牛乳から作ったナマクリームではないナマクリームだったのではないか・・・と思い当たりました。

・・・それでも、市民には、GETするのが難しいケーキでもありました。
そののち、この西洋洋菓子店は、店舗数を拡大し、隆盛を極めましたが、スイーツを供する店舗の増えたこのご時世・・・今は、どうなっているのでしょうか?
インターネットで、調べてみたところ・・・我が市内より、撤収してしまっていて、現在、県庁所在地の隣々市に、カフェを併設した2店舗が、経営されているようでした。

いづれにせよ・・・メリー・クリスマス!

イエス様お誕生日おめでとう・・・!




香考⑰LAINE DE VERRE:SERGE LUTENS

2014-12-24 22:51:35 | Weblog

曇りがちながら、薄日が差し、風もなく穏やかな年の瀬。

世間的には、クリスマス・イヴってことで・・・。

去年の秋頃だったか・・・。
失職(・・・失業と書くと、なんとなく惨めなので、失職と書きます。微妙に違う様な気がする・・・だけですが・・・)して、再び、職に就いたら、一番最初に、晩秋から初冬の街に似合う香りを纏いたいと思っていた。
手短に言えば、香水を買いたい・・・と思っていたのである。

幾分、おカネのあった時期に、2,3本買い溜めをしておいたものが、まるまる残っているし、この1年4カ月というもの、ほとんど外出することもなかったから、去年の9月に封切りした50ミリリットル入りの香水もまだ、少し残っている。

生命を繋ぐのに、まず必要のないものが香水というものであって、高価な贅沢品だから、買えないとなれば、買わずに済むもののひとつでもある。

そんなこんなしているうちに、かのSERGE LUTENSから新作2種類が発表された。
いまのところ、一番のお気に入りのブランドでもあるが、いかんせん・・・個性的というか、ちょっと、フツーでは・・・と、思う香りが、商品のほとんどで、香りを試してからでないと、フルボトルは、恐ろしくて、購入できない。
サンプルが欲しいなぁ・・・と思い、YAHOOのオークションサイトなどをチェックしていたけれど、1~2ミリリットルの小分け商品の出品は、見当たらなかった。

先日、いつも何気なくチェックしている香水量り売りサイトで、新作のLAINE DE VERRE(レーヌ ドゥ ヴェール)の掲載があったので、即買いしてしまった。
1ミリリットル300円・・・(暴利だよなぁ・・・)。フルボトル50ミリリットル8000円(税抜)だから、フルボトル1本仕入れると、7000円の儲けか・・・(容器のスクリュー管なんか、たぶん20円か30円くらいだろう?←想像)。
でも、まあ、フルボトルで、失敗するよりは・・・。

清潔で、静かな知的な香りである。
これは、前作のロー・フォアッド、前々作のロー・セルジュ・ルタンスの流れを継ぐ第三の香りだろうか。トップは、(悪くすると)ランドリー系(液体洗剤)っぽいのだけれど、清潔さの中に、かすかに潜む毒を感じるのは、私だけだろうか?
普通に接していては、解らない・・・たぶん、抱きしめて、直に肌にふれないと解らない何かが潜んでいるような・・・そんな感じがする。
爽やかなそれでいて紫外線の強い5月の光に映し出される濃い影のような感じか・・・???

是非にも、フルボトルで購入したい一品である。



柑橘系②

2014-12-23 06:23:51 | Weblog

このところ、晴天になると、御昼前から、冷たい北西の風が、強くなってくる。
我が居住地の冬の気象だ。
それでも、気候変動というか、子供の頃に比べて、風の勢いは弱くなっているような気がする。


冷たい風の吹く昨日・・・冬至の日。午前中に起きて、7日ぶりに外出した。

師走の月曜日。
普段、それ程、ヒトがいない銀行のATMは、4台とも先客があって、更に人が待っている。

近所のドラッグ・ストア、駅近くのワールド・ワイドな酒屋、スーパーなどを一巡する。

途中、一年に2,3度しか訪れないけれど、クリスマス・シーズンになると行きたくなるパン屋さんがあって、朝6時半から開店し、夕方の6時前には、店を閉めてしまうので、お勤めとしていたときには、いつもギリギリか、既に閉店しているかのどちらかで、そのお店で、売っているドイツのお菓子というか、菓子パンというか・・・クリスマスに食べる『シュトーレン』を買った。

ハーフ・サイズ、大人の拳1個くらいで、600円。
1個丸ごとのホール・サイズは、その2倍で、1200円(割安感が、全然無い)。
出来れば、大きい方を買いたかったけれど、ハーフ・サイズで我慢する。何しろ、手許不如意だから・・・。

シュトーレンと同じサイズのライ麦パンも一緒に買う。
固いライ麦パンの中に、レーズン、クランベリー、胡桃、プラム、オレンジピールなどが、ぎっしり詰まっている。

ドイツのパン・・・といえば、ブラウンのライ麦パン。
固い黒パンのイメージだろうか。
『アルプスの少女・ハイジ』に出てくるペーターのおばあさんが、食べたがった柔らかい白いパンは、小麦。
たしかに、普通食べているフカフカの白い小麦のパンとは、一線を画す。
固くて、年寄りには、不向きだろう。

そんなライ麦の中に、ドライフルーツがぎっしりで、とても美味しい。
ライ麦パンは、固いから、薄切り(5mmくらい?)にする。

食べていると、中のオレンジピールの香りがよくて、柑橘の爽やかさが一杯になる。

私は、柑橘の香りが大好きだし、そう言えば、昨日は、冬至で、『ゆず湯』に浸かるのも、また冬ならではの柑橘の楽しみ方であるなぁ・・・などと思う。

柚子(ゆず)も香りよく、なんだかほっとする。

炬燵にみかんはつきもので、これから、春、初夏にかけて、様々な柑橘のシーズンが、始まった感じがする。




地雷復~一陽来復

2014-12-22 03:13:20 | Weblog

今日は、冬至。

一年で一番、昼の時間が短い日。

影が一番長くなる日。

暦の上では、冬の真ん中だけれど、冬が本格的に始まる日。

周易では、地雷復。陰が極まり陽に転換する日。『一陽来復』。

柚子の香が嬉しい日。


猛スピードで流されて行く日々。

流れの中にひとりぽつんと取り残されて成す術のない私。


冬の日差しがあれば、ゆっくり光を浴びてヴェランダで珈琲でも飲みましょう。

曇っていれば、灰色の雪雲を眺めながら、ミルクティでも飲みましょう。

雨か雪ならば、寝床の中で、もぞもぞしながら、ココアでも飲みましょう。


早い夕暮れは、冬の色。

街中は、クリスマス・イルミネーション。





半~half  永遠の1/2

2014-12-21 03:53:41 | Weblog
 
占星術にも、いろいろとあるようで、西洋(或いは、英国?)、インド、バビロニア・・・、東洋では、紫微斗数などが、星を使っての占いとなるのだろうか?

いづれも、まず太陽の位置によって、12宮に分類するものがメインだったりする。
最近では、それに月の動きで、更に、細かく鑑定していくらしい。

さて。誕生時の月齢と月の位置。
私は、半月の時に生まれた。

私の好みは、クレセントムーン・・・三日月の形が好きなので、半月とは、残念でもある。

月の形が、半月の時に、生まれた人は、何をやっても満足できないらしい?
そう言えば、そんな気がする。
なんせ、半分欠けているのである。

全部じゃないのだ。
半分『しか』ないのだ。

『半』といえば、半病人だとか、半人前だとか・・・とにかく、完全ではない。

コレは、私に限ったことであるけれど、何をするにも、人の半分以下の成果しかあげられないし、同じ仕事でも、仕事は、何故か倍なのに、報酬は半分。
疲労は、ヒトの倍なのに、体力は半分以下。

・・・これは、反比例というヤツかもしれない。
ひとつ掛けると、半分減る・・・永遠に、2分の1。

絶対に増えることのない・・・永遠の徒労。

シジフォスの神話。

努力では、埋まらぬ・・・1/2。
いつも、半分空回り。

半月生まれだから、そうなのかもしれないし・・・と、ヘンに納得してしまう。