鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

職場ジプシー

2011-10-31 22:54:49 | Weblog
秋晴れ。暑いくらい・・・。


さよなら・・・職場ジプシー。
今日こそは、お別れだ。

同じ部内を転々として、やっとこ仕事を覚えたってのに、また異動かい・・・。
残念だったね?
それとも・・・よかった???

でも、アンタの仕事は、難易度は、それ程、高くないから、代わりはいくらでもいるってことだよね・・・。

今度の居場所は、いいところみたいね・・・???

よかったね。いいところで・・・。

今度は、ずっといられるといいね?
そうでもないかい・・・???

会社の名前は、3度も変更したのに、ワタシは、ずっとこの貧乏籤のポジションから、出してもらえないのにさ・・・。

うらやましいねぇ・・・
転々・・・流転・・・今度は、何処へ行くのだろう???

会社ジプシー、職場ジプシー、組織ジプシー・・・。

追い出されたのかい?飛ばされたのかい??よくイヤにならないねぇ・・・。
就活したこともあったよね?
・・・でも、今時、あの仕事の成果で、コレだけ給料くれるところもないと思うよ・・・?
転職しないでよかったね・・・。
一部上場の正社員だもの。なかなかなれないよ。今時正社員って・・・。
すごいね。運がいいね・・・。

因みに2000年から、『ジプシー』は、差別用語で、放送禁止用語なんだってさ・・・。
あまり、いい意味じゃなさそうだけどさ・・・。

さよなら・・・きままな職場ジプシー。

会社ギライ・・・。

2011-10-30 22:52:04 | Weblog
くもりがち。夜から雨。



そろそろ、朝夕の冷え込みが強くなってくる時期だけれども、今年は、まだ、随分と暖かいような気がする。
もう6年も前のことになるし、このブログ内でも何度も書かせてもらったけれど、この時期になると、どうしても、思い出してしまうので、今年も書いてしまおう。

6年前の今頃、私は、強度の腰痛に襲われて、11日間の入院を余儀なくされた。
全く歩けなくなってしまったからだった。

入院したからといっても、手術をするわけでもなくて、ただ、ひたすら安静にせざるを得ない状況だし(なんといっても、歩行できないから、動けない)、ベッドサイドに簡易トイレを置いてもらい、わずか1メートルに満たない距離にあるトイレを使うのも、結構時間がかかった。
痛みを堪えながら、這うようにトイレを使う以外には、動かなくても、よかったから、トイレと食事と寝返り以外は、特に不自由しなかったのは、日頃から、あまり動くということをしなかったし、別に動かなくても苦にならない性質によるものか・・・とも思う。

要するに、もともと非活動的だったということで・・・。

・・・それでもって、こんな激痛を伴う入院生活にもいろいろメリットがあった訳で、まず、会社へ行って仕事をしなくていい・・・というよりは、仕事をしてはいけないという、社会的な免罪符を貰ったということで、寒い朝に会社へ行かなくてもいい・・・というのは、あの時期、最大限の喜びだったのだ。出社時間に、ベッドのうえで、テレビを見ていても、何処からもクレームは、こないし、このまま、眠ってしまってもよかった(実際は、このあと、午前中2時間くらい、点滴をしていたのだけれど、コレも睡眠剤だとか、栄養剤だったと思われる)。

会社へ行くのがイヤなのは、今でも変わりはないけれど、これほど、イヤなことを、現在でも続けているのだから、たぶん、本質的には、ドM(マゾヒスト)なのかもしれないし、イヤなことでも続けなければならないというのは、多分、ものすごい不幸なことだと思っている。

毎日、しなければならない仕事は、キライな事より好きな事の方がいい。





1200回目!~四大難卦を考える。

2011-10-29 22:53:04 | Weblog
良く晴れて、明るい秋の休日。


前回、1100回目のブログを書いたのは、6月末で、あれから4か月。
震災・原発は、水面下にあった問題が、徐々に浮上してきているような気がする。
たぶん・・・重大なことは、なにひとつ国民には、知らされていないのだろうし、放射線障害も右肩あがりで増えてくるだろうということだけは、容易に想像できる。
・・・知らせないだけだ。
まぁ、知らない事の方が、幸せな場合もあるか・・・。

今年は、どうも『水』による災害が多いようで、易経でいうなら、『坎為水』に象徴されるような水による被害、復興、原発問題に関しては、『水雷屯』、『水山蹇』といった足止めや進みたくても進めない状況を現す四大難卦の年のようだ。
国内では、数度の台風の襲来、タイでは、洪水。
通貨危機によるデフォルトは、『澤水困』にみるような気がしている。
水による影響で、経済・生産活動をストップしなければならないような状態は、しばらく続きそうである。

・・・となれば、多分、不況を脱することは、まだまだ先のハナシだろうし、選択肢がないから、取りあえず『円』を保有する為替動きも、円高に振れたまま、しばらく留まるのか、或いは、更に、円が買われるのだろうか・・・。
原発問題で、青息吐息の国の通貨が、何処まで、安全なのか・・・私は、そっちの方が知りたいけれども・・・。
この国が、未だ、破綻しないのは、国民の総貯蓄額が、国家の借金をわずかに上回っているだけ・・・という理由からだろうし、戦後40年で、経済大国に成りあがったものの、その成長にそぐわない雇用制度の崩壊もそろそろ見えてきた感じがする。
『水火既済』もここで、一度終わりを告げて、また戻っていくのだろうなぁ・・・。

私自身については、いつも危機感ばかりあって、あまり安定していない。

万物は、流転する・・・。
同じ状況は、いつまでも同じ状況のまま留まらない・・・。
留まっていても、見えないところで、すこしづつ変化している。
その変化にいち早く気付いて、先手を打つのが得策だろうけれど、そう上手くは、いかない。

1年10か月の間、確執のあったモト友人とも、離れることが決まった。
コレは、本当に重畳だった。他人は、変えられない・・・身をもって知った1年10か月だった。

ご訪問・ご閲覧いただいた方に感謝!

1300回目指して、日々、地味に書いていきます。


着た切りスズメは、崩さない・・・。

2011-10-28 22:42:14 | Weblog
晴天。秋の空。


クドいくらいの『着た切りスズメ』シリーズ・・・第何弾になるのか・・・忘れちゃった!ケド・・・。

親会社に吸収合併後、事務職も設計職も男性社員は、作業服着用となった。
女性社員は、まだ自由服だけれど、そのうち、制服になるかもしれない・・・という噂があった。

私は、個人の制服で、作業服を扱うネットショップで、2着程、購入して着ている。
8月までは、今年の3月末日まで在籍していた派遣会社で、貰った制服を着ていたけれど、いつまでも辞めた会社の制服を着ているものナンだしなぁ・・・と思うし、大分、草臥れて、ヨレヨレになっていて、しかもテカリまで、現れた。

これじゃなぁ・・・。

仕事をするには、やはりそれなりに相応しい恰好というものがある。

私は、私服をあまり持ち合わせていないし、手入れが大変だし、現場に近い職種なので、制服を着ている。
そして・・・何より、服を崩して着る・・・ということが出来ないのだ。

だから、だらん・・・としたチュニックに、レギンスに生足ハイヒールで、仕事に来るヤツには、嫌悪感を覚える・・・。
仕事するなら仕事する恰好をしろや・・・リゾート地じゃねぇ・・・と、上司という立場だったら、言ってたかもしれないが(今時、こんなことを言った日には、パワハラで訴えられるかね?自由服なんだから何着たって自由でしょ!みたいな・・・ワケわかんねぇ・・・)、何分、しがない期間社員だし、何より、ヒトサマのことをとやかく言う資格を持ち合わせていないのである・・・が・・・しかし、服装が、ユルイ奴は、大抵、仕事も上手くない。
例外もたくさんあるけれど・・・。

・・・だから、私は、崩さないし、崩せない。

その点、制服は、便利だ・・・。
崩したくても、崩せないからな・・・。
まさに、着たきりズスメ(ワタシ)のために、存在する服なのだ!
しかも、格段に地味なヤツ・・・。

目立ちたくないし、ひとり静かに、仕事をする・・・コレまさに理想・・・。


道楽③

2011-10-27 21:30:05 | Weblog
朝方の冷込みが厳しくなってきた。


思わぬ金属の値上がりで、毎月毎月チマチマと爪に火を灯すように貯めてきた金貯蓄だったけれど、一旦引き出して使い始めるともうなし崩しで、預金残量も減る一方になった。

それでも・・・。
私の身のまわりには、小さなキラキラが一杯になった。
あくまでも、小さな小さなキラキラである。
人間が小さいので、丁度よいか・・・この程度で。

スカルノ夫人(デヴィさん・・・日本名は、根本直子さんと言っただろうか?字が違うかもしれないな・・・)だとか・・・あと日本でいうと誰になるのかなぁ・・・あまり思いつかないけれど、富豪の女性が身に着けている大きなダイヤモンドやエメラルドやサファイアやルビーは、それなりの風格がないと宝石に負けてしまうのである。
宝石がヒトを選ぶっていうのだろうか・・・。
普通のオバさんが、身に着けても、嫌味で、滑稽で醜いだけである。

宝石なんて、無くても、充分な生活ができるし、貧乏性の私なんかが、持ちなれないものをもっていると、なくしはしないかと、気が気でない。
もともとこういうひとは、宝石の必要などないひとだし、別に、自慢したくて、宝石を身に着けているのではない。
小さなキラキラがうれしいし、見ていて楽しいし、そういう気分にしてくれるのなら、宝石にも効用があるというものだろう。身に着ける以外の楽しみがあるのだから。

しかし・・・何事も、極めれば、極道だから、たぶん、極めるってことも、相当、難しいのだろう。
世間でいう極道・・・というのも、また違う意味があるのではないだろうか・・・なんて、思うのだけれど・・・。

資金面で、もう宝飾品を買う余裕は、ないし、しばらく、買い集めた、小さなキラキラを堪能しようかと思っている。



道楽②

2011-10-26 22:46:24 | Weblog
秋が一段と深まっていくような・・・そんな兆しのある一日。


道を楽しむことができるひとは、少ない。

生命維持になんら関係のないことに、カネをかけて、本人だけが、自己満足するというのが、多分、道楽の道楽たる正しい道なのではないかと思う。

私の道楽は、極めて、質素で、安物の宝飾品を買ったからといって、身に着けて、何処かへ出かけるわけではない。夜中に、LEDライトに照らして、宝石の放つ光を楽しむのみである。
とてつもなく、地味な王道としては、からっきしハズレまくっている。
宝石なんぞは、自慢してナンボ・・・。虚栄心と見栄の最たるものであろうか・・・。

大体、若いうちは、余程の美貌の持ち主だとか、カネを稼ぐ才能があるとか・・・そういうオンナでもない限り、宝石なんぞは、所有することは、難しい。
大体、宝石よりも、若さの方が、輝くから、不要なものだし、若いうちから分不相応のモノをもつのは、不幸のモトだと、かの美輪明宏氏だって言っている。
美貌の持ち主だったら、男性からの貢モノということもあるけれど・・・。

美貌の影すらもなく、普通より、格段に地味で、宝石自体、オヨビでなかった私だけれども、宝飾店(・・・と言っても、おもに、デパートなんかの普通に見てるだけでもOKなような店舗)を見て回るのは、好きだった。
ショウ・ウインドウに、キラキラした光を当てて輝く、小さな小さな石達。
多分、一生買うことなんかできないだろう大粒のダイヤモンド。

手に入らないなら、見ないに限る・・・。

こんな給料じゃ、貯金も出来ないし、宝石どころじゃないや・・・。
勤め始めたハタチの頃、とにかく、早く貯蓄をして、自立したかった。
だから・・・宝石どころではなくて、少額な千円二千円単位のオカネを銀行のATMに投入して、少しでも、残高が増えるとうれしかった。

極端な話、宝石よりも現金の方が、好きだった時代だ。

しかし・・・何が起こるかわからないのが人生である。
換金性の高い金の定額貯蓄を初めて10年・・・。金とプラチナが高騰して、私の資産が倍になるという唯一の幸運が訪れた・・・貯蓄ったって、大した額ではなかったけれど。
それで、私は、役にも立たない宝石を買ってみたりしたのだった。

道楽は、まだ・・・始まったばかり・・・。

道楽

2011-10-25 22:53:52 | Weblog
曇りがちだけれど、蒸し暑い一日。


ひとが、生きていくのに、まず必要とされるのが、『衣・食・住』で、ヒトとして生まれたからには、ハダカで、過ごすのは、かなり難しいが・・・まぁ・・・出来ないこともないような気がしている。人前に出ず、限られた空間だけで、暮らすというなら、可能かもしれない。家の外には、一歩もでないとか・・・。
子供のうちは、親がきちんと着せてくれる。

食べることも重要で、食べなければ、即(・・・コレは、テレビで、もう何年も何も食べずに生きているひとがいるって番組を放送していたけれど、インドだったか、何処か忘れたけれども・・・)死んじゃったりするから、やはり子供のうちは、親がちゃんと食べさせてくれる。

住むところは、ステータスにより、大幅に差がある。豪邸と雨漏りのする六畳一間のアパート(・・・今時、あるんだろうか?そんなアパート)に住んでいるとか・・・。
コレは、コレで仕方がない。親の収入がなければ、必然的に子供は、ボロアパートに住まなければならないし、長じて、大人になっても、割と貧乏の輪廻は、ついて回ったりもする・・・。

衣食足りて、礼節を知る・・・っていうくらいだから、ひととして、先ず、着て、食べて・・・ソレからのお話である。

衣食が足りて、住むところもあって、収入もあったりすると、ひとは、『道楽』をしたくなるのかもしれない・・・道楽・・・つまり、衣食住に関係なく、ソノ道を楽しむためにするもので、衣食に関係するなら『着道楽』、『食道楽』なんて言葉もある。
着るだけだったら、清潔で、外界の温度によって、防寒したり、暑さを凌いだりという本来の目的以外に、着るのが楽しみだったりする。
食道楽も、ただ、栄養の為に、食べるのではなくて、ヒトが食べたことのない希少価値のある食材を食べるのが楽しみだったり・・・なんてこともある。

他にも、盆栽だとか、何かのコレクターだとか、趣味の世界に走ったりするもの道楽の一種だろうか・・・。

ワタシは、目下のところ、宝石ばっかり買っている・・・普段は、着た切りスズメだし、その服にあう宝石なんて、無いに等しいか、ものすごく地味なものに限られる・・・実際、私の道楽の宝石も、地味で、安価なものがほとんどで、道楽というよりは、ただ単に、眺めて楽しい、光が綺麗だ・・・フォルムが美しい・・・その程度の基準なので、コレは、道楽・・・とは、言えないかもしれない・・・。

そして、道を究めると・・・極道・・・???になるのだろうか・・・日本語って不思議・・・。



『キッチンの穴:たけだみりこ・著』

2011-10-24 22:56:43 | Weblog
くもりがちで、蒸し暑い一日。


料理は、楽しい。
空腹を満たすため、食材を刻み、炒め、煮て、焼いて、揚げて・・・もちろん、生のままでも・・・といろいろな手法で、いろいろな味になる。

今日は、お料理の漫画本。
たけだみりこさんは、『セイシュンの食卓』や『異国のメシーる』などのお料理4コマ漫画を描いていらした。
お料理をしたことのないひとでも、簡単に作れるレシピを展開してくれる。
お料理本としても、漫画としても楽しめる一石二鳥なご本が多い。

シンプル系な画風で、キッチンに出没する漫画家兼主婦の二世帯家族の日々(野菜作りやガーデニング)、お菓子づくりに燃えた中学生、親元を離れての下宿生活や寮生活、本をたよりに、お料理をした経験なんかが、面白可笑しく描かれている。

料理は、生活に不可欠なことで、生きるためには、食材を、刻み、炒め、煮て、焼いて、揚げて・・・の手法で、食べられる形にして、1日3食賄わなければならないから、出来ることなら、料理が好きであったほうが、人生は、楽しいと思う。

私は、朝、昼ともほとんど食べないから、まともに作るのは、夕食の1食だけである。
一家の主婦ともなれば、家族のために、朝食を用意して、お弁当を作る人もいるだろうし、夕食は夕食で、たぶん1日のうちで、一番手の込んだものを作るのだから、料理が好きだの、嫌いだのなんて言ってる暇なんかないだろうと思う。
ましてや、お勤めをしていれば、それだけ、料理にかけられる時間も少なくなるだろうし、手抜きとなっていくのは、仕方がない事だと思う。

それでも、1週間に1回でも、2回でも・・・料理が楽しい・・・と思えれば、また違ってくるのではないだろうか・・・?

おなかをすかせた子供のために、お母さんが手早く美味しく作ってくれるカレーライスだとか・・・そんな料理を食べている子供は、幸せなんだろうなぁと思う。
コンビニでは、500円未満で、バカにできないかなり本格的な味のカレーライスを買うことができるし、カレーをつくたら、鍋や食器を洗うのも大変だから、コンビニで買っちゃえ!という主婦の方も多いのかもしれない。

そんな大人も子供も忙しい世の中だけれど、たけだみりこさんの紹介するレシピは、誰でも簡単に作れる・・・作る楽しみが味わえる1冊である。


天の配剤・・・循環するめぐりあわせ

2011-10-23 22:45:44 | Weblog
くもりがち。


2年の長きに渡って、自分ひとりの長い長い葛藤がようやく終焉を迎えようとしている。
たぶん・・・もう、ダメだ・・・と思って、自分から、絶縁した友達(←この表現は不適当だけれど、敢て使わせていただきます)が、まさか、自分の隣席となるなんて、想定外だったけれど。
ようやく離れられると思うと、身も心も軽い・・・ってことは、何かしらの、罪悪感があったせいでしょうかね・・・今更ながらそう思ったりもする。

多分・・・彼女は、全然、悪くないのである。
最初から、イヤなところは、無視して、普通に付き合えばよかったのである。

何かしてあげようなんて、思わなければよかったのである。
現場の閑職の寒い場所に飛ばされようとも、それは、彼女の身からでた錆。
私が同情して、アレヤコレヤ・・・と気を使うことなんて、なかったのである。

4年前、折角、同じ課になれて、私は、うれしかったのに、彼女は、自らの怠慢と管理職への反抗で、現場事務に飛ばされたのである・・・なんで、あのとき、同情してしまったんだろうか?
どうせ、同じ部署に、2年も居ることのできないひとにだったのに。

そして、あの厄介で、面倒なウツ病あがりの復帰で、彼女がまた飛ばされることになったことに対して、私は、感謝しなければならないんだろうなぁ・・・。
何が幸いするか(或いは、禍するのか)わかったものではない・・・。
吉凶は、あざなえる縄のごとし・・・風が吹けば、桶屋が儲かる・・・(たとえが違うかな?)

人知を超えた采配に、頭を下げるばかりである。

そう・・・彼女は、もともと、一か所に長く留まることのできない職場ジプシーだってことは、分かっていたハズなのに・・・。
その程度の縁だったってことは、2年前に納得していたし、そう遅からずこういう結果になることは、私は、無意識に理解していたにも関わらず、それが信じられなかった。

しかし・・・顔もみず、声もきこえないなら、もう存在しないも同じこと・・・。
あの良く言えば、天衣無縫な性格が、禍(幸い)なのか、コレは、彼女が決めることだし、もう私が振り回されることもないはずだ・・・。
彼女に関わると、絶対にロクなことがなかったのだ・・・特に仕事面では。

重畳・・・重畳なり。


『ツキ』って一体ナンだろう?

2011-10-22 22:54:25 | Weblog
朝から雨。

『ツキ』というのは、一体、どういったメカニズムで発生するのか常々不思議に思っていた。
このところのそんなことばかり考えていた。

同じような立場で採用されて、10年後の結果は、かたや一部上場の正社員、かたや期間社員と水をあけられたのである。あれだけスキルがないのに、ただ、あの時点で、あの組織にいたというだけで、この違い・・・とは・・・。

もちろん、学歴やスキル、キャリア、欧米では、宗教・人種と同じくらい、差別に値する年齢(欧米の履歴書には、生年月日を記入する欄は無いそうである)、それから容姿とか・・・そんな違いが、あるのが日本の雇用条件だけれども(要するに雇用条件が、日本的差別なんだろう)。

一時流行した『成果主義』も完全に失敗だったと聞く。

『運』だとか『ツキ』だとか・・・そういうものは、確かにある。

去年までは、このレベルで、管理職への道は、開かれていたのに、今年になってから、条件が厳しくなっただとか・・・去年のひとは、ラッキーで、今年のひとは、ツキがない・・・だとか・・・。

その明暗を分けるのは、『努力』だとか、そんなことは、ほとんどないと言ってもいいかもしれない。
努力しても管理職になれないひとだっている・・・。
成果を上げているのに、なんで、この程度?ってひともいる。

努力に対しての報酬(成果)が、見合わないのである。
いい意味で見合わないひともいる・・・『1』の努力で、『100』報われるひとだ。
反対に『100』の努力で、たった『1』しか報われないひともいる・・・いや、『1つ』報われれば、いい方で、報酬ゼロってことだってありえるのだから・・・。

簡単な数値化の例にすぎないけれども、この努力『1』に対して、『100』の効果を生むのか、『運』だとか『ツキ』なんだろうと思っている。

不思議なのは、この『ツキ』も『運』もよい人だから、正しいひとだから・・・ってことで、得られるものでもないってことだ。
・・・たぶん、人間の勧善懲悪なんてのは、何の意味も持たないし、苦労したとて、徒労に終わることがほとんどだということだ。

・・・となれば・・・打つ手は、ひとつ。
人の迷惑や世間体なんか、考えず、自分のやりたいようにやる・・・それが『ツキ』を呼ぶ唯一の方法なのではないだろうか・・・周囲の和を重んじる世代には、かなり難関な気もするが・・・。