朝方氷点下。
日中は、晴れて、暖かい。
午前中、銀行、市役所、道の駅、スーパーへ。
夕刻。
先日、母にお供物のにっこり梨を送ってくださった母の友人から、お手紙をいただきました。
母との思い出と大切な友を失った悲しみが綴ってありました。
生前、筆まめだった母の手紙を待っていてくれたひとが、少なくとも3人おりました。
いづれも・・・。
お手紙が途絶えたので、施設に入所したか、病院に入院したのかと心配だった・・・ということでした。
みなさん90歳近いお年で、以前のように、字が書けなくなったり、手紙を出すのが難しい状況のようで、私の母は、耳が全く聞こえなくなっていたので、電話も通じない・・・段々、疎遠になっていくようです。
女学校時代の同級生ということで、知り合って、既に75年か・・・。
そんな長いお付き合いをしてくれた友達を持った母を尊敬してしまいます。
誰もが例外なく、母のことを、よく話を聞いてくれて、優しいひとだった・・・と言うのです。
優しい(というより、優柔不断で、自分は、悪者になりたくないからなぁ・・・とわたしなどは、思っているのですが)だけが取り柄の母だったけれど。
そんな母も、手紙を書き続けるのが、困難になっていたようで、年賀状の書き損じが、10枚くらいあって、郵便局で、切手に取り換えて貰ってきました。
母は、手紙を書くのに、一応、下書きなどしていたようですが、書き損じの便箋が何枚も出てきて、日なが一日、手紙1通を書くのに、費やしていたのか・・・と思うほど、丁寧でした。
そして、なによりも・・・その筆跡の美しいことよ。
それも、歳をとった晩年は、崩れてまいりました。
昔のひとって、達筆だなぁ・・・と思います。
認知症の叔母なども、物凄い達筆の行書体で・・・ハッキリ言って、判読できません。
母の友人のおひとりに、母よりも美しい文字を書くひとがおりました。
でも、この方からいただいた去年の手紙にも、字をまっすぐ書くのが難しくなって・・・という件(くだり)があって、年齢とともに、視力も衰え、握力もなくなって・・・美しい文字を書くことが、できなくなっていくのでしょう。
昔から、母の書く文字が好きでした。
細く、優しく・・・美しい文字を書く母でした。