鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

枇杷の効用

2010-06-30 21:03:22 | Weblog
蒸し暑さ・・・すこし緩和。一日中、雨降ったりやんだり・・・。


梅雨時のどんよりと曇った灰色の景色の中、鬱蒼とした暗い緑色の葉っぱの中に、明るいオレンジがかった黄色い枇杷の実が映える。

枇杷か・・・。

もともと、縁起の悪い樹木で、邸宅の庭には、植えるなと言われている樹木だということだけれども。

お寺の境内によく植え込まれている木なのだろうし、そんなところから、不吉な木とされているらしい。

・・・が、この枇杷には、薬効が多い。

あのゴワゴワとした暗い緑色の葉を、焼酎か、エタノールに浸して抽出した液体は、焼酎であれば、枇杷酒(氷砂糖で漬けると完全に飲用の枇杷葉酒)、エタノールで漬けたものは、飲めないけれど、これが、火傷等に達効を現す。
火傷をした箇所に、この液を沁みこませたガーゼなどで、とにかく冷やす。
程度にもよるけれど、1~3時間程度で、痛みが和らぎ、水ぶくれにもならず、綺麗に治ったのは、ウチの家人。

この枇杷酒(または、エタノールの抽出液)を、サトイモの粉と小麦粉、生姜と併せて、練り、湿布にして、腰痛を起こした腰に貼り付けてみると、痛みで、前屈みで、やっと歩行できる状態だったのが、半日で、痛みが和らぎ、普通に歩けるようになった経験をもつ。
知人は、歯痛で腫れていた頬に、この湿布をしたところ、やはり、半日程度で痛みが取れたという。

種子には、ガン等の腫瘍系の細胞を破壊するビタミン?が含まれているそうである。
青酸系の成分だということだけれど、よく効くらしいということだった。

夏バテには、枇杷葉湯。
枇杷の葉を干して、細かく裁断して、お茶の葉状にして、お湯で煮出したものを飲むといいらしい。
これについては、実感はないのだけれど、夏バテが酷くなったら試してみようと思っている。

庭のあるご家庭は、1本植えておいて、大きく育てると、よいのではないかと思う。

病人の唸り声を聞いて、育つという枇杷だけれども、『薬王大樹(ちょっと違うかも知れない???)』の別名もあるらしい。

この蒸し暑く、暗い季節。
冷たく冷やした枇杷の実を食すのも一興か・・・。

夏野菜といえば・・・。

2010-06-29 21:01:39 | Weblog
纏わりつくような湿気と重たくナマ暖かい空気・・・。


夏野菜は、美味しい。
カラフルな色と、煮てよし、焼いてよし、ナマでよし・・・調理法を問わない。

トマト・茄子・ズッキーニ・南瓜・玉蜀黍・ピーマン・・・。

好きなものばっかり。
野菜だけで、主食級だ。

夏野菜の調理方法としては、ラタトゥユを思い出すが、これは、付け合せにしてもいいし、カリカリに焼いたパンで、主食にもなる。
暖かいうちに食べてよし、残ったら冷蔵庫で冷やして翌日に食べてよし・・・。
便利な料理である。

野菜の他には、塩・オリーヴオイル・ニンニクを用意すれば、あとは、煮込むだけだし、食欲のないときでも、冷たく冷やして食べれば、食も進む。

南仏の調理方法だと聞くが、茹でたパスタのソースとしても美味しい。

それで、ふと思いついたのだけれども、日本の食材と合わせてみたらどうだろうか?
例えば、絹ごし豆腐とラタトゥユ。
冷たいもの同士、案外美味しそうな気がする(まだ、試していないけれど)。
韓国風の冷奴というレシピをみていて、南仏風冷奴ってのは、どうだろうか・・・と思いついた。
単なる思いつきである。
無理するまでもない。冷奴は、冷奴として食べればいいのである。
お醤油とネギとおろし生姜で。
でも、味変で、南仏風冷奴・・・。

南仏か・・・。
南フランス・・・イタリアとの国境。

トマトや茄子などは、15~16世紀の大航海時代に南米よりもたらされた野菜と聞く。

ふうん。南米か・・・。

原産は、南米で、南ヨーロッパで、洗練された調理法で、挙句の果てには、極東の一地方のワタシの家の食卓に供されるようになったのかと思うと感慨深い。

南ヨーロッパの料理は、美味しいモノが多い。

ラタトゥユをはじめ、夏野菜が美味しい季節到来である。

なんで、ワタシが・・・。

2010-06-28 21:00:18 | Weblog
晴れたりくもったり。蒸し暑い一日。


貧乏籤を引き捲くること、引き捲くること・・・。

世間では、景気もよくなってきて、去年よりは、多少なりともよくなっている・・・なんて話も聞くけれど。
・・・で、半期に一度のお楽しみ。
勤め人の特権。
コレのために、半年の苦労が報われる~~~ボーナス・シーズン。

・・・しかし・・・。
勤め人でありながら、ワタシは、今期も1円たりとも、ボーナスは、出ない。
仕事は、倍。
責任も、隣席のヤツよりは、相当、重くて・・・。
月末・月初の決算期には、具合が悪くても休めないにも、関わらず・・・。

・・・コレだけなら、仕方がない。
派遣元の営業努力が足りないせいで・・・。
真面目にやってる派遣労働者が、割り食ってるってだけの話ですからぁ・・・。

でもさ・・・。
なんで、ボーナスのボの字もでない派遣者に、派遣先の社員の明細をくばらなきゃならないんですかね・・・???
・・・で、なんで、ワタシ、残業つけられないでしょうかね。只働きでだし・・・。

・・・ったく、思いやりのカケラもない派遣先だよ。

あ~あ・・・。ホントにやんなっちゃうから。

仕事がイヤで、しょっちゅう、体調不良で、休むヤツの分まで、きちんと仕分けして。
まるで、バカみたい・・・じゃなくて、ホント、バカ・・・。

今月の決算期、もう休んでやろうか・・・。
でも、その結果、確実に自分の席は、なくなるわなぁ・・・。

コレ程、割りの合わない仕事ってあるんだろうか???

Pizza あれこれ・・・

2010-06-27 21:02:45 | Weblog
くもりがち。時々雨。蒸し暑く、気持ちの悪い一日。

昨日は、ピザを作って、昼真っからアルコールをたしなみ、上機嫌の昼寝で、惰眠を貪りつくし、まさに、王侯貴族?(何処が???)なみの一日を過ごした訳だけれど。

ワタシと、かのイタリア料理の『Pizza』の邂逅は、小学生の時だった。
地元では、イタリア料理店というのは、まだ影も形もなくて、洋食店には、やわらかすぎるくらい茹でまくったパスタにトマトケチャップで味をつけた『ナポリタン』という本国・イタリアには、存在しないパスタ料理があるくらいで、あとは、やはり、トマトケチッャプとひき肉、玉葱等を煮込んだミートソースというアメリカンナイズされたパスタ料理しか存在しなかった。

当時、大学生だった友達のお姉さんが、県庁所在地にある大学に通っていた関係で、学園祭に連れて行ってもらい、その帰り、はじめて『Pizza』なる料理を食することになった。

今、現在 存在するお店なのかどうか・・・
『ジロー(アルファベット表記なのかもしれない)』というお店で、渋谷が本店だということなのだが・・・。

こんなに、美味しいものがこの世に存在するのか・・・と思った(ロクなもの食べちゃいなかったらしいな・・・)。

まだ、小学生だったし、自分のおこづかいで、イタリアンレストラン『Pizza』を食する小学生なんぞ、その時代には、存在しなかったから(今はどうなんだろう?たぶん、いそうな気が、する。そいういう小学生って。鮨屋のつけ台で、ウニなんか食っているガキもいることだし・・・)、『この世に存在するのが不思議なくらい美味しい食べ物』を、自分の意志で、食べられるようになるまでには、まだ、まだ、時間が必要なのであった。

時は、流れ、自分のおこづかいでも、割と簡単にピザが食べられる時代が、訪れる・・・といっても、レストランに行くのではなくて、所謂『冷凍ピザ』が、スーパーに並ぶようになった。
もちろん、味は、似て非なるものだったが・・・。

このときも、まだ、オーブンレンジは、自宅にはなくて、フライパンにアルホイルを、一度クシャクシャにして、広げたものを何枚か、敷き詰めて、フタをして、直火で、焼く・・・という調理方法が取られた。
土曜日の夜10時から始まる古谷一行さん演じる横溝正史原作の『金田一耕助』シリーズをみながら食べるのが、楽しみなヘンな高校時代を送っていた。

そして、地元にも、Pizzaを供するレストランが、出現しはじめたので、月いちくらいなら、友達と食べにでかけることもできるようになったのだった。

こうして書いてみると、子供の頃から、生活のパターンというか、娯楽の方向が、まったく変わらないのがよくわかる。

極楽と地獄のループ

2010-06-26 21:03:01 | Weblog
くもり空。今日は、月食・・・夕方から、雨で、観測不可。


電子レンジの具合が悪くなったのが、1年半くらい前なのだけれど、騙し騙し使ってきて、それでとうとう完全に動かなくなってしまった。
電子レンジのオーブン機能は、全く、使えなくなっていて、なんとか『あたため』機能だけで使っていたので、休日の愉しみであるオーブンを使う料理は、この1年近くできなかったということになる。

・・・で、新しい電子レンジを、ついに買ってもらった。
家人が購入してくれたのである。

・・・なので、本日の中食(お昼)に、久々にピザを作ってみた。
ビールもちゃんと買っておいたし。

いいですねぇ・・・。土曜の昼前から、ビールだし。

別に、オーブン料理がないといけない訳ではないのだし、代わりとなる食材は、いろいろあるのだけれど、パンを焼いたり、スコーンを作ったりと、土曜日を楽しむには、やっぱり、オーブンでつくる料理が、本当に楽しい。

極楽土曜日と言ったところか・・・。
録りためておりた『臨場』を見ながら、極楽!極楽!!

わりと、ルーティン的な家事が好きで、決まった曜日に決まったことをするのが楽しくて仕方がないのだけれど、食についてもそんな傾向がある。

たぶん、このルーティン・ワークが、出来なくなることを、私は、恐れているのかもしれない。
現在、雇用が不安定であることは、何度か、このブログ内でも書いている。

決まった収入がなくなれば、今までしていた『ルーティン』が出来なくなるし、その『ルーティン』自体が、たぶん楽しくなくなるのだ。

週に一度、外食が出来て、月に一度か、二度、演劇とかコンサートにでかけ、法外な値段以外であれば、読みたい本を我慢せずに買う・・・。
好きな料理を作って、好きな音楽を聴く。

これが出来なくなると、ワタシは、地獄へ突き落とされることになると思うからだ。
だから、解雇は、いまのところ、困る・・・。
仕事は、好きな事に従事しているわけではないし、『ルーティン』を支える手段でしかない。そこが、或る意味、地獄的なのだけれど。

極楽は、簡単に行けるところにあり、地獄もまた、その横で、ぱっくり口を開けている。
極楽と地獄を行ったり、来たり・・・どちらが欠けても、成立しない世界観。
世の中・・・そんなものかもしれません・・・(って・・・違うか?)

inspiration

2010-06-25 21:04:32 | Weblog
晴れて暑い一日。


現在、職場での私のデスクの前には、ヒトがいない。
私は、自意識が、異常なくらい過剰なんで、実際、誰も見ていないにも関わらず、見られているような気がして、ひとりでいるとき(或いは自宅)以外は、例外なく人目を意識してしまうという厄介な性質だったりする。

・・・自分が気にするほど、他人は、気にしちゃいないって・・・。他人は、自分のことで、頭が一杯なんだからさ・・・。

そうなのか・・・。

話が横道にそれてしまった。

私の職場で、私のデスクの前は、無人だという話である。
対面していると、何かと気を使うので(自意識過剰なんで)、出来れば、ヒトのいない部署に隔離でもしてもらいたいところなのだけれども。
前面にひとがいないというのは、解放されて、コレ程、有難いことは、ない・・・と思っている。
願わくば、もっと隅っこの目立たない位置に、デスクを移動したいくらいなのだ・・・。

・・・以前、私の前には、或る男性スタッフが座っていた。
前々から、不思議におもっていたのだけれども、このヒトの輪郭というか、全体像が、何故か、ぼんやりとしか、見えなかった。至近距離でもそうなのだ。
他のひとなら、この距離だったら、ちゃんと見えるのに・・・。なんで・・・???
霞がかっているというか・・・。
コントラストが、はっきりしないのだ。
写真でいうなら、『ピンボケ』っ奴だ。

何でなんだろう・・・。
どうして、このヒトだけ、はっきりみえないのかなぁ・・・。

別に、それでどうの・・・と言う訳ではないのだけれども、何故か、はっきりしない・・・すっきりしなくて、それで、何だか、イヤだったのだ。

そのうち、そのスタッフは、胃癌を患い、この1年休職をしている。
生体エネルギー(所謂、オーラ)が、弱くて、よく見えなかったのだろうか・・・と今頃、そんなことを考えてみる。

私は、霊感体質というのとは、程遠いのだけれど。
占いなんかだと、直観力鋭く・・・なんて鑑定もあるけれど、本人は、きわめて鈍感だと思っている・・・。

霊感・・・inspirationと訳すようだ・・・。
つまらないね・・・英語だと・・・だって、inspirationって直感・・・とかで、霊感ってまた、別物だと思っていたので・・・。


寿命

2010-06-24 21:03:53 | Weblog
蒸し暑さ、ひと休み。カラリとした乾いた暑さ。

ヒトでも、モノでも、寿命というか、もうヒトでなくなったり、モノでなくなったり(モノとしての機能がなくなったり)と、ソノモノで在り続けることができなくなった状態を、寿命と言っていいのだろうか?

ことほぐ(寿)いのち(命)だから、本来は、そんな意味では、ないのかもしれないし、或いは、ソレ・ソノモノでなくなることは、目出度いことなのかも知れない。

・・・もう、15年くらい過去のことだけれど、私は、自分が、『ガン(癌)』なのでは、ないか・・・と思い悩んでいた時期があった。
・・・それらしき症状があるのなら、病院へ行って、サッサと白黒つけたほうが、余命を悔いなく過ごすことができるのではないだろうか・・・と思う反面、やはり、『ガン』だと言われたら、この先、生きて行けないような気がして、病院へ行くのが躊躇われた。

・・・結局、もし『ガン』なら、それも運命だし、抗がん剤の辛い治療なんかゴメンこうむりたいと思い、病院へ行くことは、しなかった。
『ガン』で死ぬなら、仕方のないことだと諦めた。
正直なところ、怖くて、病院へ行けなかったのである。

それで、どうしたのか・・・と言えば、『ガン』の進行を抑えるような食生活を試みる・・・という無謀な実験を行うことだった。
随分と間の抜けた話で、申し訳ないのだが、この時点で、特に『ガン』という診断を受けたわけでもなく、余命宣告をされた訳でもなかったのだ。

・・・医療機関と一切、縁を切るというは、頼るものを失い、自分ひとりのかなり過酷で、孤独な戦いとでも
言うのだろうか・・・。
何度も申し上げる。
別に、このとき、『ガン』だと宣告された訳でもなんでもないのである。
ただ、自分が、『ガン』と思い込み、勝手な妄想で、戦い?をはじめたのだった。
バカな話である。

自分を『ガン』だと信じ込んで、かなり厳しい食事制限を行った。

できるだけ、主食は、玄米ご飯にして、動物性タンパク質は、ヨーグルトと少しだけ魚類を食する。
鶏卵は、時々なら、OK。砂糖や人工的なお菓子もNG。
ベジタリアンを目指した。

そんな食生活を、3年近くしていたら、体重が、39Kgまで、落ちてしまった。
自宅にいるときならよいのだけれど、観劇等で、外出した際の食事には、大いに困った。
都内のベジタリアン・レストランに良く通ったものだった。
しかし、休日・祝日は、休業の店舗も多く、ほんとうに困った。

今は、とても真似すら出来ない。

今なら、たとえ『ガン』と診断されても、寿命なら仕方がないと思っている。


呪縛

2010-06-23 21:01:01 | Weblog
朝から雨。昼頃から、晴れ間。


先月の26日(『邪悪なものの鎮め方:内田樹』)の続き・・・というか、あれからもう一度、読み返しまして、
読み返した・・・というほど、本格的ではないのだけれども・・・。

結局、ヒトは、何かに、『呪い』、『呪われ』・・・そして、それらに、縛られて生きて行くもののようです。

・・・呪いなんて、信じないし、誰からも、恨まれてねぇよ・・・とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが・・・。

簡単な『呪(しゅ)』なら、日常、そのへんに、イヤってほど、転がっているようです。

かの京極夏彦さん(・・・だったと思いますが、記憶が曖昧・・・どのご著書だったか・・・)も書いていらしたと思うけれども、
『赤信号で、止まるっていうのも『呪』の一種だよ・・・』
・・・ひとの決めたルールですが、結構、呪縛されていませんか?

それ自体何の意味もないのに、縛られていることも多いのではないかと思います。

たぶん、婚姻なんか、ものすごい『呪』なんだと思ったりで。
婚姻という契約(呪)に、これから、離婚しないかぎりは、死ぬまで、縛られる訳で。
最初は、楽しくていいのかもしれないけれど、そのうち、見たくないものが見えてきて、どういう統計になるかわからないけれど、少なく見積もっても、10人中8人くらいは、
『結婚して・・・、こんなハズじゃなかったのに・・・。』
とおっしゃられる。

或いは、人は、その契約(呪)がないと、生きていけないのかもれませんがね・・・。
だから、自分じゃ解けないような呪いをかけて、自分を縛り付けるというか・・・。

自分自身にかけた呪いってのは、解くのが難しいようです。

そう・・・。自分じゃかけた憶えのない『呪い』に縛られて、これを自分じゃ解くことができないのですから・・・。

『水琴窟』②~水琴のCDを購入してみる。

2010-06-22 21:01:33 | Weblog
ときどき雲がかかるものの、暑い一日。


奇しくも・・・というか、偶然というか、2年前の今日のブログのテーマが 『水琴窟』だった。

2、3日前に、丁度、『水琴窟』の水琴の録音されたCDを買ったので、先週末から、何度か聞いている。
耳を澄まして聞いていると、眠くなるので、何かしながら・・・本を読んだり、こうして文章を書いたりしている間に、流してみたりしている。

この処のムシ暑さが続くので、エアコンを除湿で運転し、すこしヒンヤリとした部屋の中(・・・といっても、もともと、雑然としているので、雰囲気もなにもないのだけれども)で、雫が奏でる自然音を聞いている。
以前に、富士山の風穴という洞窟を訪れたことがあるけれど、夏だというのに、洞窟の中は、ヒンヤリしていて、寒いくらいだった。
こんなイメージでいたので、やはり、少しヒンヤリとした環境で聞くのがよさそうだと勝手にそう思っている。

気だるい夏も、こんな音を聞きながら、夕涼みなどしたいものである。


このCDタイトルもそのままに『自然音 水琴窟』である。
なんの衒いもない・・・そのまんま・・・。

録音場所は、
① 岐阜県美濃市・今井邸 水琴窟
② 群馬県・創造大學 水琴庭園 
となっている。

群馬県の創造大學の水琴は、ちょっと高めの音域。
岐阜県の今井邸の水琴は、創造大學より、すこし低めの音域。

金属製の甕に当る水滴が音を立てるのだけれども、水琴とは、よく言ったもので、水が演奏しているようで、幽玄な繊細な音がする。

雫が落ちる瞬間をスローモーションの映像で、想像するのもまた一興。

そのうち、だんだん、眠くなる・・・そんな1枚。

タイピング

2010-06-21 21:02:12 | Weblog
夏至・・・。夏のはじまり。


このところの私のブログ・・・。
自分で言うのもおかしいのだけれども、最初に、書きたかったテーマが、まるで、違う方向に行ってしまい、結局、いい加減な結論にしか至らない・・・という、私的には、非常に不本意な状況が続いている。

・・・しっかし・・・。

どうも、最近、書きたいことが書けずにいる。

このブログを、紙とペンで、書こうとしても、私には、もう、そういう手法で、書くことができなくなってしまった。Wordという文書作成ソフトがないと、文字も書けないのである。

字が、書けないというのは、物理的に、ペンで字をかくと、漢字が書けないのである。
手も痛くなってきて、イヤになってくる。
漢字を思い出せない・・・というと、書こうとしていた文脈を、忘れてしまい、何を書こうとしていたのか、失念してしまう。

こうして、文字をタイピングするという作業は、もう、ペンを持つより日常化してしまった。

以前にも、書いていることだけれど、私は、携帯電話のメールが打てない。
あかさたな順でならんでいるボタンから、そのボタンにひそむ後の四文字を拾うのが、本当に煩わしい。
2行も打っていると、もうイヤになってくるから・・・。

それでも・・・。

こうしてタイピングしていても、書きたいことが、書けずにいる。

どうしても、テーマ(そんなリッパなもんじゃないけれども・・・)が、ブレまくり、本筋に辿りつけないでいる。