穏やかな晴れの土曜日。
腰痛が寛解しても、寝たり起きたりの生活をしている。
かの明治の文豪・森鴎外の長女で、文筆家である森茉莉氏の随筆『贅沢貧乏』の記述に、
『昼夜絶え間なく湯たんぽを熱くして、寝台に埋まり、マルセル・プルウストを、気取っている』
という一節がある。
炭火を扱うことが出来ないし、石油コンロを操作することも出来ない、プロパンガスにストーブが取り付けらない・・・といった理由から、森茉莉氏は、寒い冬には、たぶん終日、ベッドの中にいらしたのだろうと思う。
会社勤めから、逃れてみれば、憧れの森茉莉的生活をしている・・・。
私の場合は、電気ストーブが、あるので、湯たんぽの利用はないけれど、起きるのは面倒だし、電気ストーブでは、部屋の中は、そう暖かくはならないし、エアコンの暖房は、あまり好きでない。
それなので、今の処、終日、横臥している。
・・・そして、身体を横にしていると、あの沈むような憂いのある眠気が、来るようになった。
穏やかで、優しく、そして、少し憂鬱で、不安な感じを伴うあの極上の眠気が・・・。
あの感覚に憑りつかれると、もういけない。
以前は、会社勤めなどしていたときなど、もうその日の朝は、休暇をとりたくなるくらい魅惑的な眠気・・・だったのだ。
・・・それが・・・去年の夏から、一向に訪れなくなって、不眠の度合いが増して行ったのだった。
それが、ここへきて、再び、戻ってきた・・・よいのか?悪いのか・・・?
さて、そんな眠気の中、世間のひとが、活動をしている時間帯・・・朝だとか、昼だとか、夕方だとか・・・そういった時間帯に、この愁いのある極上の眠気が舞い降りてくると、眠ってしまう。
ヒトとして、眠るには不適切な時間だけれど、眠っている・・・。
それが・・・。
そういう極上の眠りの中にいるときに限って、相方は、電話をしてくる・・・。
眠りは一瞬にして破られるのだった・・・。