本降りの雨、降ったり止んだりの連休の日曜日。
朝7時頃、目が覚めて、さて、起きようか・・・と思ったとたん、また眠ってしまって、目が覚めたのが、2時間後の9時。
えっ・・・???さっき、7時だったのに、2時間も眠ってしまったのか・・・その2時間・・・なんの自覚もなく。
こんなふうな眠り方って、どうなんだろう・・・とか思いながら、本降りの雨の音を聞いていたら、また眠くなって・・・。
現在の居室は、関東東北大震災(2011年)に、敷地内の東側の平屋から、異動してきて、12年も経つのだけれど、なんだか、ヘンに馴染まず・・・といった感じで、今度は、県央へ移転することになった。
馴染まないというか、自分の居場所って感じがしなかったから。
いつも仮住まいの居候的感覚が消えなくて、母に対しても、そんな感情が多少也ともあった。
そう・・・私には、居場所がない・・・。
居場所はあるにはあるけれど、本当の居場所じゃないような気がしていた訳で。
昔から、いつかは、この家を出ていく・・・と思っていて、だから、自分で、大型の家具は、買ったことがなくて、いづれは、移動するのだから・・・という思いが、頭の片隅にあったからなのだと思っている。
本当に、家具って買ったことない。
今使っている箪笥なども、母のものだし、母が幾らか聴力があって、テレビなど一緒にみながら食事をしていた茶の間も、母の聴力が衰えるにつれて、大音量になっていくテレビの音に耐えられず、一緒に食事をするのを止めてしまってから、二階の居室に膳を運び、その膳をのせる小卓子(テーブル)も、以前は、高さ50cmくらいのダンボールを台にしていたくらいで。
だから、本当に、収納家具とかもない。
それを思うと、本当に、引越しは、ラクだ(・・・なのだけれど、何故か、未だに動けず)。
母の残したガラクタは、処分が大変で、今は、モノを廃棄するにも、おカネがかかる。
50リットルのポリ袋に収まらないものは、粗大ゴミとして、市の処分場へ持ち込まねばならず。何度か、処分場迄出かけた(この処分場は、火葬場隣接で、人間もゴミも一緒かい・・・本気なのか、冗談なのか・・・分からない。ここで、母は煙になったけれどな・・・なんて、ハナシは、以前にも書いたかな・・・)更に、冗談のような話で、県央の一番大きな焼却場は、火事で、停止中。持込みにも制限があるようで、相方などは、焼却処分場が、火事なんて、コントみたいだ。哂っちゃ悪いけどさ・・・とか言っていた。
原因は、乾電池の発火?らしく、乾電池の廃棄のルールが一部変わったようだった。
ヒトもモノも、その寿命が終われば、燃やして、灰になって、お仕舞い・・・。
でもなぁ・・・質量保存の法則だか・・・あれは、化学変化か。
焼却って、物理変化なのかな・・・頭がよくないんで、わかんないけど。
私の目の前から、母は、消えたけれど、母であった遺骨は、御墓の下・・・遺骨は、母であって、母ではなくなった、たんなるカルシウムとかリンの燃え残り。
いつものごとく、バカなことを考えている雨の日曜日。