鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

アイクスクリーム③~電動アイスクリーム・メーカーを購入してみる。

2010-08-30 21:02:06 | Weblog
今年の夏は、本当に、暑い。
暑さに、『小休止』がなくて、ノン・ストップで、暑さが続いている・・・といったカンジだ・・・。
例年だと、10日に一度、15日に一度・・・といったカンジで、最高気温が、25℃くらいまで、下がるものなのだけれど、今年は、ソレがない・・・。

9月もこんなカンジなんだろうか・・・。

8月の終わりは、夏の終わりで、一抹の寂しさみたいなものがあったのだけれど・・・。
今年は、ソレすら・・・ない・・・。

・・・そんなこんなで、今年は、何時になく、アイスクリームを多食した。このことに関しては、拙ブログ・今月の6、7日も記載しているので、くどいかもしれないが、アイスクリームネタ第3弾?である。

アイスクリームばかり食べていたのでは、身体にも良くないだろうけれど、昔(←昭和の後半頃の話です)は、アイスクリームは、病人食でもあったような気がする。
私的には、胃は、それ程、弱くないが、家人が、しばらく胃弱だったため、『胃腸病のための食事療法』みたいなタイトルの本が、我家には、何冊かある。
そんななかで、流動食の一種として、アイスクリームの記載があった。

材料が、牛乳・たまご・砂糖だから、たんぱく質やらカロリーなんかは、摂取しやすい食品のようだし、なにより、食べやすい。
特に、風邪なんかで、熱のでた日には、固形物よりは、アイスクリームやフルーツ系のシャーベットが嬉しい。

この暑さは、当分納まりそうもないし、ここらでひとつ、自分で作ってみようか・・・と思い立ったところ、なんと、『1円オークション・電動アイスクリーム・メーカー』なる家電?を発見。
ちょっと調べてみると本体価格が、3600円くらいで売られていたので、1000円くらいで落札できたら嬉しいな・・・と思いながらも、更に、入札価格を750円に下げて設定したら、落札できた。

『・・・コレで、あの高いハーゲン・ダッツ』は、買わなくてもいいんだ。お財布にも優しく、添加物なしの純粋アイスクリームが毎日のように食べられる・・・しかし、コレは、誤算だった。

『ハーゲン・ダッツ』・・・高いワケがわかりました・・・。

要するに、電動アイスクリーム・メーカーで、きちんとしたアイスクリームが出来なかったのだった。
敗因は、外気温が高すぎ・・・30℃以上の外気温だとアイスクリームが、固まらない。
そして、どうも、蓄冷容器の冷やし方が、不足していたようだった。
・・・で、固まらないアイスクリームは、どうしたかというと、フリーザーで、3時間かけて、固めてみた。
どうも、アイスクリームというよりは、シャーベットってカンジで、空気が含まれていないからクリーム感は、まるで皆無。
しかし、これは、これで、美味しかった(負け惜しみにしか聞こえませんがね・・・)。

冷凍庫から取り出しても、ハーゲン・ダッツは、スプーンが入るくらいの柔らかさなのに、自宅で作成したアイスクリームは、氷にでも、スプーンを入れているのか・・・くらいのガチガチに固まって、コレを、柔らかくするまでに、かなり労力が、かかってしまったというお粗末な顛末。

『寝ながら学べる構造主義:内田樹・著』~再読『寝な構』洗練されたおとなとは・・・?

2010-08-29 21:02:05 | Weblog
くもりがちだけれど、暑さは続く。

努力したひとは、報われるなんて、つまらない説話をなんで、誰が好んで後世まで伝えるだろうか。
内田樹先生は、こんなことを書かれました。

今まで、努力をすれば、何か必ず報われる・・・と信じていましたが、どうもそいうもんでもなさそうです。

努力は、報われて初めて努力という・・・。

努力・・・なんか、辛そうですがね・・・???
ひとには、言えませんが、私、結構、努力家でした・・・。
それなのに、まぁ・・・報われたカナ・・・???と思うことは、ありませんでした。
だから、多分、これかも、努力しても、報われることは、ないのでしょう。

・・・特に、タナボタ式の幸運とかには、お目にかかれず、過ごすことになりそうですが・・・。

それでも、まぁ・・・いいか・・・仕方がないよね・・・。

そう思えるのが、オトナの感覚なのかもしれません。

昨日も書きましたが、世界の分節は、<私>が到来する前に全て終わっており、<私>は、どういう理由で、どういう基準で、分節がなされたのかを遡及的に知ることが出来ない・・・のだから、たぶん、分節したのは、神だとか、運命だとか、ヒトの手では、どうすることもできない事。

実は、私、ヒトが関与することの出来ない<世界の分節>が、誰(という代名詞は、不適当だとは、思いますが、敢えて、使わせていただきます。それしか、表現する術をしらないので)によって、どういう基準で、何の為に、そして、どうして、不平等なのか・・・それを知りたかったんです。

ずっと、ずっと、以前から・・・。

誰か明確な答えを出してくれるのか、何処かにその答えがあるのかそれが、知りたかった。
知ってどうなるものでもないのだけれど。
分節したのが、誰かなら、もっと平等にやれよ・・・と怒鳴り込みたかったのだろうし、いま、充分な満足感や幸福感が得られないのは、アンタのせいだよ・・・と悪態をつきたかったのでしょう。

その<分節>をある人は、神と呼び、運命とよび、幸運とよび、不運とよぶ・・・・。

ヒトがそこに行く前からあるのだから、どうしようもない・・・<分節>された世界にひとり取り残されて、嘆き悲しみ、恨み、怒り、妬み・・・そんな不条理を、別に、自分が悪いわけではなくて、モトからそうだったのだから仕方がない・・・と思うのが、もしかしたら、洗練されたオトナなのかも・・・。

でもさ・・。カゲで努力はしますよ・・・多少なりとも。
こんなふうにしか生きられないし、或る意味、努力は、心の保険です。

『寝ながら学べる構造主義:内田樹・著』~再読『寝な構』答えは、ここに・・・!

2010-08-28 21:04:58 | Weblog
朝から既に30℃を越えている自室。気がヘンになりそうな暑さ。

先週、一週間、夏季休業でグ~タラ、グ~タラ過ごした訳ですが、その間、内田樹先生の 『寝ながら学べる構造主義』を再読。

迂闊であった・・・なんて、通り一遍の読書しか出来なかったのだろか・・・。

ここ数年来、どうしてなのか、納得できず、そのために、随分と、苦しい思いをしてきたことの答えが書いてあるではないですか・・・。

それは、或る人との比較によって起こる葛藤なのですが、評価されるのが、仕事の量・質・成果・勤務状態といった通常の会社組織で行われるハズの差別化が、まるで見当違いな査定で行われている現実に対する憤りでした。

内田先生は、民話の『こぶとりじいさん』を題材に、説明しておられます。
隣り合わせにすむ爺さんふたりが、両方ともいづれ劣らぬ下手くそな踊りを鬼の前で、披露したのに、一方は、(コブをとってもらうという)報償を受け、もう一方は、(報償を受けた方のコブをつけられるという)罰をうけるという不条理なお話。

(以下、『寝ながら学べる構造主義』より、適当に抜粋)
この物語の教訓は、『この不条理なる事実をそのまままるごと承認せよ。』
この物語の要点は、『差別化=差異化=分節がいかなる基準に基づいてなされたのかは、理解を絶しているが、それをまるごと受け入れる他ない。』

『世界の分節は、<私>が到来する前に全て終わっており、<私>は、どういう理由で、どういう基準で、分節がなされたのかを遡及的に知ることが出来ない。』という人間の根源的な無能。

このあたりを読んで、ああ・・・そう言う事だったのか・・・。

・・・その不条理は、或いは、宿命というものだったり、運命というものだったり、運がいいとか、不運とか呼ばれたりもするのだけれど(そのせいで、易なんて、はじめてみたのだった)。

ジャック・ラカンは、『大人になれよ。』と言っていると内田先生は、結論づけました。

要するに、不条理は、洗練された大人になるために必要な通過儀礼で、ここを通過しないと、シチュエーションは、代わり続けながらも、何度も何度も、同じ、不条理(対人関係)は、展開され続け、悩ませられることになるのか・・・とそんなふうにも、考えられますが・・・・。

私の場合、隣のひとが何処か行ってくれれば、と思っていたのだけれど、例え、何処かへ行ってくれて、離れ離れになったとしても、この『不条理』を通過しないかぎり、またまた、同じように、不快な人物が現れてくるってことでしょうかね・・・。早くおとなになれよ・・・。

・・・早く、通過したい・・・この『不条理』。

夏季休業

2010-08-27 21:03:03 | Weblog
暑さはつづく・・・。でも、随分と日の入りが早くなったような・・・そんな気のする夕暮れ。


先々週の土曜日(8/14)から今週の日曜日(8/22)にかけて、夏季休業で、9日間に長きにわたり、毎度のことながら、何もせず、虚しく過ぎていった。
仕事をしなくてよい9日間は、何か志でも持てば、それなりに、何か結果が残せると思う。

目的である休業(休養)をメインに、できる範囲で、何かしよう・・・と一応の方針は、立てた。

しかし・・・怠惰な性質は、治らないものである。
初日は、休養で、何もせず、休んでよし。翌日は、埼玉へ、観劇・・・。観劇は、帰宅が夜中だから、翌日は、遅くまで、寝ていてよし。
その翌日は、姪どもと約束したアイスクリーム自宅作成計画?(なんのことは、ありません。電動アイクスリーム・メーカーなる機器を購入したので、アイスクリームを作るだけの話です)を実行し、その後は、自室の清掃にいそしむ・・・このあたりくらいまでは、比較的順調だったのだけれど。

その後は、もう身体が、昼夜逆転してしまい、いつもの長期休暇とおり、夜中は、読書、明け方寝て、昼過ぎに起きる・・・といった(ワタシとしては、会社員でなければ、コレが理想なのだけれど)怠惰な生活になってしまった。

・・・ということなのだけれど、メインにおいた読書・・・コレが、かなり難解で、長編な本を読み始めてしまい、全くといっていい程、進まない。
・・・イヤ・・・すごくおもしろいのだけれど。
どういうわけか、途中、物凄い睡魔に襲われて、夕方の5時だの、夜の7時だの、夜の9時だの・・・といった普段であれば、眠気のしない時間に、眠ってしまい、1時間前後で、再び、目を覚まし、また、読み始める・・・終わりのない眠りと読書のスパイラルにはまり込んでしまった。

生活するのに何の支障もなければ、それでいい・・・。

しかし、会社が始まると、どうにも、こうにも・・・。

会社へいかなくても、それなりの生計が立てられれば、この昼夜逆転の夢のような生活が、続くんだけれども・・・。
今は、昔と違い、ショッピングセンターも郵便局も24時間営業だから、生活するには、そう支障は、あるまい・・・とも思う。

劇評②~公演パンフレットは、買わない。

2010-08-26 21:07:37 | Weblog
ただ・・・ひたすら暑い・・・。


私は、劇場で、物販される所謂『公演パンフレット』は、買わない。
上演劇場や団体にもよるけれど、なにしろ、高額だし。
出演役者さんの来歴や、役柄、コメントなんかは、楽しいのだろうけれど、評論家や文化人の方のよせる『大変、よくできました。期待してます。』的な寄せ書きは、内輪褒め的で、なんだかイヤだ。
駄作?でも、つまらなくても?褒めてある。
褒め殺し・・・。
そんなモンに、高い?カネ払えるか・・・チケット代だって、安かないのに・・・。

そんな気持ちが先行して、物販には、できるだけ近づかないようにしている。

物販コーナーで、販売している戯曲本にも、イヤな思い出がある。

終演後、原作を読んでみようかと、購入した。
戯曲本というのは、一般の小説なんかよりも、薄くて値段が高い傾向にある。

さて・・・読もうかな・・・と思って、ページを開く・・・本のカバーに、口紅とおぼしき赤い跡が、くっきり。
『なんじゃい・・・コレは・・・!』
どなたかの指が、どなたかの唇に触れ、そのまま、本を手に取りページをめくったものと思われるのだけど・・・。

汚い・・・触りたくない・・・高い本なのに・・・。古書ならイザ知らず・・・。

そんなイヤな思い出があるのだ。

パンフレットに戻ろうか。
何十年か経過して、パンフレットをみて、懐かしいと思うこともあるだろうし、内輪褒めだって、思い出にもなる。
もしかすると、お宝になっていて、オークションなんかで、高価な取引ができる可能性もあるか・・・。

パンフレットを買おうというひとは、舞台に立つ役者さんのファンであり、役者さんの写真が、たくさんでているパンフレットは、お宝だろう。

でも、私は、パンフレットは、買わない。

忘れてしまうくらいなら、印象に残らないのだし、将来、こういったパンフレットが、何かの役に立つことも期待できないから(売却しようにも保存状態がよくないから、売れません・・・とかね・・・)。

劇評

2010-08-25 21:02:11 | Weblog
いつまでも、いつまで、暑い暑い今年の夏。


本当に、何度も、何度も書いている・・・劇評なんて、リッパなものじゃないし、演劇自体・・・理解しているわけでなし、ただ観ただけの感想だと・・・。
それでも、少し、気取って、敢えて劇評と書かせていただいている。なんとも鼻持ちならないか・・・。


感動・感激・反発・反論・ソレって違うんじゃね?と、心に引っ掛かったものには、手厳しいかもしれない・・・それは、それだけ印象に残っているってコトで、随分と捻くれているのではないかとも思う。
(小学生が、好きな子をいじめる心理なのかもしれない)

逆に、全く受け入れ不可能なもの・嫌いなものに関する評価も厳しいものになってしまったりしている。

要するに、演劇なんぞを語る資格のない子供が、大見得切ってる訳で。
・・・なので、ワタシの劇評を読まれて、ご不快を感じる方がいらっしゃいましたら、お許しいただきたい。
(訪問者・閲覧者も少数の極零細ブログにいちいち、突っかかる方もいらっしゃらないでしょう。時間の無駄だし・・・)

未熟な子供の単なる感想文にすぎない・・・。
いつまでたっても、成熟した大人の感覚になれない可哀想な子供なのだ。
昨日まで、書いていた『広島に原爆を落とす日』での、文化の未成熟で、歴史も浅い、野蛮人国家のアメリカ・・・と変わりない・・・またまた、ヘンなことを書いてしまった。較べられるアメリカさんがお気の毒であろう。
だから、もしかしたら、何の意味も考えず、押せと言われたら、原爆投下のスイッチさえ押してしまうような・・・そんな節操も分別もないバカな子供同様である。

コンナ子供でも、正面切って、書けないこともある。
もともと、文書作成能力がない上に、ボキャブラリー不足、文章構成能力がないものだから、とんでもない文章になっていることも多々ある。
本人が、全く意図しない結論に、達している場合も・・・。

コレって本当は、自分の意見じゃないっすよ。書いていたらこんな内容の文章になっちゃってさ・・・極端ないい訳である。

何が言いたいのか、まるで、わからん・・・ここまで、読んで下った方がいれば、そう思われるかもしれない。それは、正しい。

しかし、書いている本人が、何が言いたいのか、説明できないでいる・・・だったら、書かなきゃいいのに・・・。
そういう、劇評ばかりなんです。このブログ・・・。

『広島に原爆を落とす日』④~世界の構図・アメリカvsドイツ、どうでもいい日本

2010-08-24 21:03:59 | Weblog
殺人的な暑さ。終息に向う気配すらない。


人類が手にした一度で、大量の人間・・・イヤ、アメリカにとっちゃ、黄色人種は、サル以下だから、サルを大量に殺したに過ぎないか・・・。
アメリカは、日本なんて、どうでもよかった・・・その日本の先にあるアジアを掌中に収めたかった。

世界の何処へいっても、日本なんて、太平洋の隅っこの島国なんて、相手にしていなかった。

世界最初の大量虐殺兵器を、同じ白人であり、同じ神をもつ、ドイツに落とすのは忍びない・・・だから、人間以下、サル以下の、どうでもいい島国に落とそう・・・。
最初から、対等な立場ではなく、人間以下だから、どんなに殺したって構いはしない・・・。

だから、アメリカは、歴史の浅い、文化の育っていない野蛮人の国だっての・・・つかさんは、舞台の上そう言わせる。

その反面、ドイツ第三帝国をかなり美化して描かれていた。
ドラマなんだし、フィクションなんだから・・・。
舞台の上で、あのアドルフ(ヒトラー)を王子様のように描いている。

これは、ものすごく不思議な構図だ。

大韓民国籍であるつかさんにとって、故国を虐げ、同胞を虐殺した日本を、赦してくれたのだろうか?
ユダヤ人を大量虐殺したドイツ第三帝国なら、赦せるのだろうか?


ドイツは、かつて、ホロコースト・・・ユダヤ人の大量虐殺をやってのけた。
日本は、中国大陸で、南京大虐殺をやってのけた。朝鮮を蹂躙した。
・・・アメリカは、ほんの数秒で、たった2発の原爆で、数分で、広島と長崎を死の街に変えた。

世界は、2000年かけて、ユダヤ人を迫害してきた。

イギリス・フランスは、植民地政策と南アフリカにアパルトヘイト政策を講じて、略奪・搾取・迫害を続けた。

カンボジアのポル・ポトは、同じ民族を虐殺した。


何も咎なき人々は、ただ迫害され、殺された。

世界は、何処へ行くんだろう?

この舞台をみて、そんなことを考えた。

考えてもわからないことなのに。

『広島に原爆を落とす日』③~日本的魂の崩壊した日

2010-08-23 21:05:49 | Weblog
猛暑・・・。暑すぎる・・・今年の夏。


人類初の大量虐殺兵器を、人類で、最初に使うという『神』の仕事を担うために生まれ来た犬子恨一郎。

65年後、歴史から抹殺された犬子恨一郎を追う記者・山崎。
この両者に、何の関連性もない・・・なにか、あるのかな・・・と思ってみていたのだけれど。
生まれ変わりだとか・・・そんな因縁めいた確認の仕様のない事実は、このドラマの中では、却下されていた。そのあたり、もう少し、複雑な因縁が欲しかったと私なりにそう思う。
山崎役の筧さんは、印象が少し薄かった。

この戯曲が書かれてから、4半世紀・・・。
やはり、25年くらい前の設定の方が、自然だと思う。
無理に、現代(2010年)にする必要もなかったのではないかと・・・。
第二次世界大戦という、どうしても、動かすことの出来ない歴史的事件の時間軸が、設定されたため、他を動かすというのは、無理があった。

太平洋戦争の終末期にタイム・スリップしてしまう今井雅之さんの戯曲『Winds of God』でも、初回は、携帯電話などの小道具はなくて、ン十年ぶりに再演したときでは、シチュエーションがいろいろ変わっていた。
それをいかに矛盾なくまとめるのが演出家さんの仕事だとは、思うのだけれど。

65年前という現代での設定と40年前という戯曲の書かれた頃の設定とでは、だいぶ、齟齬がある。

犬子恨一郎と髪百合子(仲間リサさん)の娘であろう?今日子(山口紗弥加さん)も、現代の設定では、64歳でなければ、ならないし、時の首相・宗重(山本亨さん)が、現代に現れたのならば、多分110歳以上でなければ、矛盾が生じるはずである。

この首相・宗重を演じていた山本亨さんは、老獪で、俗物的な人物に描かれているけれど、このひとは、ほんとうに上手い役者さんだ。洒脱でもある。
このままだと、敗戦は、間違いない。そんな中、日本は、アメリカの51番目の州にならずに、アメリカの軍事基地を提供することによって、永遠の安全保障を取り付ける。その安全保障の中味は・・・(ネタバレになるので記述を控えるが・・・)。日本をアメリカにしないために、宗重は、秘密を抱き、生き続ける。太平洋戦争の亡霊のように・・・。

スリリングな謎解きとダイナミックなダンス、あまり必要性のないボケ?もあったりで、時間を忘れる面白さだった。

愛する女の頭上に、原爆を落とす・・・。
そして、日本の再生を願う恨一郎。

今、日本に恨一郎のような鮮烈で清しい男がいるだろうか?
たぶん、そういう日本人は、もう伝説の中でしか存在しないだろう・・・つかさんは、そう言いたかったのかもしれない。そして、恨一郎は、朝鮮人だったと・・・。

(明日に続きます)


『広島に原爆を落とす日』②~誰の為に、地獄の業火を・・・。

2010-08-22 21:02:02 | Weblog
今日も暑い・・・。8月も下旬だというのに・・・。


誰が、ヒロシマに原爆投下のスイッチを押したのか・・・?
かつて、人類が、一度で、虐殺できる最大数を遥かに、超えることになるであろうこの地獄の業火を、放つためのスイッチを・・・。

目の前に広がるこの世の地獄を作り出したのが『自分』だという認識に耐えられる人間が果たして、この世に存在するのだろうか?

その人類初の狂気の殺人兵器・原爆をヒロシマに投下するためにこの世に生をうけた朝鮮人・犬子恨一郎。その清冽なまでに、強く美しい魂の持主を演じるのが、筧利夫さん。

原爆投下のスイッチを押した海軍士官・犬子恨一郎の謎を追い、政府が封印した謎を解き明かすために、無実の罪で、服役していた記者・山崎役との二役で、膨大なセリフを澱みなく、演じきる筧さんは、力量のある役者さんだ。

これは、一種の復讐劇なのだろうか?

在日朝鮮人であるつかこうへいさんの・・・。
日本という、卑怯で、曖昧で、生ぬるい国家に対する・・・。

自分の愛しいヒロシマに原爆を落とす決意をする恨一郎の名前は、犬以下の朝鮮人と日本人から、蔑まれても、誇り高き、李一族(←朝鮮の王朝の系図らしいことを劇中で語られていた)。
恨一郎の『恨』は、日本人だったら、多分、名前には、持ち得ないだろうと思う。かの朝鮮国での『恨』は、『うらむ』という意味は、無いのだろうか(ハングル語にこの字はないですかね?)蔑まれ、暴力に耐えて、日本人姓に改姓しても、恨一郎は、日本人より、日本人らしく、ほんとうに美しい伝説の中の日本人として、語られる。

そして、その李一族を皆殺しにした皇室の刺客・・・蔑まれて、泣き女という葬儀場で、泣いて、葬儀を盛り上げる職業?の女達の一族の娘・百合子を愛し続ける恨一郎。

劇中、不思議な構図が二重・三重に展開される。

アメリカに最初に、原爆を落とされるのを望んだドイツ第三帝国のアドルフ・ヒトラー(大口兼悟さん)。
貴族然として騎士を連想させる。既成のヒトラーとは、全く違う。美しいヒトラー役である。
ユダヤ人を大量虐殺しているのに、志は、あくまで、清く、しかも、人間味に溢れている。
本当に、そうなのか・・・と疑問を抱かせるくらいに。

史実(真実)は、どうだったのか・・・なんて、後世のひとが判断すればいい・・・山崎と事件を追う新人記者(平沼紀久さん)に、つかさんは、そう言わせている。

(明日に続きます)

『広島に原爆を落とす日』~追悼:つかこうへいさん

2010-08-21 21:02:53 | Weblog
暑さ復活。

2日前の19日。
まだ、夏季休暇中のワタシは、夕方から、都内のBunkamura・シアター・コクーンへ『広島に原爆を落とす日』を観劇に。
平日の夜だけれど、満席。

先日、お亡くなりになられた劇作家・演出家のつかこうへいさんの作品。

1970年代彗星の如く、戦後第二世代として、演劇界に現れたつかさん。
そして、その後、戦後演劇の第三世代として、1980年代へ続く、夢の遊眠社の野田秀樹さん、第三舞台の鴻上尚史さんといったキラ星の如く輝ける新しい才能をもった演劇人(劇作家・演出家)達の現れた稀有な時代でもあった。
残念ながら、現代では、そういった特異な才能をもった演劇人が、出現しない。

つかさんの舞台は、映画となり、そしてまた舞台となって、多くの演劇人を育んだ。

しかし、ワタシは、何故か、つかこうへいさんの作品をこの年代に、リアル・タイムで、拝見させていただいたことがなかった。映画すら見ていなかった。
所謂、『縁』がなかった・・・ということだろうか。
つくづく、残念に思う。

1980年代は、ワタシにとって、演劇とは、無縁の生活にならざるを得なかった。
・・・所謂、演劇に投じる『カネ』が、なかったのである。

今回の『広島に原爆を落とす日』に、ほぼ同時代に育った第三舞台の筧利夫さんが、主演するということは、80年代では、なかったような記憶があるのだけど(・・・80年代に、ブランクがあるので、曖昧な記憶で、申し訳ない・・・)。90年代の『飛龍伝』あたりが、最初か・・・?

開演前、劇場では、80年代にブレイクした矢沢永吉、アリス、中村雅俊・・・といった方々の曲が、流されていた。あの時代を知っているひとには、懐かしい曲ばかりで、意外に、歌詞の2番まで、覚えていたのには、自分ながら驚いた。
それ程、好きな曲じゃなかったのに・・・。日常的に、聞くとはなしに聞いていたのかも知れない。
つかさんも聞かれたのだろう・・・。

・・・ずいぶんと若くして逝かれた感が強い。

ご冥福をお祈りしたい。

(劇評・・・毎度のことだけれども、劇評などといった立派なもんじゃあ、ありませんが、明日のブログから、何回かに渡って書かせていただきたいと思います)