晴天。最高気温34度。宵から雷雨。
朝から晴れ。午後から雷雨の予報だったので、少し早く起きて、洗濯。キッチン床、階段、玄関掃除。
母の箪笥二棹目の衣類整理。ここは、主に夏物用?に使っていたようで、全体的に、服1枚の重量がと軽い。
母は、レース系のトップス(ベスト・カーディガン)が好きで、可愛らしいデザインのものが、幾枚も出てきた。
ああ・・・コレ着てたな・・・と、印象に残っているものも・・・。
もっとも、85歳を過ぎたころから、外出用の服は買っていないようで、いづれも60歳代後半から、70歳代に買ったもののよう。
箪笥の中の服たちは、母に良く似合っていた。
母は、57歳で、夫(つまり私の父)と死別して、それから31年間、かなり気儘に、好き放題、暮らした。
たぶん・・・57歳以降は、人生で、一番良かったんじゃないかと思う。
その象徴が、自由に服を買うことだったのではないか・・・と思う。
60歳で公務員を定年退職し、趣味で、花木教室、レザー教室、お人形教室、お料理教室・・・一応、習い事を通過してから、野菜作り、庭の手入れ、そして、80歳を過ぎて、老人の生きがい教室(折り紙、工作など)と、毎日、毎日、何処かへ出かけていた。
内孫が誕生してからは、67歳にして、子育てを再開?
食糧品などは、自転車に乗って、出かけていた(86歳前後?で、自転車で、コケる迄は・・・)。
だから、ちょっとそのへんへお出かけ・・・でも、いろいろ服が必要だったのかもしれない。
着道楽なのは、母の母(つまり私の祖母)の実家が、市内でも結構老舗の呉服屋だったこともあるだろう。
母の母は、丙午生まれだったため、縁遠かったようだけれど、母の父(つまり私の祖父)に嫁いで、34歳で、此の世を去った。
母の母の実家の呉服屋は、四姉妹と弟ひとりであったけれど、太平洋戦争で、その弟(母の叔父)は、戦死した。
四姉妹の末娘が、母と一番歳が近い叔母にあたり、顔立ちもよく似ていたような気がする。
今から、31年前、私の祖父(つまり母の父)の後添いさんが、亡くなったときに、都内の桐ケ谷斎場にて、この母と一番歳の近しい当時は、まだ呉服屋の女将をしていた母の叔母と会ったことがあって、帰りは、新幹線で帰るというので、斎場の控えの間?で、喪服から、御召に着替えて帰ったのだけれど、着物の知識が、全く無い私でも、その御召が、極上品であることは、なんとなくわかった。
私と母は、喪服のまま、ローカル線で帰宅した。
ソレ以来、一度も逢うことなく、母の叔母は、他界した。
若い頃は、女学校の先生をしていたそうである。
そういう血が流れているせいか、母は、貧乏でも、着道楽だった(と思っている)。
私は、安物買いの着た切りスズメだけれど。