風薫る5月最終日。
今日も、心地よい風の吹く一日。
宵から、激しい雷雨。
母の遺品整理が、遅遅として捗らないのだけれど、今度は、なんと・・・11年前に亡くなった大叔母の娘・・・母にとっては従妹に当たるSちゃんに宛てた書き損じの手紙が出てきた。
(Sちゃんについては、拙ブログ↓をご参照下さい ↓ )
今日も風が強い・・・/ダンサー(オルゴールの思い出) - 鼎子堂(Teishi-Do)
11年も前の・・・しかも、書き損じかよ・・・と思いながら、読んだ。
大したコトは書いてなくて、でも、こんなの序の口だ。
膨大な家計簿メモ、メモ帳など・・・そこに書かれているのは、テレビでオンエアされた健康法、健康食品、料理レシピ、推薦図書・・・などの他に、日々、母の身辺に起こったことなどが、きれいな文字の時もあれば、書きなぐりのような文字のときもあり、訳の分からぬ・・・というより、判読できぬものなどもあって、その中に、私のコトもいろいろと書いてある。
○月○日・・・風邪で休む・・・とか、派遣先が変わるらしく、夕方、上司と面談、うまく行くといいのだが・・・(余計なお世話だ・・・と思う)。
家族のコトで一番多いのは、孫と何処へ行ったとか、保育所へ送り迎え・・・などとい他愛もない記載が多く、自分の息子・・・コイツが、しょうもないバカで、いろいろ悩まされたコトなども書いてあった。
極めつけが、(そのバカ息子のことで、私とケンカしたときなど)、私の名前に『大馬鹿』と書いてあった。
流石に、ソレって・・・と思い、今更ながら、無性に、ハラが立ってきた。
母が、亡くなってから、(故人の家族の前で、故人を悪く言う人は、たぶんいないと思うけれど)誰もが言う・・・。
『お母さんは、物凄く優しいひとでした。』
それは、母の外の顔で、家に居るときは、私は、女中扱いだったし(失業してから、喰わせてもらっていたけれど、その分、家事、身辺の世話など、食費光熱費分くらいは、役に立っていたと思うのだ)、自分のバカ息子、その嫁、その子供(つまり孫)と、折り合いの悪いときは、私に愚痴を言い、愚痴を聞くのがイヤになって、無視していると、薄情だ!と言って怒り出し、脚が痛むときなどに、私には、対処できないから、明日病院へ行ったら・・・というと、
『どうして、こんなに痛いのに、そう冷たいんだ!』
と、怒り、本を投げつけられたこともあったりした・・・。まあ、コレは、病気が言わせてたことだろうけれど。
世間の人が、知らない母の別の顔だ。
本当に、よい母だったのか、単なるわがままな婆さんだったのか・・・。
真夜中に、血圧が高いと起こされ、早朝、具合が悪いと言っては、起こされる・・・。
そして、ひとの悪口を、書き残して、そのまま、死んでしまった。
母的には、自分が死んだあと、薄情なバカ息子が、何の躊躇もなく、ゴミとして片付ける!だから、大丈夫だ!!と明言していた。
その薄情なバカ息子に、遺品整理は任せられない、大馬鹿娘の私が、全て(・・・でもないけれど)の感情を引き受けざるを得なくなって、今、こんな状態である。
躊躇なく、ゴミとして、全部、捨ててしまえれば、どんなに楽なことだろう・・・。